Chapter22 なんで俺の家知ってんの
ダンの執務室に呼ばれたのは、組合の解体発表から二週間後のことだった。
机の上は相変わらず書類で埋まっている。だが今日は少し様子が違った。書類の山の手前に、封書が一通だけ置かれていた。赤い封蝋に、冒険者ギルド中央の紋章が押されている。
ダンは封書を指で押して、グレンの方に滑らせた。
「本部から来た。お前宛てだ」
グレンは封を切った。中身を読んだ。読み直した。
報奨金の通知。金額は——グレンが冒険者として五年分の依頼をこなしても届かない額だった。そして、パル市支部への異動辞令。
「……出世なのか左遷なのか分からんな」
「どっちでもある」ダンは腕を組んだ。「非公式の立場で基盤に介入した。本部はこれを問題視している。だが世界を救った英雄を処分しましたとは言えない。だから報奨金を出して、パルに送る」
「体のいい厄介払いですね」
「お前のためだ」ダンの声が低くなった。「ここにいたら書類が永遠に終わらない。中央に近ければ、正式な立場がもらえる。問い合わせも正規ルートで処理できるようになる。悪い話じゃないだろう」
グレンは封書を畳んで、ダンの机に置いた。
「……そうですね」
ダンが少しだけ目を細めた。グレンが素直に頷くのは珍しいことを、長い付き合いのこの男は知っている。
何を考えているかまでは、読まれていないと思いたかった。
空気が重くなりかけた。ダンが先に動いた。
「グレン。この後俺に飯をおごれ」
唐突だった。
「……は?」
「聞こえなかったか。飯だ。お前の金で」
グレンはダンの顔を見た。冗談を言う顔ではなかった。だが深刻な顔でもなかった。どちらかと言えば、疲れ切った人間が最後の体力で軽口を叩いている顔だった。
「ダン、支部長の給料で飯くらい——」
ダンは机の引き出しから財布を取り出して、振った。薄い。明らかに中身がない。革が革のまま、ぺたんと垂れている。
「……これ、ダンがかばってくれたんですか」
ダンは財布を引き出しに戻した。
「察しろ。俺も似たようなもん食らってんだ」
支部長特権の逸脱的行使。グレンの行動を黙認し、記録に自分の名を残した。本部が英雄を直接罰せない以上、管理責任を問える人間はダンしかいない。免職にならなかったのは、代わりがいないからだ。辺境の小支部を切り盛りできる人間は、そう転がっていない。
結果、減俸。財布が空になる程度には重い減俸。
「……すみません」
「謝るなら飯でいい。今月もう干し肉しか買えない」
グレンは封書を懐にしまった。
「——分かりました。何がいいですか」
「肉。山盛りの肉だ」
ダンは腕を組み直した。その顔に、ほんの少しだけ笑みが浮かんでいた。
***
翌日から、コンソール室の引き継ぎが始まった。
後任はハースだった。
ハースはコンソールの前に座り、記録板の画面を見つめていた。グレンが何年も座っていた椅子に、別の人間が座っている。それだけのことなのに、部屋の空気が変わって見えた。
「ここの癖は分かってる。何かあったら記録板を見てくれ。俺がつけてた定点観測の記録がある」
「了解」ハースは記録板を確認しながら頷いた。「……お前がいなくなると寂しくなるな、この地下室は」
「静かになるだろ」
「静かすぎるんだよ」
ハースが振り返った。疲れた顔に、笑みとも苦笑ともつかない表情が浮かんでいた。十年以上、術式書の保守をやってきた人間だ。グレンが地下で何をしていたか、全部ではないにせよ、感覚で分かっている。
「任せた」
「ああ」
コンソール室を出た。石段を上がると、入り口にダンが立っていた。腕組みをして、壁に背をもたれている。何も言わなかった。ただ立っていた。
受付カウンターの前を通ると、ミラが顔を上げた。
「パルでも端末壊さないでくださいね」
「壊したことないだろ」
「壊しかけたことはあります。三回」
「……覚えてるのか」
「受付は全部覚えてます」
ミラは笑った。笑ったまま、少しだけ目が潤んでいた。グレンはそれに気づかないふりをした。
ギルドの一階ホールを横切った。掲示板の前を通り過ぎた。大判の通達が二枚並んでいる。その隣に、日常の依頼書がいくつか貼られている。変わらない風景だった。
出口の手前で、ガロとすれ違った。
ガロは立ち止まった。グレンも立ち止まった。
「そうか」
ガロはそれだけ言った。
グレンは何も返さなかった。返す言葉がなかったのではない。返す必要がなかった。「お前だろ」「そうか」の二往復で了解できる関係だ。今回は一往復で足りた。
ガロの横を通り過ぎた。扉を押して、外に出た。
振り返らなかった。
***
グレンは素直にパルへの異動に応じた。
ように見えた。
実際には、引き継ぎを済ませたその晩、荷物をまとめて宿を出た。パルは北だ。グレンは南に向かった。
夜道を歩いた。月明かりだけで十分だった。この道は何度も通っている。討伐依頼でノクタル村に向かうときの、見慣れた街道だ。
ノクタル村を通り過ぎた。村の外れから、さらに南へ。シルヴァノクスの森の入り口に近い場所に、一軒家がある。一週間前にこっそり買い付けておいた。一般人は魔物を恐れて近づかないが、Cランクの冒険者にとっては散歩のようなものだった。
戸を開けて、荷物を降ろして、戸締まりを確認した。埃っぽい椅子に座った。窓の外は森だった。虫の声と、遠くで何かの獣が鳴く声だけが聞こえる。
「……静かだ」
新居の存在は誰にも伝えていない。パル支部には「着任が少し遅れます」と伝書を一通だけ出してある。嘘は言っていない。少し遅れる。数年ほど。
ランタンを消して、眠った。久しぶりに、何も考えずに眠った。
翌朝、扉を叩く音で目が覚めた。
扉を開けると、アルカが立っていた。荷物を両手に抱えて。大きな布袋が二つと、使い込んだ革の鞄が一つ。
「一緒に住む」
「……何だって?」
「魔力網さえ繋がってればどこでも仕事できるし。週一でパルに行けばいいだけだし」
「いや待て。俺はまだ引っ越したとも言ってない。なんでここが——」
「夜逃げの途中で見かけた」アルカは悪びれもせず言った。「ウィセルの南門で。こっそり出ていくからおかしいと思って、ついてきた」
グレンは額を押さえた。
「……お前な」
「ご飯作るから。座ってて」
アルカはもう中に入っていた。布袋を床に置いて、革の鞄から鍋を取り出している。鍋を持ってきている時点で、計画的だった。
グレンは開け放たれた扉の前に立ったまま、しばらく動けなかった。
***
それから数日が経った。
アルカは本当に住み着いた。
朝は魔力網でパルの事務所と繋がり、レポートを書いている。昼はグレンの食事を作る。夕方になると、ノクタル村の子供たちが森の入り口まで遊びに来る。魔物を恐れない年頃の子供たちは、Cランクの冒険者が住んでいると聞きつけて、毎日のように顔を出した。
グレンは周囲の魔物を適度に間引いた。ノクタル村の出張所に報告を上げて、依頼として処理してもらった。これが「仕事」だ。コンソールの前に座るよりは性に合っている。
「……悪くないな」
切り株に腰を下ろして、独り言を言った。
「でしょう」
家の中からアルカの声が返ってきた。窓が開いていた。聞こえていたらしい。
夕暮れの森は静かだった。ノクタルの子供たちが帰った後の、虫の声だけの時間。風が木の葉を揺らして、その向こうに夕陽の赤が透けている。
悪くない。
本当に、悪くない日々だった。
ある晩のことだった。
夕飯を終えて、アルカが食器を片付けている。グレンは窓際の椅子に座って、ノクタルの出張所から借りた古い地図を眺めていた。このあたりの森の地形を把握しておきたかった。魔物の動線が読めれば、間引きの効率が上がる。
扉を叩く音がした。
子供たちにしては遅い時間だった。グレンは立ち上がって、扉を開けた。
見知らぬ人間が二人立っていた。
正装だった。仕立てのよい外套に、革の鞄。旅装ではあるが、冒険者のそれではない。文官の身なりだ。
一人が一歩前に出て、封書を差し出した。
「失礼いたします。魔法術式管理機構準備委員会より参りました」
声は丁寧だった。森の奥の一軒家に来る人間の声としては、場違いなほど丁寧だった。
「——グレン殿に、魔法術式管理機構初代総責任者就任の任命状をお届けに上がりました」
封書の蝋印に、見たことのない紋章が押されていた。新しい組織の紋章だ。蝋がまだ新しい。
グレンは封書を見た。
使者の顔を見た。
もう一度、封書を見た。
「……なんで俺の家知ってんの」
背後で、空気が止まった。
食器を拭いていたアルカの手が、音もなく止まっていた。
「……ごめん」
小さな声だった。
グレンは振り返らなかった。振り返らないまま、待った。
「……全部話しちゃった」
アルカの声は、思ったより軽かった。深刻さよりも、ばつの悪さが先に立っている声だった。
グレンは使者に向き直った。使者は姿勢を崩さず、封書を差し出したまま待っていた。
「……預かる」
封書を受け取った。使者は一礼して、もう一人とともに森の道を戻っていった。ランタンの灯りが木々の間に揺れて、やがて見えなくなった。
***
使者が去った後、グレンは家の前の切り株に座った。
封書は手の中にある。開けていない。
夜の森は静かだった。風が木の葉を鳴らしている。遠くで、ノクタル村の方角から犬の声がかすかに聞こえた。空には星が出ていた。雲のない夜だった。
アルカが隣に来て、切り株の端に腰を下ろした。何も言わなかった。
しばらく、二人とも黙っていた。
「……面倒ごとは、いつもこうだ」
グレンは空を見上げた。星が多かった。ウィセルの街中では見えない数の星が、森の上に広がっていた。
「気づいてしまったら、知らないふりができない。引き受けてしまったら、放り出せない。逃げたと思ったら、追いかけてくる」
「……ごめん」
「お前のせいじゃない」
一拍。
「いや、お前のせいだな」
「……うん」
アルカが小さく笑った。笑ったのが声で分かった。
沈黙が落ちた。森の風が吹いて、二人の間を抜けていった。木の葉がさらさらと鳴った。
グレンは手の中の封書に目を落とした。蝋印の紋章が、月明かりでかすかに光っている。
「……まあ」
封書を開けた。折りたたまれた紙を広げた。月明かりでは読みづらかったが、冒頭の一行は読めた。「魔法術式管理機構総責任者」。その下にグレンの名前がある。
「俺が黙ってるだけで済むなら——もう済まないか、今度は」
「済まないと思う」
アルカの声は穏やかだった。
「だろうな」
グレンは任命状を畳んで、封書に戻した。膝の上に置いた。
長い、長いため息をついた。夜の空気に白い息が混ざって、消えた。
「——仕方ないな」
- 了 -
【作者メモ】
やっぱり逃げ切れませんでしたね、というところで完結させたかったので、いい形で締めくくれたと思います。
ここまでお付き合いいただいた皆様に感謝申し上げます。




