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壊れた魔法 ~辺境の冒険者は、仕方なく魔法基盤を直している~  作者: 黒犬


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Chapter07 影響はなかったでしょう?

 その朝、ウィセル冒険者ギルドの受付カウンターに、封蝋つきの大判の巻紙が三通届いた。

 グレンがギルドに入ったとき、ミラはすでにそのうちの一通を手に取って表書きを確認していた。朝の準備で人が動きはじめた時間帯だった。カウンターの向こうでミラが声を上げた。

 「ダンさん。中央からです。大判が来てます」

 事務室の扉が開いて、ダンが出てきた。巻紙を受け取り、封蝋を割り、紐を解く。巻紙を広げながら歩き、カウンター前の空いたテーブルに広げた。

 読み始めて、数行で手が止まった。

 グレンは入口近くの柱に背を預けていた。ダンの顔色が変わるのが見えた。依頼掲示板を確認していた冒険者が二人、足を止めてこちらを見た。

 ダンが巻紙を持ち上げ、声に出して読んだ。

 「——魔法塔管理組合より、全加盟ギルドおよび術式利用登録事業者各位へ。主要都市における賢者の塔の新型装置への換装が、本日をもって第一次対象区域において完了した。換装に際し、旧型向け術式書との互換性を維持するため、応答変換機構——通称『読み替えレイヤー』——を各装置に実装している」

 ダンの声が一瞬途切れた。巻紙の次の行に目を落とし、続けた。

 「——移行期間中、利用者への応答品質への影響は発生していないと認識している。引き続き安定した魔法インフラの提供に努める」

 読み上げが終わった。

 一瞬の静寂があって、それから誰かが「読み替えレイヤー?」とつぶやいた。ギルドの中がざわめいた。

 グレンは柱に背を預けたまま、通達の文面を頭の中でもう一度なぞった。

 読み替えレイヤー。応答変換機構。旧型向け術式書との互換性を維持するための変換層。

 名前がついた。

 東の塔で出ていた、あの見慣れない応答記法。書式第一式では説明がつかなかった変化。あれが——この読み替えレイヤーを通った応答だったのか。

 表情は動かさなかった。動かす理由がなかった。数週間前に自分で辿り着いていた推測に、公式の名前が与えられた。それだけのことだった。


***


 ざわめきが怒りに変わるのに、時間はかからなかった。

 ガロがテーブルを叩いた。大きな掌が木の板を打つ音が、ギルドの中に響いた。

 「聞いてねえぞ」

 低い声だった。ガロは声を荒げない。荒げないぶん、静かな怒りがそのまま伝わる。

 「換装が終わったって——いつの間にそんな話になってた。延期すると言ったんじゃないのか」

 ハースが険しい顔で口を開いた。術式書の保守を担当している中年の男だ。書式が変わるたびに対応作業を積み上げてきた、現場側の技術者。

 「延期したはずだろう。書式第二式への移行は延期する、そういう通達が来た。だから俺は対応作業を止めたんだ。書き換え途中の術式書をそのまま凍結して、他の仕事に回った。なのに——装置の換装は裏で進んでいた? 読み替えレイヤー? そんな名前は一度も聞いていない」

 ハースの怒りには具体性があった。止めた作業の時間。凍結した書き換え。読み替えレイヤーの仕様が事前に共有されていれば変えられたはずの対応方針。怒りの根に損失がある。

 ミラが静かに、しかしはっきりと言葉にした。

 「書式の移行は延期したのに、装置自体の換装は裏で進めていた——ということですか」

 誰も答えなかった。答えられる者がこの場にいなかった。

 ダンが場を引き取った。「落ち着け。まず中央に確認を取る。通達の文面だけでは判断できん」

 ガロを見て、ハースを見て、全体を見渡した。

 「ハース、今日の作業は止めてくれ。動かす前に全容を把握する」

 ハースが無言でうなずいた。その顔には、怒りを飲み込んだ後の苦い色が残っていた。

 グレンは柱に背を預けたまま、黙っていた。

 ——読み替えレイヤー。ようやく名前がついた。

 東の塔で出ていた記法の変化。修正魔方陣で抑えてきたフォーマットのズレ。あれが読み替えレイヤーを通った応答の特徴だったのだとすれば——東の塔にも、主要都市と同じ仕組みが入っていることになる。

 答え合わせだ。

 声には出さなかった。出す必要がなかった。ガロやハースのように怒る段階は、数週間前に通り過ぎている。


***


 騒ぎが続く中、グレンはそっとカウンターを離れた。

 石段を降りて地下へ。コンソール室の扉を開ける。照明の魔石を灯すと、薄い光が記録台と操作卓を浮かび上がらせた。窓はない。上の階で誰かが歩く振動が、かすかに天井を伝ってくる。

 記録の束を引き出した。

 東の塔との接続ログ。フォーマットのズレが最初に現れた日付。それに対して修正魔方陣を挟んで補正した記録。術式書ごとの応答データ。数週間分の巻紙が操作台の上に広がった。

 グレンは一本ずつ確認していった。声に出す癖がある。石壁に言葉を当てると、考えがまとまる。

 「読み替えレイヤーを通った応答——と考えれば、記法の変化には説明がつく。旧型向けの書式第一式でリクエストを送ったのに、返ってきた応答が別の体系を経由している。変換が完全ではないから、ズレが出る。俺が修正魔方陣で吸収してきたのは、その変換の不完全さだった」

 巻紙をめくる手が止まった。

 しかし、ウィセルはまだ換装の対象になっていないはずだ。なぜ存在しないはずの読み替えレイヤーを通った応答と考えると自然な結果が並んでいるのか。違和感が消えない。だが——

 「組合は『影響は出ていない』と言っている」

 コンソール室の静寂の中で、その言葉が石壁に落ちた。

 「影響は出ている。俺が直しているだけだ」

 修正魔方陣を毎回調整して、フォーマットのズレを吸収して、端末の設定を書き換えて。それを何度繰り返したか。そのたびにコンソール室に降りて、記録を確認して、手当てをして。その作業が積み重なった結果、表面上は「問題なし」として処理されている。

 組合はそれを知らない。知らないから「影響は発生していない」と書ける。

 グレンはしばらくその構造を眺めていた。怒りとも驚きともつかない、もっと静かな感情だった。構造の形が見えた、という感覚。パズルの外枠が嵌まったときの、あの感覚に似ている。

 組合が嘘をついているのか。——いや、嘘ではないのだろう。組合の認識の中では、影響は出ていない。その認識を支えているのが、グレンの見えない応急処置だ。

 記録を片付けた。答え合わせは済んだ。答えを知ったところで、今すぐ何かが変わるわけではない。



***


 夕方になって、ダンがギルドの集会室に人を集めた。

 大きなテーブルを囲んで、ガロ、ハース、ミラ、それに朝の通達を聞いていた数名。グレンは隅の椅子に座った。

 ダンが手紙を手に立った。中央とのやりとりの結果を伝えるための場だった。

 「中央からの回答だ」

 ダンの声は落ち着いていた。朝の動揺は飲み込んでいる。

 「組合の説明によると——書式第二式への移行と、装置の物理的な換装は、別の判断として実施された。移行計画の延期は、あくまで書式の移行スケジュールについてのものであり、装置の換装は保守限界への技術的対応として独立に判断された。読み替えレイヤーの実装により、利用者への影響は最小化されている——とのことだ」

 沈黙が落ちた。

 ハースが低い声で口を開いた。

 「筋が違う」

 静かだが、はっきりした声だった。

 「そういうことができるなら、最初から言ってくれ。俺たちは延期の通達が出た時点で対応を止めたんだ。裏で換装が進んでいたなら、それに合わせた準備ができた。読み替えレイヤーの仕様を事前に共有してくれれば、術式書の対応方針だって変えられた」

 一拍置いて、ハースは言った。

 「あの作業時間は、何だったんだ」

 ガロが椅子から立ち上がった。

 「つまり、影響はなかったから黙ってやりました——そういうことか」

 声は低く、抑えられていた。ガロが怒鳴ることは滅多にない。その分、立ち上がるという動作そのものが怒りの表明になっていた。

 「ふざけるな。影響があろうとなかろうと、使う側に話をする義務があるだろう」

 誰もがうなずく空気だった。怒りは正しい。手続きの問題として、合意の問題として、正しい。

 しかし——言葉が続かなかった。

 「影響は出ていない」。

 その事実が、怒りの前に壁として立ちはだかっている。怒りはある。不信はある。だが、「だから被害が出た」とは言えない。「影響があった」と具体的に示せなければ、「だから問題だ」という主張は制度の上では宙に浮く。

 ガロがゆっくりと座った。拳はまだテーブルの上で握られていた。

 ハースが「……言葉遊びだ」とつぶやいた。

 ダンが全体を見回した。

 「中央には不信感を伝える。ただ——正式な抗議には根拠が必要だ。今は記録を整理してくれ」

 それが結論だった。

 グレンは隅の椅子に座ったまま、口を開かなかった。

 ——影響は出ている。俺が直しているだけだ。

 それを言えば、根拠になる。フォーマットのズレ。修正魔方陣の適用履歴。地下の記録台に積まれた数週間分の証拠。

 だがそれを今この場で言えば、グレン自身がこれまで「非公式に」直してきたことが表に出る。ダンはそれを「こっそりな」で容認していた。支部長の裁量の範囲内で。それを公式の場に持ち出せば、ダンの立場が変わる。支部の運用体制の問題として追及される可能性がある。

 言えない。——正確には、今はまだ言うべきではない。

 グレンは黙って集会室を出た。


***


 夜になった。集会室は片付けられ、ギルドの中は静まっている。

 グレンは再び地下に降りていた。

 コンソール室のランタンの火が、巻紙の束を照らしている。夕方の集会のあいだもずっと、頭の隅で回り続けていた思考を、ようやく声に出す。

 「影響が出ていないのは、俺が直しているからだ。組合はそれを知らない。知らないから『影響なし』と言える」

 巻紙をめくる。修正魔方陣の適用日時。対象の術式書。補正の内容。全部記録に残っている。

 「報告していないのは、俺たちだ」

 正確に言えば、報告する仕組みはある。書類を作って、中央に送って、審査を待って、上申が通ったら——そこまでの手間と金を、誰が出す。ダンが「問題なし」として処理してきたのは、嘘ではない。嘘ではないが、本当でもない。問題を問題として報告するコストが、問題そのものの対処コストを上回っている。だから現場で直す。直すから報告が上がらない。報告が上がらないから、組合は「影響なし」と認識する。

 コンソール室には窓がない。上の階で誰かが歩く音が、かすかに天井を通って聞こえてきた。掃除当番のミラだろうか。

 「誰が悪い」

 グレンは記録台に頬杖をついた。

 「組合か。勝手に換装を進めて、読み替えレイヤーの存在を後から公表した。——だが組合は、影響が出ていないと信じている。信じるだけの理由がある。報告が上がっていないからだ」

 「ギルドか。報告しなかった。——だがギルドに報告する余裕はなかった。手続きが重すぎる。コストがかかりすぎる。現場で直した方が早い」

 「俺か。直し続けた。直すことで、問題が存在しないことにしてしまった。——だが直さなければ、端末が止まる。受付が動かなくなる。依頼が回らなくなる」

 天井の足音が遠ざかった。

 「全員だ。そして——誰も悪くない」

 問題は悪意から来ていない。組合は透明性を欠いたが、影響が出ていないと信じていた。ギルドは報告を怠ったが、報告の仕組みが現場の実情に合っていなかった。グレンは問題を隠したが、直さなければ業務が止まった。

 それぞれが合理的に動いた結果、全体として——問題が存在しないことになっている。

 グレンはため息をついて、記録台から顔を上げた。

 そしてもうひとつ。

 読み替えレイヤーとは別の問題が残っている。

 巻紙の束から、別の記録を引き出した。数週間前に見つけて、脇に置いたままのもの。

 威力値の揺れ。特定の術式書の出力が、複数回にわたって規則性なく上下している記録。そして——まるで結果を知っているかのように、演算結果がリクエストより先に届いている痕跡。先読みの痕跡。

 読み替えレイヤーの公表で、フォーマットのズレには名前がついた。変換の不完全さとして説明がつくようになった。

 だが、威力値の揺れは違う。先読みの痕跡も違う。あれは変換層の問題ではない。演算装置そのものの動作に関わる何かだ。

 グレンは巻紙を操作台に戻した。

 「読み替えレイヤーでは説明がつかない」

 名前のついた問題のうしろに、名前のない問題がまだ残っている。

 ランタンの火が揺れた。コンソール室の石壁に、グレンの影が大きく伸びて、また縮んだ。

【作者メモ】

先の予定を発表しておくと計画が狂ったときに混乱を招くので、ことが済むまで黙っていても問題ないなら発表しない。

よくある話だと思いますが、描写しているうちにどう考えても隠ぺい体質としか思えない闇を作ってしまった気がします。

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