第2話 僕は、ここでいい。
なんやかんや、それらしい理由を並べてコンビニ前で彼らとわかれた。
髭野郎と、余計な追い打ちをかけてくる後輩、それから今日初めて顔を合わせたもう一人の後輩くん──三人はきっと別の店へ昼食を求めて歩いていくのだろう。
僕は、ここでいい。
指先でそっと包みを裂くと、コンビニのおにぎりが“バリッ”と心地よい音を立てた。その音は、まるで誰にも邪魔されない時間の始まりを告げる合図のようで、僕はひと口、またひと口と吸い込むように食べ進める。
常に持ち歩いている五〇〇ミリリットルの水筒を一口飲めば、最低限の食費は浮く。僕にとって食事とは、生きるための肯定。空腹を満たすだけの、きわめて実務的な行為だ。
衣食住と言うだろう?
僕の中では、その優先順位は 住 > 衣 > 食。食べることへの無頓着さは、自分でも笑ってしまうほどだ。
──しかし、そんな僕にもひとつだけ厄介な点がある。
そう。腹は、減るのだ。
当たり前だが、それがどうにも面倒くさい。
空腹になるたびに食事という大イベントを発生させるのは気乗りしない。だから僕は菓子を食べる。あれは素晴らしい。軽くて、美味しくて、余計な気遣いもいらない。考えた人は本当に天才だ。
その生活を続けているのに、僕の体型はいたって平均的だ。痩せてもいなければ、太ってもいない。
ただ、コンビニご飯の乱用については、この年齢になっても親からよく言われる。保存料がどうとか、リン酸がどうとか。
わかっている。言い分はもっともだ。
だけど、この建築事務所で昼飯の時間を迎える限り、僕には逃げ場がない。もし家から手作り弁当なんか持っていった日には、事務所でどんな目を向けられるか分かったものじゃない。きっと「え、そういうタイプだったの?」と、妙な距離感を置かれるだろう。それだけは避けたい。せっかく馴染んでいるというのに。せっかく、周りとうまく馴染めるのが取り柄なのに──
食事の時間を除いて。
しばらくして、外食軍団が帰ってきた。
僕はすでに作業に戻っていたので、彼らは特に会話もなく、それぞれの椅子へ滑り込むように腰を下ろす。一階で作業しているのが二人、二階で作業するのが僕含め二人だ。
──その瞬間だった。ふわりと、空気の層が揺らぎ、室内に濃い香りが漂い始める。
これは……肉の匂いか?
指先が一瞬止まる。
気になって、そっと視線を持ち上げると、ふたつ年下の後輩とちょうど目が合った。
彼は気まずそうに眉尻を下げ、申し訳なさそうに口を開く。
「……匂いますよね?」
「……まあ。何、食べてきたの?」
「ハンバーグです」
ハンバーグかぁ──。
その一言で、胸の奥がほっと緩む。
無理に外食に付き合わなくてよかった、と小さく安堵した。
「でも、あまり気にならないし。気にしなくていいよ」
それっぽく取り繕うと、後輩は「すいません」と一度だけ深く頭を下げ、自分の机へ戻っていった。
漂う匂いはまだ微かに残っている。けれど、その言葉の誠実さが混ざったような空気に、ほんの少しだけ息がしやすくなったような気がした。
作業に戻ってからも、僕は時折チラリと彼の顔を盗み見た。
今日が初対面だ。年は二つ下の学部生。まだどこか幼さが残っていて、それが妙に可愛らしい。
彼の手元では、繊細さを求められる模型作りが進んでいる。白いボード片をカッターで滑らかに切り取る指先は驚くほど綺麗で、動きを追っているだけで時間が少し柔らかくなるようだった。
けれど、そんな惚れ惚れとした気持ちを悟られないように、僕はまた自分の作業へ視線を戻す。
──それの繰り返しだ。
こういう作業をしていると、人は大きく二つのタイプに分かれる。
一つは、永遠に雑談しながら手を動かすタイプ。
僕たちアルバイトは指示を雇用主から受けて単純作業をこなすことが多いので、ある程度慣れればお喋りをしながらでも問題なく進む。集中力と会話力の同時運転で、時間を楽しむタイプだ。
もう一つは、ひたすら寡黙に作業を続けるタイプ。
どちらも事務所内には五分五分で存在している……はずだ。
僕はどちらかと言えば前者だった。しかし、どうやら彼は後者のようだ。黙々と、音もなく、ただ模型と向き合っている。
本当は、初対面同士だし、どうせこれから同じチームとしてアルバイトを続けていくなら早めに仲良くなっておきたいと思っていた。やはり一番距離が縮まるのは食事の席なんだろうか──そんなことまで考えてしまう。
「なあ」
思い切って、僕の方から声をかけた。
「はい?」
彼が顔を上げる。その動作がまた丁寧で、少し胸の奥がくすぐったくなる。
「あまり話さないタイプなん? こういうとき。黙ってやるタイプ?」
「ああ――……そうっすね。基本、音楽聴いて静かにやってます」
「寡黙なんだね」
「うっす」
……。
終了。
会話なし。
沈黙。
まじか。
けれどまあ、いいか。
彼の静けさは悪意ではなく、ただの自然体なのだろう。
僕はそっともう一度彼の横顔を見てから、再び自分の作業へ集中することにした。
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