Chapter17 都市が落ちた
大判の通達が来たのは、その報せの翌朝だった。
ミラが受付の裏から出てきて、「また大判です」と言った。声に慣れと警戒が半分ずつ混じっていた。大判の通達はろくな知らせを運んでこないことを、ここ半年で全員が覚えていた。小さな封書なら依頼の追加か経費の通知だが、大判は違う。大判は、誰かに読ませなければならない内容が入っている。
グレンはカウンター横の掲示板の前で足を止めた。ダンが事務室から出てきて、ミラの手から通達を受け取った。
障害通達。
差出はギルド中央。アルヴェン王国の中西部に位置する中規模都市・ダルム市において、術式の連鎖誤発動により都市魔法設備が一夜にして機能不全に陥った、という内容だった。
公共の照明魔法が誤発動して消灯。給水系の術式が過出力になり、配水管の一部が損傷。商業ギルドの台帳照合が停止し、取引記録の照会ができなくなった。冒険者ギルドの照合端末も全台応答不能。人的被害は軽傷数名。
軽傷数名。グレンはその一文を二度読んだ。公共術式が連鎖で暴れて、死者が出なかったのは奇跡に近い。給水管の損傷が夜間だったから、通りに人がいなかった。昼間だったら——いや、今はそこじゃない。
ダンが通達を読み上げた。ギルドの一階ホールに居合わせた冒険者たちが、静かに聞いていた。
「魔法塔管理組合の発表によれば」とダンが続けた。「術式書のバージョン間不整合がトリガーとなり、新型装置の処理が連鎖的に誤動作した。当該地域の術式書を最新版に更新することで再発防止が見込まれる——とのことだ」
読み上げ終えたダンが、通達を掲示板に貼った。それから、さりげなくグレンの方を見た。
「……お前はどう読む」
声は低かった。ホールの喧騒の下を潜るような声だった。
グレンは一拍置いた。
「バージョン不整合がトリガーになったのは、本当かもしれない。ただ——根本は違う」
「根本は」
「もし演算装置が何か、本来想定されていない動き方をしていたとしたら——こういう結果になる可能性はある。あくまで可能性の話ですが」
ダンは無言だった。無言のまま、グレンの顔をじっと見ていた。深刻さが見えている——というより、グレンが「可能性の話」と言ったことの裏を読んでいるような目だった。
「……分かった。記録は引き続き頼む」
それだけ言って、ダンは事務室に戻った。背中が少し丸く見えた。
***
通達が掲示板に貼られて二時間もしないうちに、ギルドの中の空気が変わった。
冒険者たちが掲示板の前に集まっては散り、散っては戻ってきた。声をひそめて話す者、黙って読み返す者。依頼の受付に並ぶ列が、いつもより短かった。
ガロが依頼板の前からグレンのところに来た。依頼書を一枚手に持ったまま、掲示板の通達を顎で示した。
「ダルム市のギルドは大丈夫なのか」
「照合端末が全台落ちたと書いてある。依頼の発行も受理もできない状態だろう」
ガロが腕を組んだ。手に持っていた依頼書が少しくしゃりと曲がった。「同じことが、ここでも起きないのか」
言葉が短い。だが聞くべきことを聞いている。グレンはガロのその聞き方に、いつも助けられていた。
「今すぐ同じことが起きる状態ではない」
「今すぐ、ではない——か」
ガロは頷いて、依頼板に戻った。それ以上は聞かなかった。
ミラが受付カウンターの向こうからこちらを見ていた。「端末は大丈夫なんですよね」
「今のところは」
「今のところ、って……」
「大丈夫だ。何かあればすぐに分かる」
ミラは頷いたが、手元の書類に目を落とすまでに少し間があった。
廊下でハースとすれ違った。ハースは顔が青かった。コンソール室から上がってきたところらしい。
「グレン」
呼び止められた。
「最近俺が感じていた出力の揺れ——あれ、ダルムで起きたことと同じか」
グレンは足を止めた。ハースの目を見た。
「同じ原因からは来ていると思う。ただ、ダルムで起きたこととウィセルで起きていることの規模の差は——術式の依存構造の違いで説明できる部分がある」
本当はもっと明確な理由がある。西の塔が旧型のまま残っていること。旧型には先読み補完がないこと。リクエストの一部が旧型経由で処理されているから、連鎖が起きにくい。だがそれは魔法契約で口外できない。「術式の依存構造の違い」という曖昧な言葉でしか答えられないことが、喉の奥で引っかかった。
「つまり——ウィセルでも起きうるということか」
「俺が記録を続けていれば、兆候は先に分かる。それだけは言える」
ハースが小さく息を吐いた。「……それだけ言ってもらえれば、今日のところはいい」
ハースは頷いて、コンソール室に戻っていった。足音が階段を降りていく。石壁にこもった音が、しばらく廊下に残った。
記録を続けていれば兆候は先に分かる。そう言った。言いながら、「先に分かる」と「止められる」は別の話だということを、グレンは知っていた。分かったところで、手を打てなければ意味がない。分かるだけなら、ただの観測者だ。
***
数日後、パルの事務所に出向いたアルカから長い伝書が届いた。
珍しいことだった。アルカは普段、短い文章を好む。業務の用件を三行で書いて、最後に「ご飯食べた?」と一言添える。それがアルカの書き方だった。
今回の伝書は、巻紙の端まで文字が詰まっていた。「ご飯食べた?」はなく、最後の文字は「ごめん、しばらく帰れない。」
——ダルムの件、組合内でも把握している。サポート部門への問い合わせが急増していて、個別処理が追いつかない。だが上の判断は変わっていない。「術式書のバージョン問題として対応中」のまま。私が見ている傾向データとダルムの事例の相関をまとめてエストに送った。エストは「確認する」と言っている。確認が動きに繋がるかは分からない。
そこまで読んで、グレンは巻紙を膝の上に置いた。「確認する」。エストの返答としては誠実な部類だろう。だが確認は行動ではない。エストの権限と組合の構造の中で、確認が対処に変わるまでにどれだけの時間がかかるか。
続きを読んだ。最後に、短い一文があった。
——グレン。これ、またウィセルでも何かが起きるのではないかと思っている。違う?
グレンは伝書を置いて、天井を見た。コンソール室の石天井は低い。ランタンの光が届かない隅に影が溜まっている。
アルカの問いに正確に答えるなら——「ウィセル単体では都市機能が麻痺するところまでは行かない。だが大陸全体の換装が進めば、ダルムが最初の一つに過ぎなくなる」と書くべきだった。
返信を書いた。
——違う。ウィセルで同じことは起きにくい。ただ、ダルムで起きたことは、一つ目だと思っている。
「一つ目」という言葉を書いたとき、ペン先が少し止まった。書いてしまえば形になる。形になれば、もう撤回できない。
封をした。
***
翌週、南方からの旅商人がギルドに立ち寄った。
顔なじみではなかった。フルゲン共和国から来ているという商人で、荷下ろしのついでに寄ったらしい。受付でミラと話しているのを、グレンは掲示板の前で聞いていた。
「フルゲンも最近えらいことになってましてね」
商人は愛想のいい声で話していた。深刻な話を、商売人特有の軽さで包んでいる。悲惨な話ほど軽く語る——それが旅商人の処世術なのだろう。
「農業の術式が不安定で、大農場は散々だと聞きました。灌漑の水量調整が過大になったり過少になったりして、それが大農場の機械術式と組み合わさると全部が乱れる。個人農家が魔法なしの手作業で補ってる状態らしくて」
「魔法なしで農業って、大変じゃないですか」ミラが言った。
「大変ですよ。あの国は農業の自動化が進んでたから、それが全部手動に戻ると人手が足りないんです。組合には問い合わせてるらしいけど、返ってくるのは『最新の術式書を使ってください』だけだって」
グレンは書類の整理をするふりをしながら、頭の中でフルゲン共和国の位置を確認した。大陸南部の主要農業国。新型演算装置への換装は、ダルムと同じ時期か、それより少し早い。換装が完了してから相応の時間が経っている。
ダルムでは都市の公共魔法が連鎖誤発動した。フルゲンでは農業術式が不安定になっている。現象の形は違う。だが根元は同じだ。
「早い地域から件数が増える」——アルカが以前から示していた傾向の、別の出方が来た。
商人が帰った後、グレンはカウンターに近づいた。
「ミラ、今の話——記録に残しておいてくれ」
「え、噂話ですけど」
「噂でもいい。日時と出所と内容だけ。俺の方でも控える」
ミラは少し不思議そうな顔をしたが、「分かりました」と言って帳面を出した。ペンを持つ手が、少しだけ強張って見えた。ダルムの通達以来、ミラも何かを感じ取っているのだろう。
***
夜、コンソール室。
グレンは記録台の横に、自分で描いた大陸の概略図を広げた。正確な地図ではない。方角と距離の大まかな関係だけを捉えた、手書きの図だった。
換装スケジュールが先だった主要都市にしるしをつけていく。ダルム市。フルゲン共和国の農業地帯。アルカの手紙で示唆されていた北方のいくつかの都市。しるしが増えるたびに、図の上の空白が減っていった。
換装が早かった地域から順に、事故が出てきている。換装が進んでいない地域には、まだ出ていない。時間軸に沿って並べると、線が見える。起点があって、そこから波紋のように広がっている。波紋は速くも遅くもない。ただ確実に、一定の速度で拡がっていく。
「拡がっている」
声に出した。
「時間差で、拡がっている」
この先、全大陸の換装が完了したら——そこまで考えて、思考を止めた。止めたのは答えが見えているからだった。全部の塔が新型になれば、全部の塔で同じことが起きる。止まる理由がない。
ランタンの火がわずかに揺れた。地下のコンソール室には風は入らない。火が揺れたのは、自分の息のせいだった。
「……これは、誰かが止めないと止まらない」
声に出した言葉が、石壁に反射して返ってきた。
「誰かが、というのは」
一拍。
「——もうほぼ、俺しかいないんだろうな」
自分で言って、自分で呆れた。大陸規模の問題を、辺境のCランク冒険者が「俺しかいない」と言っている。滑稽だ。だが滑稽だからといって、間違いだとは限らない。
概略図を畳んだ。ランタンを消した。暗闇の中で、記録台のかすかな残光だけが浮かんでいた。
それから数日。事態は思っていたよりも最悪の方向に動き始めた。
【作者メモ】
大きな山場を作りたくて思案しました。




