第1話 「興味深いね」
「興味深いね」
──長年胸にしまい込んでいた悩みをようやく言葉にした、その直後のことだった。
彼が放った第一声は、それだけだった。
友人と呼ぶには少し距離があったかもしれない。かといって、ただの顔見知り以上の、どこか柔らかな繋がりも確かにあった。曖昧な関係の中間地点。そんな位置づけだったと思う。
……ああ、そうそう。気になるだろう? 私の性別について。
気にならないふりをするのが、むしろ不自然ってものだ。社会で上手くやっていくには、とりあえず興味を持ったふりでもしておくのが一番なんだろう。
だから先に言ってしまうけれど──決まっていないんだ、現時点では。
前作では主人公が女性だったらしいから、今回は男性でもいいか、なんて作者は軽く考えているらしい。というわけで、ここからは「私」ではなく「僕」と名乗ることにする。
なぜ「俺」ではなく、「僕」かって?……いや、そこを深掘りしないでほしい。
身の回りに「俺」と名乗るタイプの友人がいなくてね。「僕」の方がどうにも馴染みがいいんだ。
それに、どうやら作者には、僕に名前を名乗らせる気もあまりないらしい。前作と同じだ。最後まで引っ張っておいて、大した名前でもなく読者をずっこけさせる──そんなオチがどうにも好きらしい。
だから今回も、僕がどんな名前なんだろうと勝手に想像して楽しんでもらえれば、それでいいのだと思う。
ああ、ただひとつ。
僕は「霊」でも「悪鬼」でもない。ただの僕さ。
どうかそこだけは誤解しないでほしい。
──さて、そろそろ話を戻そう。
独り語りが過ぎるのも、考えものだからね。
「興味深いね」
興味深い?
その言葉の温度を測りかねて、僕は小さく首を傾げた。
「どのへんが?」
問い返すと、友人はまるで罪悪感という概念を知らないかのように、むしろ愉快そうに目を細めた。
同い年だというのに、どこか年季の入ったような髭を撫でながら、彼は言う。
「いやだって、ご飯って普通に美味しいじゃん? なのに“食に興味がない”って、不思議で仕方ないんだよ。あれ? もしかしてさ、人が作ったものは食べられない系?」
「え、あ、うーん……まぁ、それに近いのかな」
曖昧な返事しか出てこなかった。
だって、ただ昼ごはんの誘いを断っただけで、ここまで掘り下げられるとは思っていなかったのだ。そんな状況で完璧な言い訳なんて、用意してあるはずがない。
まさか「人と食事をするのが苦手なんだ」なんて本当のことを言えば、彼らはきっと面白がって、さらに追い詰めてくるだろう。ここは適当な理由で煙に巻くしかない……。
「あ、でもこの間──」
不意に、僕の後ろを歩いていた後輩が口を開きかけた。
やめろ。やめてくれ。今は喋るな。
「お弁当屋さんのご飯、“美味しいです〜!”って笑顔で言ってましたよね」
「やってるな、お前」
「ち、違うって!」
あっさり化けの皮がはがされた。
逃げ道が塞がれていくのを感じながら、僕は心の底で頭を抱える。
……面倒くさいことになった。
ふと、先週の昼ごはんの光景が蘇る。
あの温かい湯気。ふわりと香った揚げ物の匂い。
たしかに、あれは美味しかった。けれど、それを他人の前で言えるかどうかは、また別の話なのだ。
僕がアルバイトをしている建築事務所では、昼ごはんが支給式だ。
東京に構える事務所だから、外でまともに食べようと思えば千円札なんて瞬時に溶ける。食費が浮くのはアルバイトとしては嬉しい──それが通常の感覚なのだろう。
けれど僕にとっては、ただの地獄の時間だ。
昼食くらい、一人で食べさせてもらえないものか。誰かが選んだメニューに左右され、誰かの視線の中で箸を動かすあの空間は、どうにも居心地が悪い。
そもそも僕は“人と食べる”という行為自体が得意ではない。
「──あそこのお弁当屋さんは…」
髭の友人の言葉に、脳裏へ先週の昼食の光景が蘇る。
事務所のすぐ近くにある、手料理を売りにした小さな弁当屋だった。はじめて食べた日の僕は、目の前の白米と睨み合い、喉が動くたびに妙な緊張が走った。
けれど二度目でようやく慣れ、三度目の今では、もはや「普通に食べられる」領域に到達している。
──だが、その過程を説明するのも億劫だ。
僕はコートのポケットに手を突っ込み、吐く息の白さを見つめながら口を開いた。
「あそこは美味しいんだよ。……人のぬくもりがするご飯で」
嘘は言っていない。
実際、慣れてしまえば温かい味だったし、誰が作っているのか分からない大量生産の弁当より、ずっとマシに思えた。
「へえ〜。いやぁ、面白いな」
また髭野郎が一人で満足げに頷いた。
横目でちらりと見ると、その顔はどう見ても納得の表情ではない。何かしらの答えを導き出すまで離してくれない気配すらある。
──建築家にはこういうのが多い。
曖昧に話すと、結論が見えるまで執拗に掘ってくる。
僕も建築を志しているから、その気質は嫌いじゃないけれど……自分自身のことを語るとなると、話はまったく別だ。
心の内側に踏み込まれると、どうにも逃げ場がない。
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