七人目
シャノン・ダウスマルクは優雅に紅茶を嗜んでいた。
綺麗に手入れされた庭園の一角、豪華な装飾が施された机と椅子に彼女は佇んでいる。利き手にはカップが握られており、少量のミルクを加えたアッサムを上品に口に含んだ。
「お姉様。とっても美味しわね」
シャノンよりも少し背の低い少女が、笑顔で話しかけてくる。愛らしい桜色の髪を肩まで切り揃えたこの少女は、彼女の妹であるカノン・ダウスマルクであった。妹の言葉に、彼女も笑顔で返す。
「ええ。お父様が遠方の知人から譲り受けた稀少な茶葉らしいの。私も飲むのはこれが初めてだわ。ゆっくり味わいましょう」
「まぁ、それはいいことを聞いたわ。お母様にも是非飲ませてあげたいのだけど…」
「お母様は未だに体調が優れないようだから、難しいでしょうね…」
先ほどまでの微笑とは一転して、その表情は急激に曇りだした。
彼女らの母親は先月から体調を崩し、今も邸の一室で横になっている。父や従者の話では気にすることではないらしいが、シャノンはその病について盗み聞いていた。かなり治療が難しい重病であり、全快まで時間がかかる可能性があることを。
どうにかしようにも、自分には医療の心得があるわけでもなく、出来ることと言えば時折部屋に伺って容態を聞いたり話したりするぐらいである。
おかげで歯痒い日々が続いていた。カップの紅茶に目をやると、不安な顔をしている自分が映し出された。大丈夫、お父様がなんとかしてくれる筈。そんなことを頭の中で反芻させていた。
「そういえばお姉様。最近ゼノンとお会いしましたか?」
ハッと彼女は驚きで顔を上げた。別の心配事を妹に聞かれたためだ。暫し表情を硬直させ、か細い声で告げる。
「…いいえ。ここ数日顔も見てないわ。家督を継ぐために、あの子も頑張っているのでしょう」
「やっぱり。けれど、いくらなんでも追い込み過ぎでしょう。まだ何年も先の話なのよ? 食事の時ですら顔を合わせないなんて…このままじゃあの子が…」
「お父様の意向だもの。私たちが言っても仕方ないわ。それだけゼノンに期待しているという表れなのよ」
最後にいつ見たのかも分からない、弟の名前を呟く。
無論、シャノンも父親に掛け合い、弟にも自由の時間を与えるよう進言した。このままでは彼の心は磨り減り、傷ついてしまう。そうならないために、必死に父を説得した。
しかし、帰ってきたのは「立ち入るな」の一点張りだった。
父親は向上意識の強い人間だった。伯爵という地位に満足できず、国の政治や軍備に関わり更なる地位を獲得するため、利用できるものは何でも利用する考えを持っている。弟もその一つだ。
妻のために治療法を探していると告げられたが、その裏では煩わしいと邪険にしている。事実、母の部屋に伺ったのは最初の一回ぐらいで、後は家の者に丸投げしている。既に父にとって、母は邪魔者以外のなんでもなかった。
「はぁ…また家族みんなで顔を合わせることはできないのかしら」
飲み終わったカップを置き、カノンが頭を抱えた。そんな妹を気遣い、シャノンが透き通るような髪を撫で上げる。
「そんなことはないわ。必ず、家族みんなで笑って過ごせる日が来るわよ」
励ましの言葉。姉として、気弱なところを見せる訳にはいかなかった。例えそんな未来が、永遠に訪れることがないと分かっていても。
ある日のこと、シャノンは妹と共に街に繰り出した。
彼女の誘いで久々に買い物に出かけることになったのだ。気乗りではなかったが、たまには二人で服や小物を見に行こうと押されて、結局行くことになった。
か弱い少女だけとはいかず、何人かの護衛も付けられている。貴族令嬢が街をぶらつくなど、人によっては格好の餌だ。シャノンもそれは理解していた。
街は活気に溢れており、様々な出店で賑わっていた。嫌でも耳に響く売り子や店主の声。しかしそれが彼らの商売なのだから咎める筋合いはない。シャノンは街の熱気に当てられて少し木陰で休んでいた。
「カノン? …あら、何処に行ったのかしら」
ふと気がつくと側にいた筈の妹の姿がない。護衛が付いているので心配はないと思うが、いつの間に消えたのだろうか。どこまでも行動力のある妹だと彼女は苦笑した。
購入した服を整理していると、フリルのついたロングスカートを翻して、カノンが戻ってきた。なにやら両手に握っているようだ。
「カノン、何処に行ってたの?」
「見て見て! お姉様。これ!」
「これは…」
カノンが差し出したモノを受け取り、その全体を目で捉えた。
それが『人間』を模したモノであることはなんとなくわかった。腰まで伸びた灰色のロングストレート。自分たちと同じ小綺麗な衣装が着せてある。手から足まで精巧な作りだった。
顔立ちの整った隙のない風来。しかし、そこには表情と呼べるものがまるで無かった。どこまでもその瞳は冷たく、生気が感じられない。友人にプレゼントされたぬいぐるみなどとは全く異なる。ただ虚空を見つめるだけで微動だにしなかった。
「すごい作りでしょう? 『人形』と言うらしいわ。近くの露店で売ってたのがたまたま目に入ったの。珍しくて、お姉様の分まで買ってきちゃった!」
「え? じゃあこれは…」
「そう! お姉様へのプレゼントよ。私とお揃いね」
上機嫌に笑うカノンを横目に、シャノンは改めてその人形を見回した。見れば見るほど引き込まれるデザイン。舐め回すように人形のあちこちを触り、その感触を味わう。この数分で、この人形に愛らしさを感じている自分がいた。
思わず人形を抱き締める。
シャノンは直感した。上手く根拠は口に表せないが。
この人形は。
自分に似ているのだと。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「…貴方のせいではないわ」
なんとも言えない表情で、顔を覆うカノンを慰める。シャノンは泣き崩れる彼女に他にかける言葉を見つけられないでいた。
「私のせいだ…私のせいで…」
「いいえ。貴方はゼノンのためを思ってやったのよ。あれは不慮の事故で…」
「私が誘わなければこんなことにはならなかったのよ! ゼノンが、死ぬことには…!」
自分が許せないようにカノンは石壁に拳を叩きつけた。ずるり、と皮が剥けて血が流れるが、そんな痛みよりも脳を暴れる熱の方が遥かに痛かった。
事の始まりは数時間前。久方ぶりにゼノンと顔を合わせたカノンが、彼を誘って出掛けたのだ。彼女としては教養や作法を身につけるばかりの日々を送る弟を元気付けようと、気晴らしに誘っただけだった。
ゼノンは見るからに衰弱していたが、姉の気遣いを無下にする訳でもなく、喜んで行動を共にした。彼も姉と一緒にいるのは久しぶりなので、嬉しかったのだろう。
運命の悪戯か、そこに暴走した馬車が二人を襲った。咄嗟の出来事にカノンは反応できず、棒立ちするだけだった。そんな姉をゼノンは決死の行動で突き飛ばし、倒れた馬車の下敷きになった。
「ゼノンは疲れてるってわかってたのに…! 私の余計な気遣いでこんなことになるなんて…!! ああ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…!」
「カノン…落ち着いて!」
帰らぬ人となった弟を想い、後悔の涙を流す。胸を抉るような痛み。シャノンは必死に彼女を落ち着かせた。肩を掴んで、大きく揺さぶる。だが、カノンの嘆きは止まらなかった。
「私、貴方に何をしてあげたらいいの? どうすれば、許してくれるの?」
「やめなさい! あの子は何も望んでなんか…」
「–––––五月蝿い!」
次の瞬間、彼女がシャノンを突き飛ばした。受け身も取れずに反対側の壁に叩きつけられる。呻き声を上げながら立ち上がる彼女に、カノンは冷たく言い放った。
「お姉様にはわからない! 私の、心の痛みなんか。もう、私に関わらないで!」
「そんなことを…言わないで」
カノンが自室に向かって走り出す。追いかけようにも、体に力が入らない。遠ざかっていく妹を、呆然と見つめるしかなかった。
シャノンは妹の部屋の前にいた。
あれから彼女は自室に閉じこもり、誰とも会わずにいた。従者すら部屋に入れず、対応に困っている。扉前に置かれた食事にも手をつけていないようで、その身を案じていた。
目の前の扉を開けようと力を込める。鍵は付いていないのだが、向こう側から何かで抑えているようだ。何人かでこじ開けるのは可能だろうが、カノンが開けるなと言っているので誰もそうしようとしなかった。
『放っておけ。しばらくしたら勝手に出てくるだろう。それよりも私は忙しいんだ。そのような些事で呼び立てるな』
父親の冷たい言葉が耳を過ぎる。
『ごめんなさいね。まだ、体調が優れないの…また後で話を聞くから…』
母親の頼りない言葉が頭を掠める。
シャノンは強く決断した。
妹を救うことができるのは自分しかいない。否、誰かに任せることなどできはしない。例え、これでカノンに嫌われようとも、姉として彼女を支えるために自分にできることをしようと決意した。
それからの行動は単純だった。廊下の置物などを使って、閉ざされた扉を何度も叩いた。何十回とその細腕を振り上げる。流れる汗も疲労も、まるで気にならなかった。
そして、ついに扉が開いた。彼女の行動が身を結んだのだ。息もつかず、部屋に入ってカノンの名を呼んだ。
「カノン…いるのでしょう? まずは私の話を聞いて…………!!!」
シャノンは言葉の続きを発することなく、その両目を見開いた。
薄暗い中でも、それだけははっきりと見える。可愛らしい顔をした妹だったものが、首を吊って死んでいた。
「あ、あああああぁぁぁ……!!」
シャノンがその場に崩れ落ちた。張り裂けんばかりの絶叫が、喉元から絞り出される。
どうして。どうして?
何故私たちがこんな目に合わなければならないの?
私たちが何をしたと?
––––返して。私の妹と弟を、返して。
突き刺すような痛みが彼女を責め立てる。痛い、痛い。耐えきれず蹲り、嗚咽する。
その時、部屋の中で何かが落ちる音がした。思わず音がした方向に目を向けると、そこには先日購入した人形が横たわっている。
人形はただ静かに、こちらを見つめていた。そこには意思などありはしない。ゾッとするほどの冷酷な瞳で、シャノンを見ていた。
「–––––嗚呼」
人形の元まで歩み寄り、その華奢な身体を抱き締める。
あの時感じた想い。それが今やっと理解した気がした。
人間には心がある。
心があるから、感情が生まれる。
そして感情とはその場の状況によって揺れ動く不安定なモノだ。些細なことで誤解し、相互理解を拒み、それが嘘となり相手を区別して、傷付ける。
人形には心がない。
初めから決められた用途。自分の意思で動くことなく、誰かの手によってしかその意義を成し得ない。最初から完成されているが、永遠に未完成のままで終わる。
しかし、それを気にする心はない。痛みも感じず、涙も流さない。けれどそれが何とも美しく、愛おしいと思えた。
そうだ、私は––––––
「人形になれば、何も感じずに済むはず」
私は何も感じない。
辛い思いも、悲しむ心も必要ない。
人形になれば、あらゆる痛みから解放される。
シャノンは体が軽くなった気がした。
両手を見ると、指先から糸のようなものが出ている。意味が分からず、軽くそれを振ってみると部屋の家具がスパッと切断された。
まぁ、と感嘆の息を漏らす。原理は分からないが、これは自分で扱えるようだ。糸を操る––––まさしく自分好みで、シャノンはよろよろと立ち上がる。
妹の遺体を引きずり、この家にいる人間を片っ端から殺害した。抵抗する者、何が起きたのか分からず悲鳴を上げる者、両親さえも変わりなくその首を刎ねた。
やがて全員の遺体をホールに集め、自室に置いていたオルゴールを鳴らす。物静かな音楽が流れ、シャノンは同時に糸を使い、多くの遺体を踊らせた。
「ふふ、ふ。ふふふふふ…」
両親が踊り、最愛の妹もその身を弾ませる。
シャノンは泣いていた。
泣きながら笑っていた。
その狂宴は、オルゴールが鳴り止むまで続いていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「シャノン・ダウスマルクだな?」
血塗られたホールに、二つの人影が現れた。その内の一つが透き通るような声で、ホールの中心に座り込む少女に話し掛けた。
「…ええ。何でしょうか」
綺麗なドレスを血で染めた少女が微笑む。ハルトは周りを見て異常であると直ぐに察した。首のない死体が至る所に転がっている。この少女がやったのだろうと理解できた。
「お前を逆理者のメンバーとして迎えたい。世界を正しき方向へ導く組織だ。お前のその力が必要だ」
「…正しき…世界…」
ソフィアの言葉に、シャノンは少し考え込んだ。急な申し出だが、どうやら自分を勧誘したいらしい。
「一つ、聞きたいのですが」
「何だ?」
「その世界に、痛みは存在しないのですか?」
再び微笑む。迂闊な返答はできないとソフィアは息を飲んだ。出来るだけ彼女を刺激しないように、慎重に言葉を選んだ。
「…そうだな。過程はどうあれ、結果として痛みは無くなる筈だ。それだけは断言できる」
「それはそれは…」
ソフィアの返答に大いに満足したようで、シャノンは瞳を輝かせた。ならば自分がすることは一つだ。その目的を遂行するために、喜んでこの身を差し出そう。
「それはとても…素晴らしいことですわね」
少女は静かに微笑む。
その笑みはひたすらに妖艶だった。
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