第一章「ネオンの残響」/第四話「のみものの夜」
本作は、小説と連動楽曲で構成されたシリーズ作品です。
ゆっくりと進行しますが、気軽にお付き合いいただければ嬉しいです。
夜の空気にも、少しずつ慣れてきた。
路地裏の薄暗さも、今は少し居心地が良いと感じる日もある。
最初は怖かった。
路上で歌うことも。
誰かに聴かれることも。
誰も聴いてくれないことも。
全部怖かった。
けれど今は違う。
相変わらず緊張はする。
声が震える日もある。
それでも、歌い始めることはできるようになった。
なぜなら。
立ち止まってくれる人がいるから。
知らない人。
名前も知らない人。
顔もほとんど見えない人。
けど、いつもの人だとわかる人。
そして。
そこにいてくれる、そこからいなくならない人。
Astraは小さく息を吸った。
ギターを抱え直す。
いつもの場所。
いつもの時間。
いつもの夜。
歌い始める。
ゆっくりだけどハッキリと。
細くも力強く。
少しずつ人が通る。
少しだけ立ち止まる人もいる。
すぐに去っていく人もいる。
すぐ目の前を足早に通る人。
避けるように離れたところを足早に過ぎていく人。
とにかく色んな人、色んな靴音が目の前を流れていく。
その一つ一つを、特に気にはしていない。
歌に耳を傾けず、好奇の目だけ。
それなら無関心なまま通り過ぎてもらったほうがいい。
それでもいい。
それでいい。
けれど今夜は。
少しだけ落ち着かない。
歌いながらも視線が泳ぐ。
いつもの場所、特定の場所を経由しながら目線が泳ぐ。
まだ見えない。
いないのかな。
今日は来ないのかな。
そんなことを考えてしまう。
自分でも理由は分からない。
話したこともない。
名前も知らない。
それなのに。
「あ」
人影。
見たことある人影。
今では見慣れてきた人影。
路地の奥。
いつもの辺り。
いた。
思わず口元が緩みそうになる。
慌てて歌に集中する。
歌う。
いつも通り。
何事もないように。
けれど今日は少しだけ違う。
足元に置いてある飲み物を横目で一瞬見る。
顔もよく見えない暗がりにいる彼女が、いつも手に持っているもの。
何度も見ているうちに覚えてしまった。
同じものを買ってみた。
美味しかった。
少し驚いた。
だから今日は。
そのペットボトルを横に置いている。
もちろん意味なんてない。
たぶん。
気づくわけない。
でも。
もし気づいたら少し面白い。
そんな程度。
たぶん。
歌いながら視線を向ける。
見すぎないように。
見失わないように。
暗がりの中。
顔はよく見えない。
いつもと同じ。
見えるのは手元だけ。
そして。
その手元にある飲み物。
Astraは一瞬だけ歌詞を忘れそうになる。
わたしがいつも飲んでいるやつ。
なぜ。
偶然?
それとも前から?
それともわたしがいつも持ってきてるから?
それはないだろうなと、最後に思ったことはすかさず候補から外す。
分からない。
分からないけれど。
聞いてみたい。
味はどうだった?
どうしてそれを選んだの?
そんなこと。
聞いてどうするんだろう。
でも知りたい。
知りたいけれど。
それ以上に。
伝えたい。
あなたがいつも飲んでいるこれ。
思っていたより、ずっと美味しかった。
その一言だけ。
それだけなのに。
言えない。
歌は終わる。
拍手はない。
会話もない。
いつも通り。
何も変わらない。
それなのに。
少しだけ胸が温かい。
夜は静かに更けていく。
あの人はいつもの場所にいる。
自分もいつもの場所にいる。
何も始まっていない。
けれど。
何もないわけでもなかった。
いつもと同じ夜。
だけど少しだけ特別な夜。
そんな夜が、またひとつ増えた。
第四話「のみものの夜」をお読みいただきありがとうございます。
連動楽曲
「いるよ・いるね」
https://www.youtube.com/watch?v=Obb1lN4myMk&list=PLotKldLgKicyyp9-bdCqgLr4qxS7-FEE-&index=5




