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6

 

 

 暫しの沈黙のあと、ミレイラの耳に食器の小さな摩擦音が届いた。

 

 アードルフがカップを持ったか置いたのだろう。少々気まずさを覚える空気にしてしまったが、原因は自分にあるのだからこの場だけでも取り繕わなくてはいけない。

 

 そう思って顔を上げようとした時だった。

 

「ミレイラ」

 

 呟かれたと同時に、何の前触れもなくアードルフが席を立った。

 

 その事実に焦ったのはミレイラだ。自分の態度のせいで彼に不快な思いをさせてしまったのだと、慌ててアードルフへと視線を合わせ謝罪しようと口を開きかけた。

  

 しかし彼はミレイラのすぐ横に跪くと、視線を合わせると同時に手に触れてきた。

 

「!?」

 

 そして防御魔法を弾かれたと同時に、ミレイラの感情が彼に流れたのをはっきりと感じ取ってしまった。

 

「いや……っ!」

 

 自分の醜い感情をこれ以上アードルフに知られたくない。そう思って手を振り解こうとするが、予測していたらしいアードルフの手は簡単には離れてくれない。

 

 それどころか、ミレイラが握り締めていた指を両手を使って少しずつ剥がされていく。広げ終わると固く強張った指を労わるように、両手で優しく包み込まれた。

 

「怖がらなくていい」

 

 温かいその手と同じように、優しく穏やかな瞳がミレイラを見つめてくる。

 

「あなたの感情は、私には心地良い」

 

 ――そんなはずない。そんな訳がない。

 

 だって自分から伝わるのは負の感情で、今だってあの夜会で傷付いた気持ちを思い出して落ち込んでいたのだ。

 

 そして未だに引きずっている自分に幻滅し、アードルフに心配をかけてしまったことを悔いている。

 

「夜会の事を連想させてしまったのか。なら、やはり私が要因だ」

「ちが……っ違うの!私が」

「連想したことを悔やんでも、人の思考は簡単に止められるものではない。だからあなたのせいじゃない」

 

 一つ一つ、ミレイラの感情に答えてくる。

 

「夜会の件だって、あなたはあの時深く絶望していた。その気持ちが簡単に癒える訳がない」

 

 手を握った状態のままアードルフは立ち上がると、片方の手をミレイラの頭に乗せて、ぎこちない様子で優しく撫でる。

 

「もう、充分に頑張ったろう。それ以上頑張る必要はない」

 

 その言葉に、ミレイラの瞳からは決壊したように涙が溢れだした。

 

「あ……っ」

 

 私は――――。

 

「ミレイラ、あなたはそのままでいい(・・・・・・・)

「…………っ!」

 

 私は、誰かに褒められたかった。

 

 認めて欲しかった。

 

 

 誰かに、愛して(許して)欲しかった――。

 

 

 家族には充分過ぎるほど愛してもらっている。けれど、強欲な私はそれを第三者に求めてしまった。

 

 私の事を一切知らない誰かに認めてもらえれば、私は普通に近づけるんじゃないか。普通に友達と交流し、お茶会や夜会で社交をし、嫁いだ先でそれなりの幸せを見つけ、この生涯を終えることが出来るんじゃないかと。

 

 けれどどんなに頑張っても、どんなに能力を補おうとしても足りない。

 

 やっと能力を隠せるようになっても、今度は私にとっての普通と周りの普通が違いすぎて追いつけない。

 

 何より、私の心が伴わない。

 

 ……私が、私を拒絶してしまう。

 

 家族が愛してくれた私を、誰よりも私が否定してしまっている。

 

 

 誰かに許して欲しいと願いながらも、誰よりも許せないでいるのは、他ならぬ私だけだった。

 

 

 

 

 

 ✻✻✻✻✻

 

 

 

 

 

 泣きじゃくるミレイラにハンカチを差し出したあと、アードルフは彼女の感情をただただ感じ取っては優しく頭を撫で続けていた。

 

(許されたい……か)

 

 止まらない感情の雫でハンカチを濡らしながら嗚咽する彼女は、余りにも幼く見えた。

 

 

 承認欲求ならば自分にも覚えはある。認められることのないそれは、蓄積するほどに自身の精神を内側から腐らせていく。

 

 やがてどこかのタイミングで土台が腐り落ち、支えていた根源を失った人間は絶望し、いつしか生きることを拒絶する。

 

(愛してくれる家族がいても絶望するのか。いや、応えようと頑張った分だけ絶望に変わりやすいのか……)

 

 自分にはアーノルドがいたが、弟もまた支えを失い掛けていた一人でもあった。

 

 弟は愛をくれる家族ではなく、同じ境遇で腐り落ちそうになりながら支え合って生きてきた半身だ。

 

 だからこそ、最初にミレイラの感情を知った時は怒りを感じた。

 

 家族からの無償の愛を知りながら、他者にもそれを求めるなど傲慢だと――。

 

 

(けど……今はあなたが欲しい)

 

 家族愛すら知らない境遇にいた自分よりはマシだろうにと、思う気持ちも確かにある。

 

 しかし、そんなことはどうでもいいと感じてしまうほど惹かれてしまった。

 

(あなたはこんなにも、俺を求めてくれる)

 

 当初誰かに愛されたいと渇望していたミレイラは、あの夜会までは不特定多数だったろう対象者をただ一人(・・・・)へと定めた。

 

 能力を受け入れたアードルフ(自分)に。

 

『この能力を許してくれた貴方が、私を愛してくれたら……』

 

 おそらくはミレイラ本人すら無自覚と思われるその願いは、それまで一度も愛を求めたことのないアードルフの心の底に届いてしまった。

 

 そして彼女の溢れるほどのこの感情が、全てアードルフに向けられたとしたら――。

 

 ……それは一体、どれほど自分の心を満たしてくれるのだろう。

 

 他者に優しくする方法すら見様見真似で、ミレイラの頭をぎこちなく撫でながら、彼女を慰める自分の姿を滑稽だと内心で嘲笑う。

 

 嫌われていないか確かめる為に彼女の手を取った時点で、何をしようと偽善でしかないというのに。 

 

 他人を信じられないのはアードルフも同じだ。むしろミレイラよりもその傾向は強い。

 

 相手を見下し、利用価値もないと判断すれば一切の関りを遮断する。アーノルドの方は公爵位を継ぐ関係で最低限の交流は続けるが、見限った相手への対応だけで言えばアードルフより悪質とも言える。

 

 そうやって生きてきたのだ。公爵家と言う牢獄の中で。

 

 そんな自分が、初めて他人に期待してしまった。

 

 こんな歪で醜い自分にも、あなたは愛をくれるのだろうかと。

 

 ……こんな人間に期待されて、可哀想に。

  

 まるで他人事のような感想を抱きながら、ようやく落ち着きだしたミレイラに意識を戻すことにした。

 

 

 

 

 

 ✻✻✻✻✻

 

 

 

 

 

「……っ、すみませ……でした」

 

 泣きすぎて赤くなった目元を冷やしながら、ミレイラは頭を低くした。

 

 ミレイラが落ち着いてきたことを確認すると、アードルフは一度その場を離れてタオルを持って戻ってきた。

 

 どうやらミレイラが泣いたことを伝えてメイドに用意してもらったらしい。

 

「あなたの侍女にも伝えるよう言付けたから間もなく来るだろう。私はそろそろ失礼する」

 

 そうだ、これだけ泣いたのなら化粧も落ちているはずだ。

 

 空っぽの頭がその可能性に気づくと、今度は違う意味で顔を上げられなくなってしまう。

 

「重ね重ね申し訳ありません……お見苦しいものをお見せして」

「見苦しい……?いや、あなたの泣いている姿は幼く可愛らしかったが」

「……は?」

 

 一瞬言っている言葉の意味が理解できなかったが、理解できても理解できない。

 

「本当ならもう少しあなたと一緒にいたいが、早く冷やさないと腫れが酷くなってしまう」

 

 そう言いながら、アードルフは自分の目元を指差して見せる。分かっていた事実をあえて指摘されたことで、元々熱を持っていた皮膚が違う意味合いの熱も持ち始めてしまう。

 

 羞恥心にまた目が潤んでしまいそうになり、慌ててタオルで顔を覆う。

 

 泣いた顔を見られたことも、腫れた目を見られたことも、そして地味に一緒にいたいと言われたことも追加でダメージを与えてくる。

 

 そんなミレイラの心情を知ってか知らずか「最後にこれだけ伝えておく」と前置きをしてアードルフは言葉を続けた。

 

「勝手に触れてすまなかった。これからはあなたの許可がない限りは決して触れない。心を伝えたいと思った時だけ、あなたから触れて欲しい」

 

 そう告げると、やがて顔を出した侍女のサリアと二言三言言葉を交わし、アードルフはサロンを後にした。

 

 

  

 

「お嬢様、随分お泣きになったのですね。アードルフ卿が心配なさっておいででしたよ」

 

 サロンから部屋に戻ると、サリアはすぐに目元の腫れを確認してきた。

 

 当然冷やしてそんなに経っていない目元は未だ熱を持ったままだ。

 

「……お見送りすら出来なかったわ」

 

 自分の醜い感情を知られるばかりか、目の前で泣きじゃくった姿を見られた上に腫れた目の心配までされる始末。

 

 なぜ自分は彼に対してマイナス要因となり得る姿ばかりを晒してしまうのだろう。

 

(負の感情については……アードルフ様から触れてきたせいだけど)

 

 どうしてアードルフは、こんなにもミレイラに心を寄せてくれたのだろうか。

 

「幻滅されなかったかしら……」

 

 不甲斐ない姿ばかり晒したことに動揺するミレイラは、いつの間にか自分も心を寄せ始めていることに気付いていない。

 

 そんな主を何処か微笑ましく感じているサリアは、氷水で冷やし直したタオルを渡しながらその言葉に続ける。

 

「幻滅されたのなら、次の逢瀬の予定を言付けてはいかないと思いますよ」

「え……?」

 

 タオルを受け取りながら、ミレイラはきょとんとしたままサリアの言葉の続きを待つ。

 

「お帰りの際、言付かりました。おそらく一週間以内には時間を取れるそうですので、その時はまた手紙にてお知らせ下さるそうです」

 

 サロンから退出する際にサリアと話していたのは次の予定のことだったようだ。

 

 つまり、再びアードルフが伯爵家に来ると言うこと。

 

「今度はもっとアードルフ卿と話せるといいですね」

 

 暗に泣いたことを悔やんでいるミレイラの気持ちを汲んでの台詞だろうが、諸々含めて恥ずかしいだけなのでそっとしておいて欲しい。

 

 それでも、次の約束を嬉しいと感じた。

 

 ……次はせめて、もう少し素直になろう。

 

 口説かれる心構えなんて天地がひっくり返っても無理だが、友人として親しくなりたいのは本心なのだから。

 

 

 

 

 

誤字報告ありがとうございます。

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