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壊れた魔法 ~辺境の冒険者は、仕方なく魔法基盤を直している~  作者: 黒犬


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Chapter09 遠い火

 公式発表から三週間が過ぎた。

 ギルドの窓から差し込む光は初夏の色に変わっていた。朝の受付カウンターにミラが依頼書を並べ、奥のテーブルでガロが連続クエストの装備を確認している。ハースはコンソール室に降りる前の巻紙を脇に抱えて、廊下の向こうに消えていった。

 いつもの朝だった。三週間前の騒動が嘘のように、ギルドには日常が戻っている。

 グレンは受付に寄って、本日分の依頼票を受け取った。ミラが書類の束を差し出しながら言った。

 「最近は落ち着きましたね」

 「ああ」

 「結局、読み替えレイヤーとかいうのがあるから大丈夫なんですよね? 影響が出ていないって、組合も言っていましたし」

 悪意のない問いだった。ミラは正確に情報を整理しようとしている。受付担当として、利用者に何を伝えるべきかを確認している。

 グレンは依頼票をめくる手を止めた。

 「大丈夫ということになっている」

 ミラが首をかしげた。「……どういう意味ですか?」

 「組合の発表の通りだよ。影響は出ていないとのことだ」

 グレンは言い直した。言い直す必要があった。さっきの言い方は正直すぎた。

 「そうですよね」ミラは納得した顔で書類を整え直した。「いちいち不安がっていても仕方ないですし」

 グレンは依頼票を受け取って、受付台から離れた。

 ミラは間違っていない。いちいち不安がっていても仕方ない。それは正しい。日常を回すために必要な割り切りだ。

 ただ、大丈夫ということになっている——という言い方しかできない自分がいることを、グレンは知っていた。

 午前中は日常のクエストをこなした。術式書の動作確認。修正魔方陣の微調整。依頼の処理。コンソール室で記録を眺める。毎日繰り返してきたことを繰り返す。空は晴れていた。騒動は終わった。表面上は。


***


 午後、グレンはコンソール室に降りた。

 習慣になっていた。発表があろうがなかろうが、定期的に記録を確認する。それがグレンの仕事の——表に出ない方の仕事の一部だった。

 ランタンを二つ点けて、操作台に向かう。巻紙を引き出し、直近二週間分の記録を広げた。

 読み替えレイヤーの存在を知った今、フォーマットのズレの原因は整理できていた。読み替えレイヤーを通った応答が旧型向けに変換される過程で生じる不整合。修正魔方陣で吸収できる範囲のもの。対処方法は分かっている。面倒だが、手に負えないものではない。

 その問題は片がついた。

 だが——別の記録が残っている。

 グレンは巻紙の端に書き添えてある数値の列を指でなぞった。

 威力値の揺れ。特定の術式書を同じ条件で複数回実行した際に、出力値が微妙に変動している。乱数の揺れではない。変動には偏りがある。上振れが特定の時間帯に集中する傾向が、依然として続いていた。

 そしてもうひとつ。

 先読みの痕跡。本来であれば、入力を受け取ってから応答が返るまでに一定の処理時間がかかる。だが散発的に、入力とほぼ同時か、それよりも早いタイミングで応答が返っているケースがある。件数は少ない。統計上の外れ値と言えなくもない数だ。だがランダムではなかった。パターンがある。同じ術式を短い間隔で連続実行した直後に、発生頻度が跳ね上がる。

 「読み替えレイヤーとは別の問題だ」

 グレンは声に出した。石壁に言葉が落ちた。部屋には誰もいない。

 読み替えレイヤーの不整合は、変換層が介在することで生じるズレだった。入力と出力の間で書式が翻訳される過程の問題だ。グレンはその仕組みを理解している。

 だが威力値の揺れと先読みの痕跡は、変換とは関係がない。入力を翻訳する前の段階——装置そのものの処理に何かがある。

 「これは装置の設計に関わる話だ」

 組合に報告すべきか。グレンは巻紙を持ったまま、少し考えた。

 だが組合は「影響なし」と発表している。読み替えレイヤーの件で各地が拳を下ろしたばかりだ。今さら別の問題を持ち出しても——確かな根拠がなければ、ただ騒ぎを蒸し返しただけだと言われる。

 確かな根拠。それがまだ足りない。

 グレンは巻紙の端に日付を書き加えた。観測を続ける。記録を積む。今はそれしかできない。

 巻紙を引き出しに戻して、ランタンの火を絞った。


***


 コンソール室から上がると、ギルドの一階に見慣れない顔があった。

 旅装の男だった。大きな革鞄を足元に置いて、受付カウンターでミラと話している。遠距離の荷物輸送を請け負う商人だろう。各地を回る仕事柄、あちこちの情報が耳に入る類の人間だ。

 グレンはカウンターの端で依頼書の処理をしていた。旅商人がミラとの手続きを終えて、ふと隣に立った。

 「あなたも冒険者さんですか。お忙しいところすみませんね」

 「ええ、まあ」

 「ちょっとした世間話なんですが」旅商人は革鞄の紐を直しながら言った。「北の大きな街で、術式書の威力が安定しないって話が出てるらしいんですよ。魔力値を計測するたびに微妙に数字が変わるとかで」

 グレンの手が止まった。

 依頼書を持ったまま、旅商人の顔を見た。

 「慣らし期間だろうと言われてるらしいですけどね」旅商人は気負いなく続けた。「新型になったばかりだから、しばらくは仕方ないって。あなたたちのギルドも最近、組合の発表で大変だったんでしょう? うちは術式書を業務で使うんで、影響があると困るんですよね」

 「……北の街というのは、ガルフェン方面ですか」

 「ガルフェンか、その手前か。正確なところはよく分からないですけど。旅先で会った連中が話していたのを又聞きした程度で。新型になったばかりだから落ち着くまで様子を見ろ、と言っていたとか」

 グレンは依頼書に目を戻した。文字を追っているふりをしながら、頭の中で記録と照合していた。

 威力値の揺れ。同じ条件で出力が安定しない。慣らし期間——新型装置に切り替えた直後の過渡的な不安定だと、向こうの人間はそう解釈している。

 だがウィセルの記録は、新型に切り替えた直後だけの話ではない。三週間前の騒動以前から出ていた揺れだ。慣らしの過渡的な症状であれば、時間とともに収束するはずだった。収束していない。

 あれは慣らしじゃない。

 「そうですか。教えてくれてありがとうございます」

 グレンは落ち着いた声で言った。旅商人は「まあ、皆さんも大変ですよね。どこもかしこも」と笑って、革鞄を持ち上げた。次の目的地があるのだろう。ミラに一礼して、ギルドの扉を押して出ていった。

 グレンはしばらく、依頼書の文字が頭に入ってこなかった。

 ガルフェン方面。ウィセルから北東、パル市を越えたさらに先。アルデア帝国との貿易路に近い地域だ。ウィセルとは地理的にも塔の管轄にも重なりがない。あちらはあちらの塔で、こちらはこちらの塔で、別々に同じ症状が出ている。

 読み替えレイヤーの問題であれば、読み替えレイヤーの実装状況次第で地域差が出る。だが威力値の揺れが広域で共通して起きているなら——それは変換層の問題ではない。

 装置そのものだ。

 どの地域の装置にも共通する、もっと根の深い何かだ。

 グレンは依頼書を束ねて、カウンターに戻した。ミラが「グレンさん?」と声をかけたが、聞こえないふりをして廊下に出た。


***


 夕方になって、コンソール室の入口に人影が立った。

 ダンだった。

 珍しいことだ。ダンがコンソール室まで降りてくることは、ほとんどない。ここはグレンの領域であり、ダンは普段その境界を尊重している。

 「最近は落ち着いたな」

 ダンは入口の枠に手を当てたまま、中に入ってこなかった。

 グレンは椅子を回して振り向いた。「表面上は」

 沈黙が落ちた。ランタンの炎が揺れて、ダンの影が壁に伸びた。

 「……まだ何かあるのか」

 グレンは少し考えてから話した。考えるというよりは、どこまで話すかを選んでいた。

 「読み替えレイヤーの件は片がつきました。フォーマットのズレは修正魔方陣で抑えられる。納得はできませんが、どうにかできます」

 「だが?」

 「それとは別の記録が出ています。威力値の揺れ。先読みの痕跡。読み替えレイヤーでは説明がつかないものです」

 ダンは黙って聞いていた。入口の枠から手を離さない。

 「今日、旅商人から北の街でも似たような話が出ていると聞きました。威力が安定しない。慣らし期間だろうと言われているそうです」

 「慣らし期間じゃないのか」

 「違うと思います」

 グレンは言い切った。根拠はまだ薄い。だがダンに対して曖昧な言い方をする理由はなかった。

 「件数は少ない。だが、ランダムじゃない。パターンがある。読み替えレイヤーの問題よりも、もっと根が深い。装置そのものの処理に関わっている気がします」

 ダンの目が細くなった。「……それは、どれくらい深刻なんだ」

 「分からないです。正直に言えば」

 グレンは椅子の背に手を置いた。

 「観測は続けられます。記録を積むことはできる。でも、原因を特定するには——塔の内側の情報が要る。演算装置がどう設計されているか。応答の仕組みがどうなっているか。外から記録を眺めているだけでは限界があります」

 ダンは考え込んだ。入口の枠にもたれるようにして、しばらく何も言わなかった。考えている顔だった。

 「……分かった。もう少し記録を積んでくれ」

 それだけ言って、ダンは入口から離れた。石段を上がる足音が遠ざかっていく。

 グレンは椅子を戻して、操作台に向き直った。

 「もう少し記録を積んでくれ」——それはダンなりの判断だった。問題を封じるのではない。動ける状況になるまで準備する。ダンはそういう人間だ。報告しないと決めたことと矛盾しない。報告できる状態に近づけることまでは止めない。

 ただ、外から観測しているだけでは——この問題には届かない。

 グレンにはそれが分かっていた。



***


 夜が更けた。

 ギルドの中は静まり返っている。コンソール室のランタンだけが、石壁にぼんやりと橙色の光を落としていた。

 グレンは記録の束を整理していた。直近三週間分の観測記録。威力値の揺れの発生日時と頻度。先読みの痕跡が出た術式の種別。時間帯ごとの分布。巻紙に書き込んだメモの文字が、ランタンの光の中で影を作った。

 整理しながら、考えていた。

 読み替えレイヤーの件は決着がついた。表面上は。組合が存在を公表し、影響は出ていないと発表した。ギルドは拳を下ろした。日常が戻った。

 だが火は消えていない。

 遠くで、別の火が燃えている。ウィセルの記録の中に。ガルフェン方面の噂の中に。おそらくは、まだグレンの耳に届いていない他の場所にも。同じ症状が、それぞれの土地でばらばらに起きている。「慣らし期間だろう」と片付けられながら。

 グレンにはそれが見えている。見えているのに、手が届かない。

 記録の束を揃えた。観測の積み重ね。データはある。パターンはある。しかし「これが問題だ」と断言して提出できるだけの根拠には、まだ届かない。外から眺めた記録だけでは、原因の形を推測することしかできない。装置の内部でどんな処理が走っているのか。なぜ威力値が揺れるのか。なぜ応答が先行するのか。その答えは、塔の中にある。

 正式な経路を使うか。書類を作って中央に送って、審査を待って、上申が通ったら——読み替えレイヤーの件でも分かった。正式な経路は、動くまでに時間がかかりすぎる。その間に何が起きるか分からない。

 グレンは巻紙を片付けて、引き出しを閉めた。

 「……誰かが気づいてくれればいい」

 声に出した。石壁に吸い込まれた。

 塔の内側にいる人間。装置の設計に触れられる人間。応答の仕組みを知っている人間。そういう人間が、この威力値の揺れに気づいて、「おかしい」と思ってくれれば。外からでは見えないものを、内側から見てくれれば。

 それだけで、何かが変わるかもしれない。

 グレンはランタンの火を落とした。暗闇の中で、操作台の輪郭だけがうっすらと浮かんでいた。

 「……誰かが気づいてくれればいい。それだけだ」

 石段を上がった。ギルドの裏口から外に出ると、夜風が初夏の湿り気を含んでいた。見上げると、雲が低く垂れ込めて、星はひとつも見えなかった。

 遠い場所で、小さな火がいくつも燃えている。それぞれが独立して、誰にも気づかれないまま。繋がっていることを、まだ誰も知らない。

 グレンは宿に向かって歩き出した。


 それから三週間後。グレンの前に、懐かしい顔が現れた。


【作者メモ】

慣らしでどうにかなるシステムなど幻想です。

・・・でも、あったら欲しいですよね?

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