Chapter04 運用でカバー
案の定、地下だった。
ダンはギルドの奥の廊下で待っていた。腕を組み、壁に寄りかかっている。朝一番の呼び出しにしては表情が固い。いつもの「ちょっと見てくれ」とは少し違う空気があった。
「昨晩また出た。今度は多い」
挨拶も前置きもない。グレンもそれに慣れていた。
「多いってのは」
「二十件を超えてる。夜の九時から日付が変わるあたりまで、立て続けだ」
前回は数十件とはいえ、ある程度まばらだった。それが一晩で二十件を超えるとなると、頻度が変わっている。
「分かりました。降ります」
鞄を受付の隅に預けて、物置部屋の奥の石段を降りた。
コンソール室の空気は変わらない。石壁の冷気と、端末が発する低い唸り。照明の魔石に触れると橙色の光が広がり、記録板が白く浮き上がった。
グレンは椅子を引いて座り、記録板に向かった。
二十三件。ダンの言葉より少し多い。
いつも通りの手順で、まず発生時刻を並べた。次に要求元の端末番号。それから——応答元の識別符。
手が止まった。
二十三件のうち、二十一件に同じ識別符が並んでいた。
東の塔だ。
残りの二件は西の塔への振り分けで、こちらには異常がない。
グレンは記録板から目を離さず、指先で件数を数え直した。間違いない。東の塔に振られたリクエストだけに、異常が集中している。
前回もそうだった——と、記憶がたぐり寄せた。前回の数十件も確認してみれば、ズレはすべて東の塔の応答に出ていた。ただ、あのときは件数が多くてパターンを見る前に応急処置を済ませてしまっていた。
今度は違う。件数が増えたぶん、偏りがはっきり見える。
「……東の塔に偏ってる。ほぼ全部だ」
声に出た。地下室の壁に吸い込まれて消えた。
応答フォーマットのズレを一件ずつ見ていく。いつものように術令書式の項目が一行ずれている——だけではなかった。応答の冒頭ブロックに含まれる識別子の記法が、書式第一式のものとは違っている。見慣れない体系の書き方が混じっていた。前回の記録でも感じた違和感と同じものだ。
あの噂が蘇った。いつか聞いた行商人の言葉。ミラが何気なく伝えてきた一言。酒場で冒険者が口にしていた話。そして旅商人が言っていた、東の塔の工事。
「あのとき聞いた話と同じだ」
グレンは呟いた。東の塔で何かが変わった。発表では何も触れられていない。延期したはずの移行計画とも噛み合わない。なのに、記録板の数字は、東の塔の応答だけが変質していることを示している。
向こう側が変わった——もはや「かもしれない」ではなかった。
問題はその先だ。
応答の記法が変わっているということは、東の塔の中で何かの変換が行われている可能性がある。古い書式で送ったリクエストを、何かの仕組みで受け取り直して、別の体系で処理して、結果だけ古い形に戻して返している——そういう構造なら、変換の際にこぼれ落ちるものが出てもおかしくはない。
だが、それはまだ推測だ。
グレンは操作台に向き直り、修正魔方陣を展開した。見慣れない記法の識別子を、こちら側で受け取れる形に変換して返す——いつもの応急処置だ。配信は一分もかからなかった。
完了を告げる端末の音を聞いて、グレンは手帳にメモを取った。
「東の塔に異常集中。識別子の記法が書式第一式と異なる。変換の仕組みが入っている可能性。継続調査」
誰に見せるわけでもない、自分のための記録だ。
***
地上に戻ると、受付のカウンターでミラが書類を捌いていた。
「終わりましたか」
「応急処置は」
「また応急処置ですか」ミラの声にはもう呆れすら薄くなっていた。慣れてしまった響きがある。「……最近、多くないですか。地下に降りる回数」
「多いな」
グレンは受付脇の椅子に腰を下ろした。もう何度目かも数えていない。
「ミラ、もし正式に報告するとしたら——塔の連中に直接話を持っていくまで、どのくらいかかる?」
ミラが書類の手を止めた。「正式に、ですか」
「仮の話だ」
「えっと……まず書類を揃えてギルド中央の支援窓口に申請して——」
「書類作成に三日」
「はい。それで中央の技術者さんが中身を見て、上申する価値があるかどうか判断して——」
「審査に二週間」
「……それは、ギルド中央次第ですけど。上申が通ったとして、組合の対応にさらに二週間ですよね」
「合計で一ヶ月以上だ。しかも問い合わせはインシデント制で、年間の上限を超えたら一件ごとに追加料金がかかる。中央からの通達で『追加コストは支部予算から差し引く』と来てる」
ミラの顔が曇った。「……ダンさんの胃が痛くなりますね」
「そういうことだ。だから誰も正式には上げない。俺が直せば済む話だし、直してしまえば記録上は何も起きなかったことになる」
「……それ、いいことなんですか」
グレンは答えなかった。
いいことではない。分かっている。正式なルートは重い。重いから使わない。使わないから、問題が外に伝わらない。伝わらないから、向こう側は何も起きていないと思う。俺が直してしまうかぎり、ずっとそうだ。
だが、正式に報告したところで、一ヶ月後に「調査中です」という返事が来るだけだろう。その一ヶ月のあいだ、端末は止められない。冒険者証の照合が手動対応になったら、この受付が地獄になるのはミラだ。
「……グレンさんが直した方が早いのは分かってます。でも、ずっとこのままってのは」
「ああ。だから仮の話だと言った」
グレンは立ち上がった。ミラは何か言いかけて、やめて、書類に目を戻した。
***
午後から、ガロと一緒に南の森の討伐依頼を受けた。
対象はウォリムスの単体。Cランクの依頼だが、ガロが付き合うと言ったのは、ついでに奥の山道の様子を見たかったかららしい。グレンにとっては気楽な仕事だった。余計なことを話さない相手と並んで歩くのは、頭を休める時間にもなる。
森の中腹で目当てのウォリムスを見つけた。灌木の陰から飛び出してきた中型の獣を、ガロが先制で迎え撃った。
炎の術式が放たれた。
——瞬間、グレンの目が細くなった。
炎が、一瞬だけ大きかった。想定よりも明らかに出力が上振れている。ウォリムスが怯んで後ずさったところに、ガロが二撃目を叩き込んだ。今度は普通の威力だった。ウォリムスは三撃目を待たずに崩れ落ちた。
「今日は手応えがいいな」
ガロが言った。満足そうだ。術具のペンダントを握り直しながら、仕留めた獣の素材を確認し始めている。
気にしていない。当然だ。討伐は成功している。結果だけ見れば何の問題もない。むしろ威力が高いのはいいことだと思うだろう。
だがグレンは、帰り道をずっと考えていた。
記録板で見てきた数字が頭に蘇る。威力値フィールドに一瞬だけ異常な値が入り、直後に正常値に戻る記録。あれを今まで「応答フォーマットのズレの副作用かもしれない」と思って保留していた。
だが、今日のあれは違う。
記法がズレても、実際に術が出力する威力は変わらないはずだ。応答フォーマットの問題は、表記のやり取りに関わるものであって、演算そのものには触らない。
威力そのものが揺れているなら——それは演算の問題だ。
東の塔の変換の仕組み——仮にそれがあるとして——が引き起こしている書式のズレとは、別の話になる。
「……」
グレンは黙って歩いた。森の出口に差しかかったところで、ガロが振り返った。
「何か気になることでもあるのか」
「いや。……少し考えごとだ」
ガロは「そうか」とだけ言って、歩き出した。問い詰めない。そういう男だ。
***
宿の自室。ランタンの灯りを落として、グレンはベッドに仰向けになっていた。
天井の木目を見つめながら、頭の中で二つのものを並べている。
一つ目。東の塔の応答に現れる、見慣れない記法のズレ。これは書式の問題だ。東の塔の中に何かの変換の仕組みが入っていて、変換の際にこぼれ落ちるものがある。修正魔方陣でこちら側の受け取り方を調整すれば、吸収できる。実際、今日までそうしてきた。
二つ目。威力値の揺れ。今日、ガロの炎術で実際に目にした。記録板の数字だけではない。現場で出力が上振れた。表記の問題ではなく、演算そのものに何かがある。修正魔方陣では直らない。こちら側でどう受け取り方を変えても、演算結果そのものが揺れているなら意味がない。
「二つの問題が混じっている」
天井に向かって、声に出した。
「俺が直せるのは、片方だけだ」
書式のズレなら、変換ルールを手当てすれば済む。それは今までやってきたことの延長だ。面倒だが、できる。
だが威力の揺れは——装置の動作原理に関わる。コンソール端末から修正魔方陣を配信する程度の権限では、どうにもならない。そもそも、演算装置の内部に何が起きているのかを知る手段が、グレンにはない。
手には余る。
その言葉が、胃の底に沈んでいくように落ちた。
サボりたいわけではない。面倒だから避けたいのとも違う。問題の深さが見えているからこそ、自分の手が届かない場所に問題があることが分かっている。分かっていて、どうにもできない。
正式に報告したところで、一ヶ月後に返事が来る。その返事が「調査中です」だったとして、そのあいだも威力の揺れは続く。ガロは気づかない。ミラも気づかない。ダンは記録板の数字が消えれば安心する。グレンが直してしまうかぎり、書式のズレの方は表に出ない。そして威力の揺れの方は——誰にも見えないまま、静かに積み重なっていく。
「……これ、俺の仕事なのか」
誰も答えない。
当たり前だ。ギルドの「便利屋」というのはそういうものだ。担当を決めた人間はいない。何かが起きたとき、たまたま気づいた人間がやる。グレンがそれをできてしまうから——できてしまうように見えるから——続いている。
でも、片方しか直せない。
直せない方を黙って見ていることが、果たして「直した」と言えるのか。
天井のヒビを数えるのをやめて、グレンは目を閉じた。考えても答えは出ない。明日もダンに呼ばれるだろう。降りて、記録を見て、修正魔方陣を書いて、応急処置を済ませる。それを繰り返す。直せる方だけを、直し続ける。
もう片方は——。
そこで思考を切った。眠りに落ちるまで、そう長くはかからなかった。
翌朝、ダンが珍しく深刻な顔をしてギルドの入り口に立っていた。
【作者メモ】
書いたものを読みながら、若干胃が痛くなっておりました。




