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「…………そういう、ことですか」
アードルフの打ち明けるだろう秘匿事項は、決して当事者以外は聞いてはいけない。
直感で分かっていたからこそ言葉を遮ったと言うのに、無常にも当の本人は意にも返さず言ってのけた。
そして聞いてしまったからこそ納得してしまった。
――なぜ彼が、嫡男ではないのか。
「せめて……私が退出するまで待って欲しかった」
公爵家のお家事情など、醜聞以外の何物でもない。秘密を暴かれたミレイラ一人が聞いたのならばまだ納得もいく。
だが、エルネストはミレイラ側の身内で、しかも当主の代わりを任されただけの立会人だ。
「私は今日までの間に王太子殿下と側近のコレッド、そして弟のアーノルドにミレイラ嬢の能力について打ち明けている。こちらが秘匿事項を漏らしている時点で、己の秘匿事項のみ黙せよとは都合が良過ぎる言い分だ」
「やはり……王太子殿下は既に把握されているのですね」
ミレイラの予想通り、アードルフは主君へ報告していたようだ。
「求婚したい旨を説明する際に、なぜミレイラ嬢なのか問われて……話さざるを得なくなった。申し訳ない」
そう言うと、アードルフはこの日初めてばつが悪そうな顔をして軽く頭を下げて見せる。
ミレイラの能力が王家の知るものとなってしまった事実に打ちひしがれている間に、エルネストは聞き間違えたかのような事実を再度確認する。
「その……騒動の顛末の報告としてではなく、求婚理由として妹の能力を説明したのですか?」
「……?そうだが」
質問の意味が分からないとでも言うように、アードルフは首を僅かに傾げてみせる。
エルネストの言わんとすることを理解したミレイラも、やはりアードルフの不可解だと言う表情に疑問が浮かぶ。
「あの……なぜ私の能力が、求婚の理由に必要なのですか?」
改めて質問するミレイラに、質問の意味を正しく理解したアードルフは「ああ」と小さく頷き。
「求婚した大元の理由があなたの能力だからだ」
「…………?」
残念ながら当事者のミレイラにも、当時その場にいたエルネストにも彼の言わんとしていることが読めない。
「私はあの日あなたの感情を受けた後、一晩ずっとその感情に吞まれていた。それから一日掛けて少しずつ嚙み砕いていった結果、自分がミレイラ嬢に一目惚れしたのだと理解した」
一目惚れ……ヒトメボレ?
自分は今、一体何の話を聞いているのだろうか。
「あの時感じた溺れると錯覚するほどの感情の波を思い起こしながら、その一つ一つに共感している自分がいた。あの時あなたが感じていたであろう、あらゆる負の感情に」
「――っ」
呆けていた意識が負の感情に共感したと聞き取るや否や、瞬間的に当時の自分の置かれた状況がフラッシュバックする。
あの時自分が感じていたのは……。
疑念、焦燥、後悔、恐怖、不信感。そして、あらゆることへの絶望――。
あんな感情に、共感したと言うのか。表舞台で王太子殿下の隣に立ち、未来を約束されていると断言してもいいこの人が。
「貴方に……分かるわけが」
「そしてあなたの感情に共感した後に感じたのは、怒りだ」
予期せず共感されただけでなく怒りと言う単語まで続き、無意識に視線を下ろしていたミレイラは顔を上げる。
アードルフは目線を逸らしつつも、その瞳は心なしか淀んだ青色に変わっていた。
「あれだけの感情を受けてなお、私はあなたに同情することを拒んだ。あなたが可哀想だと言うなら、過去の自分の辛酸はそれに劣るほど軽いものだったのかと……っ」
苦悶の表情を浮かべて食いしばるアードルフの姿は、まるでさっきの自分のようだと、頭の片隅で思った。
高ぶった気持ちを落ち着けるように一口だけ紅茶を含んで喉を潤すと、アードルフは軽く息を吐いてから言葉を続ける。
「……私は、自分は淡白な人間だと思っていた。家族の情は弟以外にはないし、忠誠を誓った主君と同輩以外に親しくしたい者もいない。元々弟が爵位を継いだ後は影で支えるつもりで、己の名誉や名声などどうでもよかった」
吐き捨てるように続けられる言葉は、まるで今の立ち位置を痛烈に否定しているようにも聞こえる。
「己を焦がすほどの感情など、無縁のものだと思っていた。ミレイラ嬢、あなたの感情に触れるまでは」
「……っ」
射貫くような鋭い視線は、微かに火を灯したように熱を持つ。
「あなたの感情に共感し、苛立ち、そしてそれ以上に……あなたの悲観を上回ろうとするほど、私は己の中に激情を抱えていた。あの日、初めてそのことに気づいた」
熱を纏った瞳で、アードルフは更に言葉を続ける。
「そして、あなたは私が感情を受け取ったと知ったと同時に、自分から手を離さない私に対して希望を見出した。刹那の合間でも、その瞬間は自分を否定しなかった事実に、心を震わせる程に歓喜していた」
――そう、だからあの時自ら手を振り払った。
「あれだけの鬱屈とした感情に苛まれながらも、あなたは能力を受け入れた私に救われたと感じ涙を流した。その時の、鮮やかなエメラルドの瞳を涙で濡らしたあなたが忘れられず、初めて心惹かれるものを感じた」
――たった一瞬、手を振り払われなかっただけで嬉しかった。それは確かにあの時の自分には救済であり、涙を流すほどに心が震えた。それと同時に、そんな自分が余りにも惨めだと感じてしまったから。
「私は初めて欲しいものが出来た。それは溺れるほどの感情をその内側に秘匿するミレイラ嬢、あなただ」
熱烈なまでのプロポーズはどこにも政略的な思惑は存在せず、アードルフは最初から伯爵令嬢ではなく、能力を持つミレイラを切望していたことを証明していた。
「………………」
ミレイラは最初に、自分はアードルフの隣に立つ資格は無いと言った。
それに対するアードルフの意見は、どれもこれも貴族としての目線で語られるべきものではなく、あの日如何にして自分がミレイラに惚れたのかと言う説明に他ならなかった。
それはアードルフ本人の心のままに語られただけのもので、打算も何もあったものではない。
それなのに……。
「…………っ」
それなのに……、どうしてこんなに。
顔を伏せて肩を震わすミレイラは、掠れる視界の先で影が動いたのを見た気がした。
「………っ!?」
気付いた時には、テーブル越しにアードルフの大きな手がミレイラの固く握りしめた手を掴んでいた。アードルフの言葉通り、張っていた防御魔法はやはり打ち消されてしまった。
「……アードルフ卿!」
反射的に動いてしまったのか、エルネストに窘められるとすぐにアードルフの手は離れた。力なくソファーに腰を据えると、彼はミレイラに触れた手を反対の手で強く握りしめ、そして……。
「やはり私は……あなたと共にありたい」
そう言って、泣きそうな顔で苦しそうに呟いた。
「…………わ、私は」
兄が隣にいるからと油断していたミレイラは、そもそも魔法は打ち消されるのだから気を張っても意味はないのかと、空回る思考の外でぼんやり思った。そして意図的に読まれてしまった己の感情を、どうやって消化すればいいのか途方に暮れていた。
あの瞬間、ミレイラはどうしようもないほどにアードルフに惹かれてしまった。
奇異な能力を拒絶するどころか受け入れるだけでなく、それ含めてミレイラと言う一個人を見初めてくれた。
そんな奇跡みたいなことが、本当に現実に起こりえるのだろうか。
その問いの答えが現実として我が身に起きていると言うのに、未だにミレイラはそれを受け入れられないでいる。
いや、恐れている。
「私は……貴方と同じだけの想いを返せない」
アードルフの気持ちは分かった。彼がどれだけミレイラを想ってくれているかは、現実を受け入れられない自分にすらも伝わってしまった。
だからこそ困惑する。
自分はその想いに相応しいだけの心を返せるのかと。
我ながら面倒くさい思考だと思うが、どうしても勇気が出ない。ましてや、ミレイラ本人はアードルフについて何も知らない。知っているのは、王太子殿下の側近としての噂くらいだ。
「今すぐ答えを求めるつもりはない。ゆっくり考えた上であなたの心が伴わないなら、その時ははっきり断ってくれ」
「……いくらなんでも、それは失礼では」
「構わない。その代わり婚約者候補として親しくなるために、私と友人になって欲しい」
平静を取り戻した彼は「そちらの意見を優先する代わりにそれぐらいの見返りは欲しい」と言い、その要求にミレイラは少しだけ不思議に思った。
「それは構いませんが……ただの友人ではなく?」
彼の言い方だと、断った場合その時点で付き合いが終わりそうに感じたからだ。
「前提を間違えて欲しくないんだ。私はあなたとただの友人になりたいのではなく、あなたを伴侶として迎えたいのだから」
そう言ったアードルフは少しだけ寂しそうに笑ったあと、次の来訪についての了承と婚約の申し込みについて、後日改めて連絡する旨を説明して伯爵家を後にした。
アードルフを見送った後、両親にどう説明するかを軽く相談し、その後エルネストもまた王城へと戻って行った。
ミレイラは呆然としながらも、重い足取りで自分の部屋に戻った。
まるで現実味のない心持ちのままベットに腰掛けると、その勢いのまま倒れ込み両手で顔を覆う。
(何がどうしたら……アードルフ卿から求婚なんて)
それも、一目惚れされたうえに身内の前で熱烈に告白されてしまった。
一人になって漸くそれを認識したミレイラは、自分が赤面しているのを頬の温度で実感する。
(あんな切実に言われたら赤面くらいするわよ……っ)
無理やり自分に言い訳をして何とか落ち着こうと試みるも、頼りなさすぎる言い訳では一向に顔の温度は引いてくれない。
しかも、そう言えば夜会に行った目的が実を結んでしまったことに思い当たり、果たしてこの出逢いは喜んで良いものなのだろうかと悶々と思い悩むことになるのだった。




