表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壊れた魔法 ~辺境の冒険者は、仕方なく魔法基盤を直している~  作者: 黒犬


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/14

Chapter02 眠れない夜

 あの頃のことを思い出すのは、決まって夜だ。

 グレンは宿の部屋に戻り、革靴を脱いで、そのままベッドに倒れ込んだ。天井の木目が薄暗いランタンの光に浮かんでいる。何年も眺めてきた染みの形。鼻先をかすめる埃と蝋の匂い。いつもと同じ夜のはずだった。

 だが今夜は頭がうるさい。

 地下で見た記録板の数字が、まぶたの裏にちらつく。応答フォーマットのズレ。威力値フィールドに一瞬だけ現れて消えた異常値。どちらも自己補正がかかって、実害はない。記録に残っているだけだ。それだけの話だ。

 ——それだけの話のはずなのに、何かが引っかかっている。

 前世のことは前世のこと。今は今だ。そう割り切れるようになったのは、もう何年も前のことだ。普段は引っ張り出されることもない。ただ、ときどき夜になると——こうやって、勝手に記憶が動き出す。

 今夜のきっかけは、あの数字だった。

 「おかしい、でも何がおかしいかわからない」という感覚。この感覚には覚えがある。ずいぶん昔にも、同じように感じていた時期があった。

 目を閉じた。閉じたところで眠れるわけでもない。

 記憶が、動き始めた。


***


 七歳か八歳の頃の話だ。

 魔法の基礎授業が始まった最初の日、教室はざわついていた。木の机と椅子がきしむ音、子供たちのひそひそ声。教壇に立った教師が黒板に術式の基本図形を描きながら、落ち着いた声で言った。

 「まず火を起こす基本術式から学びます。右手を前に出して、心の中でこの式を唱えてください」

 教師はそこで一度、教室を見回した。

 「できなくて当然です。初日ですからね」

 グレンは言われた通り右手を前に出した。

 式を唱えようとした瞬間——頭の中を何かが走った。

 言葉にならない。言語にすらなっていない。ただ何かの断片が流れ込んでくる。〈この処理フロー、初期化シーケンスの前にリソース割り当てを〉——意味がわからない。わからないのに、手だけが動いていた。掌に魔力を集める手順を、まるで何百回も繰り返した後のように体が覚えている。

 気づいたときには、掌の上に小さな火が灯っていた。

 橙色の炎が指の間で揺れている。熱い。あたりまえだ、火なのだから。

 教室が静まり返った。隣の席の子が口を開けたまま固まっていた。教壇の教師が、チョークを取り落とした。

 「グレン——今、何をした?」

 「わかりません」

 正直に答えた。本当にわからなかった。知っているのに、知っている理由がわからない。やり方を教わっていないのに、体が手順を知っていた。

 頭の中にはまだノイズの残響があった。〈シーケンス〉だの〈リソース〉だの、聞いたことのない言葉が霧のように消えていく。

 教師が少し声を落として言った。

 「……ご両親を呼んでもいいかな」

 グレンは頷くしかなかった。火はもう消えていた。掌がほんのり温かいだけだ。ほかの子供たちの視線が、じりじりと肌に刺さっていた。


***


 両親が呼ばれた翌週から、グレンは「特別クラス」に編入された。

 普通の授業を受ける教室から廊下ひとつ隔てた、少人数の部屋。生徒は四人しかいなかった。担任は別の教師で、物腰は柔らかいが目だけが鋭い男だった。

 「もっと高いレベルの術式書を使わせてみましょう。王都学術院の奨学生に推薦することもできます」

 担任の言葉に、隣で聞いていた父が少し背筋を伸ばした。嬉しそうだった。母は「無理させないでくださいね」と言いながら、でも瞳が少し——ほんの少しだけ輝いていた。

 廊下ですれ違う大人たちがグレンを見る目が変わった。「あの子が才能のある子か」「特別クラスに入ったんだって」「将来が楽しみだねえ」。声はいつもグレンに聞こえるぎりぎりの大きさだった。聞こえていないと思っているのか、聞こえるように言っているのか。どちらにしても迷惑な話だった。

 なんで俺がこんな目に——と思った。

 目立ちたかったわけじゃない。うまくやろうとしたわけでもない。ただ手が動いてしまっただけだ。それなのに「特別」という名前の箱に入れられて、蓋をされて、リボンまでかけられている。開けてみたら中身は空っぽなのに、誰もそれを知らない。

 ある日の帰り道、廊下の端で小さな女の子が転んでいた。

 三歳にもなっていないくらいだろうか。近所に住んでいる家の子で、名前を「アルカ」という。どうやら親と一緒に来ていたのに、ひとりで歩き回って転んだらしい。膝小僧が赤くなっていた。

 グレンは荷物を抱えたまま立ち止まった。

 「大丈夫か」

 アルカは泣くのを堪えていた。唇をきゅっと結んで、膝を両手で押さえている。グレンを見上げた目には涙が浮かんでいたが、なぜか「怒っていない」という顔だった。転んだことを怒られると思ったのかもしれない。

 「どっか怪我したか?」

 アルカは首を横に振った。

 「そうか」

 グレンはそれだけ言って、歩き出した。背後で、アルカの母親が「もう、勝手に歩かないの」と駆け寄ってくる声が聞こえた。



***


 時間が飛ぶ。

 十歳か十一歳の頃——あの時期が、一番きつかった。

 前世の断片が、夜だけでなく昼間にも入り込んでくるようになった。授業中に術式の構造を見ると、ノイズが走る。〈この処理の組み立ては非効率だ——なぜかは言えないが、もっと合理的な手順が〉。聞いたこともない概念の残像が、思考の端にこびりついて離れない。術式の記述を目で追っているだけなのに、頭が勝手に「もっとうまいやり方がある」と囁いてくる。

 それが何に由来する感覚なのか、自分でもわからなかった。知識ではない。言葉にもならない。ただ——引っかかる。「これは違う」という直感だけがあって、その根拠がどこにもない。

 家族や教師は「魔力が不安定な時期」「才能が強すぎて制御が追いつかないんだろう」と納得しているようだった。才能のある子供には、そういう時期があるものだと。

 グレンは何も言わなかった。「これは才能じゃない。俺の中の、別の何かだ」と感じていたが、それを人に説明する言葉がなかった。説明したところで、たぶん誰にも伝わらない。

 夜は特にひどかった。横になると断片がどっと押し寄せてきて、眠れない。意味のわからない図表。見たことのない文字の羅列。それが何を表しているのかすら掴めないまま、ただ頭の中を流れていく。翌朝は寝不足で授業中に居眠りして、「才能があるのにもったいない」と言われる。才能じゃないんだが——と思いながら、口には出さない。

 もっとも、今こうして振り返ると、あの時期にもまったく救いがなかったわけではない。夜がひどい分、昼間にたまに妙にすっきりした時間帯があった。断片が嵐のように通り過ぎた後の、凪のような時間。頭が空っぽになって、目の前のことだけに集中できる。その時間帯に術式を組むと、不思議なくらいきれいに動いた。嵐が通り過ぎた後に落ちてくる欠片を、無意識に拾い上げていたのかもしれない。

 ——まあ、差し引きで考えれば大赤字だが。

 ちょうどその頃のことだ。

 「グレンにいちゃん。魔法ってどうやって使うの?」

 アルカだった。あの泣くのを我慢していた小さな子が、五年ほど経って、こちらの顔をまっすぐ見上げて聞いてきた。八つくらいか。前歯が一本抜けている。

 近所だから顔を合わせることはあったが、まともに話したのは久しぶりだった。

 グレンは断る理由もなく答えた。断片が通り過ぎた後の、頭がすっきりしている時間帯だった。

 「魔法ってのは術式があって発動するもんだ。術式ってのは、塔や術具に頼む手順書みたいなもんで——手順書に書いてある通りに魔力を流すと、塔が計算して、結果が返ってきて、それで魔法が出る」

 アルカが目を丸くした。

 「手順書? 魔法って暗記するものじゃないの?」

 「暗記ってのは手順書をまるごと覚えてるだけだ。仕組みを知ってれば応用が効く。——たとえば火の術式ってのは、塔に『火を出してくれ』って頼んでるんだ。頼み方には決まった形がある。その形に沿って、こっちの言いたいことを伝えて、向こうが応えてくれる。こっちが頼む、向こうが応える。それだけだ」

 アルカは黙って聞いていた。わかっているのかいないのか、真剣な顔でこちらを見ている。

 「じゃあ、頼み方を間違えたらどうなるの?」

 「塔がわからないって突っ返してくるか、見当違いのことをやるか——まあ、だいたい突っ返される。だから手順書が大事なんだ」

 「ふうん……」

 アルカはしばらく考えてから、妙に納得した顔で頷いた。

 「わかった。手順書ね」

 わかったのか本当に。まあいい。

 ——この説明の仕方が少し変わっていたことに、グレン自身は気づいていなかった。自分なりに噛み砕いて話しただけだ。頭の中のノイズを翻訳するように、「スクリプト」を「手順書」に、「リクエストと応答」を「頼む、応える」に置き換えて。

 アルカがそれをどう受け取ったかなど、考えもしなかった。



***


 天井の木目が見える。

 宿のベッドの上だ。ランタンの炎がかすかに揺れている。回想が終わって、現在に戻ってきた。

 今は整理がついている。あのノイズらしき情報の洪水は前世の記憶であり、しかしそれは前世のこと。今は今だ。あの混濁の時期をどうやり過ごしたのか、正直なところ自分でも正確にはわからない。ある時期を境に、ノイズが「ノイズとして扱える」ようになっていた。流れ込んできても、「ああ、またか」で済ませられるようになった。雨漏りが止められないなら、桶を置けばいい——そういう折り合いのつけ方だった。

 あの頃の「才能ある子供」はもういない。奨学生にはならなかった。特別クラスも辞めた。両親は少し残念そうだったが、何も言わなかった。成人してすぐに冒険者の道に進み、ごく普通のCランク冒険者になった。今はなぜかウィセルの片隅で地下の端末を眺めているが。


 だが。

 酒場で聞いた噂と、地下の記録板に残っていた二つの異常が、まだ頭の隅に居座っている。あの数字を見たときに感じた違和感。「おかしい、でも何がおかしいかわからない」。この感覚は——ずっと昔、混濁がひどかった頃に、術式の構造を見て引っかかったあの感覚と、どこか似ている。

 応答フォーマットのズレと、威力値フィールドの異常値。あの二つは同じ原因から来ているのか。それとも、まったく別のものなのか。

 答えは出ない。出す気もない。

 「俺の担当じゃない」

 声に出してつぶやいて、毛布を引き上げた。目を閉じる。眠れるかどうかは——まあ、別の話だ。


 翌朝、ダンから話があるという伝言を受け取った。


【作者メモ】

魔法はありますがチートはありません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ