窓辺のリボン
クロスフォード家からの帰りの車中、リンデはいかに自分がもてなされたかをアデルに聞かせた。
「私が優雅に過ごしている間、お姉様はずっとあのお嬢様のお世話をしていたのね」
レオから「釣りの師匠」と呼ばれたディルのことは、レオの竿に餌を付ける係くらいにしか思っていない。
「来週ももちろん行くわ」
「レオ様はとてもお忙しいの。来週もお休みをとれるかわからないわよ」
「それでも行く。メイドたちが私を待っているもの」
アデルは苦笑いしかでない。行くのは知れている。こっそり行っても後から追いかけてくるのは、見なくたってわかる。
家に帰り着くと着替える間もなく、父の執務室へ呼ばれた。
「もうクロスフォード伯爵家には行くな。今後一切関わる事は許さない」
「急に何故ですか? 理由をお教えください」
おかしい。いつもなら真っ正面から怒鳴る父が、背を向けて顔を見せない。
「伯爵の婚約者でもないのに、気軽に遊びに行くなどおかしいだろう。リンデもだぞ」
それを言われたら、確かにそうなのだが……。でも目的はレオではなく、ニーナに会うためだ。
「お父様、酷い。お姉様ばかりか私まで行くなだなんて、横暴です」
リンデが泣いて見せても、父は駄目だと言うばかり。
「今日、私はヴァレル伯爵に呼ばれた。知っての通り我が家はヴァレル伯爵に長く仕えてきた。私が役人になれたのも口添えがあったからだ」
「それとクロスフォード伯爵家訪問は何が関係するのですか?」
父は急に何を言い出したのだろう。リンデにまで頭ごなしに駄目などと言うのを初めて見た。
「ヴァレル伯爵のご意向だ。それ以上は言えん」
貴族には派閥がある。それなら先にはっきりと言うはずだ。理由は別にある。
「アデル。明日から王宮へ行くこともならん」
「急に言われても困ります。誰にもご迷惑はかけていません!」
「親に口答えするな。それとお前の嫁ぎ先が決まった。ヴァレル伯爵の舞踏会でお前を見初めた子爵がいるそうだ。またとない縁談だ。いいか、ユリアのように断る事はできない。先方の準備が整い次第嫁入りする。わかったな」
話はこれで終わりだと、有無を言わせず部屋を追い出された。
「……嫁ぐ。私が?」
婚約ではなく、いきなり結婚。それも子爵という以外、誰だかわからない。
「良かったじゃない。嘘つき令嬢を貰ってくれるなんて、一体どんな方なのかしら」
リンデがすぐ隣で何か言っているが、アデルの耳には入らない。
父に逆らうことは許されない。姉はそれでも意志を貫いたが、それは相手が裕福だったからだ。時折義兄から父宛に金品が届いているのは知っている。
「……レオ様……レオ様に会わなくては」
アデルはどうにか自室まで歩き、扉を閉めると、そのままずるずると座り込んでしまった。
家を抜け出すにはどうしたらいいだろう。
トントンと小さくノックされたが、今は誰とも話したくない。
「アデル様、少しでいいですから、扉を開けてください」
「……ネロリ」
アデルはそっと扉を開けた。
ネロリは滑り込むように部屋へ入ってきた。
「話は聞きました。みんな、もうカンカンですよ」
いきなり嫁入りの支度を手伝えとエルダーとバジルが呼ばれ、主人にどちらの嫁入りだと聞けばアデルのだと言う。クロスフォード伯爵と決まったのかと思ったら違った。
「……ネロリ。私、どうしたらいいの」
「明日一番に、ディルをクロスフォード家へ知らせに行かせます。毎朝市場へ行くから、絶対に怪しまれません」
「でも、レオ様に知らせたところで、もう決まってしまったことよ」
「だからです。クロスフォード様なら必ず解決してくれます。お任せいたしましょう」
「もしそれでレオ様のお立場が悪くなったら嫌だ。でも知らない人に嫁ぐなんて無理よ。私は……私は……」
アデルの目からポロポロと涙があふれて、止まらない。とうとう泣くだけ泣いたアデルは疲れ果てて眠ってしまった。
「お嬢様、きっと大丈夫ですからね」
ネロリはアデルの涙をそっとぬぐった。
クロスフォード家の庭でネロリは、「アデルについて、ここへ来る気はないか」とレオに声をかけられた。
もちろんクロスフォード家には侍女もメイドもいる。だが気心の知れた者がいれば、アデルの気も休まるだろうと伯爵は言っていた。そんな方が、お嬢様を簡単に諦めるはずがない。
「私もあんなわからず屋のご主人より、クロスフォード家にお仕えしたいわ」
ネロリはバジル一家の部屋へ急いだ。
翌朝、ミラー家の応接室は物々しい雰囲気だった。
馬で駆けつけたレオが、アデルの父ハンスと睨み合っていた。そこへヴァレル伯爵の代理人という男がやって来て、ずっと険悪な空気が流れていた。
「僕が先に申し込んだ。アデルは誰にも渡さない」
「そう言われましても、まだ娘とは婚約は交わしていません」
「まだ早いと言われたからだ。問題がないなら、今すぐに正式に交わしたい」
ハンスは我が家にも都合があるとつっぱねる。
「ヴァレル伯爵からの言付けです。今後クロスフォード伯爵にはアデル嬢に会わないでいただきたい」
「相手は誰だ。度胸だけは買ってやる。名を言え」
「言えば権力を使ってでも奪うというのですか? 確かにクロスフォード伯爵は力を持ちだ。たかが男爵家の娘一人に、それを使うと?」
「たかがではない。僕と姪にとってアデルは大事な人だ。すでに彼女は僕らの家族だ」
「ほう。婚約を交わす前だというのに家族だとは笑わせる。噂では仕事にかこつけて、アデル嬢がコーネリアまであなたを追いかけ、つい先日も王宮でこそこそと隠れて会っていたのを見た者がいるのですよ。清廉潔白であるはずの特別捜査官と妙な噂を持つ男爵令嬢。世間はどう見るのでしょうな」
(くそっ!)
心底、怒りが湧きあがる。すべてデマだ。
「それでも相手方はいいと言っているのですよ。伯爵ももう遊びはおやめなさい」
まるでアデルが傷物にでもなったような口ぶりに、レオは代理人につかみかかりそうになるのを必死でこらえた。
「事実無根だ。それ以上の侮辱は許さない」
「私どもを捕らえるとでも? 罪状は何でしょうな」
「僕は公私混同などしない」
悔しいが、挑発に乗るわけにはいかない。事を大きくしたら、それこそアデルに傷がつく。
「娘のことは父である私が決める。いくら伯爵でも口出しは無用ですぞ。お帰りください」
階下から怒鳴り声が聞こえる。アデルはじっとそれを部屋で聞いていた。
「もし私がここを抜け出せば、レオ様に疑いがかかってしまう」
頭の中はぐちゃぐちゃで、今は何も見えない。
ひとつだけ確かなのは、レオ以外に嫁ぐなんて考えられない。絶対に嫌だ。
「私ったら、いつの間に……」
気付けば、ずっとレオの事ばかり考えていた。
窓辺からそっと外を覗き見る。
正面玄関からレオが出て行くのが見えた。振り向き、窓をひとつづつ端から見ている。
(私はここよ……)
でも顔を出すわけにはいかない。
アデルはとっさに髪のリボンを外し、窓から垂らした。
(気づいて……)
カーテンの隙間から、馬に跨がりレオが去って行くのが見えた。
再び玄関の開く音が聞こえた。アデルは慌ててリボンを引き戻す。
「大丈夫。きっと迎えに来てくれる」
アデルはリボンをぎゅっと握りしめた。
レオは少し離れた場所で、ミラー家を振り返った。
一瞬だけ、窓辺に青いリボンが揺れた。
「……待っていろ、アデル。必ず迎えに行く」




