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人とご飯が食べられるようになるまで  作者: nokal
03

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第8話 「咲きそうだなぁ」


 ┈┈┈┈┈┈┈ ❁ ┈┈┈┈┈┈┈┈



 思わぬ隙間風に、僕は思わず身をすくめた。ひゅう、と季節風が家の中へと忍び込んでくる。

 鼻がむずむずするのは──春がすぐそこまで来ている証拠だろう。

 縁側から見える庭先へ視線を移す。梅の木の枝先に、連日の雨の名残が鈍い光を宿していて、地面にはいくつもの小さな水たまりができていた。湿った土の匂いが、ゆるやかに室内へ流れ込んでくる。


「咲きそうだなぁ」


 膨らみはじめた蕾を眺めながら、思わず独り言がこぼれたそのとき──

「せんぱーい。そろそろ手伝ってもらってもいいすかー」


 キッチンから、後輩くんの声が弾むように飛んできた。僕は重たい腰を上げ、ダイニングからキッチンへ向かう。……といっても、障子一枚隔てただけの距離なのだが。

 キッチンでは、後輩くんがジャガイモとニンジンを洗って待っていた。

 僕と目が合った瞬間、にこりと笑う。ほんの少しぎこちない、でもその不器用さが妙に癖になる笑い方だ。


「切ってもらっていいすか」

「ほいほい」


 僕は袖を少し捲り、まな板の前に立つ。縁側から差し込む光が野菜の水滴を照らし、どこか懐かしい午後の匂いが、静かに満ちていた。



 初めて後輩くんの家で食事をしてから、一ヶ月が経った。あれから週二のペースで家に呼ばれるようになり、気づけば彼と食卓を囲むのが当たり前になっていた。時には家に泊まらせてもらうこともある。そんな夜は決まって、建築の話や進路の相談、卒制はどうするか──

 このせせこましい業界の未来図を、ちゃぶ台の上で広げる。

 少し前にはコンペの締切があったらしく、僕も夜中まで手伝った。

 そのとき初めて知った。──こいつ、思った以上に優秀なんだな、と。大学が違えば分からないことも多いが、垣間見えたその一面は、なぜだか少し嬉しかった。


 紅音ちゃんもたまに夕食に混ざる。相変わらず多くは喋らないが、たぶん元からそういう性格なんだろう。その沈黙すら、この家では自然に馴染んでいた。

 ……驚くべきは、そんな場所で食事をとることに、もうほとんど抵抗がなくなっているという事実だ。

 食後に具合が悪くなることも、今のところ一度もない。


「んで、今日は何のメニュー?」

「あててみてください」

「めんどっ」

「そういうこと言わずに。ほら、材料ぜんぶ出てるんで」


 僕は並べられた食材に視線を走らせた。

 じゃがいも、にんじん、糸こんにゃく、玉ねぎ、肉──調味料も揃っている。

 このラインナップで思い浮かぶものは、一つしかない。


「……肉じゃが?」

「おお、正解っす。すごいじゃん」

「舐めんな。これでも肉じゃがにはうるさいぞ、僕」


 ──母の肉じゃがに限るけど。

 そういえば、他人が作る肉じゃがなんて食べたことがない。外で頼んだこともないな、とふと思った。


「じゃ、今度和食屋さん行きません? 定食屋さんでも」

「ああー……」と思わず返事を濁した僕に、後輩くんは肩をすくめる。

「僕と食べることには慣れてきたんですから、次のステップは外食ですよ。というか、それが本題なんすから」

「わかったわかった。考えておくよ」

「約束ですからね」


 その言い方が、軽いようでどこか本気で、僕は曖昧に頷いた。

 目の前の食材を切る僕と、具材を鍋へ並べる後輩くん。味付けは彼、下ごしらえは僕。この役割分担にも、だいぶ慣れてきた。


 ──それにしても、料理ってこんなに楽しいものだったか。


 誰かと一緒に台所に立つだけで、こんなにも違うなんて。自分でもたまに作ってみようかな、なんて思えるくらいには、食事への興味がほんの少し芽を出しはじめていた。

 あっという間に料理が完成し、いつもの食卓に並ぶ。

 今日のご飯は、日頃の感謝を込めて僕が買ってきたお米を炊いた。湯気から立ちのぼる柔らかい香りが、部屋いっぱいに広がる。


「いただきます」

「いただきます」

「いただきます」


 3つの声が重なった瞬間、ちゃぶ台の上の時間がふっとあたたかくなった。


 初めの頃は、会話をしながら食事をしていた。というより、後輩くんが僕を気遣って、食事中は必ず何か話題を振ってくれていた。

 最近では──無言でも平気になってきた。それどころか、無言で味を噛みしめる時間が、だんだん自然に感じられるようになってきた。

 そもそも僕は、黙って食べるほうが行儀が良いと育てられてきた人間だ。

 だから、無言の食卓は本来なら心地よい。けれど、無言が体調不良のきっかけになるのなら、喋りながら時間を過ごしてみよう──そう後輩くんが提案してくれたのだった。

 その僕が、いま無言でも耐えられるようになってきたというのは、やっぱり大きな一歩なんだと思う。


 そして、僕が美味しそうに食事をするたびに、後輩くんや紅音ちゃんの視線が、ほんのわずかに持ち上がるのを──僕は見ないふりをしている。

 ()()()()()()何も言わない彼らの優しさをそのままにしておきたいから。

ご感想等お待ちしております☺︎

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