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壊れた魔法 ~辺境の冒険者は、仕方なく魔法基盤を直している~  作者: 黒犬


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20/22

Chapter20 遅くても、正しく

 一日が経っていた。

 グレンはコンソール室の記録台に向かったまま、時間の感覚を失いかけていた。あれから何時間が経ったのか、正確には覚えていない。ランタンの油を二度替えた。それだけは覚えている。

 記録板の数値は安定していた。西の塔への処理リクエストは高い水準のまま推移している。処理速度は新型の半分にも届いていない。逆読み替えレイヤーの負荷が常時かかっている。それでも——詰まっていない。

 一件ずつ、愚直に、遅く、正確に処理されている。

 階段の上から足音が聞こえた。重い靴音だった。降りてきたのはガロだった。

 ほこりだらけの革鎧に、乾いた泥がこびりついていた。右の肩当てに深い引っ掻き傷がある。左手の籠手こての留め金が一つ飛んでいた。疲労の色が濃い。だが立っている。

 「ぎりぎりだった」

 ガロはそれだけ言って、コンソール室の壁に背中を預けた。石壁に革鎧がこすれる音がした。

 グレンは記録板から目を上げた。「ノクタルは」

 「持った。群れの本隊を押し返した。残りは散っている。追撃は他の連中に任せてきた」

 「怪我は」

 「擦り傷だ。ウォリムスに引っ掻かれたが、術式の治癒が効いた。——遅かったがな」

 ガロが目を細めた。疲労の中に、何かを確認するような色があった。

 「術式の発動が遅い。二、三秒ずれる。今まで一呼吸で出ていたものが、三呼吸かかる。戦闘中にそれは致命的なんだが——暴走するよりはましだった」

 一拍、間があった。

 「前衛が斬って、後衛が追撃する——その間合いを全部組み直した。遅い魔法に合わせて、隊列の動き方を変えた。最初は混乱したが、三回目の波が来る頃には慣れた」

 「それで凌いだのか」

 「凌いだ。——火が水に変わるよりはましだ」

 その一言は、淡々としていた。感情を押し込めているのではなく、比較して結論を出しただけの言い方だった。遅い魔法と暴走する魔法。どちらかを選ぶなら遅い方がいい。ガロはそれを体で確かめて戻ってきた。

 グレンは記録板に目を戻した。西の塔の処理リクエスト数は高水準のまま、一定の速度で捌かれ続けている。先読み補完の痕跡は出ていない。正確だが遅い。それが今の大陸の状態だった。

 階段の上から、別の足音が聞こえた。軽い靴音。ミラだった。降りてくるなり、眉間に皺を寄せたまま口を開いた。

 「受付が地獄です」

 ウィセル市内でも身分照合の処理がタイムアウトを連発しているという。冒険者の登録証を術具にかざしても、認証が返ってこない。三回、四回と繰り返してようやく通る。受付の列が一階ホールの外まで伸びていた。

 「いつもなら一瞬で終わるものが、十数秒かかっている。冒険者が怒鳴るし、商人も苛立つし……」

 ミラはそこまで言って、息を吐いた。愚痴ではなかった。報告だった。

 グレンは頷いた。身分照合は処理としては軽い。それでもタイムアウトが出るということは、リクエストの総量が西の塔の処理能力の上限に張りついているということだ。旧型一基で大陸の処理を捌いている。当然だった。


***


 ガロとミラが上に戻ってしばらくして、アルカが降りてきた。

 数日間パルの事務所に詰めていたはずだった。顔色が悪い。目の下に隈がある。それでも足取りはしっかりしていた。

 「戻ったのか」

 「昨夜遅く。伝書だと長くなるから、直接来た」

 アルカは巻紙を一つ差し出した。「エストから」

 そのとき、アルカの表情がわずかに曇った。巻紙を渡す手は迫っていなかったが、目の奥に何かを量る色があった。

 グレンは受け取った。エストからの伝書の内容をアルカが転記したものだった。アルカの丸みのある筆跡が、巻紙に整然と並んでいる。

 ——ウィセルの西の塔の処理記録を確認した。全処理を旧型経由に集中させたことの痕跡が、処理ログに明確に残っている。あなたの判断は正しかった。組合として正式な対応に入る。

 その下に、一行空けて追記があった。

 ——ただし、支部長権限での広域転送の記録が残っている。いずれ問い合わせが来る。準備しておくこと。

 グレンは文面を二度読んだ。

 「……遅いな」

 声に出していた。正式な対応。今さらだった。ダルムが崩壊して、ノクタルでスタンピードが起きて、フルゲンの農業が止まりかけて——その後に「正式な対応に入る」。

 アルカは何も言わなかった。少し間があって、巻紙の最後の行を指さした。

 アルカ自身が書き添えた一行だった。

 ——でも、動いた。

 短い一行だった。それだけで十分だった。エストが正式に動くということは、組合が問題を認知したということだ。機構師連盟への対応要求が走り始める。グレンが二年間見続けてきたものが、ようやく上の層に届いた。

 「動いた。でも——間に合っていない部分は、もう変えられない」

 グレンは巻紙を畳んで、記録台の隅に置いた。

 アルカが小さく頷いた。「パルの事務所も大変なことになっている。問い合わせが殺到していて、回線が詰まっている。エストも寝ていないと思う」

 「お前も寝ていないだろう」

 「……少しは寝た」

 嘘だな、と思ったが、言わなかった。


***


 昼過ぎ、ハースに後を引き継いだグレンはダンの執務室に呼ばれた。ガロも同席していた。

 ガロはノクタル村での戦闘の後始末を終えてギルドに戻ったところだった。泥だらけの革鎧は脱いでいたが、下に着ていた厚手の上衣にまだ土埃がついている。椅子に座ると、膝の上に両手を置いた。報告の姿勢だった。

 「ノクタルは持った」

 ガロはそこから始めた。

 「スタンピードは第二波まで来たが、押し返した。冒険者の負傷は重傷二名、軽傷は数えていない。死者なし。村の防壁に一箇所破損があるが、応急処置済み。——経路を切り替えてもらってからは、術式が安定した。それがなければ、多分もっと出ていた」

 ダンが頷いた。

 「ダルムは——」ガロが少し声を落とした。「まだきつい。都市機能の復旧には時間がかかる。ただ、西の塔への切り替え以降は、新しい誤発動は止まっている。崩壊はこれ以上広がっていない。復旧活動が、少しずつ始まっている」

 「少しずつ、か」

 「遅い魔法を使いながら、瓦礫の撤去や給水の復旧をやっている。『遅いが動く』ことに気づいた市民から順に、手を動かし始めている。——ただ、魔法が怖いという声は消えていない。使うのをためらう人間がまだ多い」

 ダンが窓の外を見た。ウィセルの午後の街並みは、いつもと変わらなかった。ここでは何も壊れていない。

 ガロが続けた。「フルゲンも、まだきついらしい。大規模農業は当分無理だとか。各農家が個人の術具で——灌漑や収穫を手作業でやっている。持ちこたえてはいるが、持続できるかは分からない」

 「大陸全体に波及しているということだな」

 「ええ。ノクタルだけじゃなかった。ダルムが、フルゲンが——問題が広がっている」

 執務室が静かになった。グレンは何も言わなかった。窓から差す光が、ダンの机の上に四角い影を落としていた。書類の束が影の中に半分沈んでいた。

 ダンが口を開いた。「グレン。西の塔は、持つのか」

 「持っています。今のところは」

 「今のところ——か」

 「記録上、処理の詰まりは出ていません。旧型は遅いが、単純な設計だから負荷に対して安定している。当面は持つと見ていいと思います」

 ダンは頷いた。頷いてから、長い息を吐いた。


***


 翌日の朝、大判の通達が来た。

 ミラが受付の裏から出てきて、「また大判です」と言った。その声には、ここ数日で培われた諦めに似た慣れがあった。大判の通達はろくな知らせを運んでこない——と思いきや、今回は違った。

 魔法塔管理組合と機構師連盟の連名。共同発表だった。

 ミラが読み上げた。ギルドの一階ホールに冒険者が集まった。

 「新型中央魔法演算装置に搭載されている先読み補完ロジックについて、構造的な欠陥が確認されました。当該ロジックが、各地域で発生している術式の異常動作の直接原因であると認定します。暫定措置として、全装置において先読み補完ロジックを無効化する修正魔方陣の展開を開始します。これにより新型装置の処理効率は大幅に低下しますが、安全性を最優先とします」

 ミラの声が途切れた。一拍おいて、続きを読んだ。

 「影響を受けた全地域の皆様に、深くお詫び申し上げます」

 ホールが静まった。

 ガロが椅子の背もたれに体を預けた。腕を組んだまま、天井を見た。

 「先読み補完だと……また後出しだ」

 低い声だった。怒りというより、疲れた確認だった。

 ハースがコンソール室の方から出てきていた。読み上げの途中から廊下に立って聞いていたらしい。「俺たちが出力の揺れに気づいていたのは、二年前からだ。二年間放っておいて——」

 口を閉じた。言いかけた言葉を飲み込む顔だった。ハースの目が一瞬グレンの方を向いたが、すぐに逸れた。

 ダンが静かに言った。「怒りは分かる。俺も同じだ。だが——暫定措置が出た以上、対処された以上、拳を下ろさざるを得ない。ここで何を言っても、覆った水は戻らない」

 誰も反論しなかった。反論する言葉がなかったのではない。反論しても出口がないことを、全員が知っていた。

 グレンは黙ってホールの隅に立っていた。

 読み替えレイヤーのときと同じだ、と思った。存在を後出しで公表したときと同じ構造だ。あのときは「影響はなかったでしょう?」で怒りが吸収された。今度は「対処しましたでしょう?」で吸収される。振り上げた拳を受け止める先が、毎回用意される。組織の動き方の形が、より大きなスケールで繰り返された。

 ガロが椅子から立ち上がった。「……まあ、いい。止まったなら、それでいい。フルゲンの農家もこれで少しは楽になるんだろう」

 それは怒りを下ろした言葉だった。許したわけではない。ただ、対処が来た以上、ここで拳を振り上げ続ける意味がない。それを分かった上で、言った。

 ハースも無言で頷いて、コンソール室に戻っていった。

 ミラが通達を掲示板に貼った。大判の紙が、前回の障害通達の隣に並んだ。二枚の大判が並ぶ掲示板を見て、ミラが小さく息を吐いた。

 グレンはホールを出た。


***


 夜、コンソール室。

 先読み補完ロジックの無効化修正が全装置に展開されれば、ウィセルの西の塔集中という一時措置も解除できる。東の塔が先読み補完なしで動くようになれば、逆読み替えレイヤーを経由しなくても安全に処理できる。そうなれば、西の塔の負荷は通常に戻る。

 記録板を見た。数値は落ち着いていた。

 「先読み補完を止めた。効率は落ちる。新型の処理速度は旧型と変わらなくなる。——新型に換装した意味が、半分消える」

 声には出さなかった。頭の中で言葉を転がしただけだった。

 「だが止めなければ、次のダルムが、次のフルゲンが、どこで起きるか分からなかった」

 記録板の画面を見つめた。西の塔の処理ログが静かに流れている。旧型の演算装置は、今日も一件ずつ正確に処理を返している。遅く、愚直に、確実に。

 「西の塔が持った」

 声に出した。コンソール室の石壁に吸い込まれる小さな声だった。

 「旧型一基で五都市分の処理を捌いた。タイムアウトは数千件。だが——致命的な暴走はゼロだった」

 一拍。

 「——誰もそれを知らない」

 誰も知らない。ガロは「グレンが何かをした」という感覚は持っている。エストは「判断は正しかった」と言った。アルカは「でも、動いた」と書いた。

 ダンは知っている。記録に自分の名前を残してまで承認した。支部長権限の行使。その記録は、いずれ問い合わせという形でダンの元に届く。それを分かった上で、あの男は判を押した。

 でも——地下室で記録板を見続けた夜のことは、誰にも見えていない。旧型の塔が黙って処理を捌き続けた一日のことは、どこにも記録されない。

 旧型の意地。そんな言葉が浮かんだ。西の塔は意地を見せたりしない。ただ設計通りに動いただけだ。入ってきたリクエストを、順番に、正確に、返した。それだけのことだ。

 それだけのことが、今日は大陸を救った。

 グレンは記録台に肘をついた。額を手のひらに預けた。

 「……疲れたな」

 目を閉じた。ランタンの火が瞼の裏で赤く揺れた。

 階段の上から、軽い足音が聞こえた。

 アルカが降りてきた。両手に湯の入った椀を持っていた。湯気が薄暗いコンソール室の空気の中を細く昇っていた。

 「お疲れ」

 アルカはそれだけ言った。椀をグレンの手元に置いた。何も聞かなかった。何が起きたか知っているし、何が足りなかったかも分かっている。だから聞かない。

 グレンは何も言わず椀を受け取った。両手で包んだ。陶器の温もりが指先に伝わった。

 しばらく二人とも黙っていた。記録板の数値が静かに流れている。西の塔は変わらず動いていた。

 グレンが一口飲んだ。白湯だった。味のない温かさが喉を通って、体の奥に落ちていった。

 「アルカ」

 「うん」

 「明日から——いろいろ動くと思う」

 「うん。分かってる」

 それだけだった。それだけで良かった。


 翌日から、大陸の状況は急速に変わり始めた。


【作者メモ】

運用でカバー第二弾。

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