襲撃
ややえぐい表現があります。
「絶対に駄目だ」
一旦王宮に戻り、仕事を切り上げてきたヴィンセントはノエルの話を聞いて断固反対した。
ノエルが北の宮に行ってみたいと訴えたからである。
「ノエルがあの王女と会う必要性を感じない」
「そうですね。匂いが薄まらないとまともに鼻が利かないのですから、お嬢様はあの方と距離を保つべきです」
ヴィンセントとリサ、二人がかりで否定され、ノエルはぐうの音も出ない。
確かにノエルが対面してわかることはない気がしてきた。
「もう北の宮には行かないでくれ。見つかることはないと思うが、もしも、ということがある。ノエルは裏方に回ってくれた方が助かるし、君自身も自由に動けるんじゃないか?」
「確かにそうですね……」
ヴィンセントの冷静な判断に納得しかなかった。
彼女は元々隠密である。正面切って相手に宣戦布告するより暗躍する方が向いている。
想定外の事態に思ったよりも掻き乱されている自分をノエルは自覚した。
冷静さを取り戻すまで距離を置いた方がいいかもしれない。
「義姉上のことは心配しないでくれ。コンスタンス王女に抗議はしているし、ジャスティーナたちは出入り禁止にした。他国の王族を王子の許可なく私的な場所へ招き入れるなんて懲罰ものだ」
「あっ、アンジェリカ様はご無事ですか?」
「無事だ。兄上と一緒に東の宮へ戻ったよ。コンスタンス王女とも会わずに済んだ。君のおかげだな」
「いえ……。みんなの協力があってこそです」
急な作戦はうまくいったようで、ノエルは胸を撫で下ろした。
情報を入手したのはノエルだが、予測のつかないコンスタンスの行動に対応できたのはリサを始め、各所に配備されたブラックウッド家の隠密たちの功績だ。
今後のアンジェリカが守られるなら言うことはない。しかし、ひとつの不安要素を今は抱えている。
「それで、隠し通路の匂いとコンスタンス王女の匂いが違う件だが。ノエルはどう考える?」
「私はコンスタンス王女の腹心の侍女が怪しいと思っています。王女は目立ちますし、監視されていることも想定済でしょうから、自由に動けない自分に代わり、侍女に何かさせているのかと」
「それが、隠し通路の悪臭の主か。誰だか目星はついているか?」
「ガブリエラという侍女ではないかと思います。王女に相談を受けるほど信頼されているようですから」
北の宮にはいなかったし、コンスタンスは侍女を連れていなかったので、ノエルはガブリエラがどんな人物かわからないままだ。
ヴィンセントは何かを思い出すような仕草をした。
「……昼間に、王女とは顔を合わせているが、侍女は連れていなかったな」
「では、別行動をしていたのでしょう。今日隠し通路に行った時、足音を聞きました。あれがガブリエラかも……」
「隠し通路に行ったのか。一人で?」
「え? はい。トラヴィス殿下の寝室に繋がる通路のあたりは特によく来ているようなので、父へ報告を上げまし、た……」
ノエルはヴィンセントの尋常でない様子に呆気に取られた。
目が据わっている。
何か気に触ることをしただろうかとノエルは眉を下げた。
「あの、あの、ヴィンセント様……」
「君は、どうしてそう無茶をするんだ」
ぶわりと噴き出す威圧感に慄く。
助けを求めてリサに目配せをするが、彼女はにっこり笑って一礼すると、音もなく退出した。
(み、見捨てられた!)
腹心の侍女の裏切りにショックを受ける。めちゃくちゃ怒っているヴィンセントと二人っきりにするなんてあんまりだ。
しかし、ついさっきまで険しい表情をしていたヴィンセントがリサに気を取られているうちに落ち込んでいた。
「……ぼくは、頼りないか?」
「え?」
「君は強いからいつも先へ進んでしまう。相談すらできないくらいぼくは頼りないだろうか?」
「いや、ちが、違います!」
急に卑屈になってしまったヴィンセントにノエルは慌てて否定する。
「ヴィンセント様のこと、頼りないなんて思ってません! 相談しなかったのは危なくもなければ難しくもないことだったので……」
「本当に危なくなかったのか? 危険人物と鉢合わせしそうになっていたのに?」
「いや、それは……」
「ノエル。きみの能力は優秀だ。身体能力だって人間よりずっと優れている。でももしものことがあるんだ。隠密として動くなとは言わない。ただ、事前に相談してほしい」
「……はい」
ヴィンセントの真摯な訴えにノエルは頷いていた。
彼女の脳裏に浮かんだのは前世の最期だ。ノエルはかつて、よりによっても非力な令嬢に遅れをとっている。
今だって隠密としての訓練はしているものの、実践経験はほぼゼロだ。未熟なくせに状況に煽られて冷静さを欠いてしまった。
「心配かけてごめんなさい、ヴィンセント様……」
謝る彼女を抱き締めたヴィンセントは少し震えていた。
◇◇◇
翌日からのノエルは離宮で特にすることもなくのんびり過ごしていた。
ヴィンセントが心配するし、コンスタンスたちについては父が動いている。今のところ出来ることはないので、気まぐれに顔を出すアンジェリカの相手をしていた。
ちなみにヴィンセントは忙しい。
コンスタンスが相変わらずトラヴィスに付き纏っているので、彼が威嚇して兄を守っているのだ。
トラヴィスはミルメコレオとの交渉以外の仕事も抱えた、忙しい身である。
それなのにミルメコレオの外務大臣はのらりくらりと会議を長引かせ、滞在を引き伸ばしている。各所に支障が出ていた。
しかし、それももう少しの我慢だ。トラヴィスには何か考えがあるようで、近日中に問題は片付くとヴィンセントは言っていた。
約束の茶会は潰れてしまっているが、朝晩の食卓は共にするし、同棲の日々はなかなか心臓に悪い。
ノエルはヴィンセントのいいところを見つけて好きな気持ちが募る一方だ。彼女の気持ち以外は申し訳なくなるほど平穏である。
その日は、昼食をアンジェリカと共にし、午後は母がノエルの様子を見に来る予定であった。
王宮への滞在はもうすぐ一週間が経とうとしている。
思えば動転していたとは言え、母に手紙すら送っていない。
心配をかけてしまっていると申し訳なくなったノエルはクッキーを作った。例のブラックウッド家伝統のあれである。
母は他所から嫁いだ身だが、このクッキーが好物だし、ブリジットも大好きだ。
いつも家にいる姉が突然消えて、まだ幼い妹は不安に思っているかも知れない。
会えない代わりにクッキーを母に持って帰って貰おうと思ったのだ。そして、前世で約束したヴィンセントにも食べて欲しかった。
あの時苦しい想いと共に頬張ったクッキーに対して思うところはあるが、他のものも作れるようになった今でも、一番得意なのはあのクッキーだ。
ここらへんで嫌な思い出を払拭し、楽しい気持ちで作れるようになりたい。
そんな想いを込めて作ったら、焼き色も食感も理想的に焼き上がった。
ノエルはヴィンセントの分を取り分け、リサとパーシヴァルの分をそれぞれ小袋に包んだら、残りをバスケットにまとめて入れた。
いつものガゼボにバスケットを置いて待っていると、程なく母が現れた。
歳をとるのを忘れたかのような少女じみた可憐な母の姿に、まだ一週間しか離れていないのに懐かしさを覚える。
「ノエルちゃん! よかった、元気そうね」
「心配かけてごめんね、母様」
「うふふ。いいのよ。娘の心配をするのも親の特権だもの」
「母様……。ふぎゃっ!」
母との再会を喜んでいると、不意に尻尾を掴まれノエルは飛び上がるほど驚いた。尻尾はがっちり掴まれたままなので、引っ張られて痛い。
「ブ、ブリジット〜! 母様連れて来てたの!?」
「あらあら、お留守番を頼んだのだけれど。ついて来ちゃったのね。ブリジットちゃん、お姉様のドレスに入っちゃ駄目よ。出てらっしゃい?」
「いやなの」
いつかのようにキッパリ断る声がドレスから聞こえる。
母の護衛が見えてる二人以外に三人隠れていることはわかっていたのに、油断していたとはいえ、ブリジットは存在自体気づかなかった。妹の才能豊かさに慄く。
「ブリジットお嬢様、出て来て下さい! 美味しいお菓子をご用意しましたよ!」
「あとでたべるの」
「そんなこと悠長なことを言ってるとわたくしが全部食べてしまうわよ?」
「だめなの!」
「ブリジット、尻尾は後でいくらでも触らせて上げるから、今は離して!」
動けないノエルの周りで押し問答が始まる。ノエルも説得に加わるが、ブリジットに動く気配はない。
好物のクッキーで釣ろうと口を開き、何か違和感を覚えた。
風に乗って、少し獣臭い、薬のような匂いがする。ごく最近、嗅いだことがある匂いにとても似ていた。
それに続いてぱきりと枝を踏む音や草を掻き分ける音が複数した。
ノエルは戦えない母を背に庇い、周囲を警戒する。
「ノエルちゃん?」
「母様、動かないで。誰か来る」
ノエルの警告にリサや母の護衛、隠れている隠密たちも警戒を高め、辺りに緊張が走る。母とブリジットを離宮へ逃そうかとノエルが迷っている内にそれは姿を現した。
「兵士……?」
リサが不思議そうに呟く。林を抜けてきたのはまごうことなく、王宮で働いている兵士たちだ。ただ、様子がおかしい。
目は虚ろで、無表情。両手はだらんと力無く垂らし、足取りもおぼつかない。
まるで操り人形のように意志が感じられず、ぎこちない動きで歩いてくる。
そんな怪しい兵士たちがざっと二十数名ほど林を抜けて姿を現した。
彼らは真っ直ぐノエルを目指していた。
一番近くにいた兵士がすらりと剣を抜くと、他の兵士たちもそれぞれ得物を構える。
「全員、武器を構えて! 殺さず無力化しなさい!」
ノエルがそう号令をかけると、リサがスカートをからげ、白い太ももを惜しげもなく晒した。
そこに隠した大ぶりのナイフを抜き放つ。
護衛も武器を構え、隠れていた隠密たちは物陰から奇襲をかける。
ノエルもドレスの下のナイフを取り出そうとして、その前にブリジットがそこから飛び出した。
「ブリジットちゃん!!」
母の制止が聞こえていないのか、ブリジットは軽やかに跳躍すると兵士の頭に飛び蹴りを食らわせた。
他の者たちもそれぞれ兵士と対峙している。
ノエルはブリジットを回収したかったが、それより先に言わねばならないことに気づいた。
「武器を取り上げて! 刃にトリカブトが塗られてる!」
ノエルの警告に味方はサッと身を翻し、慎重に距離を取った。
トリカブトは猛毒だ。多少毒に耐性を持つ獣人でもかすり傷すら致命傷になりかねない。
明らかに意志がない兵士たちは動きは単調であるものの、意外に力は強く、素早い。
数もそこそこ多く、全員が苦戦していた。
ノエルなんて母を守るので手一杯で、武器を取り上げ無力化なんて、到底やる余裕がない。
突っ込んできた兵士の勢いの乗った一撃を何とか受け止めた瞬間、ごきり、と鈍い音がした。
ノエルはそれが直ぐに骨が折れる音だと気づいた。
彼女ではない。目の前の兵士の腕の骨が折れたのだ。
それなのに、兵士は平然とまた剣を振りかぶる。武器の重みで腕があらぬ方向に曲がっていた。
ゾッとした。彼らは痛みすら感じていない。
「ブリジットちゃん! 戻ってきて!」
「はーい」
そんな悍ましい連中の真っ只中でブリジットはぴょんぴょんと飛び石のように兵士たちの頭を踏み台にして、敵を撹乱していた。
いつもはつぶらな榛色の瞳が興奮でキラキラと金色に輝いている。
それでも母の言うことは聞いて、縦横無尽に頭を踏みつけてから母の腕の中に着地する。
おかげで隙ができ、ノエルは目の前の兵士の武器を叩き落とすことに成功した。
すかさず剣を蹴り飛ばして遠くへやる。他の面々もブリジットが作った隙を利用していた。
母はブリジットを捕獲すると脱兎の如く離宮に逃げ込む。
戦えない母が戦線離脱したことでノエルの負担は減ったが、兵士たちは目の前の相手よりノエルを優先して攻撃してくる。
殺到する剣戟を辛くも避けるが、ジリ貧だった。
武器を失い、折れてぐちゃぐちゃになった手が、ノエルに向かって伸びる。いくつもの空洞のような目が、彼女を捉えていた。
流石のノエルも死を覚悟した、その時だった。
一番ノエルから遠くにいた兵士がポーンと空高く舞い上がったのだ。
「えっ……」
思わずノエルはその軌跡を視線で追って、呆気に取られた。
ひとりだけではなく、次々と兵士たちは空へ舞い上がっていく。空の旅を楽しんだ彼らは林の方に落ち、枝に引っかかってジタバタしている。
ふわりと、大好きな匂いを感じ、ノエルの胸は高鳴った。
「ヴィンセント様!」
名前を呼ぶと同時にノエルが対峙していた最後の兵士が一際高く、遠くに飛んで行く。
代わりに目の前にいたのはヴィンセントだった。長い腕がノエルの体を抱きしめる。
「ノエル! 無事でよかった! 怪我はないか?」
「はい! ヴィンセント様が助けてくださったので、無傷です!」
兵士の攻撃はすべて避けたから傷はないが、ドレスは少しばかり切り裂かれた。
一撃で死ぬ緊張感から解放されて体の力が抜ける。ぐっと力強いヴィンセントの腕が支えてくれた。
兵士たちはすべてヴィンセントに投げ飛ばされ、木の上だ。
落ちて来た兵士をリサたちが捕まえ、縄で縛って拘束している。
危険な武器がそこらじゅうに散らばっているが、もうそれを操るものはいない。
「よく、よく気づいてくださいました……」
昼はとうに過ぎているし、今はまだヴィンセントが帰ってくる時間ではない。
彼は何かを察してここへ駆けつけてくれたのだ。
「王宮からでも場所によってはここが見える。突然複数の兵士たちが離宮を目指して移動しているのが見えたから……」
先日、離宮にコンスタンスが押しかけた事件があったから注視していたそうだ。
確かに王宮からでもこの離宮は見えるが、ヴィンセントの視力でなければ仔細はわからなかっただろう。
兵士たちはすべて木から落ちたようで、今度は縄でぐるぐる巻きにされ、地面でのたくっている。
それを監視しているのはリサと母の護衛の二人だ。隠密たちは役目を終えると再び姿を隠したようだ。
そこへ、うぞうぞ地面を這う兵士をおっかなびっくり避けながらパーシヴァルが走ってきた。
「殿下、指示通り騎士団を呼びました」
「ご苦労。あの連中を連れて行ってくれ。あとその辺に落ちている武器の回収を」
「あっ、武器に触る時は気をつけるように言ってください。トリカブトが塗られています」
「トリカブト?」
ヴィンセントの顔から血の気が引き、パーシヴァルが目を見開く。
「うわ、大事な証拠になりそうですね。わかりました。伝えときます」
パーシヴァルは身を翻すと、鎧を鳴らしながら現れた騎士たちの元に駆け寄り説明をしている。
ノエルはヴィンセントに肩を掴まれた。
「本当にどこにも怪我はないのかっ!? いや、こうしている場合じゃない! 医者を呼ぼう!」
「ヴィンセント様、大丈夫、大丈夫です。本当に怪我はありません。武器にトリカブトが塗られているってすぐ気づきましたから」
全身をまじまじと確認し、今にも飛んでいきそうなヴィンセントを止める。
「だが、トリカブトなんて……!」
ヴィンセントの眼は恐怖で揺れていた。
前世のノエルの死に様を思い出したのだろう。それは彼女も同じだった。
トリカブトを塗った凶器に、虚ろな表情の襲撃犯。懐かしくも忌まわしい手口だ。
しかし、人を洗脳して意のままに操る手法は失われて久しい。
「……まさか、ミカエラが、ぼくたちのように……」
「どうでしょう。偶然似た手口が使われただけという可能性もあります」
生まれ変わり。
言葉にせずとも同じことを考えていたようだ。前世で因縁の相手を思い出したヴィンセントの表情が歪む。
ミカエラはノエルの死亡後すぐに捕らえられ、家族と共に公開処刑されている。二人と同じく、若くして死んでいるのだ。
「そうだな……。あいつは君を殺した悪人だし、アッシュフィールド家は人体実験を繰り返す罪深い家だった。そんな者たちを神が救う訳がない」
「……それも、わかりません。神がどんな基準で救う者を選んでいるのか。私たちが知ることはできませんから」
ミカエラが生まれ変わっているかどうかは確定できない。
そもそも二人にしても生まれ変わったかについては、前世の記憶に基づく主観的なもので、証明しようがない事象だ。
ただ、夜会で襲われた前世と違ってわかったことがある。
「ヴィンセント様。調べて頂きたいことがあるのですが……」
「ミカエラのことか?」
「いえ、違います。先程の兵士たちです。何か薬物が盛られているかもしれないので、その検査をお願いします」
兵士たちから香った薬物のような匂い。それがコンスタンスたちの悪臭に紛れて香る匂いに似ているのだ。
そして、よくよく思い出せは王妃たちから香った謎の匂いにも似ていた。
ミルメコレオに関わる人々に共通する匂いが兵士からもしたというのは真実に近づく重大な切っ掛けになるはずだ。
「わかった。……ぼくは王宮に戻らなければ」
「はい。お気をつけて。……流石に二度も襲撃はないでしょうから大丈夫ですよ」
兵士たちや武器は大方片付き、騎士たちは撤収を始めている。
ヴィンセントは報告に行く必要があるが、離れたくないと表情で語っていた。
そんなヴィンセントを宥め、送り出そうとしていた時だった。
「ミアは無事!!」
「ひゃっ!」
「うわっ!」
血相を変えて走って来たのはロードリックだった。
誰かから報告を受けたのだろう。王子妃より妻に護衛を多く付ける私情塗れの父は、ノエルに迫ったあとも落ち着きなく周囲を見回している。
母はガゼボの近くに立っていた。
「ミアッ! 大丈夫!? 怪我はない?」
「あら、リック。わたくしは大丈夫よ。ちょっとびっくりしたけれど」
ギュンと音がしそうな素早さで迫ったロードリックにユーファミアはおっとりと微笑んだ。
そして、ゆったりとガゼボを指差す。
「ただ、ブリジットちゃんが……」
「ブリジット?」
ロードリックと共にノエルもガゼボを見た。
ガゼボのテーブルには用意しておいたバスケットが横倒しになりゴソゴソと動いている。
サクサクと何かを咀嚼する音がした。
名前を呼ばれたことに気づいたのか、バスケットを荒らす主が頭を上げる。
「ブリジット……。それみんなへのお土産なのに……」
「残念だわ。ノエルちゃんのクッキー、わたくしも好きなのに」
「ノエルまた作ってあげて」
頬っぺたをリスのように膨らまして、食べくずだらけにしたブリジットが顔を出す。ノエルはクッキーが無事ではないことを悟った。
ブリジットを叱るより残念がったり次を強請る両親に呆れていると、野太いゲップが聞こえた。ブリジットである。
目が合うと嬉しそうに笑い、次の瞬間、姿を消した。
「!」
「……?」
嫌な予感がしたノエルは咄嗟にドレスを押さえた。彼女の隣にいたヴィンセントが気配を察し、反射的にがしりと何かを掴む。
「んみゅうぅぅぅ! むむぅうぅぅぅ!!」
「な、なんだ!?」
「おや、ヴィンセント殿下やりますね。ブリジットを止めるとは」
「あらあら、ブリジットちゃん。またノエルちゃんのドレスに入ろうとしたのね。いけないわ」
ブリジットがヴィンセントに頭を掴まれ、手をバタバタさせて不満を訴えている。
感心するロードリックと窘めるユーファミアはどこまでもマイペースだ。
未知の生物のように荒ぶるブリジットをどうしたらいいか、ヴィンセントは戸惑っている。
ノエルは妹を捕獲し、無言で父に渡した。
「ちっぽ! ちっぽおぉぉぉ!」
「はいはい、また今度にしなさい。じゃあね、ノエル。今日のところは二人を連れて帰るよ。殿下、失礼致します」
「また来るわね。ノエルちゃん。その時はクッキー作ってね」
「いゃあぁぁぁ! ちっぽーーーー!!」
泣き叫ぶブリジットをものともせずに小脇に抱えた父と腕を組んだ母が仲良く帰っていく。
護衛と隠れた隠密たちもそれに従った。二人は無言でそれを見送った。
「……なんかごめんなさい。色々と……」
「いや、別に……。とりあえず、ぼくは王宮に戻る」
「はい、行ってらっしゃいませ」
台風よりも自由なノエルの家族に当てられて毒気を抜かれたのか、ヴィンセントはすんなりと彼を待つパーシヴァルと共に王宮に戻って行った。
代わりに戻ってきたリサと共にノエルは離宮に入った。
いつもより少し遅く帰ってきたヴィンセントにノエルはクッキーにハーブティーを添えて差し入れした。
彼はそれが何か、言われなくても気づいたようだった。
「約束、忘れずにいてくれたんだな。……ありがとう。とても、おいしい」
ひとつ食べて、万感の思いが篭った言葉と、笑顔を浮かべる。ヴィンセントはぽろりと一粒涙を零した。




