最終話
「……く、国の?」
「ウィルフレッドは、ずっと先天的な魔力低下について調査していた。裏で蔓延る違法薬や、ユリウス殿の魔力暴走もそうだ。この国は魔法主義を謳っているが、現状はその根底が腐り始めている」
大がかりな話になり始めたことに、ミレイラの困惑していた思考に少しずつ不安が混ざり始める。そんなミレイラの不安を慰めるように、アードルフの両手がミレイラの手を優しく温める。
「だが、魔力循環はその根底の解決に繋がる」
「そんなに凄いことではなかったはずでは……?」
「最近エルネストも忙しそうだったろう」
急にエルネストの話になり、困惑しながらも確かにそうだと頷いて見せる。地味に呼び捨てになっていることも不思議に思ったが、これは今聞くことでもないだろう。
「ミリィを社交場に出さない代わりに、エルネストをウィルフレッドに売ったからな」
「えっ!?」
「ちなみに売ったのはアーノルドだ」
まさかここ最近の忙しさの原因に自分が関わっていたとは。思わず顔を俯けてしまったが、すぐにアードルフに顎を取られて視線を合わせられる。
「ミリィには言ってないようだが、エルネストも魔力循環を習得しているし、触れることで相手の魔力の流れも分かるそうだ」
「そ……そうなのですか?」
「本人が言っていた。だが、急に魔法の扱いが向上しては怪しまれるからと、今まではわざと停滞させていたそうだ」
「そんな……」
幼い頃のエルネストは魔術師を目指していた。
その為に勉強していたのは知っていたが、ミレイラの悪夢を共有してからは段々と将来について悩み始め、最終学院生の時に文官になると言い出したのだ。本人は魔法を操る能力に限界を感じたと言っていた。
「私が魔力循環を習得した時には、エル兄様はもう夢を諦めた後だった……」
「結果的にはそれで良かったと言っていたぞ。ミリィの考えを元に、エルネストも仕事の傍らで魔力や魔法ついて勉強は続けていたそうだ。そしてミリィの仮説に信憑性を見出したが、それは魔術師となっても公に調べることは出来ないし、下手に人の目に晒すことは出来ないものだ。本人はずっと隠し通すつもりだったようだが」
それを聞いて、せめてもう少しだけ早くその可能性に気付いていればと思ってしまう。結果的に良かったとは言うが、それはミレイラを思っての言葉であって、エルネスト自身の将来に対するものではない。
今の仕事に対して愚痴を言ったことはないが、ずっと勉強を続けていたのなら、当時はもっと複雑な心境だっただろうに。
「あまり自分を責めるな。魔術師とはなれなかったが、その知識を買われて今やウィルフレッドのお気に入りだ。魔術師となるよりある意味稀有な経験だぞ」
「……それはそれで違う意味で心配になります」
「シュミット伯爵家の次期当主は将来有望で良いことじゃないか。現当主は言葉を失っていたが」
アードルフ経由でとんでもない伝手を得たミレイラは、知らない間に兄や伯爵家にも恐ろしいほどの影響を与えてしまったらしい。
あまりの出来事に思考が付いて来ず、アードルフの手から逃れて顔を覆い隠す。どう考えても対人恐怖症の人間が持つべき伝手ではない。
「そのうち俺の代わりにエルネストが側近に収まるかもしれないな」
「……エル兄様に胃薬を届けるべきかしら」
「心配しなくても、あいつもあれでタフだぞ」
「兄妹揃って王太子殿下の執務室に呼ばれるなんて……」
「ま、そういう訳だ」
覆い隠した両手を取り払われ、深い青色の瞳がミレイラを覗き込む。
「これだけ強力な後ろ盾があるのに、今更社交が必要か?」
どう考えても必要ない。むしろ、そんな後ろ盾の前に立つことが恐ろしすぎる。
「これで目下の悩みは解消したな」
そう言うと、怪しい光を帯びた瞳が近づいて来てそのまま口付けられる。何の脈絡もなくされたことに、思わず顔が熱を持つ。
「な……何で急にっ」
「言ってなかったが、他人の目に晒される以上に、俺以外の人間のことでミリィの思考が埋まるのが面白くない」
「あんな話をしておいて理不尽ですっ」
「知るか。ミリィは俺だけを考えていればいい」
両手を取られたまま更に口付けを繰り返される。何度も啄むように唇を重ねられ、時には唇を食まれ、リップ音が耳に届く。
顔を隠すことが出来ないため、アードルフの思うままに口内まで蹂躙される。それなのに、そんな行為を嬉しく思ってしまう。ミレイラの思考すら自分で埋めたいと願うほどの執着に、思考が囚われる。
「は……っはぁ……」
「ミリィ、ちゃんと鼻で呼吸するんだ」
リップの色が移ったのか、アードルフの唇が微かに色づいて見える。それを知ってか知らずか、アードルフはミレイラの口元を親指で拭いながら自分の濡れた唇は舌で舐めとる。その仕草とミレイラに向ける熱を孕んだ視線に、何故か心がざわついてきて自然と体がビクッと震える。
「ふっ、こんな顔を見れるのは俺だけだ」
顔の輪郭をなぞるようにアードルフの指が頬を撫でていく。
ミレイラは自分がどんな顔をしているのかは分からないが、とりあえず人前に出れる状態ではないことは分かる。
上手く呼吸が出来なかったせいで顔は赤いし、目も潤んでしまっている。深く口付けられたことで、リップが取れてしまったことも知覚している。
「せっかく良い顔をしてるのに、まだ話すことがあるのが癪だな」
そう言うと仕切り直しとばかりに、アードルフはコーヒーを手に取って口を付ける。
それを見て、そう言えば全然飲んでいなかったことを思い出し、ミレイラも少しだけ冷め始めたコーヒーに口を付ける。心臓がドキドキと早い鼓動を響かせるが、コーヒーを飲んだくらいでは収まりそうもない。
「一先ずミリィの問題は解決したし、今度は俺の方について話そう」
そう言うアードルフの表情は、先ほどまでとは変わって不機嫌そうに眉を顰める。先程のようにミレイラの手を取る事はせず、両手はカップを持ったままだ。
「あの男……公爵はもう長くない」
「……そんな」
「ああ、ミリィに伝えておく。薄情と思うだろうが、俺はあの男を父とも家族とも思っていない。正直、さっさと死んでしまえばいいとすら思っている」
それを伝えると決めたアードルフの表情は不機嫌なままだが、そこにそれ以上の憎悪は見えない。容易に口を挟めるような関係ではないことは見て取れるが、肉親に対する執着のようなものは感じられなかった。
「ミリィには悪いが、例え命尽きようともあの男には会わせない。あんな男に同情するような感情を、ミリィに持たせることすら不愉快だ」
「……後悔はされませんか?」
「俺はあの男との関係性は断ち切っている。今更どうとも思わない」
表情や声色に気を配りながら様子を見ていたが、おそらくは本当にそう思っているのだろう。
母を亡くしているにも関わらずこれだけ父に対する執着がないのなら、アードルフの過去は本当に悲痛なものだったのだろう。それを思って表情を曇らせる。
「アルの判断にお任せします。私が一般論を説くことで、アルの気持ちを踏み躙るようなことはしたくないので」
そう言いながら、今度は自分からアードルフの手に自分の手を重ねる。
今ミレイラの表情を曇らせているものは、アードルフの父を思ってのものではないと分かってもらうために。
「アルが不快に思うなら、葬儀にも顔を出さないようにします」
アードルフに嫁ぐ立場を考えれば有り得ないことだが、何よりもアードルフの心情の方を思いやりたかった。
「有り難いが、流石にそれはまずいな」
ほんの少しだけ泣きそうな顔をしながら、アードルフは苦笑する。
「無作法が過ぎるでしょうか?」
「いや、その頃には関係性が変わっているからな」
言葉の意味を理解しきれず、ミレイラは思わず首を傾げる。その疑問も当然だろうと、アードルフは更に分かりやすく話し始める。
「アーニーの話では、あの男は半年も持たない可能性があるそうだ」
「そう……ですか」
「それで勝手で申し訳ないが、さっさと婚姻して式を挙げる」
「…………?」
婚姻。婚姻して式を挙げると言った。
「え……?」
それはつまり、エイルース公爵が亡くなる前に結婚することを意味する。
「は……早過ぎませんか?」
「いつ死ぬとも分からない奴を待っていられない。式と言っても婚姻式を挙げるだけだしな」
身も蓋もない物言いに思わず呆然とアードルフを見つめる。確かに今のままの状態では、いつ結婚出来るか分からないのは事実なのだが。
「それにしても急過ぎるのでは……他にも理由があるんですか?」
エイルース公爵への確執については口を出すつもりはないが、婚約してからまだ三ヶ月も経っていない。
「俺達が婚約者すら決めていなかったのは、元はエイルース公爵家を自分達の代で終わらせてやろうと思っていたからなんだ」
不意に無表情となったアードルフに驚き、ミレイラは驚きつつもその真意を探ろうとする。
「アーニーは立場的に婚約を退け続けるのは難しいから、あと数年もしたら飾りの妻を取る予定ではあった。だが、予期せず俺がミリィを見つけた」
「……だからお二人共に浮いたお話すらなかったのですね」
内心で見つけて貰えたことを喜ぶ感情を読まれ、アードルフの指がミレイラの頬を撫でる。
「そうしたら、意外にもアーニーがミリィとの出会いを喜んだんだ」
「予定外のことだったのですよね?」
「もちろん。ただ、アーニーはあの男が俺を一方的に憎んでいたのを知っていた。だから公爵家を終わらせるよりも、より復讐になりそうな方針へ切り替えることにしたんだ」
どうやらアーノルドの方がエイルース公爵への憎悪は根強いようだ。ミレイラには穏やかな表情を見せてくれたが、それはあくまでアードルフの想い人だからこそなのだろう。
「その方針とは?」
「俺の子にエイルース公爵家を継がせる」
予期せぬ言葉を発せられ、今度こそミレイラは言葉を失う。
「あの男には何よりも許し難い報復となる。だから、さっさと俺達に子を成して欲しいそうだ」
頬を撫でていた指が、ミレイラの耳に触れる。
「っ!」
その感触に擽ったさとほのかに混ざった違う感覚が肌を過り、大きく肩を震わせる。
「急ぐ理由はそれだ。少しでも早く、後継となる子を産んで欲しいそうだ」
「な、なん……っ」
顔だけでなく耳まで真っ赤にしてミレイラは声を震わせる。
「何でもう子供の話なんですか……っ」
「婚姻したら夫婦だからだ」
「そっそうですけど!」
想像よりずっと早い婚姻に、何の情緒もなく子を成せと言われる身にもなって欲しい。
「残念だが俺よりもアーニーの方が嬉々として準備を進めてるから止められないぞ」
「そんなっ」
「それに……こう言ってはなんだが、ミリィは心身共に不安定になりやすい。体の負担を考えても、早いに越したことはないだろうと」
それについては反論出来ない。慢性的ではないとは言え精神状態は不安定となりやすく、酷い時は食事すらまともに取ることも出来ない。口にはしないが生理不順もある為、子供を授かりにくい体ではあるだろう。
婚姻するよりも前からこんな事を考えなければならない状況に戸惑いや羞恥心もあるが、それよりも。
「アルは……そのっ」
そんな急かされ方をして、アードルフ本人はどう思っているのだろうか。
「勝手にお膳立てされてミリィが手に入るなら僥倖だな。むしろ、一日でも早く俺の物にしたい」
ギラついた瞳がミレイラの行動を制し、触れていた耳にアードルフの唇が触れる。
「ひぅっ」
触れた唇に最初は擽ったさが勝っていたが、耳朶を食まれ出した辺りから違う感覚が這い寄ってくる。
「ミリィ」
耳のすぐ側で囁かれた低音が脳内を震わせ、このままだと危ういのではと思い始めた思考が掻き消されていく。
妖艶な微笑みを称えたアードルフは、顔を上げてミレイラの顎に指を添える。
「アーニーが公爵位を継ぐ一ヶ月後、ほぼ同じ時期に別邸で婚姻式を挙げる。見届け人はアーニーやシュミット伯爵家をはじめ、ウィルフレッドとフィオレンサ、そしてロージェル公爵。それからセンナーシュタット辺境伯夫妻だ。そうしたら、晴れてミリィは俺の妻だ」
赤面するミレイラを抱き締め、その細い肩にアードルフは顔を埋める。
「やっと、手に入る」
少しだけ苦しい程の力が入れられ、二人の間に隙間すら許さないとばかりに抱擁される。
縋るようですらあるその抱擁は、本当の意味で手に入るのだと実感する為の行為にすら思えた。
「ミリィ……」
いつになく震え掠れた声は、何故か感傷的にすら聞こえてくる。
ミレイラと違って、アードルフの心が伝わることはない。それを初めて残念に思った。
ミレイラにしてあげられることはとても少ない。
それでも少ないなりに、ミレイラにしか出来ないことで返せるものがあるとすれば。
「アーディ」
「……っ」
最近では、眠り落ちてしまったアードルフにしか言えなかった、彼の本当の愛称。
父との確執があったなら、おそらくはアーノルド以外に呼ばれることすらなかった、その愛称を。
妻となり、家族となる自分も呼ぼう。
「アーディ、愛しています。あなたに囚われた私を、あなたの檻に入れて下さい」
「……それが、あなたの答えか」
「はい」
アードルフと同じように強く抱き返しながら、彼の胸元に顔を擦り寄せて乞い願う。
そんなミレイラの頬をアードルフの大きく暖かい両手が優しく覆い、視線を合わせられる。
「ミリィ、あなただけを愛してる。これから先何があっても、もう……離してやれない」
深い色をしながらも光を反射するサファイアの瞳は、心なしか潤んでいるように見える。
泣いているようにも見えたが、他ならぬミレイラ自身も涙で視界が滲んでいるので、もしかしたら気の所為かもしれない。
「はい……っ」
それでも、心は通じている。
だから伝えたい気持ちは触れ合うことで。
口付けを交わしながら、お互いに愛する気持ちを確かめ合おう。
✻✻✻✻✻
その後、アーノルド・エイルースが公爵位を継承すると同時に、アードルフはシュラウトナー領を譲渡され伯爵となった。
そしてほぼ同じ時期に婚姻式を挙げ、兼ねてから仲睦まじくしていたミレイラ・シュミットを妻に迎えた。
婚約してから半年も経たずに結婚したアードルフ・シュラウトナーは、その溺愛と執着故に妻を一切社交の場に出そうとはしなかった。
王家主催の夜会ですら自身がエスコート出来なければ連れて来ない徹底振りで、その重すぎる愛情は時に姿のないミレイラに同情する者すらいたほどだった。そして婚姻式から数か月後には前公爵が亡くなったため、彼らは一年の喪に服することになり、その間ミレイラが公の場に出ることは一度としてなかった。
しかし、喪の明けたある日の夜会でのこと。
アードルフのエスコートを受けて、婚姻後にようやく姿を表したミレイラは、知る者からすれば驚く程に幸せに充ちた表情をしていた。
何処に行くにもアードルフはエスコートの手を離すことはなく、ミレイラもまた何事にも世話を焼く夫の姿に頬を染めながらも、その重い愛情を享受していた。
やがてミレイラは身籠り、再び社交の場に姿を現すことはなくなったが、ただでさえ溺愛する愛妻が子を宿したのだ。アードルフが彼女を再び公の場に出すことは当分ないだろう。
婚姻してからの彼女は、いつからか『囚われの籠の鳥』と称されていたが、実際にその姿を見た者達は、籠の鳥の方が囚われに行ったのではと考えを改める。
果たして、囚われたのはどちらだろうか。
そしてミレイラ・シュラウトナーは、今日も扉の開かれた檻の中で、最愛の人からの幸せを享受する。
短い期間でしたが、最後まで読んで下さりありがとうございました。
後日談は現時点で数話予定していますが、これにて本編は終了となります。
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