第5話:砲術の天才・高島秋帆
**第5話:砲術の天才・高島秋帆**
「——構えッ! 放てぇいッ!」
ドォォォン……ッ!
腹に響く重低音とともに、激しい煙が立ち込めた。
江戸郊外の稽古場。幕府の重臣や、名のある流派の砲術家が居並ぶ前で、伝統の「和流砲術」の演習が行われていた。
豪華な甲冑に身を包んだ砲術家が、扇子をパッと広げて胸を張る。
「いかがだ! この勇壮なる大砲の響き! 敵を威嚇し、徳川の威光を知らしめるに十分であろう!」
「おお、見事」「これぞ武士の嗜み」と、役人たちが拍手を送る。
その列の後方で、冷ややかな視線を送る二人の男がいた。
一人は、韮山代官・江川英竜。
もう一人は、長崎から江戸へ呼び出された、西洋砲術の第一人者——高島秋帆である。
*
「……秋帆殿。今の着弾、見えたか?」
英竜が小声で呟くと、眼光鋭い秋帆は、呆れたように首を振った。
「見えたも何も、的に掠りもしておりませぬ。そもそも、狙いを定めてすらいない。火薬を詰めて、音と煙を出しただけ……あれは兵器ではなく、ただの巨大な花火ですな」
「クックック……やはりそう思うか」
英竜は、思わず吹き出しそうになるのをこらえた。
「武士のメンツと見栄のための儀式だ。あんなもので異国の蒸気船と戦えると思っているのだから、眩暈がしてくるよ」
二人は顔を見合わせ、苦笑いを漏らした。
意気投合するのに、時間はかからなかった。
*
演習の後、稽古場の外れの茶屋。
英竜と秋帆は、図面と洋書を縁台いっぱいに広げ、熱く語り合っていた。
「江川殿。私は長崎で、オランダ人から砲術を学びました」
秋帆が、湯呑みを置いて語り出す。
「長崎は、この国で唯一、異国の船が入る港。そこで見たのです。向こうの大砲は、決して勘では撃たない。重さ、角度、火薬の量、風の向き。それらを前もって計算し、放物線を描いて、敵に落とす」
「弾道学、か」
「ええ。勘と経験に頼る時代は、終わりました。砲術とは『物理と科学』なのです!」
秋帆は羽織の袖をまくり上げ、懐から取り出した図面を、勢いよく広げた。
ゲベール銃や、モルチール砲(臼砲)の、精密な設計図である。
「素晴らしい……! まさに、私が求めていたものだ!」
英竜は目を輝かせ、図面に見入った。
「秋帆殿、この図、写させてもらっても構わんか」
「もちろん。ただし、お代は頂きますぞ」
「む。何をお望みだ」
「私にも、貴殿の書斎を、拝見させていただきたい。噂では、伊豆の代官は、洋書を山ほど抱えているとか」
二人は、声を揃えて笑った。
「今の日本の大砲は、青銅製で重く、射程も短い。おまけに、着弾の計算すらしていない」
英竜は、笑いを収め、真顔になった。
「秋帆殿。この科学的砲術を、幕府の重臣どもに見せつけてやろうではないか。目を覚まさせねば、この国は終わる!」
「もちろんです、江川殿。ですが」
秋帆は、少し声を落とした。
「伝統を重んじる砲術家たちが、黙ってはいないでしょうな」
「フッ。ぐうの音も出ないほど、データで叩きのめせばいいだけの話だ」
英竜は、不敵な笑みを浮かべた。
*
数日後。伊豆韮山の代官所。
「江川代官! 西洋の怪しげな筒を持ち込み、我が伝統ある雷鳴流を愚弄するとは何事か!」
広間に響く怒声に、守応が、ひっと首をすくめた。
乗り込んできたのは、和流砲術の名門・雷鳴流の師範である。後ろには、門下生たちが、ずらりと控えていた。
稽古場で、秋帆と英竜が笑っていたという噂は、すでに江戸中に広まっていたらしい。
「愚弄などしていませんよ、師範」
英竜は、あくびを噛み殺しながら、さらりと言ってのけた。
「ただ、どちらの砲術が『実際に的に当たるか』、勝負してみましょうと申し上げているだけです」
「な、なにぃ……!?」
「おや。伝統ある名門が、まさか勝負を避けられる?」
英竜が小首をかしげると、師範の顔が、みるみる赤黒く染まった。
「礼節も知らぬ青二才が! よかろう、我が流派の秘伝の精度、見せてくれるわ!」
「結構。では、日取りは三日後。場所は、この代官所の演習場で」
「ぬかりおって……後悔するなよ!」
師範は、どすどすと足音を立てて、広間を出ていった。
その背中を見送り、守応が、青ざめた顔で振り向く。
「だ、代官様……! 相手は、幕府にも顔の利く名門ですぞ!? 万が一、負けでもしたら……」
「負けるはずがない」
英竜は、涼しい顔だった。
「数字は、嘘をつかんからな。……それより守応、秋帆殿に急ぎの使いを出せ。三日後、一緒に的を撃ってもらうぞ」
「は、はいっ!」
英竜の口元が、ゆっくりと、笑みの形に歪んだ。
「さて。雷鳴流とやら。どんな言い訳を並べてくれるか、楽しみだ」
科学と伝統の、直接対決。
その幕が、いま、切って落とされようとしていた。
(第6話「的当て勝負」へ続く)




