第5話 「何作んの?」
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「でっか……」
思わず声が漏れた。なんだ、この家は。
駅から歩いてくる途中、住宅が徐々にまばらになっていった時点で薄々感じてはいた。けれど目の前に立った瞬間、想像を悠々と越えてきた。
後輩くんから送られてきた住所──その場所には、堂々たる日本家屋が構えていた。
石垣が重厚に積まれ、その奥には視界が開けるほど贅沢な広い敷地。平屋建ての瓦屋根が、冬の光を鈍く受け止めながら静かに佇んでいる。
玄関へ続くアプローチの先、脇には車用のスペースとは別に、小さな建物が付随しているのも見えた。
僕の背後には、左右に畑が広がっている。駅周辺も決して賑やかではないが、ここへ向かう道中はさらに人影が薄れ、今ではぽつんと立つ家の孤高ぶりが引き立っている。隣家との距離も、数メートルどころか一息分以上空いて見える。
正直、日用品や食材の買い出しは徒歩だと時間の無駄だろう。駐車場に停められたトラック付きの軽か、あるいは自転車で向かうのが最善だ。
……いや、そのトラック、普通に羨ましいんだが。模型運びには最適じゃないか。
──もとい。
とにかく僕は、ここまで来たはいいが、その古き良き立派な家に圧倒されていた。
ちょうどそのとき。ガララララ──と玄関の戸が開いた。頭が当たらないようにくぐって、後輩くんが姿を現した。瓦屋根の影を受けて、どこか懐かしい風景の一部みたいに、そのシルエットがすっと僕の視界に馴染んだ。
「先輩。無事来れましたね」
「なんだよその言い方」
ようやく身体が現実に追いつき、僕は手に持っていたビニール袋を後輩くんに渡した。飲み物とお菓子を少し。ほんの気持ち程度だが、これから昼ごはんをご馳走になるなら──と思って。
「何言ってんすか。一緒に作るんすよ」
「は?」
呆気に取られたが、すぐに思考を修正する。
……たしかに。勝手にご馳走になるつもりでいたが、彼は一言も作るとは言っていない。
靴を脱ぎ、家の静けさに包まれながらキッチンへとついていく。その途中、ふと玄関に置かれていた女性ものの履き物を思い出した。
「そういや、一人暮らしって言ってたよな?」
後輩くんは僕が持ってきた飲み物を淡々と冷蔵庫に入れながら答える。
「はい。あ、でもこの家、じいちゃんと住んでたんです。今は施設に入っちゃって、僕しか住んでないんですけど」
「親は?」
……ほかに誰かいる気配、あるような、ないような。
「あ、父は単身赴任で――」
「なに? 友達?」
──その瞬間、後輩くんの言葉に重なるように、澄んだ女性の声が空気を割いた。
僕は思わず肩をびくりと跳ねさせた。まるで静寂の水面に石を落とされたような、ひやりとした音の広がりだった。完全に油断していたせいで、胸の奥にきゅっと緊張が走る。
「そう。僕のバ先の先輩」
「へー」
心底興味なさそうな、平坦な一言。僕は思わず振り返り、声の主を確認した。
──いや、ちょっと待て。なんつー格好してんだ、その子。
心の中で突っ込まざるを得なかった。
女性というにはあまりにあどけなく、少女と呼ぶにはどこか大人びている。そんな曖昧で不思議な空気を纏った人物がそこにいた。季節感を完全に無視したショート丈の短パンから、すらりと伸びる白い脚。頭には灰色のパーカーのフードを目深にかぶり、眠たそうに大きな欠伸をする。静かな日本家屋の中、彼女だけが妙に生活感をまとって立っている。
髪はフードに隠れているが、ちらりと見えた毛先の感じから、おそらくミディアムくらいだろう。
そして、後輩くんと同じく整った顔立ち──
目がキュルキュルしているわけではないのに、パーツがシャープで印象的だ。
彼女は僕の横を何事もなかったかのようにすり抜け、まっすぐ後輩くんの方へ向かっていった。
「何作んの?」
ゼロ距離。肩が触れ合いそうなほどの近さで覗き込んでいる。
……兄妹?
いや、でも一人暮らしって言ってたし。でも一人暮らしと言っても、兄妹がいないとは限らないか?
従姉妹とか? 親戚? 友人? それとも──
僕は頭の中でいろんな可能性をぐるぐる巡らせた。
「ミルフィーユ。煮込むだけだし、先輩もこれなら一緒に作って食べられるかなって」
「あたしの分は?」
「食べたいなら作るけど」
「んー……そう」
……いや、どういう返事?
“そう”って何? 肯定? 保留? ただの相槌?
判断しづらすぎる返しを前に、僕は再び心の中で会話を始めてしまう。
と、そのとき。ようやく取り残されている僕に気づいたらしい後輩くんが、こちらへ向き直った。
「あ、こいつ。僕の従姉妹で、たまに泊まりに来る紅音です。僕と同い年なんで、二十一っす」
「こんにちは」
紅音ちゃんも軽く頭を下げる。その仕草がフードの影でふわりと柔らかく揺れた。
従姉妹か……なるほど。
言われてみれば、顔立ちはどことなく共通している。そして、この家に妙に馴染んでいる理由も、ようやく腑に落ちた。
「僕は──」
自己紹介をしようとした、その瞬間。紅音ちゃんが、また会話を上書きしてきた。
「先輩さんですよね。こいつから話聞いてるんで」
「聞いてるんで……?」
何をだ。
僕はつい眉をひそめて後輩くんに視線を送る。
「ああ。ちょっと先輩のこと話したことがあって」
「ん? なにを?」
僕のことで話す話題なんかあったのか?
そんな疑問を胸の奥に抱えたまま、後輩くんの手元を眺める。
彼は慣れた手つきで棚から鍋を取り出し、冷蔵庫から食材を並べ始めた。
白菜、豚肉、えのき、大根、豆腐──冬の台所らしい、白と淡い色の食材たちが静かに並ぶ。
「いや、なんであの日、一緒に食べに行くの拒否ったのかなぁって不思議だったんで」
あの日──
その一言で、彼らがハンバーグを食べて帰ってきた日の光景がふっと蘇る。咄嗟に詰められ、なんとか取り繕うために適当な理由を並べたあの日。だからこそ、答えに矛盾点が多かったのだろう。あのとき見た髭野郎の納得していない顔は、今でも胸に引っかかっている。
「単純に僕たちが嫌われてるのか、それとももっと深い理由があったのか」
「僕、嘘は言ってないよ」
「わかってますって」
その言葉に一瞬ムッとした。疑われたような気がしたからだ。
けれど後輩くんは、まるで僕の感情すべてを理解しているかのように、眉尻をほんの少し下げて続ける。
「うどん屋で話、聞きましたから」
その瞬間、自然と視線が手元へ落ちた。
キッチン特有の、食材と洗剤と家の匂いが混ざったような香りが、僕の鼻の奥をふっとくすぐった。その匂いと一緒に、あの日話した言葉まで蘇ってくる。彼の理解が嬉しいような、恥ずかしいような──複雑な気持ちだけが胸にゆるく沈んだ。
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