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壊れた魔法 ~辺境の冒険者は、仕方なく魔法基盤を直している~  作者: 黒犬


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18/22

Chapter18 大陸が揺れる

 速報が届いたのは、朝の鐘が鳴る前だった。

 ミラが中継通信の巻紙を持って事務室に走り込んできた。ダンがまだ茶を入れている最中で、グレンはホールの掲示板の前に立っていた。受付の奥から走る足音が聞こえた時点で、いい報せではないと分かった。ミラが走るのは、走らなければならないときだけだ。

 「スタンピードです。ノクタル村近郊——大規模」

 ミラの声がホール全体に届いた。まだ早朝で人は少ない。だがカウンター横のベンチに座っていたDランクの若い冒険者が顔を上げ、奥の食堂から出てきたばかりの受付補助が足を止めた。

 ダンが事務室から出てきて、巻紙を受け取った。黙って読んだ。それからもう一度、頭に戻って読み直した。

 「ノクタル村近郊で大規模スタンピード発生。魔物の行動パターンが通常と異なり——」

 ダンが読み上げるのを、グレンは少し離れた位置で聞いていた。

 「——魔法の効力が著しく低下している。周辺ギルドに支援要請が出された」

 ギルドの扉が開いて、装備を背負ったガロが入ってきた。早朝の依頼確認に来たらしい。ダンの声を聞いて足を止め、それから速報の巻紙に目をやった。

 「ノクタルだぞ」

 ガロの声は低かったが、ホールの隅まで届いた。

 「うちの出張所がある。ウィセルの目と鼻の先だ」

 装備の紐を確かめながら、ガロが言った。

 「あそこが落ちたら、次はうちだ」

 ダンが頷いた。表情は動かなかったが、巻紙を握る手に力が入っていた。

 「支援要請の範囲を確認する。ガロ、Bランク以上の所在を把握してるか」

 「ウィセル周辺で今すぐ動けるのは俺を含めて三人。遠征中のやつを入れれば五人だが、戻りに半日かかる」

 「足りるか」

 「スタンピードの規模次第だ。それと——」

 ガロがグレンの方を見た。

 「魔法の効力が低下、ってのはどういうことだ」

 グレンはその問いを、自分の中で反芻した。術式の威力が想定どおりに出ない。想定より弱いのか、あるいは——別の方向に出ているのか。

 「分からない。ただ、もし術式の出力が乱れているなら、スタンピードの撃退にも影響が出る」

 「術式が当てにならない状況で、魔物の群れか」

 ガロが腕を組んだ。

 「最悪に近い組み合わせだな」

 その言葉が、グレンの頭の中でダルム市の通達と重なった。ダルムでは都市の公共魔法が連鎖誤発動した。今度は、スタンピードを抑えるための攻撃術式が安定しない。現象の出方は違う。だが根元は同じだ。

 換装が早い地域から件数が増える。アルカが以前から示していた傾向——その次の波が、ノクタル村にまで来た。


***


 同じ朝のうちに、南方の報せも届いた。

 ギルド網を通じたフルゲン共和国の詳報だった。ミラが読み上げるのを、ホールに集まり始めた冒険者たちが聞いていた。

 主要農地の三割で灌漑術式が正常動作していない。穀物の自動収穫術式が誤作動を繰り返し、大規模農業が実質機能不全に陥っている。代替として各農家が個人の魔力を使った手作業で凌いでいるが、人手が足りず、持続限界に近い。食料の安定的な流通に影響が出始めており、隣国への支援要請が検討されている——。

 先日、旅商人から聞いた話の続きだった。あのとき「農業の術式が不安定で」と愛想のいい声で語っていた内容が、数字になって返ってきた。三割。大規模農業が機能不全。

 ミラが読み終えたあと、ホールがしばらく静かになった。

 ガロが腕を組んだまま呟いた。

 「南も大変なのか。スタンピードとフルゲンの農業と、同時か」

 誰かが「何か変じゃないか、最近」と言った。声の主は分からなかった。だが同じことを感じている空気が、ホール全体に漂っていた。

 グレンは黙っていた。

 変じゃない。続いていたものが、出てきただけだ。ダルム市の連鎖誤発動。フルゲンの農業崩壊。ノクタル村のスタンピードでの魔法効力低下。現象の形はすべて違う。だが根元は一つだ。新型演算装置の先読み補完が、処理パターンの多様性に耐えられなくなっている。換装が先だった地域から順に。波紋のように。

 知っている。だが言えない。魔法契約が口を塞いでいるわけではない——先読み補完という言葉そのものは口外禁止の対象ではあるが、そもそも今この場で技術的な説明をしたところで、誰にも届かない。スタンピードの速報を受けたばかりのホールで必要なのは、技術の話ではなく、次に何をするかだ。

 グレンは掲示板から目を離して、地下への階段に向かった。


***


 午後、アルカから伝書が届いた。

 短い。いつものアルカの書き方だった。三行で用件を済ませて、最後に一文。今回も「ご飯食べた?」ではなかった。

 ——エストが機構師連盟に正式な問い合わせを出した。件数と傾向データを整えて、設計上の問題がある可能性として提起した。返答待ち。時間がかかる見込み。でも、動いた。

 グレンはその一行を二度読んだ。動いた。エストが動いた。件数と傾向を揃えて、設計上の問題として正式に問い合わせた。エストの権限と組合の構造を考えれば、これは小さな一歩ではない。相当な覚悟がいる。問い合わせの内容次第では、組合が問題を把握していたことが機構師連盟に知られる。エスト自身の立場が危うくなる。それでも出した。

 だが——間に合わない。正式な問い合わせが届いて、機構師連盟が精査して、設計変更が走って、修正が全装置に展開されるまで。その間に、あと何件の事故が起きる。ダルムが一つ目だとすれば、ノクタルは何番目だ。

 伝書の続きを読んだ。

 ——グレン。ノクタル村近郊のスタンピード、聞いてる?

 ——あの村はシルヴァノクスに最も近い人里。魔獣の脅威に対抗するために攻撃系・防御系の高レベル術式書が集中して使われている。先読み補完が誤動作する条件——多様な入力パターンの蓄積——が最も早く限界に達するのは、高レベル術式が密に使われる地域だと思っていた。何か起きるとしたら、あのあたりだと。

 グレンは伝書をコンソール台の上に置いた。

 アルカが「何か起きるとしたら、あのあたり」と思っていた。グレンも同じ計算をしていた。ノクタル村は冒険者の術式使用密度が高い。シルヴァノクスに接しているから、攻撃系の高レベル術式が他の集落より頻繁に発動される。処理パターンの多様性が飛躍的に大きい場所だ。先読み補完の誤動作条件に達するのが最も早い地域の一つ。

 同じ結論に、別々にたどり着いていた。それが何の慰めにもならないことを、二人とも知っている。

 返信を書いた。

 ——聞いてる。同じ計算をしていた。エストが動いたのはいい報せだ。ただ、間に合わないかもしれない。

 「間に合わないかもしれない」と書いて、ペン先を止めた。書いたところで、アルカにできることはない。アルカの立場でできることは、エストに傾向データを渡すことまでだ。それはもうやった。

 続きを書いた。

 ——俺の方で、できることがあるかもしれない。まだ確かめていないが。

 封をした。


***


 夕方、コンソール室でダンを待った。

 ダンが階段を降りてきたとき、グレンは記録板の前に立っていた。ランタンが二つ。石壁に影が揺れている。

 「話があります」

 ダンがコンソール台の横の椅子に腰を下ろした。グレンは立ったまま、記録板を示した。

 「西の塔を経由した処理では、ノクタル村で報告されているような効力低下は起きていません」

 ダンの眉が上がった。

 「記録を遡りました。西の塔に振られた処理はすべて正常に完了しています。処理速度は遅い。でも、出力が乱れたり、想定と違う結果が返ったりしたケースは一件もない」

 「それは——つまり」

 「西の塔を経由すれば、出力の乱れは起きない。ノクタル村の冒険者の術具に限定して、リクエストの経路を西の塔に切り替える。今、俺にできることです」

 ダンが黙った。コンソール室の静けさの中で、ランタンの芯が燃える微かな音だけがあった。

 「遅延は出るのか」

 「出ます。西の塔は旧型で処理が遅い。魔法の発動にワンテンポ遅れが入る」

 「スタンピードの真っ最中にワンテンポの遅れは——」

 「きつい。ですが、火を出そうとして水が出るよりはましです」

 ダンが長い息を吐いた。椅子の背に体重を預けて、天井を見た。

 「……お前は、それを確かめてあるんだな」

 「記録上は。ただし全ギルド規模への展開は無理です。今窮地にあるノクタル村にいる冒険者の術具に限定します。」

 ダンが視線を戻した。グレンの顔を、真っ直ぐに見た。

 「——どうしてお前がそれを知っている」

 責める調子はなかった。辺境の支部の非公式メンテ担当が、大陸規模の問題をなぜ見通しているのか。

 グレンは一拍置いた。

 「記録を見ているからです。西の塔と東の塔の処理結果を比較すれば、どちらの経路で問題が出ているかは分かる。観測事実です」

 ダンはしばらく黙っていた。それから、声を低くして言った。

 「頼む」

 ダンが階段を上がっていった。足音が石壁に反響して、すぐに消えた。

 


```

 「経路切り替えの手順——支部長特権の非常時手順書のことだな」

 グレンは頷いた。

 ダンが椅子から立ち上がり、コンソール台の横の書棚の一番下の引き出しを引いた。紐で綴じられた薄い冊子が出てきた。表紙の墨が褪せている。

 「……使うことはないだろうと思っていた」

 ダンが冊子の表紙を見つめたまま言った。

 「支部長特権による非常時経路切り替え。これは——同じ地域の塔が落ちたときの手順だ。一方の塔が機能停止したとき、もう一方に処理を集約する。同一地域内のフェイルオーバーのための手段だ」

 グレンは黙って聞いた。

 「別の都市の塔に処理を飛ばすなんて、誰も想定してない。この手順書にも書かれていない」

 ダンの声には、権限の重さを量る慎重さがあった。手順書が想定しているのは、ウィセルの東西二基のうち片方が停止した場合の、もう片方への切り替えだ。それを別都市への転送に使うなら、設計意図そのものを踏み越えることになる。

 「ですが、権限上は可能です」

 グレンは静かに言った。

 「手順書の権限定義は、切り替え先を同一地域に限定していません。支部長が承認すれば、実行できる」

 ダンが冊子を閉じた。沈黙が長かった。ランタンの芯が微かに弾けた。

 「……ギルド長の名で承認する」

 ダンの声は低く、はっきりしていた。

 「記録に残せ。対象範囲、経路指定、承認者名。すべてだ。——俺が何を承認したのか、あとから誰が見ても分かるようにしておけ」

 ダンが冊子をコンソール台の上に置いた。グレンの方を見た。

 「頼む」

 ダンが階段を上がっていった。足音が石壁に反響して、すぐに消えた。

```


***


 夜。コンソール室にランタンを三つ持ち込んだ。

 記録板を引き出し、直近でウィセルの塔にリクエストを送った冒険者の術具一覧を呼び出した。ノクタル村出張所所属の冒険者の術具一覧も。

 グレンがこれから行なうのは、彼ら冒険者の術具にある術式書すべてに、ウィセル西の塔にリクエストを固定する修正魔方陣の配布である。


 まず、小さく試す。

 一件を選んだ。登録番号の若い術具——おそらく出張所の常駐冒険者のものだ。この一件だけ、東の塔への振り分けを停止し、西の塔に固定する。

 コンソール端末に設定を入力した。対象——術具一件。経路指定——西の塔固定。修正魔方陣、配信。

 確認の光を灯した。

 待った。ランタンの芯が音を立てた。石壁の染みを数えた。

 記録板に行が増えた。対象術具からの通信。経路——西の塔。処理結果——正常。出力誤差——なし。

 一件、通った。

 グレンは息を吐いた。もう一度、同じ術具から通信が来た。経路——西の塔。処理結果——正常。遅延——〇・四拍。許容範囲だ。


 テストは成功した。

 次の段階に進む。ノクタル村出張所の管轄に登録された術具すべて。ウィセル支部から支援に出た冒険者の術具。対象を一括で指定し、修正魔方陣を配信する。

 コンソール端末に向かい、対象を一気に選択した。数十件の術具が一覧に並ぶ。

 手が止まった。

 配信すれば、ノクタル村の冒険者たちの魔法は遅くなる。西の塔は旧型だ。逆読み替えレイヤーの処理が加わる分、新型よりさらに遅い。スタンピードの最中に、魔法の発動が一拍遅れる。それが致命傷になる可能性はある。

 だが配信しなければ、魔法が何を起こすか分からない状態が続く。火を撃ったつもりが水になる。防壁を張ったつもりが消える。そちらの方が致命傷だ。

 「遅いか、壊れるか。どちらかを選べということだ」

 声に出した。石壁が返した。

 確認の光を灯した。

 配信完了の印が、記録板に刻まれた。

 ノクタル村の冒険者たちが次に魔法を使うとき、術具に修正が入る。そのとき自動で経路が西の塔に切り替わる。利用者は何もしなくていい。遅くはなる。だが、出力は乱れない。

 椅子の背にもたれて、天井を見た。低い石天井にランタンの光が三つ映っている。

 これでノクタル村の範囲は、ひとまず安定するはずだ。スタンピードの撃退に使う術式が安定すれば、あとはガロたちの仕事だ。

 だが——ノクタル村だけでは足りないことを、グレンは知っていた。ダルム市。フルゲン共和国。そしてまだ報告が上がっていない、これから問題が出る地域。全部が同じ根元から来ている。ノクタル村だけ直しても、波紋は止まらない。

 ノクタル村は、ウィセル支部の管轄内で変えただけだ。だがダルム市に手を伸ばすなら、話が違う。ダルム所属のすべての術式書に手を入れる?いた、ダルムの塔の設定そのものを外部から変えなければ無理だ——ウィセル支部の権限の外だ。それに、旧型の西の塔がダルム市の全処理量に耐えられるかも分からない。今夜の操作では、そこまで届かない。

 今はまだ、ノクタル村が限界だ。全ギルド規模の切り替えには、別の覚悟がいる。

 ランタンの一つが芯の終わりに近づいて、明滅した。替えの芯を出して、交換した。今夜はまだ長い。配信が正しく適用されたか、結果が返ってくるまで。


 翌朝、ノクタル村近郊のスタンピードが第二段階に入ったという速報が届いた。グレンはコンソール室にいた。


【作者メモ】

ここからストーリーも作者もじわじわと混乱しはじめます。

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