籠の鳥は世話される
婚姻後のお話です。
アードルフとの婚姻を決めてから、あっという間に時は過ぎた。
婚姻式の準備は勿論、輿入れの準備や別邸内の模様替えなど、よくも一か月で済ませたと言う程に色々あった。
それでも無事に婚姻式を執り行うことができ、後ろ盾として名乗り出た友人のティルダとも念願の再会を果たすことが叶った。
婚姻式のドレスに関しては、何故か後は手直しするだけと言う所まで工程が進んでおり、無事に式の前には完成していた。
おそらくはアーノルドが率先して準備を進めていたと思われるが、一体いつから想定して動いていたのだろうか。それについてアードルフに聞いてみると。
「ここまで前倒しになるとは思ってなかっただろうが、あの男が長くないのは分かっていたからな。婚約後すぐに準備には入っていたんじゃないか?それこそ半年後にはいつでも挙式を挙げられる状態に出来るように」
とのことだった。ミレイラは初動があまりにも早すぎて言葉もなかった。
だがそのおかげもあって、無事に婚姻式を終えることが出来た。
その翌日の昼近く、ミレイラはドレッサーの前に座って顔を両手で覆い隠していた。
「アーディのばかぁ……っ」
「随分可愛い罵倒だな、ミリィ」
ミレイラは今、癖のある髪を何故かアードルフによって丁寧に櫛で解かされていた。
と言うのも、前夜は初夜だったこともあり、そもそも起きるのが遅かったところから始まる。
ミレイラは夜の間中アードルフに愛され続け、おそらくは空が白んできた頃に意識を手放した。
そしてすっかり日が昇り、それでも疲労から中々起きることが叶わずに微睡んでいると、ミレイラを抱いていたアードルフが顔の色んな所に口付けてきた。
「ミリィ、まだ眠いか?」
少しだけ掠れた低い声は甘くて、ミレイラに問いかけながらも口付けは頬や鼻先に落とされる。微睡みから目覚め始めると、今度は前夜のことが脳内に思い起こされて思わずアードルフの胸に顔を押し付ける。
「……おはよぅ、ございます」
「ふっ、おはよう」
真っ赤になった顔は見られていないが、羞恥心からの行動だとはバレているのでいたたまれない。しかも掠れた自分の声は、昨日の情事を如実に物語っているため尚のこといたたまれない。
「昨日は無理をさせたが、これであの日の鬱憤は晴らせたな」
あの日と言われてもミレイラには何のことか分からず、腕の中で顔を傾ける。
「シュミット邸に泊まった時のことだ」
アードルフのその言葉で思い出した。確かにあの日、アードルフはミレイラに対して『結婚したら存分に返す』と言っていた。それはつまり、そういう事だったのだ。
「分かったか?普通は愛した女性と同衾するってことは、そういう事を考えるものだ」
「…………っ」
「欲求不満で無駄に疲れた。あの日の俺は褒められて然るべきだと思う」
ここぞとばかりに言い募られるため、ミレイラはどう反応するべきなのか途方に暮れる。しかし本気で言っていると言うより揶揄っている雰囲気が強いので、素直に謝ることもしたくない。
「何でアーディはそんなに元気なんですか……」
「存分にミリィを堪能したからな」
「………………」
本気で嬉しそうな表情をして言われてしまえば、それ以上何も言い返せない。下手なことを口にすれば藪蛇になりそうだ。
「喉が渇いたろう、果実水でいいか?」
「……はい」
返答を聞くとすぐにアードルフは体を起こし、サイドテーブルに置かれたピッチャーを手に取りコップに果実水を注いでいく。
ミレイラも両手を付いて体を起こそうと力を入れるが、体を起こしかけた時に腕の力が抜けてそのままベッドに倒れ込んだ。
「……え」
「ミリィ、多分今日は起きれないと思うぞ」
注ぎ終わったコップを一度サイドテーブルに戻すと、アードルフはミレイラの背中に手を差し入れて上半身を抱き起こす。ミレイラにブランケットを引き寄せながらその体を支えたあと、果実水を入れたコップを差し出した。
「とりあえず喉を潤した方がいい」
疑問が晴れないものの喉が渇いたのは事実なので、素直に果実水に口を付ける。それを飲み終わると「もう一杯飲むか?」と聞かれたので首を振って否と答える。するとそれを了承し、アードルフもまた同じコップで果実水を一杯飲んだ。
「体のあちこちが痛いだろ」
「……そう言われると、確かに色んなところが痛いです」
「だろうな。あれだけ抱いたら筋肉痛にもなるだろう」
「……そう言うことを言わないで下さい」
日も高くなったと言うのに、夜のことを思い出させるようなことを言わないで欲しい。
「腹は空いているか?今からじゃ昼食に近いが」
「……今は疲労の方が強いです。それに」
「それに?」
「…………汗を流したい、です」
心なしか身綺麗にされている気はするが、湯浴みをしてすっきりしたい気持ちが強い。
「そう言うと思って準備はしてある。すぐに入るか?」
「出来ればお願いしたいです」
「分かった」
アードルフはベッドから降りると、ブランケットを被ったままのミレイラを軽々と抱きかかえた。それに驚いたミレイラは、小さく悲鳴を上げながらアードルフの首にしがみ付いた。
「ま……っ待って!アーディ」
「心配しなくても、この部屋に風呂が付いてるのは知ってるだろ」
「サリアを呼んでくれるんじゃないんですかっ」
「何故?」
当たり前のことを聞いたはずなのに、疑問で返されたことが理解しきれない。なぜ彼が自らミレイラを運ぶことになるのだ。
「結婚したんだからミリィの世話は俺がする」
「えぇ?!」
「そもそも初夜で無理させたのは俺なんだから、身綺麗にするのも俺の義務だろ」
どう考えてもその理屈はおかしい。
「それに、サリアは今日から一週間は本邸勤務だ。来週から正式にここに配属される」
ミレイラがエイルース公爵家に嫁ぐことが決まった時、侍女のサリアと数名が伯爵家から公爵家に雇用先を変えた。それはミレイラの能力を知る者が別邸にいた方が問題が起こりにくいとアードルフが判断し、それを伯爵家も了承したためだ。正式な雇用は今日からだとは知っていたが、昨日はずっとサリアが身の回りの世話をしてくれたこともあって、最初から別邸に配属されるものと思っていた。
「俺は元々身の回りのことは自分で済ませる。ミリィには侍女は必要だろうが、俺がいる間は使用人だろうと部屋に入れるつもりはない」
「じゃあ……まさか、お風呂も?」
「当然俺が手伝う」
何故そうなるのかと、ミレイラは顔を真っ赤にしながら必死に藻掻こうとする。だがアードルフにしっかりと抱きかかえられているし、体もだるくあちこちが痛いために大した抵抗も出来ない。
「断言してもいいが、ミリィは立てても歩けないと思うぞ」
「そんなにしたのは誰のせいですかっ」
「だから手伝うと言ってるだろう」
「そう言う意味じゃないんです……!」
そんな虚しい口論ではアードルフの行動を止めることは出来ず、結局ミレイラは彼の手によって湯浴みの世話まで受けることになった。結婚早々にこんな形で一緒にお風呂に入ることになるとは夢にも思っていなかったので、短い時間しか湯に浸かっていないはずなのにのぼせたように顔が熱い。
そして、バスローブを着せられた状態で再び抱きかかえられながら寝室に戻って来ると、懇切丁寧に髪の水気をタオルで拭われた後に、ヘアオイルで髪の手入れまで施された。
更に着替えまで手伝うと言われ、もう勘弁して欲しいと懇願しても聞いて貰えず、抵抗しようにも体に力は入らないために結局最後の最後まで世話を焼かれてしまった。
羞恥心で顔を隠したミレイラはそのままドレッサーの前に座らせられ、癖のある髪を丁寧に櫛で解かされている。何度も抵抗したためすっかり疲労困憊のミレイラは、もはやされるがままになっていた。
「アーディのばかぁ……っ」
「随分可愛い罵倒だな、ミリィ」
それでも気持ちの整理は付かず、顔を覆い隠したままどうしようもない気持ちが満足げなアードルフに罵倒を放った。
「何でそんなに楽しそうなんですか……」
「前に言ったろ、ミリィの全てを手掛けられると考えれば気分が良いと。そう言うことだ」
そのまま鼻歌でも歌いだすのではないかと思うほどに上機嫌なアードルフは、とても自分と同じで寝不足とは思えない。
「ミリィの髪は細くてふわふわとした手触りがいいな。ずっと触っていられる」
そう言いながら、愛おし気に手に取った髪に口付けを落とされる。どちらかと言うと自分の髪にコンプレックスのあったミレイラは、アードルフの感想に複雑な心持になる。
「……私はアーディみたいなサラサラの髪が羨ましいです」
「そうか?寝癖が付くと取れないから厄介だぞ」
「梅雨時には整えても広がるし、櫛で梳かすのも大変でしょう?」
「そう思ってたらこんな事していない」
そんな会話をしながらも、アードルフは丁寧にミレイラの髪を梳いていく。ある程度整い終わると、ハーフアップにまとめられた。鏡に映ったミレイラの髪を確かめながら、アードルフは穏やかに笑って小さく呟く。
「可愛い」
その呟きはミレイラの耳にもしっかり届いていたが、顔を赤くする前に後ろからアードルフに抱き締められた。
「これからこうして、一緒にいられるんだな……」
耳元で囁かれるその言葉には、いろんな感情が込められているようだった。
「こんなに手を掛けてしまって、幻滅されませんか?」
「まさか。これでも一方的に世話を焼いた自覚はある」
一応自覚はあったらしい。それについては色々物申したいが、結局こうして幸せに感じてしまっている以上、文句を言える立場にはないのだ。
「ミリィ、もっと砕けた口調でいいって昨夜言ったろ」
「……そう、だけど」
それを意識させるようなことを言わないで欲しいと、伝わっているはずなのに何故何度も思い出させるのか。
「男はそんなことしか考えていないもんだ。慣れろ」
「……やっぱり、アーディは意地悪だわ」
「相変わらず嫌いとは言わないのだな」
よくする会話の流れだが、ちゃんと伝えておきたい。そんなことは絶対言わないと思うから。
「嘘でも言いたくないの……。言葉は、自分の思った通りに伝わらないものだから」
自分にその気はなくとも、受け取る相手によっては善意でも悪意でも真逆に取られることもあるから。
「大好きだから、誤解されるようなことは言わないわ」
「ミリィ……」
「アーディ、私も抱き返したい」
そう言うと、アードルフは一度体を離してミレイラの隣に来てくれる。そんな彼に両手を差し出し、その温かい胸元に顔を寄せる。
「愛してるわ、アーディ」
「俺もだ。ずっとあなただけを愛すよ、ミリィ」
そう言って自然と口付けを交わす。情事を思い起こすような激しいものではなく、優しく触れあうだけのささやかな口付けを。
「…………アーディ」
「何だ?」
「申し訳ないのだけど……お腹が空いてきたわ」
「ふっはは、そうか」
そう言って、愛おしそうにぎゅっと抱き締められた後に膝裏に腕を通され、抱き上げられる。
「それじゃあ、大事な妻がお腹を鳴らす前に昼食にしよう」
「……色気がなくて申し訳ないわ」
「食欲は大事だ。いつまた食事が喉を通らなくなるか分からないからな。それに」
「それに?」
一泊を置いたあと、アードルフはミレイラの鼻先に口付けを落とし、そのまま口付けられそうな距離で熱を孕んだ瞳が見つめ返す。
「ミリィは体力を付けないと、今後持たないぞ」
その言葉に含まれた意味を身を持って体験しているミレイラは、思わず肩を震わせる。
「優しく抱いてやりたい気持ちと同じぐらい、乱暴に抱き潰してやりたくもなるからな」
獰猛な視線の中に含まれた劣情の炎は、暗闇の中で見たあの瞳そのもので。思わず怯えた表情をしながらも、心の奥底に僅かに悦びが浮かび上がる。
「俺の愛はあなたのものだ。ちゃんと享受してくれ」
それはどこまでも甘くて、どこか恐ろしくて、だけど受け取らずにはいられない。
中毒性すらある重い愛情を受け取るミレイラは、いずれはこれが異常なほど重いものとすら思わなくなるだろう。
籠の鳥は飼われなければ生きていけないように、ミレイラはアードルフからの愛を与えられなければ、生きていけないのだから。
アードルフはシュミット邸に泊まった時、ミレイラの世話を焼くのが存外悪くないと感じました。
婚姻後、それが何よりも幸せを感じると知った彼は嬉々として色々手を掛けます。
ミレイラは恥ずかしくてしょうがないですが、尽くされるうちに慣れるでしょう。




