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第三章 選択のコスト

 地方医療再編法案。それは、市丸が作り上げた合理性の極致だった。


 統合は、切り捨てではない。少なくとも、設計図の上では。中央の仕送りに依存しきった脆弱な病院を、今のうちに整理・再編し、地方が自給自足で維持できるタフな規模に作り変える。限られた資源で最大多数を救う。崩壊へ向かう国を支えるための理屈としては、正しかったが、そこに〝例外〟は存在しない。


 統廃合の対象リストを開いたとき、その最下層に見覚えのある病院の名前を見つけた。


 遥の勤務先だった。



 久しぶりの再会は、静かな衝突から始まった。


 遥は駅のロータリーまで迎えに来てくれた。白衣のまま、エンジンをかけっぱなしにした軽自動車で。


 車内にはコンビニのコーヒーの香りが漂っていた。助手席に座ると、シートの隙間に使い古した聴診器が挟まっているのが見えた。


 しばらく二人とも黙っていた。


 田んぼの脇を抜け、信号のない交差点をいくつか過ぎたあたりで、遥が前を向いたまま口を開いた。


「なんでこんなことするの?」


「必要だからだ」


「ここがなくなったらどうなるか、分かって言ってる?」


 分かっている。誰よりも。


 維持した場合の未来も、崩壊の連鎖も、自分はすべて見てきた。だが、それは伝わらない。


「お兄ちゃんは、人を数で見てるよ」


 その指摘に、市丸は沈黙した。否定はしなかった。


 彼は、そうしなければ心が持たないからこそ、マクロでしか物を見ないように心を殺してきたのだ。



 車が古びた病院の駐車場に滑り込む。


 コンクリートの片隅に、一台の錆びついた自転車が停まっていた。鍵もかかっていない。


「あれ、田中さんの?」


「そう。週に三回来る。ほぼ雑談だけどね。でも、来なくなったら心配でしょ」


 市丸は何も答えず、ただその錆びついたハンドルを見つめていた。



 夕方、病院の小さな食堂で二人は向かい合った。


 遥はカレーを食べながら、ふと言った。


「お兄ちゃんって、昔さ、拾った猫をどうしてたっけ」


「捨てた」


「そう。飼えないからってね。でも三日間、こっそり箱に入れて飼ってたじゃない」


「昔の話だ。今の件とは関係ない」


「関係あると思う」


 遥はスプーンを置いて、正面から兄を見た。


「ちゃんと見てる? ここにいる人たちの顔」


 市丸は耐えかねたように、視線を窓の外に逃がした。


 駐車場の向こう、夜の(とばり)が下りた病棟の壁に、小さな光が灯っている。病室の窓だ。血の通った誰かが、今まさにそこで呼吸している証だった。胸の奥が、嫌な音を立ててきしんだ。



 その夜、市丸は地元のビジネスホテルの部屋で一人、上着のポケットを探った。


 指先に触れたのは、赤い折り紙の鶴だった。色は、もうずいぶん()せていた。記憶の中にしかなかったはずのものが、この時代では、まだ手の中にある。


 窓の外に目をやると、地方の夜の静けさの中に、家々の灯りがまばらに見えた。


 東京のような圧倒的な光の海ではない。けれど、そのどれもが、誰かの生活であり、誰かの光だった。


 市丸はしばらくの間、呼吸を止めるようにそれらの灯りを眺めていた。それから、手の中の小さな折り鶴を、壊れ物を扱うようにそっとポケットの奥へとしまい直した。彼の戦いは、もう引き返せる場所にはなかった。

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