処女
僕と吉野さんは、別々に校門を出て、しばらく歩いた先のコンビニで合流した。
そこでお互い飲み物を買うと、吉野さんが先に歩き、僕はその後を追った。
たどり着いたのは、県立図書館の脇にある静かな公園。
横並びに設置された二つのベンチ。
吉野さんは左側のベンチの右端に座り、僕は右側のベンチの左端に座る。
距離としては一番近い。
けれど、決して同じベンチには座らない。
第二の霧山のようなやつが、再び現れないとも限らない。用心するに越したことはないのだ。
正面を向いたまま、互いの顔すら見ないその姿は、甘い放課後デートなどではなく、まるで秘密情報を取引する、海外ドラマのエージェント同士のようだった。
僕は缶の冷たさを手に感じながら、正面の空間に向かって呟いた。
「まずいことになった……」
予想よりもずっと、重く沈んだ声で話し掛けてしまった。
これじゃ本当にスパイの密会のようだ。
しかし、それに合わせるように吉野さんも、できうる限りの低く沈んだ声で返事をした。
「そうね」
二人の間を、秋の風が流れていった。
かさかさと枯れ葉を集めながら、ゆっくりと円を描く。
周囲の木々も一斉に鳴り出す。
「まさか見られていたとは」
俯いて、足の間に視線を落とす。
そよ風に吹かれた枯れ葉が、小さく揺れていた。
背後でパキッと、小枝を踏みしめるような音がした。
僕は、弾かれたように振り向いたが、そこに人の姿は無かった。
「霧山くんは、異常に視力がいいから」
「……うん。そうらしいね。異常に……」
――視力がいい。
……えっ!?
僕は驚いて、思わず吉野さんの方を向きそうになった。
「だから、距離を取るの。あいつ、遠くからでも口の動きで会話を読むから」
――何を言ってるんだ?
僕は、前を向いたまま会話を続ける。
もしかして……
「……知ってたの?」
「知ってたわ」
淀みなく答える吉野さんに、少し釈然としなかった。
どうして霧山のことを、こんなに知っているんだ……?
もしかして、吉野さんと霧山は以前に――。
「霧山と、付き合ってた……とか?」
「違うわよ!」
「でも……」
吉野さんは静かに告げた。
「幼馴染だもん」
「は?」
幼馴染……?
あの、僕たちの関係を、面白半分で覗き込んできた異常者が、吉野さんの幼馴染なのか?
「隣に住んでるの」
「えっ!?」
吉野さんは、何でもない事のように、平然と話し続ける。
僕は考えも気持ちも、追いついていけてないのに……
「毎朝、甲斐くんと待ち合わせてるでしょ? あいつ、いつも後ろから付いて来てるわよ」
吉野さんはチッと舌打ちすると、ペットボトルのキャップをカチリと鳴らし、静かに飲み物を口に含んだ。
「……えっ? ……もしかして、今日も?」
「今日も。……と言うか、今も!」
そして、吉野さんは徐に立ち上がると、キョロキョロと周りを見回し始めた。
「秀人居るんでしょ? 出てきなさい!」
僕も周りを見回したが、人の気配はどこにもなかった。
しかし吉野さんは、スナイパーのように鋭く辺りを警戒しながら、人の気配を探っている。
狙いを定めたように、一本の木に躙り寄って行く――。
すると観念したのか、霧山が両手を挙げて、木の陰から出てきた。
「さーすが! あーちゃん鋭い!」
霧山は、頭を掻きながら舌を出すと、悪びれもせず大声で笑った。
吉野さんは、霧山の近くまで行き、その腹に向かって、力任せに殴りつけた。
ドスッ!
空手の構えで繰り出されたパンチは空を切り、霧山の鳩尾にクリーンヒットした。
「ぐふっ!」
霧山は腹を抱え、地面に膝を付く。
避けることも出来ただろうに……マゾなのか?
しばらく悶絶していたが、片脚ずつ立ち上がると、吉野さんの顔を見据えた。
「……痛った! 暴力反対!」
「邪魔したら殴るって言ったもん!」
「邪魔してない!」
「した!」
「してない!」
「甲斐くんに話しかけないで!」
「でも、俺も甲斐くんと話したいんだもん!」
霧山は僕の隣に腰掛けて、笑いかけてきた。
「甲斐くんを脅したらダメって、言ったはずよ?」
吉野さんは、真顔で霧山を睨みつけ、真剣に怒っているのに、霧山はずっとニヤけたまま、聞く耳を持たない。
「脅してないよ~。ねぇ、甲斐くん? 好きだから、からかっただけだよ」
「甲斐くんは、私のものだから」
「俺が先に見付けたのに!」
「たまたま、同じクラスになっただけでしょ!?」
「違うよ~。運命なんだよ。甲斐くんは、俺の運命の人だから!」
吉野さんに冷たくあしらわれながらも、霧山の視線は、ずっと僕の横顔を見ているような気がする。
気のせいであってくれと、心の中で願っていた。
「だってさ……あの数学競技会の時から、甲斐くんは、俺とあーちゃんの憧れの人だったでしょ?」
「秀人はずっと、女と遊び回ってたじゃん! 私は、甲斐くん一筋だったし……それに、まだ処女だもん!」
「あれは遊びだよ~。それに俺だって、まだ処女だもん!」
何を言ってるんだ……この二人は。
僕はもう、訳が分からなかった――。
秋の終わりは、夕暮れが早い。
冷たい風が、静かに吹き抜けていった。




