3話 兄妹の絆 前編
1
目覚めたばかりの太陽が街を照らす朝の五時頃。舞藻はせいかい荘205号室前に立っていた。手には銀色の鍵が何個も着いているリング。
「よし、これを使って中に入ってやる! 朝に突撃される側の気持ちを知らしめてやるんだ。」
205号室の住民は志麻聖我である。
彼は舞藻がここに来てから毎日のように窓からの侵入を繰り返していた。もう二週間にもなるというのに、朝起きて最初にすることが『聖我がいることに驚くこと』であるのをいい加減何とかしたかった。
そのため、少し前に存在を知った合鍵を手にドア前に立っているのだ。
舞藻は意気込み、鍵を鍵穴に刺し入れた。そして右に回そうとして、手を止めた。
─────いや待て、これ、犯罪じゃね?
突然じんわりと湿ってくる掌。舞藻は静かに鍵を抜いた。
「はぁ、オレ何やってんだろ…。」
舞藻はため息を着き、自室に戻ろうと体を右に向けた。そのとき、黄色が視界に飛び込んだ。
「何、やってるの」
舞藻よりわずかに高いテノールが鼓膜に届く。
「くるみ、くん」
目の前の彼は髪の隙間から見える目を鋭くさせて こちらを睨んでいた。
「用事がないならいい?こっちは至急だから」
「あ、うん」
舞藻の横をくるみは通り過ぎた。205号室の前で立ち止まる。どうやら聖我に用事があるらしい。こんな朝から、彼になんの用事なのか。
何となく見ていると、くるみが顔を伏せた。横顔は暗く沈んでおり、苦悩に満ちている。
舞藻には くるみが大きなものをひとりで背負っているように見えた。くるみは小学生だ。いくら浮世離れしていると言っても守られるべき年齢のはずなのに。
くるみがドアを叩こうと腕を上げた。気がつけば口から声が漏れた。
「待って─────!!!」
突如響く大声に、くるみが驚いたようにこちらを見た。舞藻はなりふり構わず膝を折って、目線を合わせる。
「力になら、オレがなる!」
「は?」
くるみは心底意味が分からないという声を出した。
「こんな朝だから聖我は寝てるかもしれないし、ここで落ち会ったのも何かの縁だ。なにか悩んでるなら協力するよ。」
くるみは黙りながら、舞藻にズイと顔を近づける。その顔は信じられないと伝えていた。
その後にくるりと背後を見せて「いやまじ有り得ない何言ってんのこの人ホント訳分からないんだけど第一こいつ自分の能力で人を助けられると思ってんの?全く信用できないしもう少し僕たちのことを分かってからものを言えって言うか…」などと俯きながらブツブツ言い始めた。
「えっと…くるみくん?」
舞藻は冷や汗を流しながら名前を呼ぶ。くるみの独り言は全て聞こえていた。
めっちゃ嫌がられてるな!
なかなかに心が折れそうである。だがここまで言って引き下がる訳にもいかない。舞藻はくるみの肩に手を置き、髪で隠れている目を覗き見て言った。
「お話聞かせてくれない?」
くるみもまっすぐ舞藻を見た。
「────はぁ」
ため息を一つ。くるりと体を方向転換させたくるみは階下へ向かった。
「これは……」
舞藻が棒立ちしていると、くるみが壁からひょいと顔を出し、「来ないわけ?」と言ってきた。
「あ、行く! 行くよ!」
舞藻も慌てて階下へ向かった。
くるみは玄関から外へ出ると、「いないんだよね」と言葉を零した。
「いない?」着いて外へ出てきた舞藻が聞き返す。
「妹が、いなくなった。」
舞藻は瞠目する。
「えっ!?大変じゃないか!」
「だから言ってるだろ。」
くるみは舞藻を見上げる。「お前、何とかできるの?」
舞藻は押し黙った。思った以上に大きな案件だ。だが、言い出したからにはやるしかない。出来ないなど言ってられない。
「なんとか、してみせる」
くるみはつまらなそうに目を逸らした。
「そう。期待しないでおくね。」
2
舞藻たちはまず、手分けして街中を探そうということになった。
みるくは小学生である。そこまで遠くへは行ってまい。そのため街のどこかにはいるだろうと考えたのだ。
そして一時間後、二人はクタクタの状態で落ち合った。
「どこにいるんだ……みるくちゃん…」
舞藻が汗を流しながら呟けば、「全然いないんだけど?」とくるみから睨まれた。「能力使ったから頭痛い…」くるみが頭を押さえる。
二人は小さな公園のベンチで休憩することにした。お互いが細かく息を吐きながら疲れを癒そうとする。
「そういえば」
舞藻はくるみに話しかけた。
「どうしてオレに着いて来てくれたんだ?もともとは聖我に協力してもらうつもりだったんだよね?」
くるみは「別に」と零した。
「みるくがいなくなるのは初めてじゃない。その度に聖我に頼んで、僕はただ待ってるだけ。だから……今日のお前を見て思った。」
くるみはベンチの上で膝を抱えて縮こまった。
「僕、みるくのためにあんなに必死になったこと、あったっけ」
舞藻は口をあんぐりと開ける。くるみが自分の発言に感化されていたとは思わなかった。舞藻は慌ててくるみに顔を寄せた。
「あるよ!! くるみくんはみるくちゃんのためにいつも頑張ってる!」
「は?なんでそんな事言えるの」
「言える!」
疑念を顕にするくるみに向かって、舞藻は必死に訴えた。
「オレはくるみくんのことまだあまり知らないけど、君は頑張ってる。それは、自信を持って言える。」
くるみは舞藻の一生懸命さに仰け反った。「なんで…」
羨ましいと思った。そこまで誰かのために必死になれることが。こいつだって、僕らと同じ運命を辿っているのに。
「ほんとに意味がわからないんだけど何考えてるわけ?そうやって誰彼構わずしっぽ振って仲良くしようとしてるとか。そういうのは自分の得になるからやるのであって別に僕たちを助けようとしなくても自分には何の得もないんだからさっさと家帰って朝飯でも食べればいいのに」
くるみは自分を落ち着けるように言葉を吐き出す。
「出た!ひとりごと!」
舞藻は苦笑しながら「そろそろ再開するかー」と立ち上がった。
「喉乾いたな。」
二人は近くの自動販売機でペットボトル入り水を購入した。
「オレが奢るんだからもっといいやつ買えばいいのに。遠慮しなくても」
「別に遠慮じゃない。」
「そう?」
舞藻は少年の鋭い返答にやはり苦笑する。
「よし。探してないところ探そう。今回は聞き込みもしてみようか。」
「そう。頑張ってね。」
くるみからの応援に「おう。任せろ!」と舞藻は胸を張った。
馬鹿なやつ。皮肉なのにと、くるみは湿度の高い目で舞藻を見た。
3
くるみとみるくは生まれた時から一緒にいた。
両親から「くるみはお兄ちゃんだから、みるくのこと頼めるかな?」といつも言われていた。その度にくるみは任せろと言う。
ご飯は多くないか、何か欲しいものはないか、分からないところはないか、と くるみはいつも みるくの面倒を見てきた。いや、『面倒』と表記するのは正しくない。みるくとの日々を『面倒』などと感じたことは無いからだ。
学校で過ごす時も同じだった。クラスは毎年離されたが、五分間休憩・昼休憩は毎日のように みるく のクラスに顔を出した。授業中も常にみるくのことを心配していた。そのこともあってか、よく みるく のクラスメイトから遊びに誘われた。自クラスよりも友人が増えた。
「なぁくるみ、ドッジしようぜ!」
「まだあんな幼稚な遊びしているのか」
「うわ前回負けたヤツがなんか言ってら。負け惜しみか?」
「よし、表出ろ」
そうやって、毎回遊びに連れ出される。
充実していたと思う。楽しかったと思う。だからあの出来事は衝撃的だった。
あの日、家にいつも通り帰って、開口一番に告げられた言葉を今でも忘れない。
「えっと…、どこの家の子?」
母親の言葉はくるみたちの心臓を抉るのに十分なものだった。
「ねぇ、どこに行くの!?」
みるくが後方から聞いてくる。
「陽介たちのところに行く。お母さんがおかしくなっただけなんだ。陽介たちは普通かもしれない!」
そうだ。お母さんは若年性アルツハイマーとか、認知系の病気なんだよ。僕たちのことを忘れたとかじゃない!
いつもくるみ達が集まる三角公園という場所がある。くるみ達がそこへ向かうと、いつも遊ぶ友人が揃っていた。
そして、今日も例外ではなかった。くるみはホッとして通常通りに声をかける。
「よぉ、陽介、大智。今日は何やってんだ」
「え、誰?」
心臓が冷えた。水を被ったかのように総毛立った。
「お前の友達?」「いや知らねぇ」「誰が呼んだんだよ。」
そんなやり取りが遠くから聞こえる。
「ねぇお兄…」
みるくが袖を引っ張った。
「やっぱり…おかしいよ」
くるみは みるくの手を引いて踵を返した。
こんなところにいたら気が狂ってしまう!
くるみとみるくは走り出した。脳内に浮かんで止まらない恐怖や不安を消し飛ばすように。走って、走って、疲れて立ち止まって、走って。
みるくが息も途切れ途切れに言った。「明日になってたら元通りになってないかな」
くるみは返した。「もし、なってなかったら?」
またあんなに苦しい気持ちを経験するのは懲り懲りだ。鼻がツンと痛む。
くるみたちはまた走り出す。
飯もないし水もないし、死にそうだった。
しばらく走ったあと、みるくが倒れた。はぁはぁと息を荒らげながら仰向けに横たわった。
くるみは顔を真っ青にしながら彼女を背負って日陰に移動した。近くにあった公園の蛇口から綺麗な水を手ですくって飲ませた。何かしらの容器を使うとか、ペットボトル水を盗むとか、今思えば方法はいくらでもあったが、その時はそれしか思い浮かばなかった。
自分たちは何時間走ったのだろう。はたまた何十時間か、それとも何十分か。少なくとも普段の自分らの行動範囲から大きく外れた場所まで辿り着いていることは間違いなかった。
体の成長スピードが平均よりも早いとは言っても、自分の齢はせいぜい十歳より少し上という程度。体力だって同学年とあまり大差ないのに。
みるくにここまで無茶をさせてしまって─────
後悔の念が心臓を支配する。体の力がストンと抜け落ちた。姿勢を保っていられず体が横たわる。僕の体の平衡を保つ機能はどうしてしまったのだろうか。とりあえず今は大きく呼吸をしなくては。
あれ、おかしいな。息が出来ない。喉が、食道になにか詰まっているかのような、変な感覚。痛い。痛い。頭が、グラグラする。
視界がぼやけて目の前に広がる景色が認識できなくなってきた。分かるのは、自分の前に目を閉じて横になっている みるくがいること。
死ぬのかな。僕、死ぬのかな。別にそれでも構わないさ。誰もかもが僕らを忘れた時から、僕は死んだんだ。これが運命だと言うのなら、もう今更命にこだわらない。でも神様。本当にいるのなら、最後にわがままを聞いてくれるのなら、お願いしたいことがあるんだ。
─────妹をたすけて。僕の大事な妹なんです。
視界が滲む。命の尽きる、気配がする。
くしゃり と、草木を踏む音がした。
「あぁ、こんなにやつれちゃってさ。」
その人はそう言いながらくるみ達に手を伸ばした。くるみにとって、その人は確かに神様に相違なかった。
後日、その人は全てを提供してくれた。
衣食住の安心、同じ境遇の仲間、自分らに何が起きたのかの説明。
【視る能力】を持つその人は、共に過ごせば過ごすほど、本当に神様のようであった。
また先にいたメンバーであるさくらやマリンたちもくるみ達に危害を与えることはなく、良い人間である。
せいかい荘での暮らしははっきり言って悪くない。世界から忘れられた人間にとってはまるで天国だ。だが全員がわかっているだろう。ここでは───人間にはなれないことを。
せいかい荘を飛び出してから約二時間が経過した。くるみから見て、舞藻はかなり頑張っていた。
ゆく人にみるくの所在を聞いて周り、率先して物陰を探しに行く。体力もないくせに人のために動いている。
その行動を見ていると、くるみの心中は荒れていく。
「もういいよ。せいかい荘に戻ろう。やっぱり聖我に頼む」
くるみはそれだけ告げて踵を返した。もはや舞藻の姿も見なかった。
「待ってくるみくん!」
名前を呼ばれた。後ろから右手が掴まれる。
「もう少しだけオレに時間をくれないか。」
「はぁ?」
くるみは眉を釣り上げる。真面目な顔をする舞藻の顔を睨め上げた。
「どうしても見つけたい。時間かかってるのは分かってるけど…」
舞藻は自分でわがままであることを分かっていた。ただどうしても見つけたかった。家越しでなく、肉眼で、くるみとみるくを会わせたかった。
しかしくるみの方も我慢できなかった。舞藻の馬鹿さ加減にほとほと呆れが来ていたのだ。
「─────っだからさ!! なんでお前はそうなんだよ!!」
舞藻に向かって指さす。今度は独り言ではなく、訴えだった。
「もう僕たちは死んでるんだ!死んだんだよ!あのアパートにいる限り人間には戻れない、能力がある限り人間じゃない。今まで僕たちが生きてきた記録はもうこの世界に残されていない。」
周りからの認知という、生きている証拠がなければそれは死んでるのと同じである。
「これまでの思い出は自分の中を開けて見るしかない。でもそれは生きている証拠じゃない。証拠は客観的だから証拠なんだ。証拠がない僕たちはもう、生きていない。」
仮に忘れてしまった家族に向かって、思い出して欲しい だの あなたたちの息子よ だの 言ってみる。誰が信じるだろうか? 真面目に聞いてもヤク中なんですね、という認識で終わるだろう。第一自分が頭のおかしいキチガイではないという証拠ももはやない。自分のことは自分でしか証明できず、それは転じて自分を信じるということであり、全くもって無意味な禅問答である。
もう自分のそばにいた人間は自分のことを覚えていない。大切な人間との繋がりは二度と芽生えないのだ。
「だのに、なんでお前は人間になろうとする!? 僕みたいな屍と関係を築こうとするんだ! 気遣う!?そんなの無意味だ!もう人間じゃないから、誰かと関わるなんて無意味なんだよ!─────たとえ人間に戻れたとしても、また死ぬかもしれないのに…、また忘れられるかもしれないのに…なんで」
くるみは思う。
能力が認知という命の代わりに神から授かったものなら、それがある限り人間ではないと。少数派には権利などない。普通の人間ではないのなら、それはもはや人間でなく化け物である。それに、世界から忘れられる現象が何を基準に起こっているかは知らないが、同じ人がもう一度忘れられることはあるのだろうか。あるとするならやはり、外界と繋がりを持つだけ無意味で危険だ。もう一度人間じゃなくなってしまったら、いよいよこの地面にすら足をつけられなくなるかもしれない。もし繋がりがなければ忘れられることはもうないから、そんな危惧は消えるだろう。
くるみは非難の目を舞藻に向けた。
舞藻は笑う。
相手を安心させるような気遣う笑みで。
「オレはバカだから難しいことよく分かんないけどさ、ただオレは、誰かが寂しそうにしてたら悲しいよ。」
舞藻は空を見上げた。スッキリと明るい青に鳥の影が数個。
「ずっと、考えてたことがあるんだ。」
「……なに?」
舞藻はスタスタと近くの石垣に近づいていく。
「さっきのくるみくんの話で思い出した。オレたちには能力があるよな。」
「能力って言ったって、聖我やマリンみたいに万能じゃないよ。僕は考えるだけで、探せるところは全部探したし。お前のは【言う能力】でしょ…」
そこまで言ってくるみの脳内に電流が走った。
「もしかして、使うつもり…!?」
【言う能力】を使って捜索することはくるみにも思いついていた。だがそれを人間に使ってその人間がどう動くのか想像つかなかった。知りもしない人間の場所を問われたところで、首を傾げることしか出来ないだろう。
そんな不透明なことを、舞藻は絶対にしないと思っていた。
舞藻は目を鋭くして石垣の方を見る。そこには奥に建つ家と、石垣にとまっているカラスしかいない。
くるみは息を飲んだ。彼は何をする気なんだろうか。
「おい鳥!」舞藻が叫ぶ。
「綿谷みるくの居場所を教えろ!」
カラスに手をかざして命令した。その様は傍から見たら滑稽だ。
「はっ?カラス…!?」
命令を受けたカラスはその場から低空飛行で飛び立って行った。心做しか素知らぬ振りをしているようにも見える。
くるみは文句を言おうと舞藻に近づいた。
「結局さぁ、人間じゃなくて鳥って、ホントに意気地無いね…」
しかし徐々に尻すぼみになっていく。
「お前…顔、真っ青…」
舞藻が近くの石垣を掴み、何とか倒れないように姿勢を保つ。体は小刻みに震えていた。
「え、何!? 熱中症!?それとも過労? 目眩?立ちくらみ?吐き気?」
くるみは周りを見て休める場所はないか探す。しかし見つからない。
「いいよくるみくん…」
舞藻がくるみの肩に手を置く。
「知らなかった…。動物に能力使うのが、こんなに代償大きいなんて…。少し休んだら行くから…早くあの鳥追って…」
振り向くと、そこにはカラスが待機しているかのように道路に立っていた。
くるみは再び舞藻を見た。またカラスを見て、舞藻を見て。何度も見比べて、最終的にはカラスに向かって足を進めていた。
歯を食いしばった。遂に舞藻の方は見なかった。
カラスが何度か鳴きながら先導して低く先を飛ぶ。くるみはそれに着いていくだけで良かった。
数分ほど歩いて、くるみは足を止めた。カラスが疑問を呈すようにこちらを振り向く。
「戻ろう。」
くるみは声を低くして言った。
「戻りたい。」
カラスを見て言った。
「お前、肩に乗れ。僕は戻る。」
カラスはやはり鳴いた。何度も喉を震わせて鳴いた。しかし最終的にはくるみに従い、羽を広げて肩に乗った。
くるみは口端を釣り上げる。
「よし。戻るぞ!」




