番外-エルネストの苦慮-
エルネスト視点での過去話です。
窓に激しく打ち付ける雨風の音を聞きながら、エルネストは私室で魔法に関する書物を読んでいた。
アードルフと話し終わったあと、それなりの時間が経過していた。
(無事にミラは打ち明けられただろうか)
あまり集中出来ず、思考はずっとミレイラのことばかり考えてしまう。
昔はこれほど妹に対し真摯に向き合うことになるとは思っていなかったと、遠い日のことを思い起こす。
✻✻✻✻✻
エルネストは十歳の時に婚約者を得た。
婚約自体は家を継ぐ以上仕方のないことだと思っていたが、面倒だとも感じていた。
というのも、相手のシャリーヌ・アムランは中々気難しい気質で、自分を優先的に考えることを当然と考えるタイプだった。
その頃の自分の周りには男友達こそいたが、異性は妹のミレイラぐらいで、そして大して興味も抱いていなかったのだ。
ミレイラは不思議と触れることで感情を伝えることが出来た。
その能力のせいか、両親は特別ミレイラを気に掛けていたし、最初はエルネストも同じように気に掛けては遊んでやったりしていた。
だが、その能力故かミレイラは少々相手の気持ちを考えるのを苦手としていた。そのため、相手が答えづらいことでも教えて欲しいとねだって来ることが多々あったのだ。
そんなミレイラがどことなく苦手で、そして我を通そうとする婚約者もまた苦手に感じていた。思春期に入っていたこともあり、異性と一緒にいることに抵抗を感じ始めたことも一つの要因だったのかもしれない。
いつからか、エルネストはミレイラと一緒に行動することは少なくなっていた。
そこから歳月は経ち、十三歳となった頃のこと。
自分の魔法適性が土属性と知り、魔力量は比較的多いと言うこともあって将来魔法に関わる仕事に就きたいと考えるようになっていた。
その頃には、ミレイラとは一言も話さない日の方が多くなっていた。
遠目で見た妹は、少しずつ表情が暗くなっていたのは覚えている。両親もそれを心配し、食事の時など気に掛けては意識して声を掛けるようにしていたと思う。
そんなある日、それは起こった。
あまりにも顔色を悪くするミレイラを心配し、母が肩に手を掛けようとしたのだ。
「いや!!」
そんな母に対し、ミレイラは初めて明確に触れられることを拒絶した。
使用人からも触れられることを嫌がるようになったとは聞いていたが、ここまで明確に拒絶する姿は初めて見た。
「ミラ……?」
振り払われながらも心配する母を見て、ミレイラは母以上に表情を歪ませて涙を浮かべた。
「…………っ」
「ミラ!」
母の制止も聞かず、ミレイラはそのまま部屋へ閉じ籠ってしまった。
普段ならあまり気にしないが、その日は少しやり過ぎな気がした。
だから久しぶりにミレイラの部屋まで足を延ばすと、扉の前には侍女のサリアが控えていた。
「ミラは?」
「お部屋に。誰も通さないようにと、申し使っております」
そう言って頭を下げるサリアを無視し、扉を少しだけ強めにノックする。
「ミラ」
『…………』
返答はない。不貞腐れたのか、それとも気を引きたいのかは分からないが、その態度が少しだけ癇に障った。
「ミラ、母様に謝れ!」
声は聞こえているはずなのに、何の返答も返って来ない。
「エルネスト様……どうかお許し下さい」
主人の代わりに頭を下げるサリアにもまた苛立ちを覚えるが、流石に八つ当たりするわけにもいかない。無理やりその苛立ちを飲み込み、ミレイラの部屋から立ち去った。
その日の夜、エルネストは遅くまで魔法に纏わる勉強をしていた。
学院に入学してから、エルネストは魔力を上手く扱えない問題に直面していた。潜在魔力は決して少なくはないのに、魔法を使う時に上手く制御が出来ないのか、すぐに枯渇してしまうのだ。
魔法を使う時、基本は本人の感覚がものを言う。そのため回数をこなすのが一番なのだが、枯渇しやすいため頻繁に魔法を使うことが出来ない。これでは習得に人より時間を要してしまう。
何とかその欠点を克服したくて、空いた時間は魔法の勉強に費やしていた。
だから、日付の変わろうとする時間でも起きていた。
その灯りが外の漏れていたのだろうか。
――コン……コン
小さく、躊躇うようなノックが聞こえた。
「……誰だ」
こんな時間に訪ねてくる者など滅多にいない。稀に灯りに気付いた使用人が灯りの消し忘れかを確認に来ることもあるが、その場合はこんなノックの仕方はしない。
それに、返答もしないなんて有り得ない。
「……?」
気のせいだったのだろうか。それにしては特徴的なノックで、聞き流すには不可思議な響きだった。
諦めて席を立ち、入り口を小さく開けてみる。
わずかに開いた入口の隙間から、寝衣と思われる裾が覗いた。
(……なんだ、ミラか)
こんな時間にどうしてここまで来たのか。日中のことを気に病んで起きたのか、それとも眠れずに訪れたのか。
どちらにしても少しだけ不満で、同じくらい心配もした。
「ミラ、どうし……」
言いかけた言葉は、そこで止まった。
扉の前に立っていたミレイラは、少しだけ俯きながらも真っ青な顔をして涙を零していたからだ。
「ミラ!?」
驚いてその場でしゃがんで顔を見上げる。
「……っ」
嗚咽交じりに涙を流し続けるミレイラに、どこか視線が合わずに遠くを見つめているような違和感を抱いた。
「ミラ、どうしたんだ?」
悲壮感すら漂うその表情は、とても自分の妹とは思えないほどに大人びて見えた。
「にぃ……さま」
「ミラ?」
「兄様……は、ほんもの?」
声にははっきりと怯えの色を感じ、寒さを感じるほど冷えてるわけでもないのに、ミレイラの体は酷く震えていた。
「怖い夢でも見たのか?」
「ゆめ……あれは、夢?兄様がいるなら……夢なの?」
ポロポロと零れ落ちていく涙が寝衣を濡らしていく。
「それとも……ここが夢なの?」
顔を酷く歪ませ、絶望するようにその青白い顔が更に色を失っていく。
「ミラ、とにかく部屋に」
「っ!!」
部屋の中へ引き入れようと肩に触れた途端、意識が闇に飲み込まれた。
そして、エルネストはミレイラの見た悪夢を追体験する。
絶望の中で亡くなっていった女性は、どうしてかミレイラのように感じてしまった。
一度も感じたことのない、足元から深い沼に沈むような絶望を知った。夢とは思えないほどの、現実じみた幻想のような、悍ましい悪夢だった。
なぜあの女性がミレイラだと思ったのか分からない。両親らしい声は、決して自分達の両親ではない。
そして、あの悪夢ではミレイラは一人娘だと言っていた。
ならば、自分は何なのだ?
それに気付いて、エルネストはミレイラを強く抱き寄せた。
声を出して泣き縋るミレイラから、今エルネストが考え付いたものと同じ思考が流れ込んでくる。
今のミレイラは、両親に縋ることが出来ない。
何故ならあの二人では、夢と現実の区別がつかないからだ。
あの夢に存在すらしなかったエルネストこそが、ここが現実だと知ることの出来る唯一の存在なのだ。
だから日中にあんなことがあっても、すっかり話すことすらなくなっても、ここに来るしかなかった。
誰よりも愛情を与えてくれる両親を頼れない。
それは幼いミレイラにとって、どれだけ残酷なことなんだろう。
少しだけ落ち着きを取り戻したミレイラを、今度こそ部屋に招き入れてソファーに座らせる。
繋いだ手は冷えきっており、顔色も相変わらず青白いままだ。何か温かい物でもと傍を離れようとすると、ミレイラの小さな手が懸命にエルネストを引き寄せて放そうとしない。
再び涙が溢れそうになるミレイラをどうすることも出来ず、エルネストは自分のベッドまで連れていき、自分の代わりに横にならせる。
やがて泣き疲れたように眠りについたミレイラの手を握ったまま、あの悪夢について考える。
口論する知らない両親の声に、聴いたこともない規則的な機械という命を繋ぐ音、そして背後に鳴り響く嵐を思わせる暴風雨の音。
音だけが支配する空間で、女性は絶望していた。
あれがなぜミレイラだと思ってしまったのかは分からない。
しかし、一つだけそれに似た伝承を読んだことがあった。
『神の悪戯』と称される不可思議な現象の中に、違う人間の一生を持って生まれる者がいるという話があった。
それは当人が生まれるより前に違う人間として生きていて、その一生分の記憶と経験を引き継いで新たな生を歩み出すというものだったはずだ。
仮にそれがミレイラの身に起こっていたとすれば。
それはなんて、残酷な悪戯だろう。
これから先ミレイラは、死んだ人間の記憶を持ったまま生きて行かなければいけない。
あの女性が抱いた絶望と死。そしてその女性が願ったことで手に入れてしまった、あの能力を持て余して。
ミレイラが眠りに落ちるまでの間に、エルネストは最近妹の身に起きたあらゆることを感情から知り得てしまっていた。
他人を恐れ、触れられることに怯え、自分の心を知られることを拒絶するようになってしまったミレイラを。
このままでは、ミレイラは人の中で生きていくことが出来なくなる。
それだけじゃない。
あの女性に人格を引きずられたのか、感情の中にどこか大人びた解釈が混ざるようになっていた。
あの女性はおそらく今のエルネストよりもずっと年上のはずだ。
そんな人間の死を、十歳になったミレイラは実体験として認識してしまった。
(ミラはこの先、あの絶望と共に生きて行かなければならない)
誰よりも信頼できるはずの両親が、本当に自分の両親なのか分からなくなってしまった。
ミレイラと言う自分すら、本物なのか偽物なのか疑い始めてしまっていた。
あの夢が夢ですらなく、ここが幻想だと誤認しそうになって泣き縋ってきた。
死を望まれたことのある人間だと、知ってしまった。
――そんなものを抱えて、この先を生きて行くのか?
翌日、エルネストは早い時間に侍従を呼び、急ぎ着替えながらミレイラ付きのサリアに妹がここにいると伝え、両親にも話があると言付けを頼んだ。
父のヴァリックが登城する前に話さなければならないため、普段ならまだ食事をする前だというのに、両親はエルネストの為に時間を作ってくれた。
そして、夜にミレイラと自分が見てしまったその悪夢を話して聞かせた。
「……それは」
「夢では……ないの?」
疑う気持ちも分かる。だが、どうあがいても悪夢で済ませるには残酷過ぎるほどに現実じみていた。
「夢なら……どれだけ良かったか」
苦し気に言葉を吐き出すエルネストの様子に、両親は戸惑い困惑する。
会話が停滞した頃に、執事が入室して来る。後ろにはなぜかサリアが泣きそうな顔をして付き従っていた。
執事に促されるようにサリアは発言を許されると、まずミレイラが起きたことを報告した。
「お嬢様は目を覚ましたあと、すぐにエルネスト様がいないと取り乱し、パニックを起こして叫び出したのです」
「ミラが!?」
「はい。何とかエルネスト様はすぐに戻るとお伝えし、落ち着かれたのですが……。段々と口数が少なくなったあと、呆然とし始めて。先に食事をと促したのですが、手を付けようともされず。何とか口に入れて頂けたと思ったら、戻してしまわれて」
「体調が悪いのか?熱は?」
「いえ、寧ろお体は冷えてるくらいで……。何より、触れても一切の感情が伝わってこないのです」
ボロボロと涙を零しながら訥々と語るサリアに、先に痺れを切らしたのはエルネストの方だった。
「エル!!」
「エルネスト様っ」
椅子を蹴り飛ばす勢いで走り出し、そのままの勢いでミレイラの部屋に駆け込んだ。
「ミラ!!」
そこには、呆然とした様子で虚空を見つめるミレイラが座っていた。
目の前に跪き、虚ろに濁った瞳に躊躇いながらその手を握る。小さな手は冷え切っており、サリアの言った通りに何の感情も伝わってこない。
それは、ミレイラの心が閉ざされたことを意味していた。
「ミラ……ミラ!」
小さな両手をしっかり握り締め、少しでも自分の体温が移るように包み込む。
「ミラ、僕を呼んだんだろ?兄様はここにいる。ミラはここにいるんだ!」
懇願するように、ミレイラは現実にいるのだと声を張り上げる。
「ミラ!ミレイラ!!」
「…………」
微かに虚ろな瞳に透明さが戻ってくるのと同時に、小さな声が零れ落ちる。
「にぃ……さ」
虚ろだった瞳が潤み始め、涙が一滴零れ落ちる。
虚ろな夢から戻ったことに安心し、ミレイラの体を抱き寄せる。
「ミラ……っ良かった」
「に……さま、にいさま……」
「離れてすまない。お前が安心するまで、傍にいるから……っ」
そう言うと、その言葉を待っていたように頷くと、ミレイラはエルネストの胸に顔を寄せて目を閉じると、ただただその身を兄に委ねた。
「ミラ……っ」
エルネストを抱き返すことも出来ないほど、ミレイラは憔悴しきっていた。
その様子を見ていた両親は、そんなエルネスト達を部屋の外から眺めていた。
母は泣きながら父に縋り、その父もまた涙で瞳を潤ませたまま立ち尽くしていた。子供達を慰めてやりたくても、今のミレイラがエルネストの話の通りの状態だとすれば、二人を視界に入れればここを夢だと誤認しかねない。
虚ろに座るその様子は、まるで人形のようで。されるがままの娘の姿は、あまりにも残酷な光景だった。
その日は一日中エルネストから離れることを嫌がった。
それでも、エルネストが嫌がるようなことまでは強制するつもりはないらしく、基本は隣に座って大人しく佇んでいるだけだった。
問題は傍から離れない事よりも食事の方だった。
固形物の類は一切受け付けられず、口にした端から吐き出してしまう。喉が渇けば多少は液体の類は口にしてくれるようなので、何とか少しでも食べさせようと、野菜が溶けるまで煮込んだスープを作らせた。幸いそれだけは戻さずに口にすることが出来た。それでも多くは摂取できず、時間が経つ程に弱っていくようで気が気ではなかった。
いずれあの女性のように、眠るように死んでしまうのではないかと。
そして夢を見てから三日後のこと。
何とかミレイラが眠りについてからソファーで仮眠を取っていると、エルネストの頬に少しだけ冷たさの残る温もりが触れた。
不思議に思って目を開けると、涙を浮かべたミレイラが膝を突いて覗き込んでいた。
「ミラ……?」
「……さ、ごめ……なさい……にぃさまっ」
ボロボロと涙を溢れさせながらエルネストの首元にしがみ付いてくる。確かに伝わってくる温もりを感じて、ようやくミレイラの意識が戻ったことを認識した。
「ミラ……っ、本当にミラなんだな」
「兄様……ごめんなさいっごめんなさい!」
泣き縋るミレイラに、やっと自分の妹が戻ってきたことを実感する。そんな妹をエルネストもまた抱き返し、震える背中を優しく撫でる。
お互いに泣き出してしまったが、やっとミレイラの意識が戻ったことが何よりも嬉しかった。
✻✻✻✻✻
(あの時ほど酷いフラッシュバックは、今までに一度だけ)
ミレイラが学院生時代に一度だけ、酷い嵐の日があった。あの時も三日ほど意識が混濁し、その間生きる気力を失った人間のように、食事をすることもなく朧げな様子で佇んでいた。
(この先必ず、アードルフ殿もその状態のミラを知ることになる)
今日のような天気でも、ミレイラの精神状態によっては意識が混濁する可能性があるのだ。
早めに知っておかなければ、手を余すことになりかねない。
(まぁ、あれだけ独占欲が強いと喜んで世話を焼きそうだが)
ミレイラも成人し、体つきもより女性らしく成長した。いくら溺愛していると言う噂があっても、これ以上傍から離れなければ悪意ある噂も流れ出すだろう。
(ラスティナに誤解はされたくない……いや、しないか)
何せあの夜会の日、自分は婚約しているからと辞退してまでミレイラをエスコートしろと言ってきたのだ。
仮に妹に懸想しているなんて噂でも流れたら、家族愛と恋愛の区別も出来ないなんて可哀想な脳味噌ですね?と笑顔で牽制するに違いない。
(アードルフ殿がミラに懸想していると知った時の彼女の複雑そうな表情には笑ってしまったが)
それまでのアードルフを知るものなら無理もないだろう。他者を見下すような態度は誰もが知っている。そんな彼が、今では伯爵家の人間を対等な存在として対応するのだから不思議なものだ。
(それだけミラが大切なんだろう)
或いはミレイラと関わったことで、アードルフも変わろうとしているのかもしれない。
ミレイラが悪夢を自分の意思で伝えようと思ったように。
おそらくこの先悪夢で苦しむ日が来ても、エルネストが寄り添うことはないだろう。
ミレイラは、自分でアードルフを選んだのだ。
今後兄を頼ることも減っていくだろう。いや、頼りたくともアードルフが許さない可能性もあるか。
(どっちでもいい。ミラが幸せにさえなってくれれば)
あの女性はミレイラだったとしても、エルネストの妹であるミレイラではない。
だから、妹には妹だけの幸せを。
自分より年下の妹が、せめて幸せだったと笑って生涯を終えられるように。
ミレイラの悪夢を共有したことで、エルネスト自身の精神年齢も上がりました。
まだ二十代で死を見据える時点で思考は達観しているが、本人に自覚はありません。
ラスティナはそんなにエルネストを支える唯一の存在です。




