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壊れた魔法 ~辺境の冒険者は、仕方なく魔法基盤を直している~  作者: 黒犬


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19/22

Chapter19 遅いか、壊れるか

 スタンピードが第二段階に入ったという速報は、簡潔だった。

 「ノクタル村近郊、第二波確認。ウォリムスを主体とする群れに加え、大型個体を含む混成群。前線が押されている。術式の安定化により撃退は継続中だが、増援を要請——」

 ミラが読み上げている途中で、グレンはコンソール端末に視線を戻した。

 記録板の数値は落ち着いていた。昨夜遅くに配信した修正魔方陣——ノクタル村周辺の冒険者の術具に対し、東の塔への振り分けを切って西の塔経由に固定する設定変更——が、順次適用され始めている。術具が塔に繋いだ順に、自動で当たる。以前からずっとやってきた手順と同じだ。規模が違うだけで、操作は変わらない。

 記録板を確かめた。西の塔経由のリクエストに絞って処理ログを追う。先読み補完の痕跡は出ていない。応答フォーマットのズレもない。西の塔の旧型演算装置は、書式第一式をそのまま処理している。逆読み替えレイヤーが噛んでいる分、処理は遅い。遅いが——暴走していない。

 階段を降りてくる足音が聞こえた。重い。ダンだ。

 「効いたのか」

 ダンの声が背後から来た。階段の最下段に立ったまま、コンソール室の中には入ってきていない。

 「記録上は。西の塔経由の処理に切り替えてから、出力の乱れは出ていません」

 「……つまり、術具が正常に動いているということか」

 「ノクタル村の分は。今のところ」

 ダンが息を吐いた。安堵なのか、それとも次の問題を予感しているのか、グレンには判別がつかなかった。

 「よかった」とダンが言った。

 グレンは記録板から目を上げなかった。

 「まだ続いています」

 ノクタル村の冒険者たちの術具が安定した。それは事実だ。現地からは「術具が急に安定し始めた」という報告が上がっているとミラが言っていた。ガロを含む前線の冒険者たちが、昨夜まで信用できなかった術式を再び使えるようになった。撃退が進んでいるのは、そのおかげだ。

 だが、グレンの頭の中では別の計算が走り始めていた。ノクタル村は小さい。冒険者の数は数十人。西の塔一基で余裕を持って処理できた。記録板に処理待ちの滞留は出ていない。

 ——同じことを、もっと大きな規模でやれるか。

 ノクタル村で証明されたのは、西の塔の旧型演算装置が安全に処理を通すという事実だ。先読み補完がない。暴走しない。遅いが、正しい。この経路に載せれば、他の地域でも同じことが起きるはずだ。

 ただし。

 ノクタル村は一基で済んだ。もし——ダルム市のような都市の全処理を受け入れるなら、話が変わる。


***


 ノクタル村からの続報が入り、前線が持ち直しつつあるという情報がギルド内に広がり始めた頃だった。

 ミラが階段の上から声をかけてきた。声が硬い。

 「グレンさん。ダルム市から緊急連絡です」

 グレンは椅子から立った。

 ミラが持ってきたのは、ギルド間の緊急通信回線を通じて届いた速報だった。通常の通達とは書式が違う。大判の封書ではなく、記録板に直接刻まれた短文の連続。

 「術式の連鎖誤発動により都市機能が麻痺。火災・浸水・建築構造の崩壊が同時多発。公共照明が全域で消灯。給水系統が停止。市民は魔法を使うことを恐れて動けない状態。冒険者ギルドの端末もすべて応答不能——」

 ミラの声が途中で止まった。速報の文面を追っている目が、止まった。

 「……これ、前に来たダルムの障害通達の続きじゃないですよね」

 「別のやつだ」グレンが言った。「今の話だ」

 階段の上で立っていたダンが、二段降りてきた。ミラの手から記録板を受け取って読んだ。顔色が変わった。

 「ダルムは公共インフラの魔法依存度が高い街だ。照明も給水も台帳も全部が術式で動いている。あそこが止まったら——」

 「市民が動けなくなる」

 グレンは自分の声が静かなのを聞いた。頭の中も静かだった。コンソール室の石壁の中に立って、遠くの都市の崩壊を記録板の文字で受け取っている。現実感は薄い。だが記録板は嘘をつかない。

 「来た」と思った。

 あの夜、コンソール室で一人呟いた言葉が蘇った。「もっと大きく何かが起きたとき、初めて動ける構図になっている」。あのとき見えていた最悪の一つが、今ここに来た。

 「何かできるか?」


 グレンはダンに向き合った。

 「ダルム市の塔は4基。西1、西2、東、北。すべて新型に換装されています。新型の演算装置が処理を歪めている。4基すべてが同じ問題を抱えています」

 ダンの顔が硬くなった。

 「4基全部か」

 「4基全部です。ノクタル村と同じことをダルムでやるなら——ダルム4基分の全処理が、ウィセル西に来ます」

 ダンが一歩降りた。コンソール室の入り口に立って、グレンの目を見た。

 「旧型一基で4基分を捌けるのか」

 「全部は無理です」

 グレンは即答した。嘘を言う余裕はなかった。

 「優先度をつけます。戦闘系を最優先にして、都市機能は後回しにする。タイムアウトは連発しますが、キューに残った分は順に処理されます。処理が消えるわけではない。ただ——遅くなります。かなり」

 ダンが腕を組んだ。太い腕が胸の前で交差する。


***


 グレンはダンに向き合って、具体的な数字を口にした。

 「戦闘系の術式は2倍から3倍の遅延で通ります。身分照合や台帳管理は10回に7回はタイムアウトする。そちらは後回しにせざるを得ない」

 ダンの眉間に皺が寄った。

 「それは——使い物にならないということではないのか」

 「都市機能は事実上止まります。身分証の照合ができない。売上台帳が更新できない。給水の制御もまともには動かない。ただし——」

 グレンは一拍置いた。

 「暴走するよりはましです」

 ダンの目が動かなかった。グレンの言葉を、一つずつ受け止めている。

 「もう一つ。読み替えレイヤーの処理遅延も加わります。ダルム市の術式書は書式第二式で動いている。西の塔の旧型演算装置は書式第一式しか読めない。間に変換が入るたびに、さらに時間を食います。ノクタル村よりも遅くなる。確実に」

 「遅い魔法と、暴走する魔法。どちらかを選べということか」

 「俺なら遅い方を選びます。遅くても、術式が正しく動くなら、人は動ける。暴走したら——もう誰も魔法を使えなくなる。ダルム市は今、その状態です」

 ダンが目を閉じた。長い沈黙がコンソール室に降りた。ランタンの炎が揺れた。地下には風がない。二人の呼吸だけが空気を動かしている。

 ダンの目が開いた。

 「……わかった」

 声は低かった。だが迷いはなかった。


***


 ダンがポケットから一枚の書類を出した。非常時経路切り替えの承認書類だ。以前ダンが「使うことはないだろうが」と言ってグレンに渡した手順書があったが、それの正式な承認書類。ダンはそれを持って降りてきていた。問われる前から、覚悟は決めていたということか。

 しかし、これがあれば、術式書の修正より早く、確実に対処できる。グレンはコンソール端末に向き合った。

 「ダルム4基——西1、西2、東、北——の魔力網の入り口に、全処理をウィセル西の塔に転送する設定を書き込みます」

 ダンが書類をコンソール台の上に置いた。まだ署名はしていない。

 「これは同じ地域の手順を別都市に使うことになる。記録に残るな」

 「残ります」

 グレンは振り返った。ダンの目を見た。

 「支部長特権による非常時経路切り替えの設計上の想定は、同一地域内の塔の引き継ぎです。ダルム市の塔に対してウィセルから広域転送を設定するのは、権限の設計意図を逸脱しています。事後に国と冒険者ギルド中央の両方から調査が入る可能性があります」

 ダンが目を細めた。

 「お前にしては丁寧な説明だな」

 「言わなければならないと思いましたので」

 「聞いた。承認する」

 ダンが署名した。ギルド長印を押した。書類をグレンに渡した。

 「頼む。……やれ」

 グレンは書類を受け取って、コンソール端末に向き直った。

 手順はノクタル村のときと同じように見えて、少し違う。コンソール端末の配信機構に設定変更を乗せる。対象を指定する。確認項目を一つずつ潰していく。

 ノクタル村は数十人分の術具だった。今度は、ダルム市4基の賢者の塔の入り口。全処理の転送先を書き換える。ダルムの術具から発せられるすべてのリクエストが、4基の新型を経由する代わりに、ウィセル西の旧型一基に向かう。

 対象:ダルム西1、ダルム西2、ダルム東、ダルム北——4基すべての入り口。

 内容:全リクエストの転送先をウィセル西の塔に変更。

 基本操作は同じだ。規模が違うだけで、やることは変わらない。何年も前にダンに説明し、やってきたことだ。

 確認の光が点灯した。

 グレンは最後の確認項目を目で追った。間違いがないことを確かめて——実行の光を灯した。

 設定の書き込みが始まった。


***


 数分後、記録板の数字が跳ねた。

 西の塔への処理リクエストが、一気に増え始めた。ノクタル村の経路切り替えのときは緩やかな上昇だった。今度は違う。ダルム4基分の処理が、設定の反映とともに一斉にウィセル西の塔に流れ込んできている。

 処理待ち行列が伸びていく。処理時間が跳ね上がる。1件あたりの応答時間がノクタル村のときの何倍にもなっている。逆読み替えレイヤーの変換処理が一件ごとに時間を食っている。

 タイムアウトの記録が出始めた。

 一件。二件。三件——。やがて数えるのが無意味になった。タイムアウトの刻印が、記録板の上を流れるように増えていく。身分照合。台帳更新。灌漑制御。公共照明の再起動要求。すべてが応答時間の上限を超えて、未完了の印が刻まれていく。

 ダンがまだ隣に立っている。記録板を覗き込んでいた。数字の意味が分かるわけではないだろう。だが、刻印の速度が異常であることは見れば分かる。

 「グレン」

 「大丈夫です」

 グレンはコンソール端末に向かったまま答えた。大丈夫ではない。だが、想定の範囲内だ。

 グレンはコンソール端末から手動で優先度の設定に入った。

 処理の優先度を三段階に分ける。最上位——戦闘系術式。攻撃、防御、回復。人の命に直結する処理。中位——身分照合、台帳管理。都市機能の維持に関わるが、数分の遅延で人は死なない。最低位——農業・灌漑。重要だが、今この瞬間に止まっても即座に人命は失われない。

 設定を書き込んだ。反映を待った。

 記録板の数字が変わり始めた。戦闘系のリクエストが、処理待ちの先頭に押し上げられていく。応答時間が——まだ遅い。通常の2倍以上かかっている。だが、通っている。タイムアウトせずに処理が完了している。

 一方で、身分照合のタイムアウトが加速した。そのほかはほぼ全滅だ。処理待ち行列に入ったまま、応答時間の上限を超えていく。キューには残っている。消えてはいない。西の塔が他の処理を終えたあと、順番が回ってくれば処理される。だがいつ回ってくるかは分からない。

 「……頼む」

 ダンがそれだけ言って、階段を上がっていった。足音が石壁に反響して、しばらく残った。

 グレンは一人、コンソール室に残った。

 記録板を見続けた。タイムアウトの刻印が流れていく。その合間に、処理完了の印が混じる。戦闘系。攻撃術式。防御術式。回復術式。遅い。明らかに遅い。通常の2倍から3倍かかっている。だが処理自体は完了している。

 先読み補完の痕跡は、一件も出ていなかった。

 5基分の処理を1基で受けている。ウィセルの分とノクタルの分に加えて、ダルム4基の分。旧型の演算装置が、逆読み替えレイヤーを通して、一件ずつ処理している。キューは溢れている。応答は遅い。タイムアウトの嵐が止まない。

 でも——動いている。

 グレンは記録板に額を近づけて、数字を追い続けた。一件、また一件と処理が完了していく。戦闘系は通っている。身分照合は10件に2件か3件が間に合っている。ほかはまだ全滅に近い。だがキューには残っている。消えていない。順番が来れば処理される。

 手動で優先度を微調整した。戦闘系の中でも回復術式の応答時間が想定より伸びていた。回復が遅れれば前線で人が死ぬ。回復術式の優先度をさらに一段上げた。攻撃術式と防御術式は現状維持。身分照合の優先度を一段下げた。台帳管理はさらに下げた。

 記録板の数字を見ながら、処理が通ったものを一つずつ確認していく。戦闘系——通過。戦闘系——通過。身分照合——タイムアウト。戦闘系——通過。灌漑——タイムアウト。戦闘系——通過。身分照合——通過。

 時間が経った。どのくらい経ったか、分からなかった。ランタンの油が減っていた。

 ミラが階段の上から声をかけてきた。

 「グレンさん。前線から報告です。『魔法が遅い、でも動く』——って」

 グレンは記録板から顔を上げなかった。

 「……そうか」

 「ダルム市からも。『ギルド端末が応答し始めた。遅いが、暴走は止まっている』って。ノクタルの方も、まだ遅いけど安定してるそうです」

 「ああ」

 ミラの足音が遠ざかった。

 グレンは一人、コンソール室で記録板を見続けた。数字の列が、ゆっくりと流れていく。タイムアウトの刻印と、処理完了の印が、交互に並んでいる。優先度の調整が効いている。戦闘系はほぼ通っている。身分照合は相変わらず厳しい。灌漑は処理待ちの末尾に溜まり続けている。

 コンソール端末から手を離せなかった。負荷の状況は刻々と変わる。ダルムの冒険者が魔法を使うたびにリクエストが増え、キューの長さが変動する。戦闘が激しくなれば戦闘系のリクエストが急増し、他のすべてがさらに遅れる。そのたびに優先度の配分を見直す必要がある。自動化する余裕はない。コンソール端末に張り付いて、手動で調整し続けるしかない。

 ランタンの火が小さくなっていた。油を足す気力がなかった。薄暗い石壁の中で、記録板の微かな光だけが残っている。指先は冷たかった。地下の空気は年中変わらない。変わらないのに、今夜は寒く感じた。

 目が霞んだ。記録板の数字が一瞬ぶれた。目を擦り、タイムアウトの刻印を一つ読み、次の処理完了を確認し、また次のタイムアウトを読んだ。

 5基分の処理を1基で。キューは溢れ、応答は遅い。でも——動いている。動かし続けている。ここで手を離したら、優先度の配分が崩れる。戦闘系の応答時間が伸びる。前線で魔法が間に合わなくなる。

 だから離せない。

 グレンはコンソール端末の前で、背を丸めて座り続けた。記録板の光だけが、暗い石壁の中で明滅していた。


 数時間後、ダルム市では「遅いが動く」ことに気がついた市民から順に、魔法による復旧活動が進められていた。それがグレンの耳に届くのは、もうしばらく先のことだった。


【作者メモ】

どれだけウィセルの西の塔に余力を持たせていたんだという話ですが、すぐそばに魔物の溢れる森があることで突発的な需要が見込まれていたということで運が良かったのかもしれません。

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