第2話 会議とは、長く話すものではありません
長老会議。
それは、村の知恵を集める神聖な場――ではなかった。
少なくとも俺の目には、議題も期限も担当者もない、ただの高齢者座談会に見えた。
「長老会議を中止してください」
俺がそう言った瞬間、村長の家の空気が凍った。
ガルド村長は目を丸くし、リーネは口を半開きにしたまま固まっている。
やがて、リーネが低い声で言った。
「……あなた、正気?」
「はい」
「長老会議を中止しろって言ったのよ?」
「言いました」
「この村で、長老会議がどれだけ大切なものかわかって言ってる?」
「わかりません」
「なら、どうしてそんなことを言えるの」
「たぶん、大切すぎるからです」
リーネが眉をひそめた。
ガルド村長も、困ったように白い髭を撫でている。
「マカベ様。長老会議は、この村の知恵を集める大切な場なのです」
「はい」
「何か困りごとがあれば、皆で集まり、夜が明けるまで語り合います」
「夜が明けるまで」
「はい」
「毎晩?」
「はい」
俺は額を押さえた。
やっぱりだ。
前世でもあった。
“みんなで話し合うこと”そのものが尊いとされ、肝心の結論が出ない会議。
参加者は疲れる。
声の大きい人が勝つ。
同じ話が何度も蒸し返される。
最終的に「引き続き検討」となる。
そして次回、また同じ話をする。
それは会議ではない。
儀式だ。
「村長」
「はい」
「昨日の長老会議では、何が決まりましたか」
「昨日は、水路の修繕について話しました」
「決定事項は?」
「皆、水路は大事だということで一致しました」
「修繕する場所は?」
「それは、次回改めて」
「誰がやるかは?」
「それも、次回改めて」
「いつまでにやるかは?」
「それも……次回改めて」
俺は深く息を吸った。
怒ってはいけない。
ここは異世界だ。
文化が違う。
悪気があるわけではない。
ただ、村が滅ぶまであと八十九日しかないだけだ。
「リーネ」
「何?」
「長老会議には何人出ますか」
「長老が七人。村長。私。あとは、その日に関係ありそうな者が何人か」
「平均すると?」
「十五人くらい」
「時間は?」
「日が沈んでから、深夜まで」
「仮に五時間として、十五人」
俺は指で机を叩きながら計算した。
「一回の会議で、七十五人時間が消えています」
「なにそれ」
「十五人が五時間拘束されるという意味です」
リーネは少し考え、それから顔をしかめた。
「……言われると、すごく無駄に聞こえるわね」
「無駄とは言っていません」
俺は言った。
「ですが、今のルクス村にそれだけの余裕はありません」
机の上には、王国から届いた羊皮紙が置かれている。
『ルクス村廃村予定通知』
その文字を見た途端、ガルド村長の表情が沈んだ。
「今夜の会議は、やり方を変えます」
「どう変えるのですか?」
「まず、今日決めることは三つだけです」
「三つ?」
「はい」
俺はきっぱり言った。
「それ以上は決まりません」
ガルド村長は、まるで俺が禁術でも唱えたかのような顔をした。
「会議とは、多くを語る場ではないのですか?」
「違います」
俺は言った。
「会議とは、決めるためにやるものです」
その夜。
結局、長老たちは予定どおり集まってきた。
村長の家の広間に、七人の老人がずらりと並んで座っている。
全員、いかにも頑固そうだった。
白髭。
白眉。
深い皺。
腕組み。
杖。
村を守ってきたという自負が、全身からにじみ出ている。
「この若造が、会議を短くすると言ったそうだな」
一番奥の老人が言った。
声だけで石臼を割れそうな迫力だった。
「はい」
俺は正面に座り、頭を下げた。
「真壁宗太郎です。本日から、ルクス村再生計画の作成をお手伝いします」
「再生計画?」
「この村は死んでおらぬ」
別の長老が杖を鳴らした。
「わしらが若い頃は、この村にも百人の若者がおった」
「そうじゃ。昔はよかった」
「祭りの日など、広場が人で埋まったものじゃ」
「麦もよく取れた」
「森にも獣が多かった」
始まった。
俺は直感した。
これは、前世でいうところの“思い出共有型会議”である。
話している本人たちは気持ちいい。
聞いている方も、最初はうなずく。
だが結論は出ない。
そして一時間後には、誰かが「昔の祭りはよかった」と言い出す。
今、もう出た。
早い。
「本日の議題です」
俺は机の上に、羊皮紙を一枚置いた。
そこには、大きく三つの項目を書いてある。
一、村の人口を数える
二、壊れた水路の場所を確認する
三、売れる産品を調べる
「本日は、この三つだけ決めます」
「少なすぎる!」
長老の一人が叫んだ。
「村の未来を語るには、もっと大きな話が必要じゃ!」
「大きな話は、明日以降にします」
「明日もやるのか?」
「やります。ただし一時間です」
広間がざわついた。
「一時間!?」
「短すぎる!」
「茶も冷めん!」
茶が冷める前に終わるなら上等だ。
俺は心の中でそう思ったが、口には出さなかった。
「皆さんにお聞きします」
俺はできるだけ穏やかな声で言った。
「この村を残したいですか」
長老たちの表情が変わった。
ふざけた空気が、少しだけ引く。
「当たり前じゃ」
「先祖代々の村じゃ」
「わしらが守ってきた村じゃぞ」
「では、三か月後に王国の監査官が来ることはご存じですね」
沈黙。
知っているのだ。
全員、知っている。
ただ、口に出さなかっただけで。
「監査官は、思い出話を聞きに来るわけではありません」
俺は続けた。
「見るのは数字です」
人口。
収支。
産業。
修繕状況。
今後の見通し。
長老たちの顔が険しくなる。
「数字だけで村の価値がわかるものか」
「わかりません」
俺は即答した。
その答えは意外だったらしい。
長老たちは黙った。
「数字だけでは、この村の価値はわかりません」
俺は言った。
「ですが、数字がなければ、王国を説得できません」
リーネがこちらを見た。
俺は机に手を置いた。
「村を残したいなら、語るだけでは足りません」
「何をすればいい」
「示すんです」
「何をじゃ」
「この村が、まだ生きていることを」
広間は静まり返った。
俺はその沈黙を逃さず、羊皮紙をもう一枚取り出した。
「では、最初の議題です」
全員の視線が集まる。
「村の人口を数えます」
「人口など、だいたいわかっておる」
「だいたいでは駄目です」
「百五十くらいじゃ」
「今朝、村長は百四十七と言いました」
「三人くらい誤差じゃろう」
「その三人が子どもなら、村の未来が変わります」
長老が口を閉じた。
俺は続ける。
「年齢ごとに数えます」
十歳未満。
十代。
二十代。
三十代。
四十代。
五十代。
六十代以上。
「あと、村を出ている若者の人数も必要です」
「出ていった者まで数えるのか?」
「戻る可能性があるなら、数えます」
リーネが小さく息を呑んだ。
「戻る可能性……」
「ゼロかどうかは、聞いてみないとわかりません」
俺は羊皮紙に線を引き、簡単な表を作った。
すると、長老の一人が身を乗り出した。
「それは何をしておる?」
「表です」
「ひょう?」
「情報を整理する道具です」
「魔法陣ではないのか?」
「違います」
「しかし、線の中に文字が入っておる」
「それが表です」
長老たちは真剣な顔で表を覗き込んだ。
異世界で初めて表計算を布教している気分だった。
俺は長老たちに担当を割り振った。
北側の家を回る者。
南側の家を回る者。
畑周辺を確認する者。
森側の空き家を調べる者。
「明日の夕方までに、各地区の人数を確認してください」
「明日の夕方!?」
「早すぎる!」
「三か月後に村が消えるよりは遅くありません」
誰も反論しなかった。
続いて、二つ目の議題。
水路。
「どこが壊れているか、地図に印をつけます」
「地図などないぞ」
「では作ります」
「作る?」
「村の簡単な見取り図で構いません」
リーネが手を上げた。
「私、だいたい描けるわ」
「助かります」
彼女はすぐに羊皮紙を広げ、村の形を描き始めた。
思ったより上手い。
家の位置。
畑。
水路。
森への道。
井戸。
倉庫。
かなり正確だ。
「すごいですね」
「子どもの頃から、この村を歩き回ってたから」
少しだけ誇らしげに、リーネが言った。
俺はその地図を見て、壊れた水路の場所を長老たちに確認していく。
「ここは去年の大雨で崩れた」
「こっちは三年前から水が漏れておる」
「ここの板は、もう腐っているな」
「なぜ直していないんですか」
俺が訊くと、長老たちは気まずそうに目を逸らした。
「どこから直すかで揉めてな」
「うちの畑が先じゃ」
「いや、森側が先じゃ」
「だから決まらなかった」
なるほど。
これも前世で見たことがある。
限られた予算で、どこの道路を直すか。
どこの施設を優先するか。
全員が自分の地域を先にしてほしい。
だから決まらない。
「では、優先順位をつけます」
「どうやって」
「影響する畑の面積、修繕に必要な人数、放置した場合の被害で決めます」
「声の大きさではなく?」
「声の大きさではなく」
長老たちが互いに顔を見合わせた。
どうやら、この村では声の大きさがかなり重要な判断基準だったらしい。
最後に、三つ目の議題。
産品。
「麦、蜂蜜、薬草。この三つについて、量、品質、売値を調べます」
「売値なら帳簿にあるぞ」
「帳簿には、バゼル商会への売値しかありません」
「それで十分ではないのか?」
「十分ではありません」
俺はきっぱり言った。
「他の地域でいくらで売られているか。王都ではいくらか。加工すれば価値が上がるか。保存はできるか。贈答用にできるか。それを調べます」
「ぞうとう?」
「偉い人や金持ちが、人に贈るために買う高い商品です」
「そんなもの、うちの村にあるのか」
「あるかどうかではなく、作れるかどうかです」
リーネがこちらを見た。
その目に、少しだけ光が宿っていた。
会議が終わったのは、始まってから一時間と少し後だった。
長老たちは、まだどこか納得しきっていない顔をしていた。
それでも、それぞれ担当を書いた羊皮紙を持って帰っていった。
帰り際、一番頑固そうな長老が振り返る。
「マカベとやら」
「はい」
「今日の会議は、ずいぶん短かった」
「すみません」
「いや」
長老は顎髭を撫でた。
「疲れんで済んだ」
そう言って、ゆっくり出ていった。
俺は椅子に座り込んだ。
たった一時間の会議なのに、前世の三時間分くらい疲れた。
ガルド村長は、机の上の羊皮紙を見つめている。
「決まった……」
ぽつりと呟いた。
「会議で、物事が決まった……」
どれだけ決まっていなかったんだ、この村は。
リーネは地図を丸めながら、俺に近づいてきた。
「ねえ」
「はい」
「あなた、本当に何者なの?」
「元市役所職員です」
「それ、そんなにすごい仕事なの?」
俺は少し考えた。
すごい仕事か、と聞かれると困る。
派手ではない。
褒められることも少ない。
何かをして当然。
少しでも間違えれば怒られる。
でも、誰かがやらないと、地域は少しずつ回らなくなる。
「すごいかどうかはわかりません」
俺は答えた。
「ただ、面倒なことには慣れています」
リーネはしばらく俺を見ていた。
そして、小さく笑った。
「変な人」
「よく言われます」
そのとき、俺の視界に再び半透明の文字が浮かんだ。
【ルクス村再生計画】
【進捗率:1%】
低い。
だが、ゼロではない。
さらに、その下に新しい表示が現れた。
【村人の意識:停滞 → 微動】
微動。
たぶん、ほんの少しだけ動いたということだろう。
俺は窓の外を見た。
夜のルクス村は静かだった。
家々の灯りは少なく、風が古い木戸を揺らしている。
この村が三か月後に消えるかもしれない。
その現実は、まだ何も変わっていない。
けれど今日、初めて何かが決まった。
人口を数える。
水路を調べる。
産品の価値を見直す。
それだけだ。
それだけだが、地域再生なんてものは、たいていそこから始まる。
大きな夢ではなく、目の前の事実を数えるところから。
俺は羊皮紙の余白に、明日の予定を書き込んだ。
一、人口調査の結果確認
二、水路現地調査
三、バゼル商会の契約内容確認
四、会議は一時間以内
異世界に来て二日目。
俺はまだ剣を抜いていない。
魔法も使っていない。
魔物とも戦っていない。
だが、長老会議を一時間で終わらせた。
前世の俺なら、これをこう呼ぶ。
大勝利、と。
ストックはいくらでもある(大嘘)




