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籠の鳥の友愛

ミレイラの友達、ティルダ視点のお話です。

 

 

 

「……発言を、お許し下さい」

 

 ミルクティー色の髪の女の子は、表情の乏しい顔をして声を掛けてきた。

 

 今思えば、どれだけの勇気を振り絞って声を掛けてきたのだろうと思う。あの子は……ミレイラは、この時には既に他人に恐怖を覚えていたのだから。

 

 

 

 

 私、ティルダ・パトリクソンは侯爵家の長女として生まれた。

 

 私には二人の兄がおり、末っ子の私は兄達と同じような遊びに興じ、物心ついた頃にはとても女の子らしいとは言えないような男勝りな子供に成長していた。

 

 令嬢らしい口調も苦手、所作は粗雑で癇癪持ち。そんな私でも兄達は気にすることはないと笑い飛ばしてくれたが、両親は頭を抱えていたらしい。

 

 やがて同性とも交流をすることで女らしさとは何かを感じてもらおうと、同じ年頃の女の子同士の顔見せやお茶会に連れ出されるようになった。

 

 私は大人しく椅子に座ったまま、優雅にお茶会なんてかたっ苦しいものが大嫌いだった。


 それでも、その子達の優雅な姿は当時の私にはそれなりに素敵に思え、同じように振舞おうとマナーに積極的に取り組むようにはなった。

 

 そこまでは両親も喜んでいた。きっかけを得たことで、私もそれなりに落ち着きを持つようになり、口調も最初に比べれば随分まともになってきた。

 

 それでも、窮屈な令嬢の仮面は苦痛を伴った。

 

 段々令嬢らしく振舞うことにすらうんざりするようになり、自然と口数も少なく不満が表情に出ることが多くなっていった。


 そしてついに、仮面を付けていられなくなった私は問題を起こした。


 ある日のお茶会で、私の不満を見て取ったある令嬢がこんな言葉を放った。

 

「ティルダ様もそのように感情を表にお出しになることがあるのですね」

 

 幼いながらも生意気なその口調は、私の癇に障った。それでもまさか兄達のように取っ組み合いの喧嘩を吹っ掛ける訳にもいかないからと、何とか罵倒を飲み込み受け流すための言葉を返したのだ。

 

「ごめんなさい。楽しんでいる方達の前でする表情ではなかったかもしれないわ」

 

 この言葉は、私からすれば特に裏の意味はなく、取り繕っただけの言葉のつもりだった。

 

 しかし、受け取り手はそうは思わなかった。

 

「……そう、ティルダ様を楽しませることも出来ない主催側(こちら)に問題があると、そう仰りたいのですね?」

 

 まさかそこまで重く受け止められるとは思わず、相手もまた同じ侯爵家の人間だったとしても反感を買ってしまったことに内心焦りを覚える。

 

「そのようなことは思っておりません……!」

「いいのよ、無理に取り繕おうとなさらなくても。パトリクソン侯爵家の令嬢に退屈な思いをさせてしまったことは、こちらの過失だもの」

 

 いよいよ話の流れが怪しくなってきた。腹の底では怒りを覚えながらも、何とかこの場を収めなければと更に言葉を重ねようとした時、一人の声が割り込んで来た。

 

「……発言を、お許しください」

 

 声を発したのは、気弱そうで表情の乏しい顔をしたミルクティー色の髪の令嬢だった。確か、シュミット伯爵家の令嬢だったはずだ。

 

「不躾ね。……いいわ、発言を許します」

「ありがとうございます。あの……ティルダ様は、今日は体調が優れないようなのです」

 

 唐突に始まったその言い訳は、私には身に覚えのないものだった。

 

「そうなの……何故ミレイラ様はそのことをご存じなの?」

「会場へ入る前に、顔色を悪くされていた様子を見て声を掛けていました。その時に、教えてもらったのです」

「……そう」

 

 当然そんな事実はない。会場に入る前に偶然顔を合わせたのは事実だが、声を掛けられてはいないし、何なら彼女の方がそそくさとその場を離れて行ったぐらいだ。

 

「気にする必要はないと、言われていたのですが……」

「いいえ、教えてくれてありがとう。ティルダ様も、体調が思わしくないのでしたら無理をされることはありませんわ」

「……申し訳ありません。では、その好意に甘えようかと思います」

 

 これ以上ここにいる理由はない。それならば、さっさと退場してしまおう。

 

 そうしてその日は、相手の言葉通り素直に会場を後にした。

 

 しかし、燻り続けた怒りが収まることはなかった。

 

 幼いながらも既に腹の探り合いをする貴族令嬢と言う息苦しさも、一人で対処できなかった不甲斐ない自分に対しても、それまで避けるような行動すらとっていたシュミット伯爵家の令嬢にも、何もかもが私自身を煽り立てる。

 

 結局その鬱憤は嗜みとして覚えていた剣へと向かい、次兄との打ち合いで晴らそうとした。

 

 それでも腹の虫は収まりきらず、結局先触れをやってからシュミット伯爵家へと半ば乗り込むような形で訪問し、急に援護して来たミレイラに鬱憤をぶつけた。

 

「何で今まで避けてたくせに庇ったのよ!私はあんたに庇われるほど弱くない!勝手なことをして、自分が良い事をしたなんて思われては不愉快だわ!!」

 

 怒りの剣幕はそのまま言葉となってミレイラに降りかかる。それをまともに受けたミレイラは、顔を蒼ざめさせて小さく震え出した。

 

 その姿もまた癇に障り、さらに罵倒しようとする私の耳に、小さな震え声が届いた。

 

「ごめ……なさい。でも、私は……って……ほし……から」

「聞こえないわ!言いたい事ははっきり言いなさいよ!!」

 

 私の声に更に肩を大きく震わせて、委縮しながらもミレイラは何とか言葉を紡ごうとする。

 

「私は……庇って、欲しかったから」

「は?」

「同じ状況に……なったら、私は……庇って欲しいって、思うから」

 

 ミレイラの行動はあくまで、自分が当事者となった時に求めるだろう手を差し伸べたに過ぎないと言っている。

 

「私は求めてなどいない!勝手なことをしておいて、被害者みたいに泣かないでよ!!」

 

 涙に濡れるミレイラの姿に腹が立つ。こんな、見た目も雰囲気も弱そうな人間に、私が庇われるなんて……。

 

「申し訳……ありません」

 

 怒りを買ったと怯えながらも、ミレイラは涙を必死に拭い、頭を深く下げて謝罪する。

 

 その姿を見て、庇われたくせに一方的に罵倒する私は、何て醜いんだろうと思った。

 

「どうか、責めるなら私だけを。家族は、このことを知らないのです」

 

 あのお茶会でのことは何も話していないらしい。それなら、侯爵家からの打診にさぞ伯爵は驚いたことだろう。しかもこんな、一方的に罵倒されている状況など、想定外もいいところだ。

 

 そんな状況で、私は初めて自分の幼稚さに気付いた。

 

 ミレイラは、不興を買う覚悟で二つの侯爵家の間を持ち、更に苦情は伯爵家ではなく自身に向けるように訴えている。どう見ても怯えているだけで何の力もない、気弱な少女でしかないはずの彼女は、私よりもずっと立派な令嬢だった。

 

「……やめて、頭なんて下げないで」

「……っ」

 

 更に罵倒されると思ったのか、小さく息を呑む音が耳に届く。それほどに、今の私は彼女にとって恐怖の対象となってしまっている。

 

「八つ当たりして、自分の不甲斐なさを棚に上げるなんて……最低だ」

 

 顔を歪ませて涙をのみ込もうとするが、中々上手くいかない。怒鳴りつけておいて泣くとは、私はいつからこんな女々しくなったのだろう。

 

「ごめんなさい……私にあなたを責める資格などないわ」

「……ティルダ様」

「手を差し伸べてくれてありがとう。でも、その手は他の人に差し出すべきだわ」

 

 こんな面倒な女とは、さっさと関係を断ち切った方がいい。

 

「私は……多分、同じことがあったら、同じようにします」

「止めておくべきね。何の価値もないわ。それとも、侯爵家と縁を結んでおきたい?」

 

 貴族の社交は子供でも同じだ。縁があればそこから関係性を築いていける。それを見越しての言葉かと思ったのだが。

 

「ティルダ様は、本音で話しているから……」

「本音?勝手に怒鳴りつけただけでしょ」

「私は……裏の顔がある人が怖い、です。でも、ティルダ様は……裏の顔を持つような人では、なさそうだから」

 

 その言い分には色々物申したいが、実際に私は散々本音をぶちまけてしまったし、この荒々しい性格を隠し通すことなど不可能だ。

 

「……だから何よ。まさか友達になりたいとでもいうつもり?」

「私では……お嫌でしょうから、たまに話せれば、それだけで十分です」

 

 未だに怯えは拭いきれないのか、たどたどしい口調でささやか過ぎる希望を言葉にする。そんな態度でそんなことを言われて、嫌だと断言できるわけがないのに。

 

「そこは素直に友達になりたいって言いなさいよ!」

「は……っはい」

 

 肩を震わせながらも、ミレイラははっきりと頷いた。

 

「いいわ、友達になってあげる。どうせ私はこんな気性だから、他の令嬢と仲良くなれるとも思わないし」

 

 わざとらしく大きな溜め息を吐きながらも、上から目線で友達になる旨を了承してやる。


 すると、それまでずっと俯いて顔色を悪くしていたミレイラが、小さく笑った。その姿はとても可愛らしく、年相応の女の子の微笑だった。

 

 

 それからは何度か子供のお茶会で一緒になることもあったが、一年後にはせっかく友達になっても会うことが難しくなった。

 

 と言うのも、私の婚約者となる人が決まってしまったからだ。

 

 相手はセンナーシュタット辺境伯の嫡男で、どこから噂を聞いてきたのか、私の気性の荒さと剣の腕前に関心を寄せての打診だったらしい。

 

 おそらくは貰い手に苦慮した両親が私の気性の荒さが許される相手を探したのではないかと思う。当時は迷惑な話だと思ったが、相手のギデオンとは意外と相性は良かった。

 

 私はこの通りの苛烈な性格だが、ギデオンは温厚で物静か。それなのにいざ剣を持つと人格が変わったかのように眼光が鋭くなり、相手をせん滅する勢いで攻撃を仕掛ける。そんな彼を憎からず想っていたため、私達の婚約はすんなりと決まった。

 

 そのせいで、辺境領へ嫁ぐためにと今まで以上にマナー教育に力を注がれることとなった。学ぶことが多過ぎてプライベートな時間は減り、ミレイラと会うことはすっかりなくなってしまった。

 

 それでも手紙は送っていた。私も淑女教育でぐったりしていたせいで遅筆だったが、ミレイラの方も忙しいのか返答が来るまでにそれなりの時間が掛かった。それについては自分も同じような状況だったので、学院にさえ入ればまた会えるからとあまり深くは考えなかった。

 

 そして何とか貴族令嬢としての合格点を貰えるだけのマナーを身に付けた頃には、学院入学を迎えていた。

 

 入学の式典には全生徒が出席する。当然そこにはミレイラも来ていて、残念なことにクラスが違う為に中々話しかける機会は訪れない。それでもようやく話しかけられるだけの距離に来ると、ミレイラの様子に私は唖然とした。

 

「あなた……ミレイラよね?」

 

 そこにいたのは、無表情で何の感情も読み取ることの出来ない、貴族令嬢の仮面を被ったミレイラの姿だった。

 

「はい。お久しぶりです、ティルダ様」

 

 その声色は無感情で、ほんの少し口角は上がったように見えるが、誰の目から見ても顔色が悪い。

 

「顔色が悪いわ、体調が良くないの?」

「……いえ、緊張しているだけです」

 

 淡白な受け答えは、とても今まで手紙をやりとりしてきたミレイラ本人とは思えないほどに他人行儀だった。

 

「本当にどうしたの?昔はもっと……」

 

 そう言いながら、震えた手に気付いた私が手を差し伸べようとした時だった。

 

「……っ!!」

 

 手を伸ばした私に、ミレイラはあからさまに怯えて肩を震わせたのだ。

 

「え……」

「……っす、すいません!」

 

 顔色が悪いなんてものじゃない。一気に顔面蒼白となったミレイラは、酷く動揺した様子のまま校舎の外へ走り出してしまった。

 

「ミレイラ!」

「待って、ティルダ」

 

 すぐに後を追おうとした私の手を取ったのは、婚約者となったギデオンだった。

 

「何で止めるの!せっかくミレイラに会えたのに」

「これ以上騒ぎを起こしてはいけない。彼女の為を思うなら、今は大人しくした方がいい」

「何で!?友達の具合が悪そうなのに心配するのはいけないことなの!」

 

 何とか振り払おうとするが、ギデオンの力の方が圧倒的に強いために何の抵抗も出来ない。

 

「ここは小さな社交場だ。ミレイラ嬢に要らぬ噂を立てるようなことはしてはいけない」

「……っ!!」

 

 歯を噛み締めながらも、ギデオンの言葉を一生懸命自分に浸透させる。確かにこれ以上騒いでしまえば、私だけでなくミレイラにまで要らぬ噂を立てられてしまう。

 

 あの顔色でこれ以上学院に居続けることは難しいだろうし、今日は式が終わればすぐに帰ることになる。それなら明日改めて声を掛けた方が賢明だろう。

 

 そう思って、その日はそのままミレイラと顔を合わせることなく帰路に着くことになった。

 

 まさかそれ以降、在学中一度も顔を合わせることがないなんて、一体誰が予想出来るだろう。

 

 最初の半年間は、何度も手紙を送った。手紙が来ないことに業を煮やして直接伯爵家に出向こうとしたことすらあった。その時はギデオンに止められたが、結局ただの一度もミレイラの姿を見ることは叶わなかった。

 

 結局半年の間に一度も会うことが出来ず落ち込んだ私を見兼ねて、ギデオンがミレイラの兄であるエルネストに連絡を取ってくれた。会うことは叶わないまでも、せめて手紙の返事や会えない理由だけでも教えてもらいたいと。

 

 そしてそれを聞いたエルネストは、他言無用を条件に私とギデオンに事情を少しだけ教えてくれた。

 

 ミレイラは入学する一年前に誘拐まがいの事件に遭い、それ以来対人恐怖症になってしまったと。

 

 一年前と言えば、手紙の返信が極端に遅くなった頃だ。あの頃は自分も淑女教育で忙しくしていて、遅い返信に落ち込みながらも向こうも同じ状況なのだろうと思うようにしていた。

 

 その時には、既にミレイラは対人恐怖症になっていた。

 

 だから入学した当時、ミレイラはあんなに顔色を悪くしていたのだ。そして私が手を差し伸べようしたことに、反射的に恐怖し委縮してしまった。あのまま去って行ったミレイラを追っていたら、おそらく彼女の傷をより深いものにしていただろう。

 

「私は……助けるべきだったのよ」

「ティルダ、それは違うよ」

「だって、あの時助けてくれたのはミレイラなのに」

 

 ミレイラが一番苦しんでいた時に、手を差し伸べてあげられなかった。

 

 私は助けてもらったのに。

 

 ミレイラは、庇って欲しいと願っていたのに。

 

 それ以降はミレイラに手紙を送ることも躊躇った。助けてあげられなかった罪悪感と、あの日何も知らずに追い掛けていたら、ミレイラを更に追い詰めていたかもしれない可能性に思い至って戦慄した。私のような苛烈な人間が関われば、ミレイラの症状が更に悪化するのではないかと。

 

 ギデオンが懸命に慰めてくれたおかげで、落ち込みながらも学院には通い続けた。唯一ミレイラの名前を見ることが出来る学力考査の結果だけが、ミレイラが今も学院に在学していることを教えてくれた。

 

 最初の一年は自責の念もあり、結局手紙を送ることすら出来ずに終わった。

 

 二年目は、一方的に手紙を送り続けた。

 

 ギデオンにも相談したが、今のミレイラが対人恐怖症だとしても、私が友達だと思っているのなら送っても構わないだろうと励まされたからだ。だからずっと、返信が来なくても送り続けた。

 

 稀にミレイラが登校して来る時もあったが、クラスが違うことで容易に会うことも出来ず、そして面と向かって会うことに恐れて会いに行くことすら出来なかった。

 

 それでも手紙だけはと書き続けた。学院のクラスの様子や、授業中に聞いた勉学から逸れた余談など、何か一つでも興味を持てるような内容のものをと書き綴った。

 

 そうしてあっという間に最終年となり、卒業を迎えた。

 

 学院生最後となる卒業パーティーに、ミレイラが姿を現すことは最後までなかった。

 

 

 私は卒業後にギデオンと共にセンナーシュタット領へ向かうことになっていたため、準備をしながら手紙を書いた。

 

 これが王都での最後の手紙になるだろうこと、今後はセンナーシュタット領から手紙を出すので今まで以上に時間が掛かるだろうこと、ギデオンは両親を早くに無くしていたため、二年後には爵位を継承すること。そして同じ年にセンナーシュタット領で婚姻式をすることを伝えることにした。

 

 ミレイラが婚姻式に出席することはないだろう。祝いの言葉を催促するようで気が引けるが、手紙の差出人の名前を見て婚姻を知るのは気分の良いものではないだろうし、友達に婚姻の報告をするぐらいは許して欲しかった。

 

 そう願って、侯爵家から出す最後の手紙を書き終えた。

 

 

 

 そして出立する前夜、突然伯爵家から先触れが届いた。

 

 伯爵家からの訪問などこれまで一度もなかったのに、突然の先触れに驚いているとあっという間に到着の知らせが届いた。どうやら先触れからそう間を開けないうちに向かっていたらしい。

 

 慌ててエントランスホールに向かうと、そこには見た目の年齢からミレイラの兄エルネストと思われる人が待っていた。

 

「貴女がティルダ嬢ですね。シュミット伯爵家の嫡男、エルネスト・シュミットと申します。不躾に申し訳ないが、伯爵家の馬車まで足を運んで頂きたいのですが」

 

 戸惑いながらその言葉の意味を察し、まさかと思いエルネストと視線を合わせる。彼はその視線を受けて、確かに頷いて見せる。

 

「侯爵令嬢に無礼とは承知していますが、貴方にだけ会わせたい者がいるのです。どうか、共に来て頂けますか」

 

 確信に変わり彼の後ろに着いて行くと、一声掛けてから馬車の扉を開く。エルネストは私に視線を合わせて、静かに手を差し出してきた。

 

「どうぞ中へ」

 

 震える手を支えられながら、馬車に乗り込む。それと同時に、視界にミルクティー色の髪がなびいた。

 

「…………っ」

 

 自分の胸元から、嗚咽する声が聞こえる。

 

 抱き付いてきたその細い体を抱き返すと、小さく震えた後に更に体を震わせ始める。その震えは、決して怯えから来るものではないと伝わる。

 

「……さまっ」

 

 だってこんなに、彼女の……ミレイラの涙が溢れているから。

 

「ティルダさま……っ!」

 

 必死に声に出して言葉を伝えようとする懸命な姿に、自然と涙が浮かび上がる。

 

「ごめんなさい、ごめんなさいっ……ティルダ様ぁ!」

「……あなたは泣き虫ね、ミレイラ」

 

 同じように声を震わせながら、入学当初よりも細くなってしまったミレイラを優しく抱き締める。

 

「ずっと、会いたかった……っでも、わたし……」

「うん」

「怯えちゃって……傷付けたと、思って」

「……うん」 

「なのに……っずっと、手紙……くれて」

 

 ついには声に出して泣き始めたミレイラの背中を、ゆっくりと優しく撫でてあげる。震えは止まらないのに、私を抱く腕は決して放そうとしない。

 

「嬉しくて……っ申し訳、なくて……!ずっと、会いたかったっ」

「私の方がずっと会いたかったわ……。ミレイラが苦しんでる時……助けてあげられなかった」

 

 あの時の後悔は、今も残ったままだ。この子は本当に苦しんでいても、簡単に誰かに縋るような子じゃないと分かっていたはずなのに。頼ってくれないことが悔しかった。言葉ですら伝えてもらえないことが辛かった。

 

 それ以上に、隣で支えてあげられる人間になれなかったことが申し訳なかった。

 

「ずっと……助けて、もらってた」

「……そんな訳ないわ」

「本当……なの。ティルダさまの、手紙……いつも、待ってた。忘れられてないって、嬉しかったの……っ!」

「…………っ!」

「ありがと……っありがとう!大好きっ」

 

 震える声が、精一杯の友愛を伝えて来る。あんなにずっと会えなかったのに、一方的だと思った手紙を、彼女は確かに受け取ってくれていた。私の気持ちと一緒に、受け取ってくれていたんだ。

 

「ミレイラ……っ!」

 

 それがこんなにも嬉しい。

 

 私の気持ちは、確かにミレイラに届いていたんだと。会えずとも、返信を返せずとも、彼女は確かに私と一緒にいてくれたんだと。

 

「もっと早く会いに来なさいよ……っ!明日には、もういなくなるのにっ」

「ごめん……っごめんなさい!手紙、書くから……っ今度は私が、たくさん書くからっ」

「当然よ、おちおちしてたら私の手紙が次々と届くからね!長くは待ってあげないんだからっ」

 

 いつもの調子で話し始めた私の声は、ミレイラと一緒で震えていた。涙なんてとっくに止まらなくて、嗚咽しながらギュッと細い体を抱き締めて放さない。

 

「こんなに痩せて……ちゃんと食べてるの?」

「……うん、食べられる時は」

 

 決して良い状態ではないのだろう。馬車から降りられないのも、対人恐怖症と言う以外にも原因はあるのかもしれない。

 

「向こうで美味しいものがあったら、一方的に送り付けるから。ちゃんと味の感想は教えなさいよ」

「うん……うん、ちゃんと食べる」

「無理はしちゃ駄目よ。……お願いだから、これ以上弱ってしまわないで」

 

 あまり心配しすぎると、ギデオンを置いて一人で会いに来てしまうかもしれない。

 

「本当は、ちゃんと話したい……こともあるの。でも、まだ……怖くて」

「待ってるわ。手紙をくれるんでしょう?それが駄目でも、社交シーズンになれば王都に来ることもあるでしょうから」

 

 婚姻が終わるまでは辺境領から動けないだろうが、今後も友人でいるのだから、無理に全てを語る必要はない。

 

「たくさん話したい事があるんだから。今度会ったら逃がさないからっ」

「うん……ありがと。幸せになってね、ティルダ……っ」

 

 初めて、ミレイラが私の名前を呼び捨てにしてくれた。弱気なミレイラが、私を友人と認めて心を許してくれた。

 

 やっと、親友になることを許された気がした。

 

「あんたもよ!ちゃんと、幸せにならなきゃ許さないんだから……っ」

「……頑張る」

 

 分かりやすいぐらいにトーンダウンしたミレイラに、思わず笑いが零れる。この子はまだ、自分が幸せになるとは思えないらしい。

 

「婚姻式、出れそうになくて、ごめんね……」

「今、こうして会えたからそれでいいわ。センナーシュタット領で婚姻する時点で諦めていたもの。ギデオンが申し訳なさそうにしていたわ」

 

 あの時ほど、ギデオンが落ち込んでいたことはないんじゃないだろうか。それぐらいあの時の彼は凹んでいた。それを思い出して、思わず頬が緩んでしまった。

 

「良かった……」

「ん?」

「幸せそうに笑ったから、ティルダは……大丈夫だね」

 

 私の緩んだ顔を見て、ミレイラが嬉しそうに微笑む。

 

 ああ、この子は本当に、自分以外のことに感情を動かす子だ。

 

「ありがとう、ティルダ。いつか……良い知らせが書けるように、頑張るから」

 

 精一杯の言葉で私を安心させようと言葉を尽くすミレイラの姿は、幼い頃に見た立派な令嬢の姿より少しだけ幼く見えた。

 

 愛おしいこの親友は、いつかは私のように誰かに嫁ぐことになるだろう。伯爵家の人間はミレイラを大切にしているから、素行に問題のあるような人間は選ばないだろうが、心配でならない。

 

 

 その時の心配が、こんな形で戻って来るとは思わなかった。

 

 

 

 

 

 ✻✻✻✻✻

 

 

 

 

 

「何で今日は会えないのよ!?」

「ティルダ、落ち着いて?」

「落ち着ける訳ないでしょう!!」

 

 ミレイラの婚姻式が一昨日無事に終了し、翌日は流石に気を使うべきだろうと大人しくタウンハウスに滞在していた。

 

 しかし、私達は明日にはセンナーシュタット領に戻る為に王都を立たなければならない。だからこそ今日は会えるだろうとシュラウトナー伯爵家に打診を送った。それなのに、返って来た返答は『断る』の一言。

 

「明日には帰るって伝えたじゃない!」

 

 今日会うことが叶わなければ、仮に明日見送りに出向いてくれたとしてもまともに話す時間などないに等しい。

 

「アードルフ卿は何を考えてるのよ!」

「多分奥方のことしか考えてないんじゃないかな」

 

 アードルフがミレイラに対し強い執着を抱いているらしいことは、彼女からの手紙やアーノルド経由で窺い知ることは出来た。婚姻式でも、片時もミレイラの傍から離れないどころかずっと手を繋いだままだった。それについては特に文句を言うつもりはないが、親友の自分にすら会わせないとはどういう了見なのだ。

 

「それよりティルダ、お客さんが来ているみたいだ」

「は?何でよりによって今日なのよ」

「僕達が明日までしかいないからだよ」

 

 他の客なんてどうでもいい。私が会いたいのはミレイラであって、どこの誰とも知らぬ輩に合う義理はない。

 

「いいから、行こう。手土産を持って来ているそうだ」

「もう、ミレイラ以外に用はないのに!」

 

 半ば強引に背中を押されてしまい、文句を吐きながらも大人しくエントランスホールへ向かう。

 

 

「遅い」

 

 そこには、何故か不機嫌な様相のアードルフ・シュラウトナーがミレイラを横抱きにした状態で佇んでいた。

 

「ミレイラ!」

「ティルダっ」

 

 嬉しそうな声と共に、ミレイラは満開の薔薇のように笑顔を咲かせた。

 

「アードルフ卿、本日はわざわざお越し頂き、誠にありがとうございます」

「今の私は伯爵だ。辺境伯(あなた)が畏まるなら、私も言葉を改めることにしますが」

「それは違う意味で嫌かな。ではお言葉に甘えよう」

「準備は出来ているのか?」

「勿論。アードルフ卿には申し訳ないが、半日だけでも時間を頂けて助かったよ」

 

 ギデオンの言葉に、アードルフはあからさまに顔を顰める。話の内容に付いていけない私は、何故彼が顔を顰めるのかが理解出来なかった。

 

「ティルダ、あのね」

「うん?」

「アードルフ様が」

「ミラ」

 

 ミレイラがアードルフを敬称で呼んだ途端、彼は誰が聞いても不機嫌だと分かる声を出した。それを聞いたミレイラは、少しだけ口ごもった後に言葉を続けた。

 

「……アルが、昼食までの時間をティルダと過ごしていいって言って下さったの」 

「え……だって、断りの返事が」

「蜜月期間中に他人を別邸に招く訳がないだろう」

 

 いっそ清々しいまでの独占欲に、思わず開いた口が塞がらない。

 

「さっさとしないと、このままミラを連れて帰るが?」

「ちょ……っ冗談じゃないわ!そもそも何で抱きかかえて来るのよ!」

「それは……」

 

 顔を赤らめるミレイラを見て、さすがに察してしまった。これは追及しては駄目なやつだ。

 

「アードルフ卿、こちらへ。ちなみに昼食まではどうする予定で?」

「問題がなければギデオン卿とも話しておきたい」

 

 男同士で会話をしながら、ミレイラを連れて応接室へ向かう。

 

「ティルダ、わざわざ辺境領から来てくれてありがとう」

 

 嬉しさを前面に出したミレイラの笑顔は、今まで見たどの表情よりも愛らしかった。その笑顔を見たアードルフが不機嫌そうに私を睨み付けるが、そんなのはいちいち気にしていられない。

 

 私の見たかった一番の笑顔が、ようやく花開いたのだ。

 

 婚姻式の祝福された笑顔とは違う、親友との再会を喜ぶその笑顔は、確かに私だけに向けられたもの。

 

 あぁ、やっと。やっと話が出来る。

 

 

 これからもきっと、こうやって会って話すことが出来る。

 

 この笑顔が出来るようになったミレイラと、本当の意味で仲良くなれるんだ。

 

 私が辺境領へ嫁いだことで、頻繁に会うことは難しくなった。

 

 だけど、そんなことは私達には些細なことだ。

 

 何故なら私達は、表面上は仲違いのような状況にあってもお互いにずっと相手を想っていた。

 

 

 この友愛は、距離なんてもので断ち切れるほど容易いものではないのだから。

 

 

 

こぼれ話


「ところで、どうして在学中に一度も返事をくれなかったの?」

「……本当は、出せずに終わった手紙もあるんだけど」

「一応書いてはくれたのね。それで?」

「ティルダは……手紙を出したら内容に関係なく伯爵家に突撃して来そうだと思ったの。でもあの時は防御魔法も無かったから……」

「…………反論出来ないわ」

「あと……」

「まだあるの?!」

「ティルダに会ったら、絶対抱き着いちゃうと思ったから……」

「……っあんたって子は!」


ミレイラが在学中必死に防御魔法を極めたのは、ティルダに会いたいが故でもありました。

そんなティルダは、どんなことがあってもミレイラが大好きです。

同じぐらいギデオンの事も愛してますが、ミレイラを優先しがちなので、当人にはあまり上手く伝わってません。そのために、実はギデオンがミレイラに嫉妬していたりしますが、残念ながらティルダがその事を知るのはもう少し後になります。



※活動報告にイラストを一枚投稿しましたので、興味のある方はご覧下さい。

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