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壊れた魔法 ~辺境の冒険者は、仕方なく魔法基盤を直している~  作者: 黒犬


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Chapter13 小さな茶店

 夜、コンソール室にこもった。

 ランタンの火が石壁を橙色に染める中、グレンは記録台の上に三つの束を並べた。

 第一束——「西の塔と東の塔の発生率の比較」。応答フォーマットのズレが集中しているのは、東の塔へ振られたリクエストだった。同じ期間、同じ術式書、同じ条件で西の塔に振られたものと対比させる。件数の差は五倍を超えていた。百件以上の記録を時系列で並べ、発生日時と対応する塔の識別子を一行ずつ書き出してある。

 第二束——「威力値の揺れと先読みの痕跡」。横軸にどちらの塔へ振られたかを、縦軸に発生タイミングと術式種別をとった一覧表。東の塔への集中が改めて確認できると同時に、時間の経過とともに件数が増加している傾向が読み取れる。読み替えレイヤーの変換ミスとは異なる——新型の術式書を使ったリクエストでも、同じ揺れが出ている。変換層を通っていないのに値がぶれる。それは装置そのものの問題だ。

 第三束——「広域の相関」。アルカの手紙から書き写した「換装時期が早い地域ほど問題発生率が高い」という傾向データに、旅商人から聞いたガルフェン方面の話と、ミラが受付で拾った他支部からの噂を添えたもの。数字は粗い。だが方向は一致していた。

 三束を革表紙のフォルダにまとめた。紐を結び、角を揃えた。自分のための記録ではなく、誰かに見せるための記録。何年もかけて地下で積み上げてきたものを、初めて外に持ち出す形に整えていた。

 「……初めてだな、これを外に出すのは」

 声に出して確かめた。石壁が吸い込んで、静かに返した。何も返さなかった。

 ランタンの火を落として、石段を上がった。革フォルダの重さが、記録の量だけでは説明のつかない手応えを持っていた。


***


 翌朝。ウィセルの南門を出て北に向かった。

 馬を一頭借りて街道を進む。秋の初めの空気は乾いていて、街道の土埃が低く舞う。パル市までおよそ三時間。王国の中心部に近い都市で、商人や旅人の往来が絶えない。魔法塔管理組合のサポート部門がこの街に事務所を構えている。アルカの勤め先だ。

 パル市に入ると、ウィセルとは人の密度がまるで違った。大通りには商会の看板が連なり、荷車が列をなし、術具を腰に下げた冒険者の姿も珍しくない。賢者の塔はウィセルの倍以上の本数が稼働しているはずで、街の随所に魔力網の中継柱が立っている。

 アルカの手紙に書かれていた茶店は、大通りから二本ほど入った路地にあった。小ぶりで、看板も控えめで、商人が帳簿を広げるような落ち着いた店だった。入口の脇に薬草の鉢植えが並んでいる。

 奥まったテーブルに、先客がいた。

 三十代半ばに見える男だった。旅装ではなく、組合の仕立てらしい外套を少し崩した格好で座っている。体格は中肉で、顔立ちそのものは平凡だが、目つきだけが妙に鋭かった。茶碗を片手に持ったまま、入口に向けていた視線がグレンを捉えた。アルカの紹介状に書かれていた特徴と一致する。

 「ヴァンと言います」と男は言った。茶碗を置いて、背筋を正した。「アルカから話は聞いている。ウィセルで非公式に塔の端末を見ている人間、ということだが」

 値踏みするような目だった。敬意でも侮りでもなく、見知らぬ相手を初めて見るときの、職業的な観察だ。窓口業務で鍛えられた目。問い合わせの裏側にある事情を読み取ろうとする視線。

 グレンは向かいの椅子に腰を下ろした。革フォルダを机の上に置いた。

 「見てほしいものがある。何かを訴えたいわけじゃない。データを見てもらいたいだけだ」

 ヴァンの眉がわずかに動いた。

 「……時間は取らない、ということはアルカから聞いた」

 「今日はそうする予定でいる」

 ヴァンがわずかに目を和らげた。警戒が一段下がった——というより、相手の出方を確かめ終えた、という顔だった。

 茶を頼んだ。店主が運んできた白い茶碗を両手で受けた。薬草の香りが湯気と一緒に立ちのぼった。


***


 グレンは革フォルダの紐を解き、第一束だけを開いた。

 「東の塔——東の塔と呼んでいるが——と西の塔・西の塔とで、応答フォーマットのズレの発生率に五倍以上の差がある」

 記録の一枚目をヴァンの前に滑らせた。日付順に並べた発生記録。左列が東の塔経由、右列が西の塔経由。右列はほぼ空欄だった。

 「件数は今日現在で百件を超えた。全件、東の塔に振られたリクエストへの集中が確認できる」

 ヴァンが記録に目を落とした。視線が一行ずつ追い、途中で止まり、日付を確かめ、また先に進んだ。指先が紙の端をそっと押さえた。

 「読み替えレイヤーが原因、という見立てか」ヴァンが言った。声の調子は平らだった。読み替えレイヤーの存在はすでに公表されている。事実として言っている。「換装した東の塔を経由するリクエストで集中しているなら、変換の揺れで説明がつく」

 「説明はつく。だが——」

 グレンは第二束の表紙を見せた。

 「こちらは説明がつかない。威力値の揺れと、応答が先行した痕跡。読み替えレイヤーを通らない、新型術式書を使ったリクエストでも出ている。変換の問題じゃなく、装置そのものの動作に何かがある」

 ヴァンの視線が記録から上がった。グレンを見た。

 目の色が変わっていた。先ほどまでの職業的な観察とは違う——何かを照合しようとする目。自分が知っているものと、目の前のものを突き合わせようとしている。

 「……どこにも持ち込んでいないのか、これを」

 「あなたが最初だ」

 ヴァンが少しの間、目を動かさなかった。記録の上に置いた手がそのまま止まっていた。

 「西の塔と東の塔の差は、読み替えレイヤーの問題として理解できる。だがそれだけじゃない。威力値の揺れは、読み替えレイヤーを通らない処理でも起きている。二つの問題が別々に存在している。俺の記録からは、そう読める」

 グレンの声は淡々としていた。主張ではなく、記録が示していることを述べているだけの口調だった。

 ヴァンは第三束の表紙に目をやった。「広域の相関」と書かれている。手は伸ばさなかった。

 「……三つ目は」

 「換装時期が早い地域ほど、類似の問題が多いという傾向データ。数字は粗い。裏取りは十分じゃない。だが方向は一致している」

 ヴァンの顎がわずかに引かれた。何かを飲み込む動作に見えた。


***


 ヴァンは三束の記録を、詳細まで読まずにざっと確認した。件数と発生パターンの概要。表紙に書かれた日付のレンジ。それだけで手を止めた。

 記録を丁寧に揃えて、グレンの側に戻した。

 「一週間、待ってくれ」

 グレンは茶碗を置いた。「確認というのは」

 「この記録に対応するデータが、組合の側にあるかどうか。俺の権限で照合できる範囲がある。一週間もらえれば、あなたの言っていることが正しいかどうか、少なくとも一部は確かめられる」

 即答はしなかった。否定もしなかった。一週間という時間の意味は明白だった——組合内部のデータと突き合わせなければ判断できないということ。そして、突き合わせる価値があると判断したということ。

 「分かった」

 グレンはそれだけ言った。

 ヴァンが立ち上がった。外套の前を合わせながら、ふっと言った。

 「アルカの紹介でなければ、この席には着かなかった。それだけは言っておく」

 「ありがとう、と伝えておく」

 ヴァンがわずかに苦笑した。苦笑の意味は分からなかった。苦さなのか、照れなのか、あるいはこの場が非公式であることへの自嘲なのか。

 ヴァンは軽く頭を下げて、茶店を出ていった。扉の鈴が小さく鳴って、すぐに止んだ。

 グレンは残った茶を飲んだ。すでに冷めていた。薬草の苦みだけが口の中に広がった。


***


 帰り道。街道を南に向かって馬を歩かせた。

 日が傾き始めていた。秋の日は短い。パル市を出たときには頭上にあった太陽が、もう街道の先に沈みかけている。影が長く伸びて、馬の足元に揺れた。

 扉が開いたかどうか、まだ分からない。ただ——閉まりきってもいなかった、とは言える。

 ヴァンは「確かめる価値がある」と判断したから一週間を求めた。そうでなければ、席を立っていた。記録に目を通す時間すら取らなかっただろう。

 一週間。その間にできることは、記録の整備を続けることと、コンソール室の定点観測を続けることだけだ。いつもと同じだ。何年もやってきたことの延長にすぎない。

 だが、同じではなかった。

 何年も地下でやってきたことを、今日初めて他の人間の前に出した。反応はなかったとも言えるし、あったとも言える。ヴァンの目の色が変わった瞬間は、確かに見た。二つの問題が別々に存在していると示したとき、あの男は何かを照合しようとしていた。自分が内部で見ているものと、グレンの記録を。

 「あとは向こう次第だ」

 呟いてから、それだけ他人の手に委ねるのがいかに居心地悪い感覚か、をじっくり味わうことになった。

 地下にいるぶんには、全部自分の手の中にあった。直しても直さなくても、調べても調べなくても、選択は自分のものだった。記録を積むのも、修正魔方陣を書くのも、コンソールを叩くのも、すべてグレンの判断だった。誰かの返事を待つ必要がなかった。

 今は違う。革フォルダの中身を見せた。ヴァンという男の判断に、次の一歩がかかっている。こちらにできることは何もない。

 街道の両脇に林が続いていた。木々の葉が風に揺れる音だけが聞こえる。馬が時折鼻を鳴らした。

 コンソール室に戻ったら、明日の分の記録を取る。異常があれば書き留める。なければそれも書き留める。いつもと同じだ。

 いつもと同じことが、こんなに落ち着かないのは初めてだった。

 街道の先にウィセルの城壁の輪郭が見えてきた頃、グレンはその居心地悪さがしばらく続くことを覚悟した。


 一週間後。ヴァンから、同じ場所への呼び出しが届いた。今度は——一人ではないかもしれないと、手紙には書かれていた。


【作者メモ】

「自分でやったほうが早い」と思うといつまでたっても仕事を引き継げない。そんな感覚を落とし込んでいます。

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