第3話 村の帳簿が雑すぎる
異世界に来て三日目。
俺の前に立ちはだかった敵は、魔王ではなかった。
帳簿である。
「……村長」
「はい、マカベ様」
「これは帳簿ではありません」
「えっ」
ガルド村長が目を丸くした。
俺は机の上に広げられた羊皮紙の束を見下ろす。
そこには、村の収入と支出らしきものが書かれていた。
麦、売却。
蜂蜜、売却。
薬草、売却。
水路、修繕。
薬、購入。
税、支払い。
商人、支払い。
以上。
「これは、出来事のメモです」
「めも?」
「お金の流れを記録したものではありません」
「しかし、何を売ったかは書いてありますぞ」
「量がありません」
「りょう」
「いくら売ったのかも、誰に売ったのかも、いつ売ったのかも、細かい内訳もありません」
「細かい内訳……」
ガルド村長は、まるで知らない魔法の名前を聞いたような顔をした。
リーネが横から覗き込む。
「でも、金額は書いてあるわよ?」
「金額だけでは駄目です」
俺は羊皮紙の一枚を指で叩いた。
「例えば、ここ」
そこには、こう書いてあった。
『麦 売却 銀貨八十枚』
「この麦は、何袋売ったんですか」
「たしか、二十袋だったかと」
「誰に?」
「バゼル商会です」
「いつ?」
「春の終わり頃ですな」
「春の終わり頃、では駄目です。日付が必要です」
「ひづけ」
「あと、麦の品質。運搬費が誰持ちか。支払いは即金か後払いか。全部必要です」
「ぜ、全部……」
村長はだんだん小さくなっていった。
気持ちはわかる。
俺も前世で、初めて予算書を見たときは何が何だかわからなかった。
だが、わからないままでは困る。
特にこの村は、三か月後に廃村監査がある。
「王国の監査官は、この帳簿を見ます」
俺がそう言うと、ガルド村長の肩がびくりと跳ねた。
「これを?」
「はい」
「……まずいですかな」
「かなり」
「かなり……」
リーネが腕を組む。
「でも、村の帳簿なんてどこもこんなものじゃないの?」
「その可能性はあります」
「なら、大丈夫じゃない」
「大丈夫ではありません」
俺は即答した。
「全員が悪いからといって、自分たちが助かるわけではありません」
リーネが黙った。
俺は羊皮紙を並べ直す。
まずは収入。
麦。
蜂蜜。
薬草。
王国支援金。
次に支出。
税。
運搬費。
修繕費。
薬代。
警備費。
商人手数料。
俺はそれぞれを別の羊皮紙に書き出した。
「何をしているの?」
リーネが訊いた。
「分類です」
「分類?」
「同じ種類のお金をまとめています。そうしないと、どこが悪いのかわかりません」
「見ればわかるじゃない」
「わかりません」
「どうして?」
「人間は、見たいものしか見ないからです」
リーネは少しだけ眉を動かした。
俺は収入と支出を並べ、ざっくり計算した。
村の年間収入は、かなり少ない。
そして支出の中で、妙に大きい項目がある。
「運搬費」
俺は呟いた。
「やっぱりここか」
「運搬費?」
ガルド村長が首を傾げる。
「バゼル商会が品を王都まで運んでくださる費用です」
「かなり高いですね」
「辺境ですからな。道も悪い。仕方ありません」
「本当に仕方ないかどうか、確認する必要があります」
「確認?」
俺は帳簿を指でなぞった。
麦を売る。
蜂蜜を売る。
薬草を売る。
そのたびに、運搬費が引かれている。
さらに、検品手数料。
保管手数料。
王都販売手数料。
市場登録代行料。
見れば見るほど、嫌な項目が並んでいた。
「村長」
「はい」
「バゼル商会との契約書はありますか」
「けいやくしょ?」
嫌な予感がした。
「売買条件を書いた書類です」
「ああ、それなら」
ガルド村長は戸棚の奥をごそごそ探り、一枚の羊皮紙を取り出した。
俺は少し安心した。
契約書はある。
あるなら、まだ確認できる。
そう思って受け取った。
そして、すぐに後悔した。
「……村長」
「はい」
「これは契約書ではありません」
「えっ」
「これは、バゼル商会からの通知書です」
羊皮紙には、バゼル商会の印が押されている。
内容はこうだ。
『ルクス村の麦、蜂蜜、薬草については、当商会が例年どおり適正価格にて買い取るものとする』
以上。
価格もない。
数量もない。
期間もない。
手数料の内訳もない。
村側の印は、端に小さく押されているだけだ。
「これは、契約ではなく、ほぼ言いなりです」
ガルド村長の顔が青くなった。
リーネも羊皮紙を奪うように見た。
「そんな……。でも、バゼル商会は昔からこの村と取引しているのよ」
「昔から取引していることと、公平な取引であることは別です」
「でも、あの商会が来なくなったら、私たちは麦も蜂蜜も売れない」
「だから、足元を見られています」
リーネは唇を噛んだ。
言い方がきつかったかもしれない。
だが、ここは曖昧にしてはいけない。
村を潰すのは、魔物だけではない。
不利な契約。
情報の不足。
諦め。
そして、昔からそうしてきた、という言葉。
これらは、剣で斬れないぶん厄介だ。
「売っている品を見せてください」
俺が言うと、リーネがすぐに立ち上がった。
「倉庫にあるわ」
村長の家を出て、俺たちは村の倉庫へ向かった。
朝のルクス村は、昨日より少し騒がしかった。
長老たちが担当地区を回り、人口調査を始めているらしい。
老婆が家族の人数を答え、子どもが年齢を聞かれて指を折っている。
老人たちは文句を言いながらも、羊皮紙に何かを書き込んでいた。
悪くない。
少なくとも、昨日よりは動いている。
倉庫は村の中央にあった。
古い木造だが、思ったよりしっかりしている。
中に入ると、乾いた麦の匂いと、甘い蜂蜜の香りが混ざっていた。
「これが、ルクス村の麦です」
リーネが袋を一つ開ける。
中には、淡い銀色を帯びた麦が入っていた。
普通の麦とは違う。
粒が大きく、光を受けるとわずかに輝いて見える。
「きれいですね」
「白銀麦っていうの。雪解け水で育つから、香りがいいのよ」
リーネは少し誇らしげだった。
次に、蜂蜜。
木の樽の蓋を開けると、濃い琥珀色の蜜が現れた。
甘い。
ただ甘いだけではなく、森の香りのようなものがある。
「これは?」
「森蜜。村の北の森で採れるわ。薬草の花から集めた蜜だから、喉にもいいって言われてる」
最後に、薬草。
乾燥させた薄青い葉が束になっている。
「月光草よ。傷薬に使える」
俺は三つの品を見た。
白銀麦。
森蜜。
月光草。
どれも悪くない。
いや、かなりいい。
少なくとも、ただの辺境村の雑多な産品として安く売るようなものではない。
その瞬間、視界の端に文字が浮かんだ。
【行政眼を発動しました】
【対象:白銀麦】
【品質:高】
【市場価値:現在売却価格の約二・四倍】
【改善余地:名称訴求/小分け販売/粉加工】
続いて、森蜜。
【対象:森蜜】
【品質:極めて高】
【市場価値:現在売却価格の約三・一倍】
【改善余地:贈答用容器/効能説明/王都富裕層向け販売】
そして、月光草。
【対象:月光草】
【品質:高】
【市場価値:現在売却価格の約二・七倍】
【改善余地:乾燥品質の統一/薬師ギルド直販】
俺は無言になった。
思ったよりひどい。
「どうしたの?」
リーネが不安そうに訊く。
「リーネ」
「何?」
「この村は、貧しいんじゃありません」
「え?」
「安く売らされているんです」
リーネの目が見開かれた。
ガルド村長が震える声で言う。
「それは、本当ですか」
「少なくとも、この品の価値は帳簿の金額より高い」
「しかし、バゼル商会は適正価格だと……」
「その“適正”を決めているのは誰ですか」
誰も答えなかった。
倉庫の中に、重い沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは、入口の方から聞こえた声だった。
「おやおや」
ゆっくりとした拍手の音。
振り返ると、倉庫の入口に一人の男が立っていた。
派手な緑色の上着。
指には大きな宝石のついた指輪。
腹は丸く、笑顔は柔らかい。
だが、その目だけは笑っていなかった。
「朝からずいぶん熱心ですなあ」
リーネの顔がこわばる。
「バゼル……」
男は大げさに頭を下げた。
「バゼル商会のバゼルでございます」
こいつが。
俺は男を見た。
男も俺を見た。
品定めするような目だった。
「見ない顔ですな。旅のお方ですかな?」
「真壁宗太郎です」
「マカベ様。これはこれは」
バゼルはにこにこと笑う。
「我が商会とルクス村は、長年よい関係を築いてまいりました。余所の方が余計な心配をなさる必要はありませんぞ」
余所の方。
ずいぶん早い牽制だ。
「長年よい関係、ですか」
「ええ。もちろんですとも」
バゼルは倉庫の中を見回し、蜂蜜の樽を軽く叩いた。
「この村の産品は、正直申し上げて扱いが難しい。量は少なく、道は悪く、品質にもばらつきがある。それでも我が商会は、毎年きちんと買い取っているのです」
「それはありがたいですね」
俺が言うと、バゼルは満足げに頷いた。
「わかっていただけますか」
「はい」
俺は微笑んだ。
「では、取引条件を一度整理しましょう」
バゼルの笑みが、わずかに固まった。
「整理?」
「はい。売却価格、運搬費、検品手数料、保管手数料、市場登録代行料。どれも確認が必要です」
「いやいや、そのような細かいことを言われましても」
「細かいことではありません」
俺は言った。
「村の存続に関わることです」
バゼルの目が細くなる。
一瞬だけ、空気が冷えた。
だが次の瞬間には、また柔らかい笑顔に戻っていた。
「なるほど。どうやらマカベ様は、商いには不慣れなご様子」
「そう見えますか」
「ええ。商いには信用が大切なのです。数字ばかりを並べても、人の心は動きません」
その言葉に、ガルド村長が少し揺れた。
長年の取引。
信用。
昔からの関係。
この手の言葉は強い。
前世でも、何度も見た。
変えようとすると必ず出てくる言葉だ。
「おっしゃるとおりです」
俺は頷いた。
「信用は大切です」
バゼルが笑う。
「でしょう」
「だからこそ、数字で確認しましょう」
笑みが消えた。
「信用とは、確認を拒むための言葉ではありません」
倉庫の中が静まり返る。
リーネが息を呑んだ。
ガルド村長は、おろおろと俺とバゼルを見比べている。
バゼルはしばらく俺を見つめていた。
やがて、ゆっくりと笑った。
「面白い方だ」
その声には、さっきまでの柔らかさがなかった。
「ですが、あまり村を混乱させるのはお勧めしませんな」
「混乱しているのは、帳簿の方です」
リーネが小さく吹き出しかけ、慌てて口を押さえた。
バゼルのこめかみが、ぴくりと動いた。
「では、本日のところは失礼しましょう」
バゼルは一歩下がり、村長に向かって軽く頭を下げた。
「ガルド村長。次の集荷日は予定どおり三日後です。いつもどおり、よろしくお願いいたします」
「は、はい」
「それから」
バゼルは俺に視線を戻した。
「余所者の助言は、時に村を不幸にします」
「覚えておきます」
「ええ。ぜひ」
バゼルは笑みを残して、倉庫を出ていった。
その背中が見えなくなってから、リーネが大きく息を吐いた。
「……怖かった」
「そうですか?」
「あなた、よく平気で言い返せるわね」
「前世にも似たような人はいました」
「どんな世界よ」
「役所です」
リーネは一瞬だけ真顔になった。
「役所って、怖いところなのね」
否定はできなかった。
ガルド村長は、青い顔のまま呟いた。
「バゼル商会を怒らせてしまったかもしれません」
「怒らせたでしょうね」
「そ、それでは困ります! あの商会に取引を止められたら、この村は……」
「だから、三日後までに準備します」
「準備?」
俺は倉庫の中を見回した。
白銀麦。
森蜜。
月光草。
この村には、売れるものがある。
問題は、価値を知らずに売っていたことだ。
「まず、過去三年分の売却量を確認します」
俺は言った。
「次に、バゼル商会の手数料を全部書き出します」
「全部……」
「そして、三日後の集荷でこちらから条件を出します」
リーネが目を丸くした。
「こちらから?」
「はい」
「そんなこと、できるの?」
「できます」
俺は森蜜の樽に手を置いた。
甘い香りが、ふわりと上がる。
「この村の商品に、本当に価値があるなら」
そのとき、視界にまた文字が浮かんだ。
【ルクス村再生計画】
【新規課題:商流改善】
【緊急度:高】
【期限:三日後】
三日後。
バゼル商会の集荷日。
そこで、最初の交渉が始まる。
俺は帳簿の束を抱え直した。
剣はない。
魔法もない。
だが、契約と数字なら戦える。
異世界に来て三日目。
俺の次の敵は、悪徳商人だった。
わっちんのHPは残り2よ!




