脅迫
「なぁ、お前……なんで、副会長と手を握り合ってたの?」
「……っ、なんのことだか……」
表情はむしろ明るく好意的なのに、その目付きの鋭さとのアンバランスさに、激しく動揺してしまう。
「とぼけちゃってさ。……っていうか――。いま、イッてたよね?」
耳元で落とされた低い声に、僕の背筋に冷たい汗が伝う。
僕が必死に保とうとしていた理性の崩壊が、一気に加速していくのを感じていた――。
「――……っ!?」
突然の暴露に、弁明の言葉すら喉に仕えて出てこない。
「壁に手をついて、小刻みに震えて息荒くして……ただ手が触れただけだよね? まさか妄想で? ってか、ホントに一瞬でイッちゃったの? どんだけ感度いいんだよ! アッハ!」
悪気がないのか、根っからの陽キャか……鋭く抉る言葉の切れ味は強烈だった。
心底、楽しそうに大声で笑うと、口の端をニッと引き上げた。
「そこ、濡れて気持ち悪いでしょ?」
その場に立ち尽くす僕の全身を舐めまわすように見つめたあと、霧山はすっと視線を下げた。
「あ……いや……これは……」
霧山は僕の下半身へ視線を落とし、じっと見つめていた。
なぜか不敵に笑うその姿の異質さに、寒気を覚えていた。
僕が抱く吉野さんへの歪んだ執着すら超えるような、底知れない不気味さ。
背筋を駆け上がる冷たい悪寒に、僕は息をすることすら忘れていた――。
「あの日も――」
にやけた霧山の顔が、間近に迫っていた。
「お前……吉野さんに、何かしたんだろ?」
「……は!?」
遠ざかる歓声も、霧山の声も、薄い膜に覆われたように現実味がなかった。
「あれって、もしかして……」
霧山の整った顔が、目前までスーッと寄ってきたかと思うと、フェイントのように、瞬時に耳元へ移動した。
(オ・ナ・○ー)
その囁きが小声であればある程、神経を集中させ、耳を澄ませてしまうものだ。
……ゴクリ。
僕は空気を飲み込んだ。
霧山の胸元から漂う、スパイシーなコロンの匂いが、鼻腔にまとわりつく。
目の前が真っ暗になった――。
吐きそうだ……。
脳裏に去来した、あの放課後。
――夕闇のグラウンドの片隅。
物陰に吉野さんを追い込み、逃げ場を奪った状態で、自らの手で屈辱的な悦楽を貪るよう強要した、あの狂気の光景だ。
まさか、あの現場を目視できていたのか――。
いや、そんなはずがない。
「なんのことだか……よく分からない」
僕は声を震わせ、誤魔化すように歩き出すのが精一杯だった。
しかし、霧山は追い掛けてきた。
「甲斐って……吉野さんの何なの?」
「は?」
キーンコーンカーンコーン……
極度の緊張の中、助け舟のような始業ベル。
生徒たちは駆け出し、それぞれの教室に入っていく。
「ほらー。お前たち、授業を始めるぞ」
教師が、廊下を歩きながら声を掛けていく。
だがそれさえ遠い場所の出来事のようだった。
「今日、部活休みなんだけどさ。放課後、時間あるよね?」
不敵な笑みを浮かべたまま、霧山は僕の肩に腕を回し、そのまま教室の扉を開けた。
「遅れてすみません! ……ほら、甲斐くん!」
笑顔で手招きする。
「早く席に着きなさい」
「はーい」
霧山は教師に返事をすると、僕を振り返って親しげに笑いかけた。
「急いで、甲斐くん!」
背中にそっと手を添えられ、促すように押される。
そしてすれ違いざま、耳奥へ熱い息と共に囁き声が注ぎ込まれた。
「……放課後、待ってるね」
「…………」
授業が始まっても、頭の中は真っ白なままだった。
廊下で絶頂を迎えてしまった下着の、不快な感触。
心臓を締め付けるような激しい恐怖。
目の前の席に座る霧山の後ろ姿を、僕は、ぼんやりと眺めることしかできないでいた。
どうする……?
どうなる?
……脅しだよな。
狙いは、吉野さんか?
霧山の後頭部を、睨むように見つめていた。
不意に、霧山がくるりとこちらを振り返る。
驚くほど、爽やかな笑顔だった。
教師の目を盗み、僕の机の端を、人差し指の爪先でコンコンコンと弾いた。
そして、じっと僕の目を見つめながら、唇だけを動かす。
口パクで、何度も、ゆっくりと――。
『お・ま・○・○・見・せ・て』
「……っ!?」
――一瞬で、血の気が引いた。
静寂に包まれた厳粛な授業風景の中で、あまりにも不釣り合いな言葉――。
僕の動揺をあざ笑うように、霧山は舌先を尖らせて、チロチロと動かした。
僕は霧山に視線を合わせたまま、微動だにできなかった。
その姿に満足したのか、にやりと笑うと、無言で前を向いた。
(コイツ……正気じゃない。ヤバすぎる……!)
吉野さんへの執着なのか、それとも僕たちの秘密を弄んで楽しんでいるのか。
激しい恐怖と怒りで、体内の水分が蒸発していくようだ。
視界がぐにゃりと歪んで、何も考えられなかった――。
放課後。
静まり返った北校舎の階段の踊り場。
逃げることは出来なかった。
僕は指定された場所に、一人で突っ立っていた。
やがて足音が近づき、霧山が姿を現す。
「呼び出した俺が遅れちゃって、悪いね」
少しも悪びれた様子なく、にやけた笑顔で右手を挙げた。
霧山は階段に腰を下ろした。
「……んで、まぁ。用件は分かるよね?」
僕はこくんと、頷いた。
「てかさ。俺、スポーツ推薦だから、頭はそこそこなんだよね? ははっ。知ってるか?」
「……」
「いや、やれば出来るんだよ? 中学まで成績も上の下くらいで、上位20くらいには必ず入ってたし……」
「……」
「……でも、やっぱ強豪校ともなると、練習量も半端じゃなくてさ。俺みたいな体力オバケ? でも、疲れるよね、やっぱり」
「……」
「サッカーばっかりやってればいいって、ここに来たけど、そういう訳にもいかないじゃん? 勉強もやってないと、プロになれなかったとき、悲惨だよねー」
「……あの。霧山くん」
「あ。ごめん! 愚痴を言いに来たみたいになったね」
「……それで……」
「うん。……俺さ。視力、異常にいいんだよねー」
「……へぇ、そうなんだ」
呼吸を整えることもできず、霧山の次の言葉を待つ以外の選択肢がなかった。
「甲斐くんって……吉野さんを脅してるの?」
「は。……ちが……」
「でも。エロい事、させてたよね」
きれいに整った霧山の顔が、奇妙に歪んで笑っていた。
「息抜きっていうの、欲しいかなってね」
「息抜き?」
「そっ。まぁ、俺の場合は、女とヤルことだったんだけど……」
「……」
「それも違うかなーって思ってた矢先、君たちの現場、見ちゃったらさ……ココが疼いたんだよねー」
そう言いながら、自らの腰に手をあてがい、淫らなリズムでくいっ、くいっと前へ突き出してみせる。
行為そのものを模した不躾な身振りに、僕は息を呑んだ。
「えっろ……って、思った? プッ。さすがに、男には欲情しないか!?」
「……」
「……んー。じゃあ、本題ね」
僕の額に脂汗が滲んでいた。
喉がカラカラに乾いている。
「……俺も。仲間に入れてよ」
その言葉が引き金となり、膝の力が一気に抜けた。踏ん張りが利かず、崩れ落ちそうになる身体。
――ガシッ。
「おっと」
倒れかける僕の身体を、霧山が力強い腕で引き寄せ、胸元でしっかりと抱き止めた。
鼻先が触れ合うほどの至近距離。
僕を見下ろす霧山の瞳に、凶気じみた熱が宿っているように思えた。
「危ないなぁ。気をつけてよ、甲斐くん」
耳元で囁かれたその不敵な言葉に、目の前がクラクラした。




