小さな手
レオが食堂へ行くとアデルの姿はなかった。レオは席に着かず、一緒にいるはずのテナを探した。
「テナは一人なのか?」
レオはテナの隣の空いた席をチラリと見る。なぜいないのかと不満げだ。
「はい。ご覧の通りですよ」
(驚いた。本当に来たわ)
目一杯予定が入っているはずのレオが食堂に来るとアデルが言っていた。事件でも何でもない。まさかと思ったが、本当に当たった。
そんな事はおくびにも出さず、テナは紙袋を差し出した。
「アデルさんなら図書館へ行きましたよ。仕事のついでに自分の本を借りてくるくらい誰にもばれないのに。真面目すぎますよ」
「彼女は責任感が強くて、正直者なんだ。でも昼食を抜くのは感心できないな。届けてくる」
アデルに会える口実をもらえたレオが足早に去って行く。
「ふふ。用意しておいて良かった」
この後の会議、局長は遅刻すると伝達しなくては。テナは急いで残りの食事を口に運んだ。
◇◇◇
「アデルはどこだ」
柔らかな薄茶の髪を探す。たしか今日は後ろにひとつ結びだった。青いリボンは自分の瞳の色。少しは意識されているのだろうか。レオにとっては重要な情報だ。
書架の間、細い通路に揺れる薄茶を見つけた。驚かそうと、レオは足音もたてずにそっと近づく。
「……その本なら二階の一番奥の書架だ。あまり閲覧されないからね」
「なかなか見つからなくて。助かりました」
アデルの弾む声に、レオの足が止まる。
(一緒にいる男は誰だ)
「もしかしたら、君も見るの?」
「いいえ。ただ、予知夢って本当にあるのか気になっただけです」
(なぜそんな話をしているんだ?)
レオはわざと靴音をコツンと響かせた。
「アデル」
不意に名を呼ばれ、振り返ったアデルの顔は少し驚いていた。
「レオ様、なぜここへ? 本日は大変お忙しいとテナさんが……」
「ああ、忙しい。それなのにショコラが吠えっぱなしでうるさくてかなわない。なんとかしてくれ」
「ショコラが? 何があったのかしら」
「はは。犬が吠えたくらいで、わざわざ局長が事務員をここまで呼びに?」
「何がおかしい? 誰が呼びに来ても構わないだろう」
「そんな怖い顔であなたまで吠えないでください。何か気に障ることでもありましたか。ここでは静粛にお願いします」
アデルと話していたのは、図書館司書カイン・ルース。休みの日も一日中図書館で過ごす変わり者で知られていた。
「アデル。行くぞ」
レオがアデルの手を掴み、歩き出す。
「カイン様、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げたアデルは、レオにあの物置の前まで連れて行かれた。
「レオ様、離してください。手が痛いです」
「すまない」
知らぬ間に強く握りしめていた。
「いつからだ。いつからあの司書と親しくなった?」
「芸術館の見張りの時ですよ。レオ様が不在の時は本物の司書さんが代わる代わる隣に座ってくれましたから」
レオが何に怒っているのかアデルにはさっぱりわからない。目当ての本がどこにあるか誰かに聞きたくても、受付は昼休みで混んでいた。ちょうど顔見知りの司書がいたから聞いたまでだ。
「それよりもショコラが気になります。局に戻りますね」
「……嘘だ」
「えっ?」
「君に昼を届けに来た。そうしたら僕以外の男と君が楽しそうに話をしていた……」
「楽しそうだなんて誤解です。探していた本が見つかりそうで嬉しくはありましたけど」
「何の本を探していたんだ?」
「予知夢に関する本です。私のとは少し違うかも知れませんが、参考になるかなと思って」
「そういった本なら僕もいくつか読んだ。くじが当たったとか、商売が上手くいったとか、そんなことが書いてあった」
「そうですか。やっぱり違いましたね」
アデルの見る未来は、ふっと頭に浮かぶ。眠る時はぐっすりで、翌朝は夢なんて覚えていない。
「もうあの男には近づくな。手紙の差出人を探しているのかもしれない。用心してくれ」
手紙の存在は隠していない。どこかで聞きつけても不思議ではない。
「それならばお言いつけに従いますけど。本当にあの方とは何もありませんからね」
言い訳がましいが、言わずにはいられない。それでもレオの機嫌は直らなかった。
「レオ様は明日もお仕事ですか?」
「どこかへ連れて行って欲しいのか? 午後ならば少し時間がとれるぞ」
途端にレオの機嫌は直り、声音まで変わる。
「違いますよ。明日はニーナ様に会いにお屋敷へ伺います」
「そうか……僕も明日は一日休みにしよう。アデル、時間がない。もう食べるぞ」
明日休むためには、少しでも多く仕事を片付けたい。
物置小屋から椅子と木箱を持ち出して座わり、紙袋を開くと、ちゃんと二人分入っていた。
「やった。デザートも入ってる」
「僕の分も食べていいぞ。だが食事は残すな」
「残しません。デザートは別腹で入りますから」
小さな口がもぐもぐと動くのを、ついながめてしまった。
「レオ様も早く召し上がってください。でも外で食べるって、また格別ですね」
「明日は庭でピクニックをしよう。ニーナも喜ぶ」
「まあ、それは楽しみだわ」
ふふと楽しそうに笑うアデル。なのにレオの心は沈んでいた。
先など見えないのに、嫌な予感が胸をかすめる。長年の捜査で培われた勘だ。
――誰かがアデルの力を探っている。
守り切れるだろうか。このまま隠し切れるものじゃない。今知れたら、好奇の目にさらされ、利用される。傷つく彼女を見たくない。
「そろそろ、戻ろう」
アデルを立たせようとレオが手を差し出すと、アデルは恥じらうようにそっと手を預けた。
強く握ったら、本当に折れてしまいそうなほど細く白い指。
必ずこの手で守る。
レオは宝物のように優しく握った。
◇◇◇
翌日はよく晴れ渡っていた。ピクニックにはちょうどいい。
「アデル様、つばの広い帽子を。日焼けには注意してくださいね」
「大丈夫よ。広いお庭にはガゼボもあるわ」
「男爵家とは規模が違いますね。想像もつきません」
「今日はみんなで楽しみましょうね」
帰りがけ、レオから誰か連れ来てもいいと伝言が来ていた。そこでアデルはネロリとディルを連れて行くことにした。特にディルはレオからの指名だった。
ディルは屋敷中に響くような大きな声で、伯爵家にお出かけだと喜んでいた。
「クロスフォード家は寛大ですね。ディルは楽しみだって、いつもより早く布団に入ってましたよ」
「それなら良かった。緊張して眠れなかったらって心配してたの」
そこへ突然バタンと扉が開き、リンデが入ってきた。
「リンデ、いきりノックもしないでどうしたの?」
アデルがたしなめるが、リンデは聞いていない。
「ネロリ、先に私の支度を手伝って」
「リンデ様もどこか出掛けるのですか」
「ええ。お姉様が心配だから私も行くことにしたの」
アデルとネロリが顔を見合わせた。お互いの目が、どうしようと聞いている。
「ねえリンデ。今日は魚釣りや子犬と遊んだりするの。あなた、犬は嫌いよね」
「お姉様が私に犬を近づけなければいいのよ。そんなことより、私だけ仲間はずれにする気なのかしら」
「そうは言ってないわ。そうね。大人しくしてくれるなら付いてきてもいいわ」
「子どもじゃあるまいし。私の方がお姉様よりも行儀良くできるわよ」
アデルの袖をネロリが引っ張る。
「(アデル様、連れて行くんですか?)」
「(仕方ないわよ。お迎えが来た時に泣かれても困るもの)」
メソメソ泣いて人の気を引く。あれをされたらお手上げだ。
「早くして。馬車をお待たせすることはできないでしょ」
「はい。ではリンデ様、お部屋へ参りましょう」
「ここで着替えるわ。お姉様のドレスを出してちょうだい」
「リンデ、貸してくださいでしょ。それと必ず返してね」
クロスフォード家から届けられたドレスのことを言っているのだろう。こっそりしまったはずなのに、油断も隙もない。
クロスフォード家の馬車が着くと、降りて来た馬丁がアデルに丁寧にお辞儀をする。
「アデル様、ニーナ様がお待ちかねです」
「お迎えありがとう。よろしくお願いします」
アデルは知った顔にほっとした。レオが迎えに来るのかとひやひやしていた。もちろん嬉しいが、せっかくの休みなのだから少しでも家でゆっくりしていて欲しい。
姉妹で揃って出掛けるのは舞踏会以来だった。リンデは上機嫌で乗り込む。いつものように一番奥を陣取り、アデルを下座へ座らせた。馬丁にちらりと見られたがリンデは気づかない。
(まあいいか)
ネロリとディルが座っても余裕の広さ。何処に座ってもふかふかだ。
アデルのため息と一緒に、馬車はクロスフォード家へと出発した。




