四人目
ディルグ・グレイは荒野の真っ只中にいた。
凄まじい勢いで吹く風。雑草や低木は一つも生えておらず、荒く削られた岩ばかりが目につく。人気が全く無い場所に男は佇んでいた。
長身の体に、見るからに旅装の格好。長く伸びた黒髪で、右目に少し掛かっている。風でなびいて明らかに邪魔であるだろうに、特に気にした様子もなく突っ立っていた。
「さて…どうだろうな」
誰に言うでもなくディルグはボソッと呟いた。すると彼は周りを物色するように見始めた。舞い上がる砂埃のせいで視界が遮られているが、そんなことは承知の上で彼は目的の物を探す。
見つかるかは分からない。そもそも存在するのかすら分からない。
それでも、探す。自分がそうすると決めてしまったし、何よりそれが約束だったからだ。途方も無い作業。気が遠くなるような時間。構わず彼は納得いくまでやるつもりだった。
手当たり次第探そうと、足を動かした瞬間––––––女性の声が聞こえた。
「ディルグ・グレイだな?」
声がした方向を向くと、一人の女性が立っている。長い赤髪に生真面目な表情。冷然と岩場に立ち尽くして此方を見下ろしている。
ディルグは彼女を見て、燃え上がる炎のような印象を抱いた。あらゆる困難を耐え抜き、打ち破る風貌。赤い髪が一層その印象を際立たせており、冷たい表情が意志の固さを目立たせていた。
「…アンタは?」
「私はソフィア。お前を迎えに来た」
「迎えだと?」
「そうだ。お前には私の組織である逆理者に加入して貰う」
「逆理者…」
「この世界における真の変革を導く組織だ。お前にも協力して貰いたい」
とても頼み事をしているようには見えない物言い。常人ならば不審に思う態度だが、彼は苛立ちを見せる訳でもなく、奇異な視線を飛ばす訳でもなく、明後日の方向を向いた。
「真の変革ねぇ…」
困った表情で頭をかく。その仕草から何か問題を抱えていると判断したソフィアは、事情を聞こうと口を開いた。
「…断るか?」
「あー、いや。少し聞きたいことがある。入るかどうかはその後で決めていいか?」
「構わん」
「アンタが言う変革ってのは、この世界を根本から覆すような事と捉えていいのか?」
「無論だ。歪み切った国々を正し、腐敗した者共を一蹴して、あるべき世界を構築する」
「冗談で言ってる訳じゃないよな?」
「冗談で言える理想ではない。理想を実現するには力がいる。確かな実力を備えた者たちがな。だからこそ、お前を勧誘している」
ふむ、とディルグは納得するように頷いた。
つまり目の前の女性は自分たちの理想を実現するために、強大な戦闘力を持つ者を集めているということだ。自分に目を付けたのは、恐らく煌力を使えるからだろう。魔法とは違う特殊な力。発現する条件もよく知られていない異能の力を、彼女は求めている。
ディルグは自分の煌力を利用されると理解しながらも、特に何も思うことなく質問を続けた。
「後一つ、どうしても聞かなきゃならねぇことがある。その話に、勇者共は関わっているのか?」
「…? いや、勇者は関わっていない。奴の配下にもな」
「本当だろうな?」
「事実だ。私は王都の元騎士だが、既に国を見限り抜けた身だ。情報の漏洩は有り得ない。何より私自身、勇者を毛嫌いしている。奴に話すつもりなど微塵もない」
ディルグは拳を握る力を強めた。腹わたが煮えくり返る感情。その様はソフィアにもひしひしと伝わってくる。勇者一行に対して只ならぬ憎悪を抱いているのは充分に理解できた。
彼もまた、勇者に被害を受けた人間。そう感じるとソフィアは、一人の少年の顔を思い浮かべた。彼はもう一人を上手く勧誘できているだろうか、と場違いな思考をしてしまい、目を伏せる。
そんな心境は知らず、彼女の言葉を聞いて落ち着きを取り戻したディルグはしばらく考え込むと、やがて決心したように顔を上げる。
「分かった。その話を受ける」
加入する、という言葉にソフィアは嬉々とした表情を浮かべる訳もなく、極めて冷然とした態度で彼を歓迎した。
「そうか。では–––––––」
「だがその前に、少し待ってくれないか? 最後にどうしてもやらなきゃいけないことがある」
「…何?」
突然の頼みに首を傾げるソフィア。彼女を横目に、ディルグは辺りを散策し始めた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「…まさか本当にあるとはな」
それから一時間後、ディルグは周辺を探し回り、時には地面を掘り進めたりしながらも、目的の物と思われる小さな木箱を見つけ出した。
砂にまみれてかなり風化しており、用途は皆無と言っていいが、辛うじて『木箱』と呼べる形をしていた。
「それを探していたのか?」
彼が探している間、その場に佇んでいたソフィアが口を開いた。彼女は「探している物がある」という彼の頼みを聞いて、見つけるまで待っていた。
「まぁな。と言っても、果たしてこれがそうかどうかは分からんが」
「それは何なんだ?」
「…話せば長くなる。それでも聞きたいか?」
無言の首肯。これは話さなければならないな、とディルグは面倒くさそうに頭をかいて、言葉を紡いだ。
「別に大したことないじゃない。俺の妹…義妹なんだが、そいつの持ち物を探してたんだ。それが、この中に入ってる」
今でも鮮明に思い出せるある日の記憶。
それなりの規模を誇る街に、ディルグは恋人と暮らしていた。共通の仕事で知り合い、意気投合して惹かれ合った二人は、次第に付き合い始めた。友人にも祝福され、ごくありふれた日々を送っていた。
そんな中、恋人が妹を連れてきた。それまで両親の家で暮らしていたのだが、他界したため、共に暮らして欲しいと頼み込んできた。
将来の義妹を嫌う理由はない。二つ返事で引き受けて、生活を共にする。最初に会った時、ディルグは自分が怖がられていることを痛感して地味に落ち込んだ。
「お兄様。次はこの本を読んで欲しいです」
彼女が小さく呟く。生まれつき体が弱く、常に車椅子が必要な状態だった。気候が変わるたびに体調を崩す。今日も体の調子が悪く、ベッドに横になっていた。彼女も申し訳無さそうに謝っていたが、ディルグは不満を言うことなく時間を見つけては世話をしていた。
手渡された本を開く。何かの文献のようで内容は全く理解できないが、彼女の頼みなので仕方なく読み進めた。
ふと、彼女に聞いてみた。何故自分に本を読ませるのか。別に文字が読めない訳じゃないのに、読ませる意味はあるのかと。
「だって、この病気が治れば読んで下さらないでしょう?」
惜しむように俯く少女。ディルグはその言葉の意味が分からず、「そりゃ元気になればいくらでも読めるだろう」と言い放った。
違う、と少女は頬を膨らませて睨んだ。その様子を見て初めて彼は自分に読んで欲しいのだと気付いた。
「分かった分かった。お前が眠るまで、俺が読み聞かせてやる。だから機嫌直せ」
少女の表情がたちまち輝く。やれやれと肩を竦めてページをめくった。
…恐らくこの時ほど、彼の人生の中で穏やかな日々は存在しなかっただろう。
完全に息を引き取った躰が横たわっている。
急激な病状の悪化。すぐに街の医者を呼びつけて診させたが、首を振り手遅れなことを告げる。彼女の姉は泣き叫び、自分は呆然と遺体を見つめるだけだった。
…病気の悪化を後押しした原因は分かっている。分かっているから怒りを堪える。歯を食いしばり、拳を握る。涙はない。驚くほどに、自分の思考は冴え渡って涙を流すことすら忘れていた。
そこからは堕落の日々だった。恋人は失意のあまりその命を絶った。何度も引き止め、説得した。お前が責任を感じることはない。あるとすれば、それは俺が–––––
彼女はただ首を振る。最後の肉親が居なくなり、もうこの世界にいる意味がなくなったと、泣き噦る顔で静かに告げた。俺がいる、と言っても彼女は全く聞き入れず、別れを口にして命を終えた。
ディルグは何も言えず、顔を顰めた。住み慣れた街を後にして、各地を放浪する身となった。金に困ることはなかったし、腕もそれなりに立つので危険な旅ではなかった。
そしてある日、亡くなった義妹が言っていたことを思い出した。
両親が健在だった頃、立ち寄った村で買ってもらった物を落としてしまった。両親に言うタイミングも逃して、結局そのまま置いていったと。木箱に入れたのだけは覚えているが、残念だと悔しがっていた。
彼はそれを探すことにした。今更見つけても何の意味もない。はっきり言って労力の無駄だ。それでも、彼女の悔しそうな表情を思い浮かべると見つけてあげたい、という思いが上回った。
具体的な場所は聞いていなかったので、まずその村を特定するのから苦労した。必死に聞き込みをして、情報を得て、やっとの思いで辿り着いたその場所は、完全に荒野と化していた。
大規模な自然災害の影響で、辺り一面真っ平らになったらしい。元々大きな村ではなかったのでこれも仕方ないだろうと、情報をくれた男が嘆いていた。
“この病気が治ったら、私と一緒に––––––”
ああ。探しに行こうと約束した。軽い気持ちで言ったことが、今になって自分を責め立てた。簡単なことだと思っていたから。絶対に治ると信じて疑わなかったから。
そんなことは、何もかもが嘘だ。結果として自分は全てを失い、少女との約束を果たすことが出来なかった。謝罪も、涙も、全てが無駄だった。
ならばせめて、彼女との思い出だけは残そう。それがただの自己満足だとしても、彼女が確かに此処にいた証を見つけよう。幾千幾億の時間が過ぎようとも構わない。それが自分に出来る、ただ一つの贖い––––。
話し終えたディルグは砂を払って木箱を開ける。中からころりと、小さな物体が落ちて来た。膝を折り、それを拾い上げる。
「…宝石、か?」
「そうらしいな。…ああ、確かに見つけたぞ」
ソフィアの問いを曖昧に答えて、淡く光るそれを懐にしまう。遠い所にいる義妹の顔を思い浮かべて、フッと笑うと彼女に向き直った。
「こっちの用は済んだ。さっき言った通り、アンタの勧誘を受ける」
「…もういいのか?」
「ああ。既に終わったことだ。逆理者だったか? さっさと連れて行ってくれ」
青年は過去の思い出に区切りをつけ、新たなる居場所を見つける。自分が歩んだ人生など、シチュエーションさえ変えれば珍しくもないありふれた物語だ。
だから忘れない。その胸に刻み込んで、確かに存在した日々を心に仕舞う。懐の宝石と同じように。決して忘れないように。
吹き荒れる風が自分を包み込む。それはまるで、新たな門出を祝っているかのように錯覚した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「そちらも上手くいったようだな」
勧誘を終えて、隠れ家への帰路を共にするハルトとソフィアは互いの報告をしていた。
「彼女は別の隠れ家で待機して貰ってます。直ぐに合流することも可能です」
「分かった。新たに勧誘した二人にもすぐさま手伝って貰おう。次のメンバーの目星もつけてある。先ずは今後の方針を––––」
隠れ家に着き、中に入ろうとするソフィアをハルトが止める。第三者の存在を感じとったのだ。それも隠れ家の中から。
「誰か…いますね」
「ここを見つけるとは大したものだな」
戦闘態勢に切り替える。王都、あるいは別の国からの刺客かもしれない。何にせよ、後手に回らないように気を引き締めた。二人の呟きが聞こえたのだろう。空気を読めない声が、中から響き渡った。
「おー、ようやく帰ってきたー! もう待ちくたびれちゃったよー!」
そう言って満面の笑みを浮かべた一人の女性が、二人を出迎えるのだった。




