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ミレイラが盛大に泣いた日から、およそ二ヶ月の時が過ぎた。
あれからアードルフは、一週間に一度ぐらいのペースで伯爵家に顔を出すようになっていた。
彼の身の上を考えると来訪の時間を自分の休息に充てた方がいいのではないかと、仕事の忙しさを鑑みてミレイラは純粋に体調を心配した。
それをそのまま伝えたこともあるのだが……。
「私に会いたくないと言う理由以外はその手の話は受け付けない」
と、たった一言で論破されてしまい、何故かミレイラの方が頭を悩ませることになった。
ちなみに二度目の際にはミレイラ一人で出迎えたが、次の来訪時には律儀に出迎えずとも部屋で待っててくれて構わないと忠告された。
「出迎えは嬉しいが今はまだ友人関係だし、それなりの頻度で会うのに毎回出迎えるのは大変だろう」
「ですが……待たせているとは言え婚約者候補ですし」
ミレイラがそう答えると、アードルフは嬉しそうに小さく笑った。
「それはつまり、誰に見られるとも分からないエントランスで口説いていいと言うことか?」
「……お言葉通りにしようかと思います」
言葉では叶わないと早々に降参すると、アードルフは「口説かれる気になったらいつでもどうぞ」と機嫌の良さそうな表情をしてサロンに足を向けた。
エントランスだと口説かなければならないルールでもあるのだろうか。普通に挨拶だけにして欲しいと、ミレイラは切実に思った。
そんな軽口を少しずつ言えるようになる頃には、すっかりミレイラの好みは把握されていた。
アードルフは毎回何かしらの手土産を持って現れるのだが、無難に有名店のクッキーを持ってきたのは最初だけだった。
その後お茶をしながらティータイムで口にする紅茶やスイーツの好みを話し合うと、次の来訪時には話題に上がった物を贈られた。そしてそれ以降は言わずとも好みを把握されたらしく、初見の物でも好みのスイーツや茶葉を贈られるようになった。
しっかりと好みを把握されつつも、アードルフは決して残る贈り物は渡さない。
あくまで友人間でなら許される贈り物しか用意しないのだ。そのストイックさに侍女のサリアやお茶の用意をするメイド達からは好印象を抱かれているらしい。
もっとも、ミレイラ本人はと言うと何故かその対応にあまり快い気持ちにはなれなかったが。
会話は楽しいし、随分打ち解けてきているとも思う。最近はお互いの好みのものを交互に用意したりもするが、最初の頃のようにいきなり口説いてこないし、急に触れられることもめっきりなくなった。
本来はそれに安心するはずなのに……。
そんな風に、ミレイラが友人との交流を少なからず楽しんでいたある日のこと。
「今日はミレイラに渡したいものがある」
いつものような手土産とは別に、アードルフは小さな紙袋を取り出した。
「それは?」
「ちょっとした贈り物だ」
そう言うとその紙袋からリボンでラッピングされた小さな箱を取り出し、ミレイラに差し出す。
「ありがとうございます。開けても?」
「どうぞ」
確認してからリボンを解いて箱を開けると、そこには白いレースの手袋が入っていた。
「手袋ですか?」
「ああ、あなたに使って欲しい」
そう言ったあとに、アードルフの目がわずかの間メイドの方へ向けられる。それを察したメイドはミレイラの方にも視線を送ってきたので、頷いて了承する。
そしてメイドが入口を少しだけ開けた状態で退出すると、アードルフは改めて言葉を続ける。
「すまない、ここからは私の体質の話に関わる」
「この手袋がですか?」
渡されたその手袋は、繊細で華やかなレースに彩られており、高価な品だとは分かるが特別な物とは思えない。
「いや、その手袋はあくまで目印だ」
「目印?」
そう言うと、アードルフは視線をミレイラへと戻し話を続ける。
「あなたにとって私の体質は軽視できるものではないだろう。そこでこの手袋をしてる時、私は自分の体質を制御しようと思う」
この手袋の有無で決めるから目印だと、そういう事らしい。
「アードルフ様の体質は、制御してしまって問題の無いものなのですか?」
「と言うと?」
「魔力耐性は潜在する魔力保有量に比例しますが、アードルフ様の場合はその魔法無効化が魔力耐性と結びついているのではないかと」
一般的に魔力の保有量が高いほどに耐性も強い。貴族はより強い魔力を残すために血統を重んじるが、魔力に恵まれない者も少数だが存在する。
そういう者は他者の魔力に感化され、体と精神を蝕まれる場合がある。『魔力過多症』と言う病は、皮肉なことに貴族に多く起こり得る病でもあった。
対処法は魔力過多となる場所・もしくは人から物理的に離れるぐらいしかないとされている。そのため耐性値を底上げするための薬が裏で取引され、取り締まられることもないために服用し続ける貴族は少なくないらしい。
ミレイラは自身の防御魔法を習得する際に、魔法に関する書物はかなりの数を読み込んでいた。そのためアードルフの魔法無効化という体質は興味深く、自分なりの見解を持っていた。
他者の魔法を無効化出来る能力は、魔法を得意とする者にとっては脅威だろう。だからこそ、本来とは別の方向に弱点もあるのではないかと考えた。
例えば、自身を守ることのできない欠点だとか。
それを聞いたアードルフは少しだけ目を見開いた後、面白いものを見たと言わんばかりに口角を上げる。
「よく分かったな。過去に一度だけ、制御を習得する過程で魔力過多症の初期症状に陥ったことがある」
「経験があるならば、何故制御しようなどと仰るんです?」
「制御するのはミレイラとの逢瀬の時だけだし、魔力過多症になりかけた大元の原因は、傍にいた人間の魔力が膨大だったからだ」
側近として王太子殿下の傍にいる際にも稀に制御することはあるらしいが、長時間でもない限り問題はないとのこと。
「そういう訳で、付けてもらう事は可能だろうか」
本人に問題は無いと言われると、断る理由はなくなってしまう。
「本当に、アードルフ様のお体に支障はないのですね?」
「問題ない。その代わり何かしらの緊急事態が発生した時だけは、無断で制御を解いても許してほしい」
「わざわざ忠告なさらずとも……そんなことで怒ったりしませんわ」
少しだけ不貞腐れたような言い方は、それくらいの良識はあると暗に伝える。
もちろんそこは信頼していると言いつつも、アードルフは意地悪な顔をして笑うのでミレイラは更に頬を膨らませる。
「試してみるか?」
そう言って、アードルフは右手を差し出してくる。少しだけ考える素振りをしてから、ミレイラは律儀に手袋をつけてから、その手に自分の手を重ねてみる。
「…………」
すると、確かにミレイラの防御魔法は無効化されることなくアードルフの手に触れることが出来た。
「本当に制御されてるんですね」
「少しは信用してもらえたか?」
「……ええ。その、どうやって制御されているんですか?」
体質とも言えるその能力を、どうやって自分のものとしたのだろうか。それはミレイラにとって純粋な疑問だった。
「自分が魔法に触れることによって無効化が発動すると分かってからは、体から気化した自分の魔法を想像して、あとはひたすらその想像をより明確に感じるように感覚を研ぎ澄ませていったと言う感じだろうか」
見えない魔法を想像し、脳内でその想像を明確なものと認識させて制御する。
それは、言葉以上に途方もない努力で成し得た奇跡と言える。
「……ご自分の魔力を塞き止めている感じなのですね。確かにこの方法では、魔力過多症に陥ってしまうのも分かる気がします」
「魔力を塞き止める……?」
「体内を流れている魔力を、意図的に塞き止めているように見えます」
ミレイラは感じたことをそのまま伝えるが、アードルフが疑問に思ったのはそこではない。
「ミレイラにはそれが見えるのか?」
「見えるというか、そのように感じるんです」
魔力とは血液のように体内を循環し、魔法を使うことで活性化する。
ミレイラは魔法について学ぶ中で、魔力はそうあるものと認識した。単純に蓄積されたものではなく、循環するものと。
「私の魔力は特別多いわけではないので、防御魔法を使うと他の魔法を使う余裕すらありません。だから、如何に効率よく長時間張り続けられるかを追求していきました」
自分の防御魔法はかなり繊細で、防御魔法があると言われなければ分からないほどに薄くミレイラの肌に密着させている。
「その過程で過分に魔力を使っている可能性に至り、自分の魔力を正確に感じる訓練を始めたんです。毎日続けたことで感覚が研ぎ澄まされたのか、他者の魔力の流れも何となくですが分かるようになりました。と言っても、感じることしか出来ないのですが……」
流れが見えることで分かることと言えば、体内で上手く循環させられているか、効率よく魔力を使えているかぐらいだろう。それもミレイラ独自の感覚から分かり得る事象であるため、そもそも信憑性がないのだ。
だから大して役に立つものではないと、ミレイラは困ったように笑って見せる。
しかし対面するアードルフは真摯にその話に耳を傾ける。
「その能力を伯爵達はご存じなのか?」
「知っているのは兄だけです。最初に見えたのが兄だったので話したのですが、信憑性もないのであまり役には立たなさそうだと結論付けて、それ以降は誰にも話していません」
「口止めされたわけではないのだな」
「……当時は他に話せる相手もおりませんでしたし。兄は両親には話したかもしれませんが、お互いに秘匿しようという認識でいます」
そういえば、アードルフの制御方法について聞いた代償とばかりに話してしまったが、これは良かったんだろうか。
「……なるほど、ミレイラの魔法の精度が高い理由は分かった気がする。しかし、この話は他言はしない方がいいだろう」
「もちろんそのつもりでいます。ついアードルフ様には話してしまいましたが、確証もない話ですから」
「そういう意味ではないのだが……まぁ、他言しないに越したことはない」
アードルフの言わんとしている内容を察することは出来なかったが、その意見にはミレイラも同意なので素直に頷いて見せる。
「ところで」
「はい?」
まだ何か、自分の意見で分からないことがあるのだろうか。そう思いアードルフと視線を合わせると、彼はわざとらしく笑顔を作る。
「私から指摘するのは遺憾だが、これは好意の表れと判断していいのだろうか?」
そう言うと、アードルフは自分の手に乗せられたミレイラの手を取りながら自分の方へ引き寄せて見せる。
「!」
最初に手を乗せてからずっとそのままだったことと、引き寄せられたことに驚いたミレイラは反射的に取られた手を引き戻す。
アードルフもそうするだろうと予想して力は入れていなかったようで、ミレイラの手は簡単に彼の手をすり抜けた。
「やはり言わなければ良かったな」
ミレイラの手があればこうしたと言うように、空白の手元に口付ける仕草をしてみせる。悪戯に成功したと言わんばかりの表情に、ミレイラは頬を染めながら睨み付ける。
「残念ながら、そんな顔をされても可愛いだけだ」
「……アードルフ様のそういう所は苦手です」
「そこで嫌いと言えない所が私は好きだよ」
完全に彼のペースに呑まれている。
しかしこんなやりとりも最近では満更でもなくなっているのだから、随分絆されてきてしまったものだと心の中で溜息をつく。
「ところで、物は相談なのだが」
そんな自分の内心でも読まれたのだろうか。
「良かったら今度の休みの日は、一緒に外出してみないか?」
この日初めて、アードルフから外出の打診をされたのだった。
誤字報告ありがとうございます。




