第一章「ネオンの残響」/第二話「はじまりの夜」
本作は、小説と連動楽曲で構成されたシリーズ作品です。
ゆっくりと進行しますが、気軽にお付き合いいただければ嬉しいです。
ネオン街から少し外れた路地は、いつも湿った夜の匂いがした。
大通りの光はここまで届かない。
けれど完全な暗闇にもならなくて、壊れかけた看板のネオンが、遅れて点滅するみたいに路面を遠くから青紫へ染めていた。
道行く人は多くはないが、全く誰も通らないというわけではない。
少女は今日も、とうに閉業した店のシャッター前に小さな譜面台を置いて、安物のアコースティックギターを抱えていた。
LEDの小さなランタンに照らされたケースの中には、まだほとんど何も入っていない。
入っているのは私物だけ。
通り過ぎる人はいる。
横目で一瞬だけ見る人もいる。
けれども、立ち止まる人は少ない。
ほぼ皆無と言っていい。
ときおり近くで足を止めた人も、ただスマホを確認しているだけのようだ。
人通りの少なさも手伝ってか、大通りを歩く人の速度よりもここを抜けていく人のほうが足早にも感じる。
そんな、路地と路地を結ぶ路地裏の通り。
そもそも、誰かに聴いてもらえるなんて思って始めたわけじゃなかった。
ただ、胸の奥に溜まっていくものを、言葉にするのが下手だった。
そのままではどうにもならない心の澱みを流し出すかのように。
だから歌っていた。
歌なら、途中で詰まってもいい気がした。
文章として整っていなくても、少しぐらい意味が通じなくても、そういうものだと思ってもらえる気がした。
そして、声が震えても、うまく笑えなくても、少しくらい音を外しても、“気持ち”だけは置いていける気がした。
少女はマイクの前で、小さく息を吸う。
「えっとね…」
声が少し裏返った。
通り過ぎていたサラリーマンが、一瞬だけこちらを見る。
けれど、そのまま去っていく。
少女は俯きかけて、でも歌うのをやめなかった。
「その……」
言葉は不格好だった。
きっと、最初からちゃんと伝わるなんて思っていない。
でも。
“伝えたい”だけは、本当だった。
だから少女は、アコースティックギターの音色にそっと想いを添えるように、ぽつりぽつりと歌う。
うまく言えないこと。
歌にしかできないこと。
誰かに届いてほしいこと。
けど、理解してほしいわけじゃないこと。
最後まで、そこにいてくれたら。
それだけで嬉しいこと。
路地の奥を、夜風が抜ける。
ネオンが少しだけ瞬いた。
そのときだった。
人影が、ひとつ止まった。
少女は少し顔を上げ、さらに目線を上げて人影を見る。
薄暗がりの向こう。
街灯の届かない場所に、誰かが立っていた。
顔はよく見えない。
ただ、ぼんやりとネオンに縁取られたシルエットだけが見える。
シルエットの足先から、徐々に上の方へと目線を移す。
背の高い女の子だった。
片手に、飲みかけの見慣れないペットボトルを持っている。
その子は何も言わない。
近づいてもこない。
ただ、路地の壁に軽く寄りかかりながら、少女の歌を聴いていた。
いや、聴いてくれていると思いたかった。
ペットボトルを持つ手の、人差し指が歌に合わせて軽くトントンッとリズムをとっているように見えた。
少女はなぜだか、少しだけ息が吸いやすくなった気がした。
ギターを持つ手の震えも、ほんの少しだけ弱くなる。
この人は、最後まで聴いてくれるかもしれない。
そんな気がした。
いままで、なんども何度も、まるで祈るかのように思ってきたこと。
理解なんて、してくれなくてもいい。
途中で眠くなってしまってもいい。
今夜もそうかもしれない。
だけどそこにいる。
聴いているのではなく、ただ一息ついているだけかもしれない。
それでも。
この夜、この歌を、“聴こうとしてくれた”。
そこにいてくれた。
そう思えるだけで、それだけで、きっと十分だった。
ゆっくりと小さく目を伏せる。
そして、誰にも聞こえないくらい小さな声で、
「……ありがとう」
Astraは呟いた。
第二話「はじまりの夜」をお読みいただきありがとうございます。
連動楽曲
「あのね」
https://www.youtube.com/watch?v=FdkgR12hDHo&list=PLotKldLgKicyyp9-bdCqgLr4qxS7-FEE-&index=9




