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第六章 問いの種

 記者会見の場で、市丸は言った。


「私は、八十年後の未来から来ました」


「その未来では、日本はもう、取り返しがつかない国になっています」


 会場は一瞬、水を打ったように凍りついた。


 ―― 直後、波のような嘲笑が沸き起こった。当然だ。突拍子もないオカルトの告白に、記者たちは呆れ、鼻で笑った。


 だが、市丸は微動だにしなかった。ゆっくりと、会場全体をまっすぐに見渡した。



「皆さん、覚悟はできていますか?」


「私は、とうの昔にできていますよ」


「そのために、帰って来たんです」


 一呼吸。彼はマイクを強く握り直した。


「誰かが何とかしてくれると、思わないでください」


「自分が、動こうとしてください」


「未来は、今の行動で変えられます」


 そして、一気に声を落とした。


「これからの私は、間違えます」


「だから、私に盲従しないでください」


「自分の頭で、考えてください」



 言い終えた市丸は、ただ前だけを見据えていた。


 場内には、彼を否定しきれない奇妙な空気が漂い始めていた。その声に、一切の迷いがなかったからだ。未来から来たという荒唐無稽な事実よりも、そのあまりにも深い確信が、冷やかす大人たちを黙らせていた。



 世論は真っ二つに割れた。


 彼を狂人だと鼻で笑い、切り捨てる者。その一方で ――


(もし、本当だったら?)


 と、身震いしながら考え始める者。



 重要なのは、言葉の真偽ではなかった。


 人々が初めて、〝自分たちの未来〟を他人事ではなく、自分の問題として思考し始めたこと ―― その一点だった。


 議論が生まれた。対立が生まれた。


 そして。彼が最も恐れていた「無関心」が、社会から少しだけ減った。


 それは本当に小さな、微かな変化だったが、狂った未来を書き換えるには、あまりにも十分すぎる兆しだった。



 奇妙なことに、あれほどの告白のあとも、市丸は失脚しなかった。


 狂人として葬るには、彼の周りに集まった力が、すでに大きくなりすぎていた。彼を担いできた資本家も、実務家も、告白の真偽になど初めから関心がなかった。未来から来たかどうかはどうでもいい。数字が当たり、利が出る。それだけで彼らには十分だった。出自が荒唐無稽であることは、彼らの計算を一つも狂わせなかった。


 永田町もまた、彼を異常者として切り捨てられなかった。最も激しく彼に反対し続けていた高瀬が、市丸を狂人ではなく、全力で押し返すべき一人の論敵として扱っていたからだ。最強の反対者が本気で相手取る相手を、他の誰が(わら)って済ませられるだろう。高瀬の存在そのものが、市丸が正気であることの、奇妙な保証になっていた。


 そして何より、市丸は「信じろ」とは一度も言わなかった。信じてもらうためではなく、問いを生むために語ると言った。信仰を求めない告白は、信じない者をも巻き込んで機能する。法案を動かしたのは予言への帰依ではなく、彼が周到に築き上げた連合の、冷徹な論理だった。



 高瀬は、会見の映像を自室で見た。


 何度も、同じ場面を巻き戻す。


 市丸が「八十年後から来た」と告げる瞬間。笑わない表情。揺れない声。


(信じるか信じないか ―― そんなことは問題ではない)


 高瀬が目を留めたのは、別の部分だった。


 市丸は、自分が正解を持って未来を変える、とは言わなかった。ただ「問いを残す」と言った。


 それはすべてを諦めた人間の言葉に似ていた。だが同時に、最後まで諦めない人間の言葉にも聞こえた。


        ◆


 翌日、高瀬は珍しく自分から市丸の事務所を訪ねた。


「本当のことを話せ」


 静かに扉を閉め、高瀬は切り出した。


「話しました」


「……そうか」


 高瀬はソファに深く腰を下ろした。


「君が本当のことを言ったとして、私が信じたとして ―― それで、君は何を望む?」


 市丸はゆっくりと、窓の外へ視線を向けた。


「反対し続けてください」


 高瀬の眉が、微かに跳ねた。


「反対がなければ、私は暴走する。あなたが全力で押し返す力があるからこそ、私は限界まで進めるんです」


 長い沈黙が、部屋を支配した。


 やがて高瀬は立ち上がり、コートを羽織った。


「……分かった。精一杯、反対してやる」


 バタン、と扉が閉まる。


 その足音が廊下の向こうへ遠ざかっていくのを聞きながら、市丸の目から、張り詰めていた冷徹な色がほんの少しだけ和らいだ。



 その夜、高瀬は誰もいない自分の事務所に戻り、灯りもつけずに椅子に腰を下ろしていた。


「反対し続けてくれ」


 あの男の言葉が、どうしても頭から離れない。


 三十年以上、政治の世界に身を置いてきた。誰かの政策に反対することなど、数え切れないほどあった。だが、反対することを「頼まれた」のは、長いキャリアの中で初めてだった。


 敵だと思っていた男が、自分を必要としていた。


 ただし、味方としてではなく、己を律するための最強の壁として。


 高瀬はゆっくりと立ち上がり、ブラインドの隙間から、眠らない街の灯りを見やった。


(厄介な男だ)


 心の底からそう呆れながらも、彼の口元には、久しく忘れていた不敵な笑みが浮かんでいた。激動の時代を前に、政治家としての血が、静かに(たぎ)り始めていた。

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