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壊れた魔法 ~辺境の冒険者は、仕方なく魔法基盤を直している~  作者: 黒犬


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Chapter03 書式の差分

 翌朝、ダンからの伝言通りギルドに顔を出すと、受付のミラが開口一番「また地下です」と言った。

 グレンは鞄を下ろしかけた手を止めた。「……また、か」

 「ダンさんが朝一で確認して、すぐグレンさんに声かけろって。記録板に変な数字が出てるそうです」

 ミラの口調にはもう驚きがなかった。ここ最近、同じやり取りが何度目かになっている。

 グレンは鞄を受付の隅に預けて、地下への階段を降りた。


 コンソール室の空気はいつも通りひんやりしていた。石造りの壁に、端末の動作記録を映す記録板が淡い光を放っている。ダンが腕を組んで記録板の前に立っていた。

 「悪いな、朝から」

 「いえ。——で、どこですか」

 ダンが板の一角を指さした。

 グレンは目を細めた。応答フォーマットのズレ。前回は数件だったものが、今回は数十件の単位で並んでいる。自動補正がかかって戻っているから実害はない。だが、補正が走るたびに余分な処理が積み重なっていることは、記録の行間から読み取れた。

 視線を移す。威力値フィールドの異常値も複数件。こちらも自己補正で戻ってはいるが、一件だけ目が止まった。補正が戻るまでの時間が、他と比べて明らかに長い。

 グレンは記録板を静かに見つめた。

 前回は「そうかもしれない」だった。今は違う。

 「……向こう側が変わってるな」

 声に出したつもりはなかった。確信が言葉を追い越していた。

 ダンが後ろから覗き込んだ。「向こう側って、塔のことか」

 「ええ。こっちの端末は何も変えてない。記録板のフォーマットも触ってない。なのにズレてるなら、返してる側が変わったってことです」

 ダンは顎を撫でた。「旧型だからじゃないのか。そのうち新型が来りゃ解決するだろ」

 グレンは何も言わなかった。旧型が問題なら、なぜ「向こう側が変わったとき」に出始めた。その問いを、ダンに伝える言葉が見つからなかった。正確には——言ったところで、どうにもならない気がした。

 コンソール端末に向かい、修正魔方陣を書いた。補正の走り方を微調整するだけの、応急処置だ。今日の分はこれで凌げる。

 「次に術具が塔に繋いだとき、自動で当たります」

 「いつも助かる。——こっそりな」

 ダンが階段を上がっていった。グレンはもう一度だけ記録板に目をやり、それから端末の電源表示灯を確認して、地下を出た。


***


 地下から上がると、ギルドの空気が変わっていた。

 受付の前に冒険者が数人集まっている。ミラが書類の束を手にしたまま硬い顔をしていた。ダンは奥の事務室から出てきたところで、渋い表情のまま紙を一枚持っていた。

 「何かあったんですか」

 ミラがちらりとグレンを見て、「通達です」と短く答えた。

 ダンが受付の前に立ち、集まった冒険者に向けて紙を読み上げた。

 「冒険者ギルド本部より通達。——魔法塔管理組合より書式第二式しょしきだいにしきへの段階的移行計画が発表された。各支部は期限内に、保有する全術式書を書式第二式対応版へ更新すること」

 一拍の沈黙があった。

 「期限は——」ダンが紙から目を上げた。「三ヶ月だそうだ」

 ざわめきが走った。

 「三ヶ月?」と誰かが声を上げた。「冗談だろ」

 ミラが書類をめくりながら言った。「本部からも補足が来てます。変更点が多すぎて対応が間に合わない可能性がある、って」

 「間に合わない『可能性がある』じゃないだろ、間に合わないんだよ」

 カウンターの端で、ハースが通達の写しを手にしたまま頭を抱えていた。ギルドの術式書の保守を一手に引き受けている男だ。中年の、実直な職人気質で、同じ術式を何百回と繰り返してきた手の持ち主だった。

 「術令書式定義書じゅつれいしょしきていぎしょは確かに届いてる。届いてるが、中身を読んだか? 変更点の一覧だけで巻物三本分だぞ。この期間でテストまで含めて完全移行しろというのは、さすがに無茶だ」

 グレンは通達の紙をミラの横から覗き込んだ。書式第二式。術令書式の全面改定。対応版への更新義務。期限三ヶ月。

 「……あんな短期間で全部やれってのは、どう考えても無理だろう」

 ハースが苦い顔で頷いた。「テスト環境を作るだけで一ヶ月はかかる。術式書を一本ずつ検証して、修正魔方陣を書いて、配信して、利用者の術具に当たったのを確認して——冗談じゃない」

 「ギルド中央は何か言ってるのか」と別の冒険者が聞いた。

 ダンが首を振った。「今のところ、通達をそのまま流してきただけだ。向こうも対応を検討中だろう」

 受付の前のざわめきは収まらなかった。三ヶ月。どの顔にも同じ答えが浮かんでいた。無理だ。

 グレンは通達から目を離し、窓の外を見た。東の塔がある方角。あの記録板の数字を思い出していた。


***


 数日が過ぎた。

 その間、ギルドには不機嫌な空気が居座っていた。ハースは術令書式定義書と格闘しながら、対応計画の叩き台を作っていた。ミラは問い合わせの対応に追われ、ダンはギルド中央との連絡に忙殺されていた。グレンは通常の依頼をこなしながら、地下のコンソール室にも顔を出す日々が続いた。

 そして——追加発表が届いた。

 「書式第二式への移行期限を延期する」

 ダンが受付の前で読み上げると、ギルドの空気がふっと緩んだ。張り詰めていた糸が、切れたのではなく、ただ弛んだ。

 「……やっと当たり前のことを言ったな」

 冒険者の一人がため息混じりに言った。怒りでも喜びでもない、落胆まじりの安堵だった。あの騒ぎは何だったのかという脱力感が、ギルドの隅々に染みていた。

 ミラが乾いた声で言った。「結局延びるんですね。じゃあ何のための通達だったんですか」

 誰も答えなかった。

 ハースだけが、机の上に広げた術令書式定義書の巻物を前にして、複雑な顔をしていた。「……時間ができた。これでちゃんとテストができる」。安堵していた。しかし、この数日間で定義書を読み込んだ分の労力が無駄になったわけではないが、巻き戻しの手間を思えば素直に喜べるものでもなかった。

 グレンは壁に背を預けて腕を組んだ。「まあ、妥当な判断だろう。あの期間じゃ無理だ」

 安堵はしている。しているが——。

 「おう、グレンじゃないか」

 声をかけてきたのは、見覚えのある旅商人だった。名前は知らない。ウィセルと東の街道を行き来している男で、ギルドの酒場にたまに顔を出す。

 「延期だってな。まあそうだろうな、こっちも対応する暇なんかなかったし」

 旅商人は荷を下ろしながら、何気なく続けた。

 「そういや、東の塔、少し前に工事してたろ。あれ、今回の移行計画の発表には出てこなかったな。なんでだろ」

 グレンは一瞬、手が止まった。

 旅商人はそれ以上深く考える様子もなく、「まあいいか、荷の整理しなきゃ」と言って酒場の方へ去っていった。

 延期。

 なのに、東の塔では何かが変わっている。

 記録板の数字がそう言っている。応答フォーマットのズレは増え続けている。威力値フィールドの異常も繰り返されている。移行計画が延期されたなら、いや、そもそもまだ移行されていないのであれば、塔の側も何も変わっていないはずだ。

 噛み合わない。

 グレンは壁から背を離して、窓の外に目をやった。東の塔は見えない。街並みの向こうに隠れている。



***


 夕方、ギルドに併設された酒場。

 カウンターの隅でエールを頼んだら、隣にガロが座っていた。Bランクの古株で、グレンより十ほど年上の戦闘系冒険者だ。大柄な体躯に見合わず、酒の飲み方は静かだった。

 「延期だってな」とガロが言った。エールの杯を傾けながら、それだけだった。

 「ああ」

 「正直助かる。新型の術式書なんて誰も使い慣れてない」

 グレンはエールを一口飲んだ。「使う側から見れば、旧型も新型も大して変わらんさ。ギルドの受付が変わるようなもんだ」

 ガロが少し間を置いて、「そんなもんか」と言った。嫌みでも議論でもない。ただそういうものかと思った、という顔だった。「まあ、当分は今まで通りだな」

 「……そうだといいな」

 グレンの声は低かった。

 ガロがちらりとこちらを見た。何か聞こうとしたのかもしれない。だが、ガロは何も聞かなかった。杯を傾けて、また前を向いた。

 グレンもそれ以上は言わなかった。東の塔はもう変わっている。ガロの言う「当分は今まで通り」は、もう正確ではないかもしれない。だが、それを今ここで口にする言葉がなかった。根拠がない。あるのは記録板の数字と、旅商人が何気なく口にした一言と、自分の中の引っかかりだけだ。

 ガロに言ったところで、何が変わるわけでもなかった。

 二人はしばらく無言で飲んだ。カウンターの向こうでは、延期の話題で盛り上がる冒険者たちの声が聞こえていた。



***


 夜。宿への道を歩く。

 石畳に革靴の音が響く。通りには人影がまばらで、街灯の魔石が等間隔にぼんやりと光っている。

 頭の中で、三つのものが重なっていた。

 記録板の数字。応答フォーマットのズレが前回の数倍に増え、威力値フィールドの異常も繰り返されている。一件だけ補正に時間がかかった記録がある。

 通達。書式第二式への移行計画が発表され、そして延期された。

 旅商人の言葉。東の塔は工事していたのに、移行計画の発表には出てこなかった。

 三つはそれぞれ別の話のはずだった。記録板はグレンの地下作業の範囲。通達は組合と本部の話。旅商人の言葉はただの世間話。

 だが、並べてみると——噛み合わないものが噛み合わないまま、同じ方向を向いている。

 発表と現実がずれている。延期したはずなのに、塔の側では何かが動いている。誰かが二つを切り離して、別々に進めている。

 「……俺の担当じゃない」

 声に出して言った。石畳の音が続く。

 担当じゃない。そうだ。グレンがやっているのは地下のコンソール室の小さな修正魔方陣だ。ギルドの端末に溜まった記録を見て、自動補正を微調整して、次に術具が塔に繋いだときに当たるようにする。それだけだ。塔の中で何が起きているかは、グレンの手が届く範囲の外にある。

 宿の看板が見えた。木の板に刻まれた宿名が、魔石灯の明かりでぼんやり浮かんでいる。

 グレンは足を止めた。

 「……まあ、いいか」

 そう言って歩き出した。宿に入って、靴を脱いで、ベッドに倒れ込めば、考えることをやめられる。明日は依頼が入っている。地下に潜る暇はない。

 足は宿へ向かっていた。

 でも、頭はまだあの地下に残っていた。


 ——翌日、ダンに呼ばれた。



【用語メモ】

・術令書式(書式第一式/第二式)── 術式書から賢者の塔へ命令を送る際の書式。現実世界のAPIに相当する。第一式は旧型、第二式は新型の演算装置に対応。

・術令書式定義書 ── 術令書式の仕様を記した技術文書。API仕様書に相当。

・修正魔方陣 ── 術式書の不具合を修正する更新プログラム。術具が自動で検出・適用する。


【作者メモ】

どこかで見聞きしたことのある仕組みだと感じたり、何か嫌なものを思い出してしまったりした方へ。大体あってます。

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