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壊れた魔法 ~辺境の冒険者は、仕方なく魔法基盤を直している~  作者: 黒犬


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Chapter21 事後処理

 最初にやるべきことは分かっていた。

 先読み補完ロジックの無効化修正が全装置に展開されたことを、グレンは記録板で確認した。応答は遅い。だが正確だ。東の塔を含むすべての新型演算装置から、先読み補完の痕跡が消えた。誤発動のリスクはゼロになった。

 つまり、東の塔を経由しても問題は起きない。

 全処理を西の塔一本に集中させ続ける必要は、もうなかった。

 グレンはコンソール端末に向かい、修正魔方陣の作成に取りかかった。ノクタル村の冒険者の術具に適用した経路切り替え。ダルム市の塔に適用した経路切り替え。それぞれを元に戻すための魔方陣だった。

 手は慣れていた。何度も繰り返した作業だ。術令書式の書き方も、配信の手順も、記録板で確認すべき項目も、全部分かっている。だから静かに、手早く終わる。

 ノクタル分。配信。確認。完了。

 ダルム分。配信。確認。完了。

 記録板の振り分け表示が切り替わった。西の塔に集中していた処理が分散を始め、ダルム市の分の処理が消えた。東の塔が処理を引き受け始め、二基の塔が、それぞれの速度で応答を返している。遅い。両方とも遅い。先読み補完を失った新型は、旧型と変わらない速度でしか動かない。

 それでも、二基で分散できる。西の塔にかかっていた負荷が大きく減った。

 「……これで表面上は元に戻った」

 グレンは記録板から手を離して、椅子の背にもたれた。

 だが痕跡は残る。西の塔に全処理が集中していた期間の記録。通常の運用ではありえない処理の偏り。見る人間が見れば、誰かが意図的に経路を操作したことは明白だ。消すことはできないし、消す気もなかった。

 案の定だった。

 三日後、エストから伝書が届いた。アルカ経由ではなく、直接。魔力網を通じた正式な通信経路で、グレンの術具に直接届いた伝書だった。

 文面は長かった。エストにしては珍しいことだった。

 ——ウィセル西の塔の処理記録を精査しました。あなたが何をしたか、把握しています。ですが、問題はそれだけではありません。

 ——支部長特権を使って、ダルム市全四基の処理をウィセル西の塔に広域転送した記録が、組合の記録に残っています。

 ——支部長特権の意図は、同一地域内での救済処置です。一基が停止した場合に、残りの塔に処理を寄せる。別都市への広域転送は、想定外の使い方です。

 ——非公式の立場で基盤そのものに介入した事実は、すでに看過できる規模ではありませんでした。国と冒険者ギルド中央の両方から、ダン・ブレッド支部長への照会が入ることになります。組合の上部にも報告しなければなりません。

 グレンは伝書を二度読んだ。三度目で、文字が滲んだ。

 ダンへの照会。あの人が、自分の判断でやったことだ。支部長特権の行使も、広域転送の承認も、全部ダンが引き受けた。グレンが「これしかない」と言った時に、「やれ」と言った人間だ。

 あの「やれ」の代償が、ダンの机に積まれることになる。

 「……すまない」

 誰にも聞こえない声だった。コンソール室の石壁に吸い込まれて、消えた。

 エストは誠実な人間だった。だからこそ報告するのだろう。自分の権限でできることとできないことを正確に知っている。それが彼女の強さであり、同時にグレンにとっては——いや、ダンにとっては——面倒ごとの種だった。

 それから一週間ほどで、照会の書簡が雪崩のように届き始めた。

 魔法塔管理組合から。冒険者ギルド中央から。機構師連盟から。「ウィセル支部において非常時経路切り替えに該当する操作が実施された件について」「当該操作の実施者および承認者の報告を求める」「技術的経緯の詳細を書面にて提出されたい」——文面は違えど、聞いていることは同じだった。何をやったのか。誰がやったのか。なぜやったのか。

 ダンの机の上は紙束で埋まった。ダンは何も言わなかったが、目の下に隈があった。


***


 同じ頃、大陸の東から暗い報せが続いた。

 東にあるアルデア帝国の国家機能が麻痺している。詳細は分からなかった。帝国側からの公式な発表はなく、ガルフェンを経由して断片的な情報が届くだけだった。首都で大規模な術式障害が発生したらしい。行政の魔法インフラが停止し、身分照合も物流管理も機能していないという話だった。

 確かなのは、大量の難民が大陸各地の国境に押し寄せ始めているという事実だけだった。

 しかしアルヴェン王国を含む各国は、自国の魔法基盤の復旧で手一杯だった。先読み補完の無効化により安全性は確保されたものの、処理速度の低下は大陸全域に及んでいる。街の灯りは点くが遅い。城門の認証は通るが待たされる。農地の灌漑術式は動くがぎりぎり。どこもかしこも「遅いが動く」という状態で、難民を受け入れる余力はどの国にもなかった。

 「帝国がああなった原因は何だ」

 ガロが酒場で聞いた。夕方の酒場は空いていた。先読み補完の騒動以来、冒険者たちの動きも鈍くなっている。依頼は減っていないが、術式の信頼性が揺らいだ影響で、魔物との戦闘に二の足を踏む者が増えていた。

 「分からない。帝国は何も言わない。ダルムと同じようなことが起きたんだろうとは思うが、規模が桁違いだ」

 「……そうか」

 グレンは杯を傾けた。安い麦酒だった。

 帝国の件とは別に、大陸のあちこちで魔法塔管理組合への批判が噴き出していた。ダルム市の都市機能麻痺について、「組合が事前に問題を把握していたのではないか」という声が上がった。フルゲン共和国は「事前に連絡があれば農業設備の緊急対応ができた」として正式に抗議を提出した。各地のギルドからは、「先読み補完だけでなく、そもそも換装時に読み替えレイヤーの存在すら事前に通知されなかった」という旧来の不満が再燃した。

 一つ一つの批判には根拠があった。組合は「影響はなかったでしょう」で切り抜けてきた。だがダルムで都市が壊れ、フルゲンで農業が止まりかけた今、その言い訳は通用しない。

 「また拳を上げている」とガロが言った。「前もそうだった。読み替えレイヤーのときと同じだ」

 「今度は降ろさなくていい」

 グレンは静かに言った。

 ガロが目を向けた。「……なんでだ」

 「前回は実害がなかった。だから怒りが宙に浮いて、『対処しましたでしょう?』で吸収された。今回は違う。ダルムの記録が残っている。フルゲンの損害が残っている。振り上げた拳を受け止める先が、今度は用意できない」

 ガロはしばらく黙っていた。それから杯を置いた。

 「そうか。じゃあ、動くんだな」

 「動くだろうな」

 ガロが頷いた。短いやり取りだった。二人の間では、それで十分だった。


***


 一ヶ月が経った。

 朝、ミラが掲示板に大判の通達を貼った。魔法塔管理組合からの公式発表だった。

 ダンがギルドの一階ホールで読み上げた。冒険者が数人、受付前に集まっていた。

 要約すると、こういうことだった。

 魔法塔管理組合は、情報管理および利害関係の透明性に重大な問題があったと認定された。既存の組合は解体される。代わりに、各国政府と冒険者ギルド連合が共同で設立する新たな機構——魔法術式管理機構まほうじゅつしきかんりきこう——が、大陸全域の魔法設備の管理を引き継ぐ。機構師連盟とも新たな協定を結び、設計情報の開示義務が課される。

 ダンが通達を読み終えた後、ホールは静かだった。

 最初に口を開いたのはハースだった。

 「やっとだ」

 短い一言だった。十年以上この仕事をしてきた人間の、十年分の疲労が詰まった「やっと」だった。書式第二式への対応作業を始めて延期で巻き戻した経験を持ち、組合への問い合わせが書類の山に阻まれるのを何度も見てきた。その全部が、たった一言に圧縮されていた。

 ダンが腕を組んだまま、淡々と言った。

 「調査は受ける。やったことは記録に残してある」

 誰に向けた言葉でもなかった。支部長として広域転送を承認したことへの照会は、まだ続いている。新機構に移行しても、過去の操作記録が消えるわけではない。ダンはそれを分かっていて、分かった上で、何も隠す気がないことだけを口にした。

 グレンはダンの横顔を見た。目の下の隈は、一ヶ月前より深くなっていた。

 ミラが「これで術式書の問い合わせ、ちゃんとしてくれるようになりますかね」と言った。

 ガロが「続けばいいな」と言った。

 グレンは何も言わなかった。

 方向は正しいんだろうな、と思った。組合の情報非開示体質は制度の問題だ。人を入れ替えても、同じ構造が残れば同じことが起きる。だから組織ごと作り直す。理屈は分かる。

 ただ——名前が変わっても、中の人間は同じだ。エストも、ヴァンも、アルカも、組合で働いていた人間がそのまま新機構に移るのだろう。看板を掛け替えただけで何かが変わるとは思わない。

 だが、問題がここまで大きくなった以上、同じにはできない。少なくとも「影響はなかったでしょう」は、もう二度と使えなくなった。それだけでも意味はある。

 グレンはホールを出た。何も言わないまま、地下のコンソール室に降りた。


***


 書類の山は日を追うごとに増えた。

 冒険者ギルド中央からの質問書。組合——いや、もう解体が決まっているから、正確には「準備委員会」からの照会書。機構師連盟の調査委員からの面談要請。ダンが代理で処理してくれているが、技術的な内容はグレンにしか答えられない。

 「経路切り替えの実施時刻と対象範囲について」。答えた。

 「修正魔方陣の配信先一覧と配信手順について」。答えた。

 「西の塔の処理能力を超過した場合の想定について」。答えた。

 「非常時経路切り替え手順の承認経緯について」。これはダンが答えた。

 どの書類にも同じことを書いた。何をしたか。なぜしたか。どういう判断でしたか。同じ内容を、聞く相手が変わるたびに、少しずつ違う書式で書き直した。

 「……俺の仕事は冒険者であって、コンソールのお守りでも書類仕事でもなかったはずなんだが」

 定宿に戻ると、アルカがいた。毎晩いる。夕飯を作り、自分のレポートを書き、たまにグレンの代わりに書類の下書きをしてくれる。組合の内部用語に慣れている分、書式の体裁が整っている。

 「今日も来てるのか」

 「ただいまは」

 「……ただいま」

 グレンは椅子に座って、天井を見た。木の梁が薄暗い中に横たわっている。宿の部屋は広くない。机の上に書類が積んであって、その隣にアルカが置いた夕飯の皿がある。湯気が細く立っている。

 「アルカ」

 「なに」

 「……いずれ、どこかに引っ越すかもしれない」

 アルカの手が一瞬止まった。食器を拭いていた布巾が、皿の上で動きを止めた。

 それから何事もなかったように、食器を拭き続けた。

 「ふうん」

 そっけなかった。妙にそっけなかった。顔を見せないまま、食器棚に皿を戻している。

 グレンはそれ以上何も言わなかった。言えることが、まだなかった。


***


 翌週、ギルドの事務室。

 ダンの机の上は相変わらず紙束で埋まっていた。照会の頻度は減るどころか増えている。魔法術式管理機構の準備委員会が発足したことで、旧組合の案件を引き継ぐための追加調査が始まったのだ。

 ミラが封書の束を抱えて入ってきた。

 「また来ました。機構師連盟からと、準備委員会からです」

 「こっちに積んでおけ」

 ダンが自分の椅子から半身を起こして、机の空いている角を指さした。空いている角はほとんどなかった。

 グレンは山になった書類の一束を受け取りながら、封を切った。中身を確認する。またいつもの質問書だった。「非常時経路切り替えの判断基準について追加の説明を求める」。もう三回目だ。同じことを聞いている。

 封書を閉じて、ぼそっと言った。

 「よし、逃げよう」

 ミラが振り向いた。

 「え? 今なんて?」

 「何でもない」

 グレンは書類の束を抱えて廊下に出た。

 背中越しに、ダンの声が聞こえた。

 「今の聞こえてたぞ」

 グレンは足を止めなかった。廊下の窓から午後の光が差していた。ウィセルの街並みはいつもと変わらない。壊れなかった街。守ったのではなく、たまたま壊れなかっただけの街。

 次の書類の封を切った。


 それからしばらく。グレンはウィセルの担当を人に引き継ぎ、森の中の一軒家に移った。


【作者メモ】

どうしてお役所とかって同じことやわかり切ったことを何度も尋ねて来られるのか、不思議ではありませんか?

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