Chapter11 点と線
夜のコンソール室は静かだった。
ランタンを二つ持ち込んで、記録台の上に全量を広げた。フォーマットのズレが最初に出た日付。修正魔方陣を適用した記録。威力値の揺れが観測された日時と条件。先読みの痕跡——入力よりも早く応答が返った記録——の発生時刻と、応答元の塔の識別符。巻紙の束が記録台をはみ出して、隣の椅子にまで垂れていた。
その隣に、別の紙を一枚置いた。
アルカから聞いた内容を、グレン自身の言葉で書き直した覚書だった。各地で威力の不安定と意図しない発動の報告が増えていること。新型に換装された地域から報告が来ていること。件数の傾向と問い合わせの種類。
昨晩、アルカが去った後にすぐ降りてきた。「見比べるべきものができた」——そう思って地下に降りたのが数時間前のことだ。
グレンは記録を一枚ずつめくりながら、確認を始めた。
ウィセルの記録。威力値の揺れと先読みの痕跡は、すべて東の塔——東の塔に振り分けられたリクエストに集中している。一方、フォーマットのズレも東の塔経由だが、こちらは修正魔方陣で抑え込めている。読み替えレイヤーが旧型向けの書式を変換する過程で生じるズレ。原因はもうこれしか考えられない。効果のある対処も分かっている。
そこまでは既知の整理だった。
覚書に目を移す。アルカが持ってきた情報。各地の塔で起きている問題。
手が止まった。
アルカが話した件は、すべて新型に換装済みの塔で起きている。それは分かっていた。だが覚書を改めて読み返して、ひとつの事実が鮮明になった。
報告を上げているのは、新型術式書に移行済みの利用者も含まれている。
読み替えレイヤーを通る必要のない利用者だ。新型術式書は書式第二式でリクエストを送る。新型の塔はそのまま処理できる。変換層を経由しない。それでも、威力が不安定になっている。
グレンは巻紙を裏返した。もう一度、自分の記録を確認する。ウィセルでの威力値の揺れ。先読みの痕跡。これらは東の塔に集中しているが、旧型術式書を使った場合だけではない。ハースが新型術式書のテスト実行をした際にも、同じ傾向の揺れが記録に残っていた。
「……読み替えレイヤーとは関係ない」
声に出した。石壁に言葉が落ちた。
フォーマットのズレは読み替えレイヤーの問題だ。旧書式を新書式に変換する際のずれ。第一層。
威力値の揺れと先読みの痕跡は、変換層を通らないリクエストでも起きている。読み替えレイヤーを介さない、新型術式書からの直接のリクエストでも発生する。つまり、新型の演算装置そのものの処理に問題がある。第二層。
別の問題だ。
第一層と第二層。フォーマットのズレと、威力値の揺れ。読み替えレイヤーの問題と、演算装置そのものの問題。ウィセルで最初に感じた「二つの異常は同じ原因か、別の原因か」という問いに、ここで答えが出た。
別の原因だ。
グレンは覚書の余白に一行書き加えた。「第一層=読み替えレイヤー。第二層=演算装置。別の問題」
ランタンの炎がかすかに揺れた。石造りの天井に影が伸びる。整理が確定したという安堵はなかった。確定したことで、問題がひとつ増えたのだ。
***
翌朝、ギルドの受付にアルカからの伝書が届いていた。
ミラが「グレンさん宛てに、組合の方から」と封書を差し出した。少し不思議そうな顔をしていた。
「知り合いだ」
グレンは短く答えて封書を受け取り、地下に降りた。
コンソール室のランタンを点けて、記録台の上で封を切った。短い文面だった。アルカらしい、用件だけを圧縮した書き方。
——問い合わせを件数ベースで分析した。新型に換装された時期が早い地域ほど、件数が多い。換装時期と問題の発生率に相関がある。数字は添付できないが、傾向は明確。以上。
グレンは文面を読み返した。
換装時期が早い地域ほど件数が多い。つまり、新型装置が稼働している期間が長い地域ほど、問題が出やすい。時間とともに件数が増えている。
覚書を引き出して、余白に書き加えた。「処理パターンの蓄積。時間経過とともに増加」
ペンを止めて、考えた。
ウィセルの東の塔は、読み替えレイヤーの実証試験として他に先駆けて新型に換装されている。グレンがそれを確信に近い段階で認識したのは、もう何週も前のことだ。つまり、ウィセルの東の塔は各地の換装済み塔の中でも、最も長く新型として稼働している塔のひとつである可能性が高い。
ウィセルでの症状が他の地域よりも先に、そして鮮明に出ていた理由が繋がった。
「先行事例を、俺が持っていたのか」
声は静かだった。気づいていなかった。自分の手元にある記録が、各地で散発的に報告されている問題の最も古いサンプルだったということに。
伝書を覚書と一緒に引き出しにしまった。アルカが持ってくる情報と、自分が持っている記録。二つを突き合わせるたびに、見えなかった形が浮かんでくる。
***
午後の受付は混み合っていた。
クエスト帰りの冒険者が数人並んで、ミラが一件ずつ処理している。グレンはカウンター横の棚を整理しながら順番を待っていた。
「最近、他の街のギルドからも連絡が来るんですよ」
ミラが処理の合間に言った。独り言に近い声量だった。
「端末が変だ、って。うちだけじゃないんだなって思って」
グレンは本の背を揃えながら聞いた。「どんな内容だ」
「術式書を使ったら威力がなんか変だった、とか。一瞬おかしな動きをした気がする、とか」ミラが書類を捌きながら続ける。「でも組合に問い合わせると、毎回『術式書を最新版にしてください』しか言わないって。最新にしても変なんですけどって言ったら、今度は『端末を再起動してください』って」
ミラが少し苦笑した。「再起動で直るなら最初からそれを試してますよね、って話なんですけど」
「古典的だな、それは」
グレンの口調は軽かったが、言葉は滑るように出た。
「なんですか古典って」
「問題が分からないときに言う言葉だ、再起動は」
ミラは首をかしげた。古典という言い方の出処が分からなかったのだろう。グレンはそれ以上説明しなかった。説明できなかった。前世の記憶の片隅に残っている、あまりにも馴染み深いやり取りだった。
「じゃあ分かってないんですね、組合も」
ミラは処理を続けながら、軽い口調で言った。軽いが、的外れではなかった。グレンは何も答えなかった。
「あと、続けて使っていたら少し落ち着いてきた、みたいな話も聞きました」ミラが封筒を整えながら付け加えた。「自然に直ることもあるのかな、って」
グレンは本を棚に戻しながら、その最後の言葉を頭の中に留めた。
自然に直る。いや、正確には「直ったように見えている」だけだ。問題が消えたのではなく、たまたま条件が重ならなかっただけ。次にいつ出るかは分からない。
棚の整理を終えて、グレンはカウンターから離れた。
***
夕方、ダンの事務室の扉を叩いた。
「少し時間をもらえますか」
ダンが書類から目を上げた。老眼鏡を外して、グレンの顔を見た。「……入れ。どうした」
グレンは部屋に入り、扉を閉めた。立ったまま、整理した言葉で話した。
「読み替えレイヤーとは別の問題があります」
ダンの眉が動いた。
「新型装置そのものの動作がおかしい。威力の揺れと先読みの痕跡は、読み替えレイヤーを通らないリクエストでも起きています。ウィセルだけではなく、ほかの換装済みの塔でも似た報告が出ている」
「……似た報告、というのは」
「組合は個別処理で対応しています。術式書のバージョンが古い、操作ミスだ、と一件ずつ片付けている。全体像を見ていない」
ダンが椅子の背にもたれた。天井を一度見上げてから、グレンに視線を戻した。
「……その情報は、どこから来た」
グレンは一拍置いた。「塔の内側にいる人間から、非公式に」
ダンは聞かなかった。誰かとは聞かなかった。「座れ。立ったままだと俺の方が疲れる」
グレンは黙って面前の椅子に座った。
「で、俺にどうしろと言うんだ」
「分かりません。ただ、知っておいてほしかった」グレンは膝の上で手を組んだ。「読み替えレイヤーの問題と、もう一つの問題は別物です。前者は修正魔方陣で対処できる。後者は——装置の設計に関わる問題なので、俺には直せない」
ダンが顎に手を当てて、黙った。しばらくそのまま動かなかった。
「……前に、塔の連中と話をつける必要があるかもしれない、と言っていたな」
「はい」
「その窓口は」
「……あるかもしれません」
ダンはグレンの顔をじっと見た。グレンも視線を逸らさなかった。二人の間に数秒の沈黙が落ちた。
「急がなくていい」ダンが言った。「だが、方向は決まったな」
「そう思っています」
ダンは頷いた。それ以上は何も聞かなかった。グレンは椅子から立ち上がり、一礼して事務室を出た。
***
夜のコンソール室に一人でいた。
記録台の上には、これまでの全記録と覚書が並んでいる。昼間に整理したものに、ダンとの会話で確認した点を書き加えた。
「点が線になった」
声に出して確かめた。
読み替えレイヤー問題。フォーマットのズレ。旧型術式書と新型装置の間に挟まれた変換層のずれ。修正魔方陣で抑え込める。解決策は見えている。これが第一層。
新型装置そのものの問題。威力値の揺れ。先読みの痕跡。新型術式書でも起きる。読み替えレイヤーを通らなくても起きる。各地の換装済み塔で共通して報告されている。時間の経過とともに件数が増える。これが第二層。
二つの問題は別の根を持っている。ウィセルの東の塔で見つけた二つの異常が、各地の報告と重ね合わさって、ひとつの構図になった。
手が止まった。
「だが、第二層の方は——まだ名前もない」
仕組みが分からない。原因が分からない。演算装置の設計がどうなっているのか、応答がなぜ先行するのか、威力値がなぜ揺れるのか。外から記録を眺めているだけでは、現象の形を追えても、その内側に手が届かない。
天井を見上げた。石造りの天井に、ランタンの影が揺れている。
「俺の手に余る」
それは正直な認識だった。装置の設計に関わる問題を、外部の冒険者が修正魔方陣で直せるはずがない。
「でも、俺しか全体が見えていない」
アルカが持ってくる情報。自分が持っている記録。ミラが伝えてくる他のギルドの声。組合が個別に処理して埋もれさせている報告。それを束ねて、第一層と第二層を切り分けて、全体の構図を描いている人間は——今のところ、自分しかいない。
「……面倒ごとは、いつもこうだ」
気づいてしまったら、知らないふりができない。読み替えレイヤーの問題だけなら、修正魔方陣を当てて、ダンに報告して、それで済んだ。だが第二層が見えてしまった。別の問題がある。もっと根の深い、装置そのものの問題がある。それを知ってしまった以上、「自分の担当じゃない」と目を閉じることはできなかった。
サボれる問題と、サボれない問題がある。これは後者だ。
ランタンを消す前に、覚書の末尾に一行書き加えた。
「次:窓口を通して、塔の連中に直接当てる」
ペンを置いて、ランタンの火を落とした。暗闇の中で、記録台の輪郭がうっすらと浮かんでいた。
翌週、アルカがまた来た。今度は、少し顔色が悪かった。
【用語メモ】
・伝書 ── 主に個人対個人の、魔力網を通じてやり取りされるメッセージ。即時性がある。ギルドなどを介して届ける場合は紙に出力され封書として手渡される。専用の術式書を導入している術具の場合は直接受け取れることもある。
【作者メモ】
グレーゾーンといいながらすでに結構な勢いで権限を逸脱させてしまっている気がしますが、話が動かなかったのでご容赦ください。




