番外―双子の願い―
時系列は夜会の翌日、アードルフ視点です。
あの夜会が幕を閉じた翌日のこと。
例の騒動は少々後を引いているが、概ね夜会自体は盛況のまま終わりを迎えることができ、ウィルフレッドは一先ず上々の成果だったと結論付けた。
「アードルフ、何だその顔は。昨日より悪化してるじゃないか」
そんな主君に、アードルフは盛大に眉を顰められていた。
理由は簡単だ。夜会から今日まで、アードルフはずっと上の空だったから。
しかも夜会の日に至っては、あの膨大な感情の波に呑まれてしまって自分がどうやって帰って来たかすら朧気な程だった。
帰宅時間が遅かったのも勿論あるが、ようやくあの事象について自分なりに噛み砕くことが出来た時には、既に日が登り始めていた。
そして今日は、ずっとあの時のことについて思い返していた。
寝不足な頭は随分己を感傷的にさせたようで、共感してたはずの感情はいつからか怒りに変わり、何故自分はそこまで怒りを覚えてしまったのかという推測にまで及び、結局見るに見かねたウィルフレッドに「役に立たないから帰れ」と執務室から押し出されてしまった。
そうして公爵家の別邸に戻って来ても、未だに思考は止まらない。
ようやく我に返ったのは、弟のアーノルドに思い切り頭を叩かれた時だった。
「……ああ、来てたのか」
「来てたのかじゃないよ。部屋の入口に突っ立ったまま何してるの」
どうやら部屋に入ろうとしたまま思考に溺れてしまったようで、ドアに手を掛けた状態のまま立ち尽くしていた。
「寝不足?ひっどい顔」
そう言うと、弟は眉をひそめながらアードルフの額を指で弾いた。
「夜会の後から様子がおかしいって聞いてるけど、何があったの?」
「……今、時間あるか?」
「なきゃ来てないよ。とりあえず濃い目のコーヒーでも飲みながら話そう」
そのコーヒーを入れるのは自分なんだが……。
そう思い溜め息を吐きながらも同意し、どうやら自分は相当ひどい顔をしているらしいことを察した。
「――それで?アーディの憂いの正体は何?」
自覚してない眠気を濃い目のコーヒーでやり過ごしながら、アーノルドと二人で腰を据えて話し始める。
「夜会の日の騒動を知ってるか?」
「ああ、あれね。アムラン子爵家の令嬢がシュミット伯爵家の令嬢に一方的に暴言吐いて突き飛ばしたやつでしょ」
噂で知ってると言いながらクッキーを頬張る弟の様子を、どこかぼんやりと見つめながら言葉を続ける。
「あの件については、次の日には伯爵家から抗議されたらしい。伯爵もそうだが、元婚約者だったエルネストも許す気はないようだ」
「まぁ当然だよね、子爵家が伯爵家に喧嘩売るなんて前代未聞じゃない?確か婚約破棄の件も、大元はあの子爵令嬢が原因だって噂だし、二度目は無いでしょ」
それについてはアードルフも同感だ。ここで甘い処罰を下せば伯爵家の沽券に関わるし、二度も子爵家に過失がある問題が起きたなら関係を切り捨てられても当然と言える。
「それに伯爵家は家族揃って娘を溺愛してるってもっぱらの噂だし?」
「……そうだな」
シュミット伯爵家の令嬢と言って最初に思い浮かべるのは、その容姿でも人柄でもない。王家主催の夜会でもなければ、殆ど表舞台に姿を現さないと言う希少性の方だ。いつからか『深窓の令嬢』と呼ばれ始め、伯爵家にいくら問うても彼女の詳細を語られることはないと言う。
「確かにエルネストの様子だと、溺愛してそうではあったが……」
アードルフですらまともに顔を合わせたのはあの夜会が初めてだった。噂は知っていたが大した興味もなく、大人しい令嬢だということぐらいしか印象に残っていない。
「憂いの原因はその噂の令嬢?」
「……ああ。あの日、突き飛ばされた彼女を助け起こしたんだが」
アードルフは初めてあの時自身が体験したことを話した。そして何故か自分はそれを受け、必要以上に頭を悩ませていることまで包み隠さずに。
「……ふーん」
一部始終を聞いたアーノルドは、それまでと態度を一変して不機嫌な様子で相槌を打つ。
「アーディってば、随分彼女にご執心だね」
「……は?」
「違う?僕には彼女の感情に反発してムキになってるようにしか見えないんだけど」
反発……ムキになる?
「もうずっと感情的になってなかったのに、流れ込んできた彼女の感情のどれかがアーディの逆鱗にでも触れたの?」
「…………」
……俺は、何に対して怒りを覚えた?
「アーディはもっと自分に興味持ってよ。今なら自分がどれだけの激情を抱えてたか分かったんじゃない?」
そうだ。彼女の感情は溺れるほどに深くて、鬱屈としてて……絶望していた。
そして絶望した理由らしき感情を垣間見た時、自分はそれに反発した。自分はもっと辛くて、苦しくて、絶望していたと。
だから怒りを覚えた。
これをごく普通の人間が聞いたなら、大なり小なり彼女に同情するのだろう。可哀想だと、哀れむのだろう。
――だが、彼女が可哀想なら俺は?
そんな彼女でさえ享受していたものすら得られなかった、もっと辛く苦しかったはずの俺は……俺達は、彼女に劣っているのか?
そして、気付いた。
体感して知ったあの感情に反発し、自分の方がもっと負の感情を抱いていたと、逆上するほどに自分は激しい感情を抱えていたのだと。
「……俺も相当歪んでたんだな」
「僕がそうなんだから当たり前でしょ」
何を今更と言う風に溜め息をつきながらも「やっと気づいた?」と悪戯に成功した子供のように微笑むアーノルドに、随分久しぶりに弟の素の表情を見た気がした。
「それで、アーディの本当の憂いは分かった?」
「……そうだな」
心当たりはある。その時はふざけたことを考えたものだと一蹴してしまった、彼女の小さく刹那の願い。
今になって、その願いがアードルフの心の底に定着する。
「何でお前の方が気付くんだろうな」
「半身を舐めないで――って言いたいけど、簡単な話さ。アーディは他人に執着しない。そんな君が相手の一方的な感情を跳ね除けなかったってだけで、それが好意でも悪意でも特別な何かであるはずだ」
言われてなるほど……と納得する。
確かに今までの自分なら、どんなに切望されようと縋られようと無常に振り払って来た。ウィルフレッドやコレッドに心を許したのは、自分の特異体質を見出し、自分達双子に協力してくれた恩があるから。
逆を言えば、それだけの恩がなければ見向きもしない。
それぐらいアードルフは他人を拒絶して生きてきた。
そんな自分が仕事とはいえ、手を差し伸べた女性がいた。
彼女は手を振り払った時、一滴の涙を零した。
思えば彼女が手を振り払った原因は、アードルフを拒絶したのではなく彼女自身が抱いた感情を拒絶したかったからだろう。
彼女の力を拒絶せずに黙認したアードルフに、涙を零すほどに心を震わせて期待を見出してしまった愚かな己自身を。
――涙で潤んだエメラルドの瞳にアードルフの姿を映した彼女は、ガラス細工のように脆く儚げで美しかった。
「俺は……欲していいんだろうか」
彼女と同じように、アードルフもまたあの時救われていた。
自分すら忘れていた激情を自覚させ、あの時アードルフの存在に救いを見出してくれた彼女を。
「アーディが欲しいなら、次期当主はどんな無理難題でも協力するよ?」
手段は問わないと、同じ顔を持つ半身の、さりとて自分とは違う碧眼が仄暗く輝く。
けれどそんな様子に動揺することはしない。何故なら、自分もまたその仄暗い一面を持っているのだから。
「当初の予定が狂うだろう」
「いいよ、アーディを見てたら良い事を思い付いたし」
その為にも、伯爵家には彼女に関することの必要最低限の問いと見舞いの打診を。
あの時エルネストの言った彼女が捻挫したと言う方便は、退場する為の嘘ではないのはアードルフも身をもって把握している。
完治するまで一週間ほど掛かるだろう。
その期間の間に、自分が彼女を見初めた事実をウィルフレッド達に伝えて時間を工面してもらわなくてはならない。
その間、弟は弟なりの方法で自分を援護するつもりのようだ。子爵家にも、それ相応の対応を求めなければならないだろうから。
「アーニー」
アードルフは久しぶりに弟に愛称で呼びかける。
「すまない、迷惑を掛ける」
「それが嬉しいんだよ、アーディ」
二人は叶わないと分かったうえで、ずっと欲しいものがあった。
アードルフは、自分だけを愛してくれる誰かを――。
アーノルドは、兄を愛して救ってくれる誰かを――。
願わくば、彼女の心が双子の願いに答えてくれますように。




