五人目
「いや〜そちらさんの隠れ家はいくつか把握してたんだけどさ。いざ会いに行こうとしたらもぬけの殻で、取り敢えずお二人が合流すると思ってここで待ってたんだけど、大正解だったね!」
良かったー、と無邪気にはしゃぐ子どものように手を上げる。勝手に上がり込んで安堵する彼女に、ハルトとソフィアは毒気が抜かれた気分で顔を見合わせた。
子ども染みた言動に反して、女性らしく均整のとれたボディライン。長く伸びている藍色の髪を、うなじ辺りで一纏めにしている。彼女が座る椅子の横には、何やら大きな袋に様々のモノが積み込まれている。
「ま、とにかく会えて良かった。ちょっと話したい事があるから、居座らせて貰っていいかな?」
口角を上げて上目遣いで尋ねてくる女性。色目に惑わされるハルトではないが、流石にこの状況は彼にも想定外だったため、戸惑いを隠せない。
この隠れ家が露呈しているのはいい。細心の注意を払い、人目につかないように対策を立ててそれなりに上手く使ってきたが、そう言う時もあるだろう。直ぐに廃棄すればいいだけの話だ。
しかし、彼女はこちらの隠れ家をいくつか把握していると言った。それはつまりここ以外の隠れ家を多数知っているということだ。繰り返すように長い時間をかけて用意した身の隠し場所を、こんなにも早く、そう易々と押さえられているのは脅威であり、由々しき事態だった。
明らかに普通の人間が出来る芸当ではない。彼女自身がずば抜けた情報収集力を持っている…若しくは別の人間か、バックに何らかの国や機関が援助している可能性も十二分にあり得た。
どうする、と相談するかのようにハルトはソフィアの方に目を向ける。正直言って危険人物なのは変わりない。下手なことをされる前に手を打つべきだとハルトは主張したかった。
そんなハルトの心の内を察してか否か、ソフィアは涼やかに笑い、女性と言葉を交わした。
「話の前に、こちらから質問したいことがある」
「うん、どうぞ〜?」
「どうやってこの場所が分かった?」
「ま、そうだよね。それについては至極簡単、単純明解だよー。私が独自に調べ上げたんだ。目標の情報を掴むのも、仕事の内だからね。かなり疲れたけど、そちらさんの動向も結構把握してるよ」
「ほう。それは私たちが今しがた何をしていたかも分かっているということだな?」
「エリファ・セヴィニーちゃんとディルグ・グレイ君だっけ? 二人の勧誘は無事済んだかなぁ? 特にエリファちゃんとかは話聞かなそうだし苦労したんじゃない?」
驚愕の表情。勧誘するメンバーまで筒抜けとは、最早どこまでこちらの情報を掴んでいるのか底が知れない。けらけらと笑う彼女に戦慄しつつ、ソフィアは続けて質問をした。
「次だ。ここを含む私たちの隠れ家を、お前以外の人間も把握しているか?」
ぴたり、と笑いが止まる。
「……ううん、知らないと思うよ。少なくとも私が知ってる範囲では。任されていたのは私がだけだしね」
先ほどの態度とは一転して、極めて真面目な顔でそう答えた。とてもじゃないが信用できない。反論しようと口を開けたハルトをソフィアが手で制す。
「ソフィアさん…? まさか、彼女の言うことを信用するつもりですか?」
「確かに嘘をついている可能性もある。だが、恐らくこいつはそんな事はできんだろう」
スッと目を瞑って一度言葉を区切ると、再びソフィアは口を開いた。
「私たちのことを調べ、一人で乗り込んできたということは、それ相応の覚悟がある訳だからな」
そうだろう? と不敵に笑う彼女に対し、向かい合う女性は苦笑して手をぶらぶらと振る。ハルトも言葉の意味を理解し、嘆息した。
「そうそう。そちらのリーダーさんだけでもキツイってのに、二人がかりなんて勝ち目がないない! 戦う気なんか更々ないんだよ〜」
力無く笑う。敵意はないと告げられた以上、わざわざ争う意味は皆無である。となれば後に残されたのは互いの話し合いだった。
「今回はさ、ちょっとしたお願いがあって来たんだ」
「お願い? それは何だ」
「あのね。まぁ、言いにくいことなんだけどね…」
うーん、と腕を組み言うかどうか悩んだ動作をする女性。ハルトは不審に思いながらもそれを見守り、しばらくして女性が決心をつけたように顔を上げた。
「うん。色々考えたけど、やっぱりはっきり言った方が良さそうだ」
「そうか。それで、お願いとは何だ」
「あのね。率直に言うとね。私を貴方たちの組織に入れて欲しいんだ♪」
意外と言えば意外過ぎる申し出に、その部屋の時間が一瞬止まったような気がした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
リリル・ララベルは深刻な問題に頭を悩ませていた。
常に飄々とした態度を取り、淡々と任務をこなす彼女にしては珍しく、苦虫を噛み潰したような表情で、深い深い溜息をついた。
事の発端は自分が所属している組織から、新たな任務を引き受けたからだ。前の任務の報告書を渡しに向かった時、同時に告げられた。
「ご苦労だったなゼールIII。では早々に悪いが次の任務だ」
白い頭髪に無精髭を生やした男が威厳を放って静かに口を開く。
この部屋には男とゼールIIIと呼ばれた人間以外誰もいない。薄気味悪く、辺りに書類や本が散乱している。互いの表情がよく見えない部屋で、ゼールIIIと呼ばれた女性は「はいはい」と続きを促した。
ゼールIII–––––リリルがこの組織で使うコードネームである。彼女が所属する王都直属の暗殺部隊「影楼組」に入った際、以後その呼び方でやり取りするようにと命令されたためだ。
彼女の仕事は王都に対し何らかの影響を与えるもの、脅威となる存在を速やかに調べ上げ、排除するか若しくは利用価値があるのなら上手く活用する、汚れ仕事と言って差し支えないものだった。
幼少期から徹底した教育を受け、常人を遥かに凌駕する才能を身につけて、与えられた仕事を確実にこなす王都の人間兵器として何年も前から重宝されてきた。
彼らに心はない。より正確に言えば善悪を感じる余裕がない。優先すべきなのは目標の達成であり、それに至る過程には拘らない。子どものころにはあった筈のわだかまりは、いつしか露のように消えていた。
リリルもその一人である。あえて言うのなら、死んだ魚のような目をして任務をこなす同じ境遇の者たちより、まだ人間らしかった。笑うときは笑うし、悲しいときは表情を曇らせる。自分が手を掛けた人間、他人の死に何も感じなくなりながらも、一九歳の女性としてできる限りまともな振る舞いをした。
「次の任務は王都の人間だ。ひと月前、騎士団の隊長が王都を抜け行方不明になっている」
目標に関する資料を手渡された。パラパラと軽く読んでいる間、続けて男が言葉を紡ぐ。
「部下にも話を聞いたがその真意は不明。だが奴には以前から良くない噂を聞いた。王都を守護する立場でありながら、周りをコソコソ嗅ぎ回っていた」
「ふーん。せっかく隊長まで登りつめたってのに、よく分かんないことするね」
砕けた口調で話すリリル。一応彼女の上司にあたる男は咎めることなく頷いた。
「お前に任務はこの女の抹殺だ。王都の情報を持ち出している可能性もある。奴に接触した人間も対象とする。やり方は好きにしろ」
「了解。私一人でやっていいんだよね?」
「必要なら何人かつけるがな。はっきり言って足手まといにしかならんだろう。お前の腕は信頼している」
はいよ、と柔和に笑うとリリルは部屋を退出した。
やることが決まったのなら早急に動くだけだ。それが諜報にしろ暗殺にしろ、手間暇がかかることを度外視すればさしたる違いはない。
彼女は他の面子に比べ一目置かれている。その優れた容姿で他人を惑わし、培われた話術と技術で必要な情報収集と確実な抹殺を遂行する。まさに裏社会の人間としてうってつけな存在だった。
そんな彼女も、今回の任務には一抹の不安を覚えた。それは余りにも些細な気掛かり。これまでも苦労した相手は多くいたが、失敗したことはなかった。簡単に済みはしないだろうが、自分の腕なら不可能ではない筈だった。
王都を抜けた隊長の暗殺。それだけだ。それだけの筈なのに–––––
「…まぁ、先ずは足取りを掴まないとね」
胸に渦巻く不安を押し殺し、リリルは直ぐに行動を開始した。
それから半年ほど時間かけ、できる限りの情報を集めた。
目標の名前はソフィア・ソラリス。王都を抜けた後、ハルト・ヴェラムという少年と共に様々な国を巡っていた。どうやらある組織を作るようで、その為の情報収集と資金稼ぎ、そして活動の際に使用する隠れ家をいくつか見つけているようだ。
(世界の変革…具体的な手段は掴めなかったけど、本気で実現するつもりなのかな?)
馬鹿にしている訳ではないが、無謀な望みだと思った。どんな形の変革なのかは分からないが、そんなこと王都や帝国が黙っているはずがない。総力を上げて潰しにかかるだろう。生き急いでるとしか思えない組織だった。
とは言え、自分には関係ない。死んでしまえば変革も何もない。どっちにしろ無駄なことには変わりなかった。
目標が少年と別れ、街の人混みに紛れていく。好都合だ。気配を完全に消し、振り返る暇もないまま息の根を止める。周りの人間も気付くことはない。それほどまでに彼女の暗殺技術は高く、完璧だった。
静かに、けれど確実に目標に近付き、その命を奪う。何十何百回と繰り返した動作。今回もその一つに過ぎず、リリルは歩を進み–––硬直した。
目標である赤髪の女性が自分を見たのだ。
いや、正確には見られていない。けれどもこちらの出方を把握している。首根っこを掴まれている感覚。何かしらの行動をすれば、即座に自分の首を刎ねる勢いだった。
これは恐怖だ。今動けば此方が殺される。殺すつもりが、殺される側に回っているのだ。今まで感じたことのない死への恐怖。言葉にし難い悪寒が全身を襲い、彼女の思考を停止させた。
動けないでいると、向こうも接触してくる気はないと判断したのか、人混みに紛れて姿を消した。
「うーん…参ったねこれは」
目標の気配が完全になくなり、口から出てきたのはそんな弱音だった。今の自分では彼女を殺すイメージがどうしても浮かばない。こちらも簡単に死ぬ気はないが、只では済まないのは明白だった。
どうする、とリリルは唸る。任務の達成が困難と報告すれば、上の人間は非難してくるだろう。それどころか何かの処罰を与えてくる可能性もある。不出来な他の人間同様、徹底した調教が施される場合があった。
しかし、自分では彼女は殺せない。命の危険があるのはどちらも同じだった。悩んで悩んで––––一つの結論に達した。
「うん。仕方ないね」
そう、これは仕方ないことなのだ。
自分が生きる為にどうしても必要なことなのだ。
「な……何故、だ…」
燃え盛る部屋の中、口から血を吐き床に這いつくばる白髪の男が、信じられないかのように自分の部下である女性を見上げた。
「うん? 何か言った? それより私が依頼された任務のことを知ってるのは、貴方とここに書かれてる奴らだけで間違いないよね?」
既に死に体の男に問い掛ける。念のため、この部屋の書類も燃やし尽くすことにした。自分の足取りがバレては困る。一切の情報も残さず、ここを出るつもりだった。
「何故こんなことを…何か不満があるのなら、言ってくれれば…!」
「いやぁ、別に不満なんかないよ? むしろ良くしてくれたよね。生きてくために重要なこと沢山教えてくれたしね」
「だったら…!!」
でもね、と女性はにんまりと笑う。それは嘲笑だった。人ならざるものの嘲笑だった。
「私はね、自分が確実に生き残る方を選ぶんだ。ここに居たら、近い未来死ぬ。そうならないために、貴方たちを殺すの」
それがリリルの選択だった。
逆理者と呼ばれる組織は、いずれ必ず王都に牙を向ける。そうなれば必然とこの暗殺部隊を障害と考えるだろう。そこに待っているのは明確な身の破滅。遅かれ早かれ、滅ぼされることになる。
そこには絶対にあのリーダーがいる。彼女には今の自分では勝ち目がない。負けると分かっていて戦う気など、リリルには更々なかった。同時に、彼女の元ならば暫くは死なずに済むとも踏んでいた。
「それじゃあね」
友達に告げるように手を振る。全て燃え尽き無くなったのを確認すると、彼女は笑みを浮かべて歩き出した。
誰であろうとも、死ぬことは恐ろしい。
死ぬ気があったとしても、その時が訪れればたちまち人間は身を竦める。楽になる、何も感じずに済むと理解しても、必死に生にしがみ付く。覚悟がある者も、心の何処かでは生きたいと願っている。
リリル・ララベルもそれは理解している。人間の本質は生きること。その中で初めて存在意義を見出せる。彼女は既に自分の在り方を掴んでいる。ならば後は、ただひたむきに邁進するだけ––––––
歓喜と狂気が体内から湧き上がってくる。少しでも長く生きるために、彼女は事前に調べていた隠れ家を、いくつか絞って向かうことにした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「…いいだろう。お前を新たなメンバーとして迎え入れよう」
少しの時間が経ち、ソフィアは彼女の要望を潔く受け入れた。
「ソフィアさん…!? 本気ですか? 俺たちは彼女について何も情報を持っていない。向こうの狙いによっては今後の行動に支障をきたす可能性だってある! はっきり言って危険では…?」
「そんなことないって! もう、ハルト君は疑り深いなぁ〜」
ハルトの抗議を、へらへらと笑ってとりなす女性。そんな二人に構わず、ソフィアは冷静に言葉を続けた。
「こういう手合いは、野放しにせず目が届くところに置いておいた方がいい。得体が知れないのなら尚更だ。何を企んでいようと、私がいる以上は好きにはさせん。精々こちらのために働いて貰う」
この組織に入りたいということは、少なくとも命の危険があると重々承知の筈だ。人手はいくらあっても困ることはないし、実力者なら拒む理由もない。
「りょーかい。では改めて。私はリリル・ララベル。正しき世界ってやつのため、一緒に頑張っていこー!」
挨拶と共に、にんまりと笑う。新たなメンバーである五人目として、彼女は少しも気負うことなくその美貌を振りまくのだった。




