Chapter01 帰還処理
「前世の記憶を持つ冒険者が挑むのは、魔物ではなく——世界中の魔法を支える仕組みの綻びだった。」
誰かの琴線に触れるかもしれず、誰かのトラウマをえぐるかもしれない。世の中は正論だけでは動いていないし、精緻な仕組みなんかない。そんなお話を書きました。
全 22 話、初日は 10 分おきに 3 話までお出しします。よろしくお願いします。
照合杖の先端が光った。
一拍。城門の石壁に反射した淡い青が、グレンの目を掠める。衛兵がわずかに手首を傾けた。二拍。光が赤みを帯びてから、もう一度青に戻る。三拍——最後の光が落ち着いて、表示板に「承認」の文字が浮かんだ。
衛兵は慣れた手つきで杖を引き、次の通行人に向けた。グレンは荷を背負い直して列を離れる。
三つ。今日は速かった。
領主府の端末が身分証を読み、国家台帳に照会が飛び、冒険者ギルド台帳が応答を返す。その三段が、杖の光の間合いに乗っている。ほとんどの通行人は「一回光って終わった」としか思っていないだろう。グレンにはその一回の光のなかに三つの処理が走っているのが見える——というより、感じる。なぜかは知らない。なんとなくわかる。それで十分だった。
夕刻のウィセル市は、帰路を急ぐ荷馬車と日雇い労働者でそこそこ混み合っていた。石畳の大通りを南に折れると、冒険者ギルドの看板が見えてくる。三日前に出た討伐依頼を片づけて戻ってきたところだ。ウォリムスの群れが街道沿いに出たという報告で、数は四匹。単体ならCランクの仕事だが群れだと面倒になる——とはいえ四匹程度なら、一匹ずつ引き剥がせばどうということはない。
角を二本と、ついでに採れた薬草を鞄から取り出しやすい位置に移しながら、ギルドの扉を押した。
***
受付窓口にはミラがいた。くせ毛を後ろでまとめているが、今日も何本か逃げ出している。
「お帰りなさい、グレンさん。討伐証明の角と、採集物の確認を」
カウンターに角を二本、薬草の束を一つ並べると、ミラは手慣れた動きで受付端末に術具を通した。端末の表示板に処理中の光が灯る。
光が、止まった。
一秒。二秒。ミラが「あれ」という顔をして端末を見下ろす。
「また東経路のリクエストが混む時間帯だ」
グレンがさらりと言うと、ミラの手が止まった。
「……なんでそんなこと知ってるんですか」
「なんとなく」
「なんとなくって何ですか」
半眼になりながらも、ミラの手は止まらない。三秒ほどで端末の詰まりは解消し、表示板に討伐完了と報酬額が並んだ。角二本と薬草で銅貨九十枚。ウォリムス四匹の三日仕事としては悪くない。
報酬袋を受け取りながら、グレンはミラが「そういえば」と続けるのを聞いた。
「東の塔、最近なんか工事してたらしいですよ。商人の人が言ってました」
「……そうか」
頭の隅で何かが引っかかった。東の塔——街外れの東西にある賢者の塔のうちの一基——は、術式書が飛ばした魔法演算リクエストを分散して処理する基盤である。ここ最近、東の塔に振られたリクエストだけ、返り方が微妙に変わっている気がしていた。
気のせいか。いや——。
「グレンさん、次の方お待ちですよ」
「ああ、すまん」
窓口を離れた。気のせいだと思うことにした。
***
ギルドに隣接する酒場に入ると、いつもの席が空いていた。カウンター端の、壁に背をつけられる場所。エールを頼んで腰を下ろす。
隣のテーブルで、見覚えのあるCランクの冒険者が三人、声をひそめる気のない調子で話していた。
「東の塔、なんか入れ替えたんじゃないか。最近あっちに振られると妙な感じがするって話だぞ」
「妙って?」
「反応が速くなった、って言うやつと、逆になんか引っかかるって言うやつがいる。どっちなんだよって話だけど」
「新型の基盤が入ったんじゃないか。組合が黙ってやってそう」
一人が半笑いで言って、別の一人が鼻で笑った。
「あいつらがわざわざこんな田舎の塔を先に換えるわけないだろ」
「それもそうか」
グレンはエールを口に運びながら、話を聞き流した。流している——つもりだった。
東の塔に振られたリクエストだけ、返り方が変わる。工事の噂。速くなったという報告と、引っかかるという報告が混在している。
だとすれば——。
そこまで考えて、やめた。俺の担当じゃない。三日間の討伐から帰ってきたばかりだ。エールくらいゆっくり飲みたい。
「慣らしで直るなら慣らせばいい」と誰かが言って、話題は次の依頼の報酬に移っていた。
グレンはエールを飲み干して、もう一杯頼んだ。
***
酒場を出たところで、大きな影に呼び止められた。
「お帰り、グレン。悪いんだが、また端末室を見てくれないか。記録板に変な数字が出てる」
ダン・ブレッドが立っていた。ウィセル冒険者ギルドのギルド長。五十を過ぎて管理職に収まった元冒険者だが、肩幅だけは現役のときのまま広い。
「……今日帰ったばかりなんですけど」
「知ってる。だから今のうちに頼んでる。明日になったら依頼が入るだろ」
筋は通っている。面倒だが、筋は通っている。グレンはため息をついて、ギルドの裏口からダンについていった。
ウィセル冒険者ギルドの地下に、コンソール端末が並ぶ一室がある。正式には「コンソール室」だが、「端末室」とか「地下」とか呼ばれている。まあ名前などどうでもいい。石造りの壁に、かつて大型の装置が据えられていた台座の跡がある。装置本体は賢者の塔に移されたと聞いたが、いつの話かは誰も覚えていなかった。今は端末群だけが残り、ギルドの魔法基盤を管理するための記録板やコンソールが並んでいる。
ランタンの灯りを端末台に置いて、記録板を確かめた。
確かに、変な数字が二か所ある。
一つ目。応答フォーマットのズレ——返ってきたデータの並びが、本来の書式と微妙に違う記録が数件残っていた。実害はない。自動補正がかかって元に戻っている。だが、補正が走ったという事実そのものが記録に刻まれていた。
二つ目。威力値フィールドの異常値——術式の威力に関わる数値が、一瞬だけあり得ない桁を示して、直後に自己補正で戻った形跡。こちらも障害には至っていない。至っていないが、記録板は正直だ。一瞬のブレを、律儀に拾っている。
二つの異常。性質が違うように見える。
グレンはコンソール端末の前に座り、修正魔方陣の配信手順に入った。記録板から異常の出た術式書を特定し、修正対象の範囲を指定する。コンソール端末の配信機構に修正魔方陣を乗せる。確認の光が点灯し、配信完了の印が記録板に刻まれた。
「それで直るのか」
後ろからダンが覗き込んだ。
「次に術具が塔に繋いだとき自動で当たります。更新の存在を術具が検出して、自動で適用するんです」
「手を動かさなくていいのか」
「利用者は何もしなくていい。ただ——次に魔法を使うまでは古いままです」
「便利なもんだな」
ダンが腕を組んで記録板を眺めた。
「——向こうが変わったんじゃないか?」
グレンの手が止まった。
向こう。塔の側。こちらの設定は変えていないのに、返ってくるものが変わった——ダンはそう言っている。元冒険者の勘か、管理者としての嗅覚か。あるいはただの思いつきか。
「……そうかもしれないですね」
確信はない。だが引っかかる。引っかかるのに、引っかかる理由をうまく言葉にできない。頭のどこかで何かが形を結びかけて、掴む前に溶ける。いつもそうだ。
「また何かあったら頼む。こっそりな」
ダンはそれだけ言って、地下の階段を上がっていった。
「こっそりな」——この言い方は、つまり正式な依頼にはしないということだ。正式に頼めば書類が必要で、書類を出せばギルド中央の目に触れて、費用の話になる。魔法塔管理組合への問い合わせなんて話になったら、それだけで支部の予算に穴が開く。だからグレンに頼む。グレンが直せば、何も起きなかったことになる。
——仕方ないな。
コンソール端末の灯りを落として、地下を出た。
***
宿への帰り道は静かだった。日が落ちて、石畳に革靴の音だけが響く。
「ガキの頃にこんなこと思い出さなきゃ、もっと楽に暮らせてたんだろうなあ」
独り言が白い息になって消えた。
頭の中に、二つの数字がある。応答フォーマットのズレ。威力値フィールドに一瞬だけ現れて消えた異常値。どちらも「起きていない」ことにはなっている。補正が走って、記録だけが残った。
二つの異常は、同じ原因から来ているのか。それとも別々のものなのか。
——俺の担当じゃない。
そう思う。思うのだが、足が少し重い。
あの頃のことを思い出すのは、決まって夜だ。頭の奥に薄くかかったノイズのような記憶。自分のものなのか、誰か別の人間のものなのか、もう区別がつかない。ただ、あのノイズがあるから端末の異常に気づけるし、記録板の数字の意味がなんとなくわかる。便利だと思うこともある。面倒だと思うことの方が多い。
宿の看板が見えてきた。
グレンはその思考を棚の上に置くように止めて、宿の扉を開けた。今日は帰ってきたばかりだ。湯を使って、寝る。それだけでいい。
翌日、ダンに呼ばれた。
【作者メモ】
この世界では、魔法を行使する際にその地域にある賢者の塔にリクエストを送って実行してもらう仕組みがあります。
賢者の塔の利用料金は、ギルドだったり商会だったり政府だったりが、利用者から徴収して納めます。ちょっと腕に覚えのある人は個人で直接契約していることもあります。




