3話 兄妹の絆 後編
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風が吹き、サラサラと木が揺れる音が聞こえる。耳に届く優しい音色。
舞藻は石垣からゆっくり移動して、近くの木の影にうずくまり休んでいた。
だいぶ体調も落ち着いてきた。くるみは上手く みるくを見つけられただろうか。
「今から追いかけても分からないよなぁ」
カラスが本当にみるくの居場所に連れて行ったのなら流石に舞藻一人でその場には合流できない。このままアパートに帰るという選択肢もあるが、それはどうにも不誠実で無責任のような感じがして好かない。
「くるみくん顔を見せに来ないかな」
そうすれば何も考えることなくアパートに帰れるのに。
「まぁそんなかわいいこと、しないよなぁ」
「誰がかわいいって?」
頭上から声が降ってくる。顔に影がかかる。舞藻はゆっくりと顔を上げた。
そこには自分に負けず劣らず青い顔のくるみがいた。
「………あ、した」
汗をかいて髪が乱れ、額に髪の毛が張り付いているせいで、普段隠れている彼の目が露わになっている。
「ほら。買ってきてやったぞ、薬!」
くるみは右手に持っていた白いビニール袋を舞藻に突き出した。
「ありがとう…」
「あ〜頭痛い」
くるみは頭を手で押さえながら舞藻の隣に腰を下ろす。
「どうしたの?みるくちゃんは?」
「まだ。途中で戻ってきたから。」
「なんで!?」
舞藻が聞くと、くるみは苛立たしそうにこちらを見た。
「お前を置いて先に行くとか、僕の辞書にはないから」
くるみはそう言った後、照れくさそうに顔を背けた。
「僕の親の教育がなってないって思われんじゃん」
「思わないよ、そんなこと…」
舞藻はビニール袋の中を覗く。そこには栄養剤や、嘔気に効く薬、ラムネ、水などが入っていた。
「くるみくん…!」
舞藻は感激してくるみの方を見る。くるみは照れくさそうにさらに顔を逸らした。
「お前の症状とか、よく分かんなかったから、能力使ってドラッグストアでずっと考えてた…。僕の【考える能力】は『一時的に思考力を上げること』で、代償は『頭痛』だから、ずっと頭痛かったから…。だからその…嫌いなものとかあってもしょうがないって言うか…そこまで考慮する余裕なかったって言うか…」
くるみの言動は言い訳くさかった。彼は舞藻が文句を言うかもしれないと思っているのだ。それなのに勇気を出してこれを渡してくれた。そんなところに可愛げを感じた。
「くるみくん、ありがとう!」
舞藻が喜びを全面に出してそう言うと、嬉しそうに笑った。
「ていうか、頭痛いなら君が薬飲まなきゃだろ!」
「は? いやいいよ。それはお前のだし。」
「いや飲め!せめて水分は摂れ!」
「いい!お前のなんだって!」
「飲め〜〜〜!」
舞藻はくるみの口にペットボトル水を突っ込んだ。くるみはイヤイヤ言いながらもしっかり水分補給をした。
「お前さ…、ほんと…」
「あ、なんか体調楽になってきたな。」
文句は受け付けていない。舞藻は言い訳という手段を持たず、とことん話を逸らしていく。
「まぁ確かに楽になったけど、そんなのただのプラシーボ効果でちゃんと芯から体調不良が治った訳じゃない」
「あーはいはい。そういうのいいから。」
舞藻はくるみの頭をくしゃりと撫でる。
「君のおかげだよ。ありがとう。」
くるみは照れくさそうに舞藻の顔を見上げた。
「あれ?そういえば鳥は?」
「あぁ、それなら」
くるみは頭上を指さした。
「さっきから他の仲間と情報交換してる。」
澄んだ青が広がる空では、カーカーという鳴き声での情報交換が盛んに行われていた。大勢のカラスが飛び交い、ここ一帯に住む住人はたまったものではないだろう。
「なんでそんなことしてるんだ?」
舞藻の疑問にくるみが答える。
「ずっと思ってたことではあったんだ。命令対象がみるくのことを知らなかったらどうするんだろうと。お前に命令されてからずっと鳴いてたから、仲間を呼んでたんだと思う。そして時間が経ち仲間が集まった。今大捜索ってところだね。」
「なるほどな。…じゃあくるみくんがたとえここに戻ってこなくても」
「すぐにはみるくの元には行けなかったと思う。」
くるみは立ち上がって尻についた砂を払った。「そろそろ、捜索も終わるところか」
一羽のカラスがくるみ達目掛けてやってくる。
「じゃあそろそろ行こう」
くるみが小さく言う。舞藻はその言葉に頬を緩めた。
「そうだね」
5
花が香る緑の敷地に寝転び、空を見る。すると、鳥や虫、小動物たちが話しかけてくる。
「ミルクチャン。次ハ何シテ遊ボウカ?」
「…花かんむりつくる」
「ワア!ソレハイイネ!」
体を起こして、小鳥の毛並みを人差し指で撫でながら物思いにふける。
─────遅いな。いつもなら、いなくなって数十分で聖我が迎えに来るはずなのに。
「いよいよ、捨てられたのかな…」
顔を足に埋めれば周りの動物たちが心配を口にする。
ただ、みるくとしてはくるみに捨てられても、別に良いと思っていた。
みるくは昔から控えめな子供であった。あまり意見を口に出さず、友人も少なかった。ただ視野は広く、よく周りの変化に気がついた。
くるみと共に世界から忘れられたとき、彼の変化に気づいたのはみるくただ一人だった。大きな衝撃を受けて、自分の殻に閉じこもっていく彼をずっと見ていたのだ。
助けたいと思った。出来ることなら何でもしたいと思った。自分と違って友人の多い兄が、心を閉ざしていく姿は見ていられなかった。兄には人々から忘れられる前のように楽しく過ごして欲しい。
兄はあの日からずっと、私のことばかり気にしている。兄は自身のことを放ってまで私を助けてくれる。だからまず、私が足枷になってはいけないと思った。
私がいては兄は自由になれない。兄はずっと理由をつけて世界を拒絶したままだ。
でもやはり─────
「寂しいな……」
ふわりと風がなびいた。片目を隠す前髪が揺れる。ガサリと人の気配がした。ゆっくりと顔を上げる。
─────「もし破綻があるとしたらお前の能力だろ」
─────「そうなんだけど…」
目線の先に、自分と同じ黄色の少年が歩いていた。
6
カラスが再び低空飛行して案内した場所は、舞藻とくるみでは到底見つけられなかっただろう山中の場所だった。二人は既に何分も急な山道を歩かせられている。
「本当にこんなところにくるみちゃんはいるのか?」
「分からない…カラスが言うんだからそうなんじゃないの…もし破綻があるとしたらお前の能力だろ」
「そうなんだけど…」
舞藻もくるみもそろそろ体力的に限界が近かった。
やがて、急なけもの道が終わり、小さく平坦な場所に着いた時、カラスが突然に鳴いた。驚いてふたりは肩を震わせる。
カラスは右を向いて何度も鳴いていた。
「もしかして、こっちにいるんじゃ」
「僕もそう思った」
舞藻が先頭となって道を右に外れてみる。木々を掻き分け、足を踏み出し、狭い隙間に体をねじ込ませる。
すぐに開けた場所に出た。舞藻は息を飲む。
そこには大きな花畑が広がっていた。
「すげぇ…こんな場所がこの街に…」
あとからやってきたくるみも同じ反応をした。
「みるくは…」
「お兄?」
みるくの声が真横から聞こえてきた。目線を向けると、そこにはキョトンとした顔のみるくがいた。
「みるくちゃん!」
舞藻は思わず叫ぶ。
「大丈夫?怪我とかないか?」
「え、あ、う……うん。」みるくは躊躇いながらも頷いた。
「良かった…。」
舞藻は胸を撫で下ろした。
くるみが みるくの前に立った。言いたいことがあるという顔をして、手を握りしめた。みるくの目には少しだけ怯えが浮かんでいた。くるみはそれを知ってか知らずか、口を開いた。
「───帰るぞ」
握っていた手を緩める。みるくに背を向けた。
「うん……」
みるくは僅かに寂しそうな顔をした。
「待てよ、くるみくん」
舞藻が眉を下げて言う。くるみの足が止まった。
「何か言いたいことがあるんじゃないか?あれだけ必死になって探したんだ。」
「……別に何も、ない」
拗ねたような声を出すくるみに、舞藻は口を開く。
「そうかな。オレは、相手に気持ちを伝えることって"愛"だと思うんだ。あれだけ心配していたくるみくんが、みるくちゃんに何も思ってないわけない。」
みるくの方に目を向けた。
「兄妹同士で何も話さないのは違うと思わないか?」
くるみはズボンを握りしめる。その様は葛藤しているようだった。兄としての葛藤と、一人の人間としての葛藤。兄として抱擁したい葛藤と、心配させるなと怒鳴り散らしたい葛藤。
舞藻はくるみの手元を見た。
「もし、君の中で兄っていう役割が消えないなら───」
舞藻はそう言って、くるみの頭に手を置いた。
「オレのこと、『兄ちゃん』だと思えよ。」
くるみは顔を上げた。揺れた髪から見える目は驚きを孕んでいた。良いのかと訴える目に、舞藻は顎を引く。
心を決めたようにくるみが みるくと向かい合う。
「えっと…」くるみが言い淀むと、妹がゆっくりと頷いた。くるみは顔を俯かせる。
「急にいなくならないで欲しい。 どこか行きたいところがあるならちゃんと僕に言って。 心配するから、本当に心配してるから! あともし何か心配事とかそういうことがあれば遠慮なく言って欲しい。 みるくは控えめだから、僕でも見逃してること、嫌なこととかあると思うから。あと…」
「ま、待ってくるみくん!」
舞藻は慌ててくるみの肩に手を置く。「みるくちゃんの話も聞かないと。」
舞藻はみるくに話を促した。しかし、みるくはなかなか口を開かない。舞藻は彼女の目を見た。そこには躊躇いや疑念、恐怖が入り交じっていた。
あぁこの子は、本当に控えめなんだろうと思う。
「みるくちゃんは、何を伝えたい?」舞藻は言う。「何を言いたい?」
そう問われたみるくは、舞藻の瞳の中に写る自分を見た。
私は何が言いたいのだろうか。
みるくは再びくるみを見た。彼もみるくを見た。目と目が合う。視線が交わる。
私は、何を伝えたいのだろう。
今、伝えたいこと。
私は─────
「お兄、ありがとう」
口からするりと流れ出た想いは素直なものだった。
くるみが目を見開く。
「ありがとう。今まで私を守ってくれて。ありがとう。」
みるくは何度も言った。言葉を噛み締めるように、まっすぐ口にした。
「う…うん」
照れた顔をするくるみに、舞藻はニヤリと口角を上げる。
「照れてますねぇくるみくん」
「う、うるせぇ!兄ちゃんのくせに!」
「兄ちゃん!?」
くるみからの突然の呼称に舞藻は驚くが、思い返してみれば兄と呼べと言ったのは自分だった。時間差で羞恥心が襲ってくる。
「恥ずかしがるなよ。自分から言い出したくせに。」
「恥ずかしくなってることを推理するな!」
舞藻は気を取り直して、みるくを見た。聞くべきことが残っている。
「みるくちゃん。君はなんで、飛び出したの?」
舞藻の質問に、くるみも真面目な顔でみるくを見た。みるくは小さく口を開く。
「だって…私がいたら、お兄が自由になれないと思ったから…」
は!?とくるみが叫ぶ。
「なんで、なんでそんなことを…!?」取り乱すくるみに、みるくは怯えた顔をした。取り乱すのも当然だった。妹の失踪の原因が自分であるなどと、信じたくはない。
「ストップ。くるみくん」舞藻はくるみの顔前に手を突き出して静止した。
「話はちゃんと聞こう。」
くるみは辛そうな顔で顎を引く。
「つまりみるくちゃんは、くるみくんのために飛び出したってことか?」
みるくは躊躇いながらも頷いた。
「だってお兄、忘れられてからずっとひとり。ずっと私のことばっかり。本当は寂しくてしかたないのに私がいるから素直になれない…。私はお兄を安心させられないの。それに……」
「それに?」
「私が何度出ていっても、お兄は迎えに来てくれなかった」
くるみは目を見開く。
「それは」
「でもっ───」
みるくはくるみの言葉を遮って、首を振った。
「分かったの。言ってくれたから。もともと私も分かってたの。お兄が私のことを嫌な風に思ってないこと。それに改めて気づけたから」
舞藻はみるくの頭に手を置く。
「君は賢いね」
そしてくるみを見た。
「つまりくるみくんは、色々理路整然と話してるけどつまるところさ。みんなから忘れられて、寂しかったってことだよね。」
「はっ!? そんなわけ…」
くるみは否定しようとするが、みるくの真摯な目線に気づき押し黙る。
くるみにとって、今までの人生はみるくに捧げたと言っても過言ではないと思っていた。周りから忘れられてもそのスタンスは変わらない。兄として妹を守っていくことが自分の存在意義であるから、特に傷を負うことなどないと思っていた。
───僕は、寂しかったのだろうか。
舞藻が優しく くるみとみるく の頭を撫でる。
「これからも兄妹仲良く過ごしていけるといいな」
ふとくるみの中に浮かび上がる記憶があった。
小学一年生の頃、父親に尋ねたことがある。どうしてうちはお盆や年末年始に親戚の家に行かないのか。友人たちは行ってるのに。父親は答えはうろ覚えだが、内容は覚えている。
父は幼い頃、事故で両親を亡くしていた。母は家出同然で父と結婚したそうだ。父も母も頼れる家族はいなかった。
「俺はうれしいんだ。お母さんと上手くやれる自信も、子どもをしっかり育てられる自信もなかったしな。でも今はこうやって、くるみとみるくが健康で、怪我なく、いてくれる。これからも兄妹仲良く元気でいて欲しい。」
父はそう言って、頭を優しく撫でた。まさにいま舞藻から撫でられるように。
すっかり忘れていた。父からの願いを僕は記憶から消去していた。父は当たり前のように覚えていないが、なら今までの記憶は僕が保管しておくべきだった。せめて両親の想いくらいは完遂すべきだったのに。
色々と理由につけて、現実で起こることを許容してきたつもりだった。兄だから、妹がいるから、人間じゃないから、無意味だから─────。僕が散々こじつけた『から』で妹をどれだけ悩ませただろう。理由の先にある本当の気持ちを妹はずっと見ていてくれた。僕だけがずっと逃げ腰で、兄としての責任とプライドを体良く守っているだけだった。こんな僕ではみるくと仲良くなんて居られない。
みるくに頼られる兄貴でなければならなかった。そのためにはまず僕が頼るべきだったのに。
「くるみくん?泣いてる?」
舞藻が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「別に、泣いてない。」
くるみはそう言って顔を逸らした。
「ねぇ兄ちゃん。」くるみは逸らしたまま声をかける。
「人に頼ることは必要なことか?」
舞藻は目を見開いた。そしてすぐに表情をゆるめる。
「そうだな。オレは必要というより、不可欠だと思うぞ」
くるみは唇を噛んだ。舞藻は続ける。
「だから、『兄ちゃん』がいるんだろ?」
くるみは顔を上げて舞藻の方を見た。そこには不敵に笑った『兄ちゃん』がいた。
「兄っていう役割は君のステータスで、無くす必要はない。なら、新しい役割を増やせばいい。」
舞藻は笑って言った。安心感のある笑みだった。
まだ間に合うだろうか。そう声に出しかけた言葉は、空気中に消えていった。必要の無い言葉だから。
「帰ろう。弟くん。」
くるみは僅かに逡巡したあと、頷いた。
「───うん」
花畑を出て、木のトンネルをくぐって、山の滑り台を降りる。
街に出た時は太陽がてっぺんに登ろうと言う時だった。三人とも(特に男二人は)ボロボロの立ち姿だった。
「あ〜腹減ったな。早く帰ろう」
「うん。」双子ふたりも同意する。
そして─────舞藻の両手に暖かい重みが触れた。
自分の両脇を見ると、黄色の双子が己の手を握っていた。右ではくるみ、左ではみるくが自分を見上げていた。
二人は口をそろえる。「帰ろう、兄ちゃん」
舞藻は驚いて固まった。すぐに頬を緩める。
「うん帰ろう。くるみ、みるく」
7
夜も更けた七時頃。さくらは頬を赤らめ火照った状態で『せいかい荘』と書かれた門をくぐった。
「ただいま〜〜ぁ!」
陽気な声を出しながらリビングへの扉を開ける。
オシャレな服装に綺麗なアクセサリーが光るが、それを塗り潰すくらい酒臭い。
「さくらさん。また飲んできたね。」
「おいしかった!あの人の奢りだから〜」
「そう。それは良かった。」
聖我は慣れた口調で受け答える。
そんな泥酔状態のさくらはダイニングテーブルのいつもの定位置に座って周囲を見渡す。日常的な癖だった。すると、ある人物が目に止まった。
「あれ?あれあれ?くるみ?」
さくらは椅子に座ったまま顔を乗り出す。ソファ近くで律儀に正座しているくるみの顔を凝視した。
「女の子みたいな格好してない?お姉さんついに幻覚見えるようになっちゃった?」
さくらの視点から見たくるみは、長い前髪を頭上で結び、目を露わにしていた。その他の髪はサイドもバックも綺麗なウェーブがかかっている。少し化粧をすれば少女でも通用しそうであった。
さくらは何度も目を擦った。しかし何度瞬きしても、くるみの格好は変わらない。
「さくらさん、実はこれ現実なんです。」
くるみの隣に座っていた舞藻が眉を下げて笑った。
「みるくがやった」
くるみは不服そうな顔で、背後にいるみるくを指さした。みるくは右手に持つヘアアイロンをカチカチ鳴らしてピースを作った。
さくらは目を丸くする。
「あらあら上手なのね!可愛いわよ。」
「嬉しくない。」
くるみが間髪入れずに答える。
「さくらさんがこの前貸してくれたヘアアイロン…、使う時が来てよかった。」みるくが小さく呟いた。そう言えばと、さくらは少し前にヘアアイロンをみるくに貸していたことを思い出した。
「私は貴女が使うことを想定していたけれど…。まぁ良いわ。」
「良くない。」
くるみはずっと不服そうだ。
「私、大人になったら美容師になりたい…。前からずっとシュミレーションしてた…。」
「そうだったんだ!」舞藻はみるくの意外な将来設計図に驚く。
「シュミレーションしただけで実行出来ちゃうなんて、やっぱくるみの妹なだけあって頭がいいんだな。」
みるくは「ふふん」と自慢げに胸を張った。
「くるみはどうなの?」
舞藻はくるみの顔を覗き込んで問うた。
「気分?良くないけど」
「違うよ!自分の夢だよ! 気分ってことなら、前髪上げてる気分が聞きたいかな。」
くるみは不機嫌そうに顔を背ける。
「夢とかあるわけないじゃん。第一今は生きてることで精一杯なわけだしそういう自分こそどうなわけ?まさか自分が夢がないくせに人に聞いてるとかないよねもしそうなら有り得ないんだけど」
「出た…ひとりごと…」
舞藻は諦めの笑みを漏らす。くるみは相当機嫌が悪いらしい。
「でも、前髪ってことなら─────」くるみは改めて口を開く。
「悪くは…ない。視界が広がって、いい感じ……。」
くるみは頭上でちょんまげ状態となっている前髪に触れた。
「今までは、見る必要ないと思ってたから隠してたけど、今は隠す必要ないもんな。僕には、兄ちゃんがいるし」
くるみは恥ずかしそうにしながら、けれども笑みを浮かべて舞藻を見た。
「くるみ…!」舞藻の胸にじんわりと温まるような喜びが広がった。
「みるく、なにかピンとかない?前髪止められるような。」
くるみが聞くと、みるくは思い出すような素振りをして、首を振った。
「かわいい動物髪ゴムなら…」
「やっぱりちょんまげかよ…」
肩を落とす兄を横目に、みるくは舞藻に話しかける。
「兄ちゃんの髪も触らせて」
「え?オレ? さくらさんとかは?」
「さくらさんの髪はまだ早い。今は練習期間。」
さくらは「いつか触ってくれるのね」と喜ばしい気持ちになった。
「まぁいいけど」舞藻はまとめている髪を解く。肩下二センチほどの髪が広がった。
みるくはその髪を少し手に取り、分けたりクロスさせたりしていく。
ものの数分で「できた…」と言うつぶやきが聞こえた。
舞藻はみるくがいじっていた左サイドの髪を触る。するとそこには細かに編まれた部分があった。
「三つ編みか、綺麗だな」
「違うよ兄ちゃん。これは編み込みっていう。動いても暴れない。」
「編み…? へぇすごいな。」
ヘアスタイル系の用語はよく分からない。でも出来ることがすごいのは分かる。舞藻はしばらく編み込み部分を触っていた。
「舞藻」ふと頭上から声がかかった。顔を上げると聖我がいた。
「兄ちゃんって呼ばれてるの?」
「まぁ一応」
そう答えると、脇腹を隣からつつかれた。
「一応ってなんだよ。兄ちゃんだってあんなに自信ありげに宣言してたのに」
「そんなに自信満々だったか!?」
やり取りを聞いていた聖我がはははと笑う。
「いいね。俺も兄ちゃんって呼んでもいいかな」
「お前いくつだよ」
舞藻が眉間に皺を寄せながら問う。
「うーん。22歳だったかな?21…いや20? 分かんないや」聖我はニコニコとした笑顔で言った。
しかし舞藻は呆然とした。
「え…?」
自分より歳上だとは思っていたが、せいぜい1、2歳差だと思っていた。まさか20歳を超えているとは。
自分は今までどれほど無礼な態度を取ってきただろうか?
舞藻は俯きながら無言で立ち上がる。
「え? 舞藻?」
「おやすみなさい…」
舞藻はそのまま静かに部屋を出た。
「えなんで!? 俺何かした!?」
さくらが「あははははは!!」と大きい笑い声を上げながら腹を抱える。
「お兄…あれ、ケッコンサギ ネンレイサショウ」
「うん。ケッコンサギ ネンレイサショウ だ」
「いやまだやってないから!」
聖我は慌てて舞藻の部屋へ走りながら向かった。
それを見送った一同は「あっ!!」というみるくの叫びに注目する。
「まだ…兄ちゃんにやりたいことあったのに…」
「何がやりたかったの?」さくらが聞く。
「ヘアカラースプレー…」
「やめなさい。あの子なら良いって言いかねないわ」
さくらは静かにそう言った。




