12
「そろそろ飛行機に乗る頃ですかねぇ…」
頃は桜も満開時。
ようやく夜も暖かくなってきた4月の初旬。
ノートパソコンを見つめながら、カウンター越しに結城店長が呟いた。
あたしが占い喫茶で働き始めてから益々デイトレにハマってきた結城店長は、最近じゃ出勤してからも客がいなければ銘柄のチェックに余念がない。
喫茶店にわざわざノートパソコンを持ってくるんだから、喫茶店業にどんだけやる気がないんだか。
仲が悪いくせに常に店長の傍にいる孝之が、その言葉を聞き逃す筈はなかった。
反対のカウンター越しにギロリと店長を睨みつける。
「うるせーよ。言いたい事があるならハッキリ言え」
「別にないですよ。いや、ただ、自分に好意を寄せていた美人の後輩が他の男と外国に行く瞬間って、切ないだろうなと思っただけです」
悪びれない顔でニコニコ笑いながら、店長はサラリと言った。
その挑発が悪意からである事は明白だ。
その瞬間、孝之の顔が引き攣って、カウンターテーブルの上に置いてあったコーヒーカップがパン!と音を立てて割れた。
「あ、井沢君、店の物壊さないで下さいよ。これも恵理さんの給料から差し引いておきますからね」
「うるせえ! ケンカ売ってんのか、このイカサマニートが!」
「ニートではありません。個人投資家と言って下さい」
「関係ねーよ! てめぇ、俺を怒らせたいのか、あァ?」
「冗談ですよ。図星指されたからってそんなに動揺しなくてもいいじゃないですか。行き急ぐと早死にしますよ」
「俺に早死にって、それは洒落か!? 調子に乗ってるとお前に憑依してから路上で裸になって、公然猥褻で逮捕されてやるからな」
「ハハハ…さすがは井沢君ですねえ。発想が中学生だ。頭悪いのが露見しましたね」
「~~~~~~!!!!」
パン!と爆竹のようなラップ音が店内に響き渡り、飾り棚の上の花瓶が内側から破裂する。
こういう無駄な出費が、今だに最低賃金で働かされてるあたしの給料から引かれていくのだから堪ったもんじゃない。
だけど、それを気に掛けるのも億劫な程、あたしは今だに茫然自失していた。
あのマラソンレースから一月が経とうとしている。
孝之と涼子さんは仲良くジョギングを楽しんだ後、二人揃って店長の待つ陸上競技場前にゴールインした。
そこで孝之が離れた瞬間、あたしは彼の予言通り、酸欠でぶっ倒れて救急車で運ばれる羽目になったのだ。
ついでに強烈な筋肉痛で両足共に全く動かせなくなり、一週間の入院を余儀なくされた。
美しくも気高い豹のような孝之の後輩、佐々木涼子さん。
詰まる所、彼女はずっと孝之が好きだったんだ。
最後に孝之と話をして、結婚するかどうか決断をしたかったんだろう。
でも、多分、彼女の答えは決まっていた。
孝之はきっと最初から分かってたんだ。
だからこそ、涼子さんに「好き」だと言わせないまま、後押ししたんだ。
カッコつけの孝之らしい粋な演出だった。
じゃ、あたしは?
孝之をフッたあたしを殺しそうな勢いだったのはなんだったんだ!?
彼女の最初の目的である仇討ちってカモフラージュだったって事なんだろうか?
あたしはカウンターテーブルに頬杖をついて、店長に噛み付いている孝之をチラリと見た。
柔らかそうな茶髪に端正な顔立ち。
常人よりは血の気のない顔色を差し引いても、まさか死んでるとは思えない活きの良さだ。
確かにあたしは孝之が死んでるって思ってない。
これが、あたしの「見える」能力の賜物だったとしても限界は来るだろう。
いつか、孝之は消えてしまう。
それは多分、あたしが彼との永遠の別れを自覚した時なんだ。
無意識に凝視していたあたしの視線を感じて、孝之は嫌そうな顔であたしを振り返る。
心なしか、孝之もあのマラソンの日以来、あたしに対して何かよそよそしいのだ。
まるで、何かを隠してるみたいに。
「何だよ?」
「別に。あたしって何だったんだろうって思って」
「何が?」
「だって、涼子さんは結婚を前に、孝之への想いを精算したかったって事でしょ? あたしって完全に巻き添え喰らったって事じゃない?」
ぶーたれてカウンターテーブルでダラリと溶けているあたしを見て、孝之と店長さんは顔を見合わせた。
途端に、孝之はバツの悪そうな顔を横に背け、店長さんは何故か嬉しそうにあたしを見下ろす。
「恵理さんはもしかして、それでずっと元気ないんですか?」
「だって、なんか納得いかないんだもん。あたしって貧乏くじ引いたんじゃないですか? ダシに使われたって言うか……」
「ダシじゃありませんよ。考えて見て下さい。キスさえしてもらえなかった、しかも現在死亡している先輩の元カノを殺そうなんて、結婚前に思いますかねえ?」
「どういう意味ですか?」
「おい、コラ! テキトーな事言ってんじゃねえ!」
意味深な店長の発言に、あたしと孝之は同時に顔を上げるとカウンターテーブルに身を乗り出した。
あたし達の反応を楽しむかのように、店長は勿体つけてニヤリと笑う。
「本当は井沢君が涼子さんに言ったんでしょ? 俺がフラれたら仇討ってくれよって、ね?」
その言葉にあたしは愕然としつつも、思い当たる事がいっぱいで、思わず孝之を見た。
顔を赤くして、孝之は店長を上目遣いに睨みつけた。
「なんでそう思うんだよ?」
「彼女が最初に「仇討ち」って言った時に、井沢君の遺言だってすぐ分かりましたよ。発想が幼稚だし、仇討ちなんてボキャブラリーが貧困でセンスないじゃないですか。井沢君らしいですよね。まさか自分が先に死ぬ事になるとは思ってなかったから、当時は冗談で言ったんでしょうが」
悪戯が見つかった子供のように、孝之は真っ赤になって唇を噛んだ。
嘘のつけない孝之らしい、分かりやすいリアクションだ。
「本当? 孝之が頼んだの?」
「いや、まさか、こんなに時間が経ってから本当に来るとは思ってなかったからさ。でも、その場合、仇討ちしたかったのは、お前の相手の男だったんだけど……ここはあいつの勘違いだ」
「つまり、井沢君は恵理さんに別の男ができたら、そいつを殺してくれって、後輩の女性にお願いしてたんですね?ハー…、小市民的貧困な想像力だ。ある意味、井沢君らしいけど」
「うるせえっつってんだろ!」
再び始まった二人の攻防戦を、あたしは呆然と見つめていた。
「孝之、なんでそんな事言ったの?」
「う、そ、それは……」
真っ赤になって口篭る孝之を遮るかのように、店長さんが明るい声で締め括った。
「勿論、あなたが大好きだったからですよ。それこそ殺したいほどにね。復讐の女神を差し向けた張本人がここにいたとは、なんとも皮肉な話じゃないですか」
店長は人事のようにハハハ・・・と笑った。
否定も肯定もせず、赤くなったままカウンターに突っ伏した孝之を、あたしは穏やかな気持ちで見つめていた。
春の夜空はぼんやり霞み、薄暗い店内から窓越しに星が瞬いている。
時計はいつのまにか、飛行機が飛び立った時刻を過ぎていた。
Fin.
ここまで読んで下さった方々、ありがとうございました。




