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忘れられたオレの世界  作者: 蒼羽 実朋
第一章 オレたちの再生
5/7

2話 初めての仕事 後編





           3



「今日は雨が降りそうな天気ねぇ。」


 雲が鈍く陰り重そうな空にを見上げ、さくらは言った。


 聖我と仕事をした次の日。

「今日は俺だけで行ってくる」とわざわざ早朝に報告してきた彼は外出ており、他のメンバーも出払っていた。今はアパートでふたつの呼吸しか確認できない。


 二人は向かいあって座っていた。一階の大部屋に置かれているダイニングテーブルを挟んでいた。


 舞藻はチラリと窓の外を眺めるさくらを見る。

 せいかい荘一階の大きな部屋には窓が五つ設置されている。もともと五つの部屋があったところを、壁をなくし大部屋にしたからだ。

 そのうちの一つを眺めているさくらの横顔は、心臓が高く鳴るほど綺麗だった。


 見蕩れそうになり、いやいやと首を振る。


 さくらさんは既婚者だし流石にまずい…!

 ふと舞藻の脳内には無表情なお茶を運ぶ少女が浮かんだ。そしてそれもおかしいと頭を激しく振った。


 沈黙が場に降りる。舞藻は無性に気まずくなった。

 相手は気にしていないだろうが、このまま何も話さずたださくらと向かい合っているのは、舞藻にとって苦痛だった。

 二階の自室に戻れば良いのかもしれないが、出来るだけ早くメンバーと打ち解けたいという気持ちが勝る。せめてなにか話そうと、舞藻は震える口を開いた。


「えっと…、すごいですよね!この部屋!」

 言葉を発して、ミスったと思った。

 何でこのタイミングで部屋の話を持ち出したんだ。意味不明すぎる。冷静に振り返って、彼女は天気の話をしていた。緊張していたにしても受け答えが噛み合ってなさすぎやしないか。


 冷や汗を流す舞藻に、さくらは頬を緩め首をこてんと傾げた。


「そうかしら。そう言ってもらえると、頑張った甲斐があるわ。」


 彼女は妖艶に微笑む。舞藻は体温が上昇するのを感じ、咄嗟に視線をさくらからズラした。


「そそそそうですよね!さくらさんが作ったんですもんね! やっぱり大変だったんですか?」

 焦りからか、支離滅裂な言葉が流暢に出てくる。


「まぁそうねぇ。突然の話だったから、大変だったと言われれば、そうだったかもしれないわ。」

 さくらは木製であるダイニングテーブルの木目を指でなぞった。


「突然の話…?」

 さくらの言葉を聞き返す。さくらは頷いた。


「最初はここは大部屋じゃなくて、小さな部屋が並んでいたから。私が最初に来た時もそうだったわ。でも狭いから広くしろって言われたの。聖我がね、これからもっと増えるからって。」

 さくらは懐かしそうに微笑んだ。


「でもこの私だからね。割とスムーズに進んだわよ」

「凄いですね…!」

 自慢げに言う彼女に、舞藻は素直に感嘆を上げる。

 そんな舞藻の様子にさくらは眉を寄せると、再び口を開いた。


「やっぱりだめね、私は無駄にプライドが高いから、誰よりも上にいたいって思っちゃうのかもしれないわ。貴方はこんなに純粋なのに、最初は意地悪しちゃった。ごめんね。」


 意外なさくらの独白に、舞藻はいえいえと首を振る。

 君がいい子で良かったと、さくらは微笑んだ。


「その話だと、さくらさんが忘れられた時は、聖我と二人だったということですか?これからもっと増えるって…。」


 聖我はさくらをメンバーの二人目だと容認したということだろうか。『これからもっと人が増えるから』とはマリンなどの他の人を見つけてくるからという意味なのでは。


 しかしさくらは小さく首を振った。


「いいえ。もうひとりいたわ。」

「もうひとり?」

「ええ。今はここにいないけれど。」


 さくらが眉を寄せながら笑う。

 聞いてはいけない話だろうか。興味はあるが、無理に踏み込んではいけない気がした。いつか聞いて良くなるときが来るだろうか。


 二人の間に沈黙が流れる。舞藻は再び気まずくなり、慌てて口を開いた。


「そういえば! 聖我はやっぱり色んな人に声掛けてるんですね。オレも声をかけてもらったけれど、全員そうなんですか。」


 そうねぇ、とさくらは何かを考えるかのように右上の空間を見た。


「あの子は能力がとてつもないからねぇ。中身はあんなんだけど。本当にあんなんだけど。」

 さくらは『あんなん』を二度も言った。四十路をバラされた先日の事件を未だに恨んでいるようだ。


「やっぱり、すごいんですか。」

 舞藻は昨日の聖我を脳内に浮かべながら言う。


「すごいわよ。なんて言ったって、『森羅万象を知り得る能力』ですもの。」


「森羅万象…?」


「そ。あの子は何でも視えるのよ。物体を構成する物質や、内蔵物。人の心情。おそらくは、能力まで。だからあの子は分かるのよ。────世界から忘れられた人のことを。」


 舞藻はその言葉で総毛立った。全てが繋がった気がした。


 世界から忘れられたオレに声をかけることが出来たのは、聖我が【視る能力】を保持していたから。近くにオレがたまたま居て、能力を保持しているのが見えたから、聖我はオレに話しかけられた。じゃあもし、この街に来ていなければ、オレは────?


 舞藻は素早く首を振った。恐ろしさに、思考がドツボにハマりそうだった。


「で、でもさくらさん。まるであいつが万能とでも言いたそうな口調ですが、あいつは視る"だけ"ですよね。それ以外は出来ないんですよね?」


 さくらは舞藻の疑問にわざとらしく肩を竦めた。

「聖我は全てを視るのよ。なら、"自分がすべき最適な行動"も視えていてもおかしくないんじゃない?」


「は……?」舞藻は呆けた音を発す。

「ちょっと、何言ってるのか分からないんですが。」


「つまりね、その時にすべき行動も視えるのよ。例えばの話だけど、小さな少女が巨漢に襲われたとするわ。少女が無知だった場合、する術なく捕まる。でももし、巨漢の弱点や逃げるべき最適な場所が分かっていたら────?」


「─────助かる可能性は大幅に増える。」

 舞藻はさくらの言葉を引き継いだ。


 驚いた。

 聖我の能力は果てしないものだと思っていたが、まさかここまでとは。


「けれどね、いま彼が実際どこまで視えるのかは分からないのよ。」

 さくらがため息を着く。仕草はまるで問題児について頭を抱える保育士のようだった。

「どういうことですか?」


 さくらは僅かに目を伏せたあと、「そうね」と呟いた。

 おもむろに左手を伸ばし、何もない空間に手をかざす。その刹那、床が盛り上がり、そこから引き付けられるように床がさくらの手まで伸び始めた。直径五センチの円柱状の床材がさくら目掛けて急速に伸びてゆく。

 気がついた時には、さくらの左手に床の素材で出来た細い棒が握られていた。一回の瞬きという僅かな時間だった。再び床を見てもそこには能力が使われた形跡はまるでない。


「私はいま、能力をこうして『早く』『多く』『正確に』使うことが出来るわ。でも最初はそんなこと出来なかった。」

「出来なかった…?」


 さくらは左手の棒をテーブルの上に置き、ゆっくり顎を引いた。

「えぇ。最初はこれくらいの棒を作るだけでも一苦労だったわ。『代償』については知っているかしら?」


 代償とは、確か"能力の使いすぎによる対価"というものではなかったか。


「一応聞いています。」


「私の代償はね、"傷を負うこと"だったのよ。最初は少し能力を使うだけで、身体中が傷だらけになったわ。しかも今みたいに手をかざすだけでは物体を作れなかったから、木材やコンクリートに手をくっつけて念じるの。出てこい…出てこい…、ってね。」


 さくらは実際に念じるポーズをした。それがなんだか面白くて、舞藻はふっと笑ってしまった。

「でも今はこんなにかっこよく作れちゃうんですもんね。」

「練習したからよ。勉強や運動と同じよ。練習すれば上手くなるし速くなるわ。代償もそこまで現れなくなる。それは聖我の能力も一緒。」


 なるほど、と舞藻は思った。彼の能力は周囲にいる我々に認知出来るものでは無いから、今彼がどれくらい視えているかは分からない、と。さくらが言うほど視えていないかもしれないし、もっと視えているのかもしれない。そう言いたいのだ。


 というか、と思う。あいつ、言っていたことと全然話が違うじゃないか。


 舞藻はため息をついて、ふと窓の方向を見た。いつの間にか日差しがつくる光の模様が、床に大きく広がっていた。

 どうやら雲は先程よりも上機嫌になったようだ。

 だからだろうか。

 何も聞こえないし、何も伝わってはいないのだが、これが世にいう心情の変化と言うやつか。床に映される光が語りかけてくるのだ。


 ────上手くやれよ


「オレも、練習すればもっと使えるようになりますかね。【言う能力】。」


 舞藻がぽつりと言った。特に競争心や探究心がある性格でもない。自分の能力を未だに恐ろしいと思っている。だが何となく、使ってみたいと思った。


 さくらは笑顔で答えた。


「なるわよ。私でもなったんだもの。」


 舞藻は微笑み返す。

「さくらさんとオレでは全然違いますけど────……」


 言葉の途中で、背後の扉が開く音がした。目の前のさくらの目が徐々に見開いていくのが分かった。舞藻は首を回し扉の方を振り返る。玄関に繋がる扉だ。


 そこには男が立っていた。黒い帽子に黒い上着にズボン。しかし顔を覆うマスクだけ白い不繊維のものだったため、そこだけが浮き出ているようだった。


「 え 誰 」


 舞藻がそう呟くと同時に、意識が深い底へ落ちていった。



           4



 ぼやける視界。

 揺れる景色が眼前に広がる。何度か瞬きをして、徐々にピントが合わせていく。


 目の前の、茶色の板を認知できた。上にたくさんの紙が乗っている。


 ここはどこだろうか。舞藻は状況把握のために顔を上げた。


「なんであんたはそんなこと言うの!!」


 突如耳を劈く女性の金切り声。キンキンとした音に思わず顔を顰める。

 その女性は自分の向かいに座っていて、の隣には腕を組みこちらを見下ろしたように座る男性もいた。


 舞藻はハッと瞠目する。


 この人達を、知っていた。


「父さん…母さん…?」


 あぁなんということだ。二度と会うことは叶わないと思っていたのに。


 しかし感動よりも押し寄せる感情が別にあった。


 ─────絶望。


 オレはこの情景を知っている。思い出したくもない出来事のひとつ。


 今の場面状況に説明を加えるならば、『オレが間違えて二人に逆らってしまった場面』である。


「あんたは自分の人生の責任取れるわけ!? こっちはいくらあんたに金かけたと思ってんの!! あんたは余計なことを考えないで言う通りにしていればいいの!!」


 母が手のひらをテーブルに叩きつけながら言う。

 舞藻は肩を震わせて俯き、ずっとテーブルの端を見ていた。怒鳴られている時間のやり過ごし方。昔からの癖だ。


 母の声が反響し、父の目線が突き刺さり、とても不快で痛い。


 なんで今更このときのことを思い出させるんだ。あれは何年も前の話じゃないか。


 舞藻は膝の上に置いた拳を強く握りしめる。


 父と母にはずっと笑っていて欲しかった。オレのせいで顔を歪めることなどあって欲しくなった。


「────怖い」


 ここは怖い。息が詰まって苦しい。


 舞藻はチラリと両親を見る。母が父に向けて「お父さんも言ってやって」と話しかけていた。


 父が口を開く。


 ────嫌だ。


 無意識に両手で耳を覆っていた。なんて言われるかは分かってるから。もう二度と、父親からあんな言葉を聞きたくないから。


 いやだ。やめてくれ。オレのことをそんなに否定しないで。悪かったのは分かってる。ごめん。もう逆らわないよ。絶対、ぜったい言う通りにするから。だからその目をやめて。ゴミを見るような目をしないで。


「たすけてっ!!」


 口から言葉が漏れた瞬間。周りの全ての景色が消え去り、水に沈んでいるかのような冷たい感覚が身体を襲った。自分の周りは薄暗く、何もない。


 舞藻はもがく。けれども何をどうすれば正解なのか分からない。


 舞藻は手を伸ばした。上も下も、右も左も分からないけれど、とにかく手を伸ばした。


 誰か、助けて。この底のない冷たさから解放して────


「  舞藻  」


 どこからか声が聞こえてきた。籠っていて、何を言っているのかあまり分からなかったけど、それでも聞こえてきた。


「  舞藻  舞藻  」


 ほら、聞こえる。舞藻も声の方向へ手を伸ばした。応えたかった。掴みたかった。


「舞藻!!」


 今度はしっかりと聞こえた。名前を叫んでいる。オレの、名前だ。


 舞藻は力いっぱい手を伸ばした。自分を呼んでいる声に目掛けて。


「届けっ────」


 体がふわりと意識が浮き上がる感覚とともに、目に光が沁み込んだ。

 思わず目を押さえる。見覚えのある天井が見えた。


「舞藻!?」


 聞き覚えのある声まで聞こえた。舞藻が上半身を起こすと、安心した表情の聖我が隣にいた。


「良かった。帰ってきたら、倒れてたから。」


「倒れた…?」

 舞藻は自分の体を見た。どこか体調でも悪かっただろうか。酷く悪い夢を見た気がする。


 そう考えたところで、部屋に黒い男が入ってきたのを思い出した。


「あの男か…」

「男?」

 聖我が舞藻を見つめながら問い返す。


「ここに男が入ってきたんだ。誰だろうって考えていたら、もう意識が飛んでた。」


 なるほど、と聖我が呟く。


「やっぱり能力だったんだ。」

「能力? 使われたってことか?」


 聖我が顎を引く。

「能力を使って他人の家に忍び込もうとかする連中も少なくないからね。」

「なるほどな」

「さくらさんも残ってたはずだよね。外に出たってことはないはずだから、探そう。」


 舞藻は同意し、立ち上がる。


「一階には居なさそうだから、自室が怪しいね。」

「さくらさんの部屋、二階だったか?」


 聖我は何も返さず、二階へ続く階段──外階段へ向かった。舞藻もそれに倣う。


 鉄製の、よくある階段を登る音が二つ。その音が約十回ほど鳴ったところで、舞藻は口を開いた。


「なぁ聖我。」

「なに?」


 先を行っていた聖我がこちらを振り返る。舞藻は顔を上に向け、聖我を真っ直ぐ見た。


「オレ、少し詳しくなったんだ。」

「何について?」


 聖我は初めて会った時と変わらない、飄々とした笑みを浮かべていた。


「お前の、能力について。」


 舞藻がそういった途端、聖我の顔色が僅かに変わった。目を見開き、笑みが剥がれ落ちる。


「お前の能力、何でも視えるんだよな。全部、視えるんだろ?それってさ────」


 あ、と声にならない声が口から発される。皮膚から冷や汗が流れ出る。聞きたくないと思った。舞藻の次の言葉は、自分にとって、とても恐ろしいもののように思えたから。


 心臓が焦りに塗りつぶされていた。


 舞藻は口を開く─────。


「すげえな!! お前!!」


「え…?」


 聖我は舞藻の言葉が予想外のもので唖然とする。


「『森羅万象を知り得る能力』だったか? かっこいいな! オレもそんな能力だったら良かった。」


 舞藻の目はキラキラ輝いていた。まるで初めて会った時のような、純粋な表情。


「……そうかな。俺の能力もそんないいもんじゃないよ。」

「謙遜すんなよ。イケメンが。」


 あぁでも、と舞藻は付け足す。


「オレに変な嘘つくのはもうナシな。助けを求めた、とかさ。はしゃいでたオレが恥ずかしいじゃんか。オレが知りたいのは嘘のお前じゃねぇよ。もう嘘つくなよ!」


 舞藻は口角を上げて笑った。彼の言葉が表情が、聖我の心を強く掴んだ。使われていないのに、能力を使われているかのような衝撃。


 もう話は終わりとでも言うように、彼は再度 階段を上り始めた。まだ唖然としている聖我の横を通り過ぎていく。


「ほら行くぞ。さくらさん、助けないとな。」


 そう声をかけてきた彼の表情は普段通りで、ただ友人と普通の会話をしているだけの雰囲気。


「本当に、ズルいな。」


 自分の能力について知られたとき、つまり舞藻に嘘がバレたとき、嫌われたくないと思った。彼に嫌われることを極端に恐れた。でも実際の彼は、恨みとは全く縁がない存在で。


 彼はいつも、想像を超えてやってくる。


 聖我は前を向いた。目に舞藻を捉えた。

 息を吐く。


「さくらさんの部屋は[203]だよ。」


 そう言うと、舞藻は203号のプレートが掲げてある扉の前に立った。


「本当にここにいるのか。」

「それは入らないと分からないよ。でも十中八九いる。」


 聖我はポケットに忍ばせておいたスペアキーで扉の鍵を開けた。


「えっ…? なんだよそれ!」

 舞藻がスペアキーを指さしながら言う。


「何って、各部屋の合鍵だけど。」

 聖我はさも当然のように言い放つ。


「合鍵!?」

「普通に考えて、鍵失くされると困るでしょ。いちおう今の俺は大家代理だから。」


 変なことに使ったりしないよと、聖我が微笑を浮かべる。

 舞藻はなるほどと納得すると同時に、では朝の窓から訪問はなんだったのかと問いたくなる。


 聖我は扉を勢いよく開いた。「やっぱりね」と呟く。

 舞藻も後ろから覗き込んだ。息を飲む。


 眼前の玄関では、倒れているさくらがいた。


「さくらさん!」舞藻は慌てて駆け寄った。

 聖我は玄関の先に見える、開放されている窓を見て目を細めた。


「状況を鑑みて、おそらくさくらさんは舞藻に危害を加えられないようにするために相手を自室に追い込んだんだろう。誘き寄せて、この部屋で対峙した。能力主はそこの窓から逃げたんだ。二階って、飛び降りられない高さじゃないしね。」


 オレのためにそこまで危険なことをさせてしまったのか。

 舞藻はこの上ない罪悪感に押し潰されそうになる。


 聖我の説明を聞いて、この部屋に鍵がかかっていることを思い出した。さくらはわざわざ相手と自分の逃げ道を塞いで、先に能力をかけられた自分を庇おうとしてくれたのだ。


「舞藻、俺は相手を探してくるよ。」

 舞藻は顔を上げる。


「どこにいるのか宛があるのか?」

「そういう訳じゃないよ。でも、"どうしてこんなことになったのか"っていう方には宛があるよ。」


 聖我は爽やかに笑った。窓から入ってくる風が彼の髪をなびかせる。


「だからさ舞藻、何度もさくらさんに声がけしててよ。その能力は相手に夢を見させる【眠る能力】なんだ。下手すれば対象を夢に閉じ込めることも出来る。何度も声がけをすれば、舞藻みたいに目覚めさせることができると思うんだ。」


 聖我は頼んだよとでも言うように、窓枠に足を乗せてこちらに目配せをする。彼は身構えもせず身軽に窓から飛び降りた。思わず窓に駆け寄ろうとして足を止める。


「さくらさんを起こさないと…」


 舞藻はさくらの方を見た。眠る彼女の表情が、段々と悪夢に魘されているようにも見えてきた。


 舞藻は必死の思いで口を開く。腹から声を出した。



           5



 小さい頃から「かわいい」と言われて育ってきた。


 親から、友達から、親戚から。その言葉に疑いはなかったし、その通りだと思っていた。朝起きて鏡越しに私を見る。

 朝から私の顔が眺められるなんて最高じゃない?


 私は自分のことが大好きだった。きっと私は生涯を通して私以上に大切な人に会うことはないのだろうと思っていた。


 でもその期待はあっさりと裏切られてしまった。


 泣き声をあげるあなたを見て、私は、あなたに会うために生まれてきたのだと、ガラにもなくそう思ってしまった。


 かわいい声を叫ぶ、あなたに出逢えてよかった。


「ねぇ、ママ。ママってば!」

 肩を揺さぶられ声をかけられる。幼い声が鼓膜を揺らす。意識が体に戻ってくる感覚とともに、私は目を開けた。


「ん? なぁに?」

 自分でも驚くほど優しい声を無意識的に発していた。

 ゆっくりと目線をあげる。


「あ、やっとこっち向いたぁ」

 そう言って無邪気に笑顔を作る少女に、私は目を見開いた。


「愛里…」

 その少女は、私の愛娘だった。私によく似た可愛らしい女の子であった。


「ママったらあたしが話してる途中で眠っちゃうんだもん。」


 愛里が頬を膨らませる。自分の体勢を見てみれば、なるほど確かに愛里に目線を合わせるためにしゃがみ込んでいた。


「ママ、あたしおなかへった!ごはん食べたい!」


 愛里が私の背後に目を向ける。私もつられて振り返った。


 そこにはかつて愛用していた綺麗なキッチンがあった。私と夫と愛里が暮らしていた一軒家でのキッチン。


 瞬間私は、これを夢だと確信した。


 ────だってもう二度と、この家へは踏み込めないから。


 これは私が思い描く都合の良い夢だ。たったもう一度だけ日常に戻りたいと言う私の願いを反映した夢。けれども私は構わないと思った。どうせ二度と叶わない願いなら、夢の中で叶えてしまってもバチは当たらないのではないか。


「そうね。じゃあご飯にしましょ」


 私は立ち上がった。愛里が満面の笑みを向けてくれる。もう二度と、私に向けられることがないと思っていた表情。


 私の心は幸福感に包まれていた。ずっとこんな時間が続けばいいと思った。


 その時だった。


「誰だ!?」


 頭上から声が降ってきた。聞き覚えのある声。この子と同じくらい愛しいと思った存在。


 私はゆっくりと顔を上げた。そこには私よりも背が高く、ガッシリとした身体つきの男性がいた。

 ────私の夫だ。


「愛里から離れろッ!!」


 鋭い声で叫ばれる。


 見覚えがあるシチュエーションだななんてぼんやりと思った。デジャブだなんてことはないだろうから、やはりそうなのだろう。


 この日は、私が世界から忘れられた日だ。

 私はこの日をもう一度繰り返している。


 その時もそうだった。私が早くから朝食準備をしていると、夫が一階へやってきた。そして言った。「誰だ?」と。ただ今がその時と違うのは、私のそばに愛里がいること。


 私は愛里へ目を向けた。あどけない女の子と目が合う。私は確実に視線に期待を孕んでいた。


「おばさん、だれ?」


 ガクンと膝が崩れ、地面が無くなったような感覚が襲った。


 夢だと分かっていた。これは夢だって、現実じゃないってわかってたのに。だのに、拒絶されるというのはこんなにも辛いことなのだ。


 愛里が不思議そうな顔をして私を見る。私は随分と無様な表情を晒していただろう。

 唖然と、呆然と、絶望と。


 愛里はそんな私に手を伸ばした。


「泣かないで」


 そう言って彼女は私の頭を撫でた。初めて私は自分が泣いていることに気づいた。


 瞬間、気持ちが込み上げてきて抑えきれなくなった。私は泣きながら愛里に抱きついた。


「私はあなたのこと本気で守りたいと思ったの!! それが私の生まれてきた意味だって、嘘じゃなくそう思ったのよ! あなたのそばであなたと一緒に笑いながら、泣きながら、平和に暮らしていきたいって…! あなたのそばにいられるなら、私はどうなってもいいって 本当に、そう思ったの………」


 深海へ沈んでいく。私だけが排除される様に、泥沼に沈んでいる様に、ここにはいてはいけない存在の様に、この場から沈んでいく。


 嫌だ。消えたくない。この子から一時でも目を離したくないの。


 私は愛里の手を必死に掴もうとした。けれど意思とは反するように、私はあっさりと黒い底へ落ちていった。


 水中のように息ができない。胸の蟠りが大きくなったかのように苦しい。私は自分の両手を見る。もう愛里を抱きしめていた時の温もりは消え去っていた。


 このまま死んじゃおうかしら。それでもいいわね。愛里がいない人生なんて、意味が無いもの。


 自分よりも大切なものが愛里に置き換わった瞬間、私はもう愛里のためにしか生きられないのだから。だからこのまま暗闇の底で本当に全てを忘れられて。


 ただ一つだけ、心残りがあった。

 あのアパート─せいかい荘─のこと。聖我を始めとするあのアパートの人間は、皆どこか距離を取っている。自分の陥った状況に絶望し咀嚼するのに精一杯だからだ。それにもう一度世界に忘れられてもショックが最小限でいいように他者との関わりを無意識に控えているという理由もある。そしてそれは私も例外ではなかった。

 でも、あの青年は違った。自分が絶望的状況に陥ったと言うのに、人をよく見て気遣っている。外界と遮断するのではなく、繋がって前向きに生きようという気力がある。あの子はきっと、今後多くの人に影響をもたらすと思う。


 それを少しだけ、見てみたかった。


 だけどそれももう、叶わないかな。

挿絵(By みてみん)

 私はそっと目を閉じた────否、閉じようとした。その刹那、『何か』が私の名前を強く叫んだ。

 その声はまるで、迷子になった子供のような憂いを帯びていた。


 何度も強く呼ぶ声が、なんだかおかしく思えてくる。


 全く、しょうがないなぁ。そんなに泣かれちゃおちおち寝られないなぁ。


 私は体を起こした。どこかで子供が呼んでいるんだ。ゆっくりと寝ていられない。


 重い体を引きづるように足を踏み出す。歩きたくない、座りたい、と何度も思ったけれど、その度に声が聞こえてくる。私を誰かが呼んでいる。



 やがて、明るい刺激が目を襲う────


「さくらさん!!」


 大きな叫び声がさくらの耳に突き刺さった。ハッと目を覚ますと、横で舞藻が必死の形相で名前を叫んでいた。


「な、なに…?」

 さくらは首を傾げながら上半身を起こす。すると舞藻は驚きと喜びを顔に出しながら言った。

「目覚めたんですね!」


 舞藻は掻い摘んで今までの出来事を話してくれた。徐々に記憶が浮かび上がってくる。


「そういえば思い出してきたわ。変な男がやってきたんだったわね。」


 あの男は能力を使って舞藻を眠らせた。このままではまずいと思って男を挑発させながら部屋に誘き寄せたのだ。


「あの、ありがとうございます。」

「ん? 何がかしら?」


 舞藻は恥ずかしそうに口篭りながら言った。


「オレを守ってくれたって…。聖我が…」


 さくらは、はてと首を傾げた。彼の言っていることの真意がすぐには掴めなかった。

 だがすぐに思い至った。


 舞藻があの男に眠らされた時、さくらは『まずい』と思った。その一心で、男を舞藻から引き離そうとした。だがそれは舞藻を守ろうとしたからに他ならなかった。


 私はしっかりやれている。思い描いていた形と違っても、私はここに存在している。


 さくらは頬を緩めた。

「いいのよ。気にしないで。それにあなたも私を起こしてくれたじゃない。」

「そんなの当たり前────」


 舞藻がそこまで言ったとき、彼の鼻から何かが垂れた。舞藻が鼻下を触ると、ぬめりとした感触があった。


「また鼻血…?」

「ちょっと、ティッシュティッシュ!」


 さくらが慌てて箱ティッシュを持ってくる。お礼を言ってそれを受け取った。


「やっぱり能力使ってたのね。というか、これだけで鼻血って、貴方 相当弱いわね。」


「うっ!」

 彼女の言葉が舞藻に深く突き刺さる。


「いやいや使ったつもりないんですよ! でも……全然起きないから、使われちゃったのかもなぁ……」


 舞藻がさくらから目を逸らして言う。次はさくらに言葉が刺さった。


「それは…申し訳ないけれど…」


 死んでもいいって思ってたからだ、だなんて言えなかった。


「いちど一階に行きましょ。聖我がどこに行ったかは分からないけれど、帰ってきていてもおかしくないわ。」


 さくらが話を逸らすように言う。舞藻はそうですねと同意した。



           6



 ちょうど舞藻たちが一階へ降りる頃、リビングのドアも開いて聖我が帰ってきた。


「おかえり。」

 舞藻は自然と挨拶が口に出る。


「あぁ。」

 聖我はいつもより鋭い目で舞藻を一瞥した。


「機嫌悪い?」

「まぁ、上手くいかなくてさ。」


 聖我でも上手くいかないことってあるんだな、と舞藻は思う。話を聞きたかったが、気持ちを逆なでしてしまうのが嫌で聞かなかった。


「あ、そういえば」

 聖我は思い出したかのようにキッチンへ向かった。舞藻たちもそれに倣う。


「実は買ってきてたんだよね。」

 そこにあったのは、ビニール袋の中に入っている卵や牛乳、ケチャップだった。


「今日、君に作ってもらおうと思ってさ。」

「オレに? もしかして、オムライス?」


 聖我は顎を引く。さくらは目を丸くした。


「貴方、料理できるの!?」

「オムライスくらいなら。」

「オムライスって結構難しくないかしら!?」

 さくらは聖我と同じ反応を披露する。


「まぁ作ってみてよ。マリンとか外出してる人もそろそろ帰ってくるよ。」


 聖我は首を傾げて「いけそう?」と問うた。不味いものは作れないという緊張が胸の中に広がる。それでも舞藻は頷いた。緊張よりも作ってみたいワクワク感の方が勝ったのだ。


「もちろん。美味いもの作ってやるよ!」



 マリンたちが帰ってきて全員が揃ったのは、それから一時間後のことだった。舞藻の料理ももう少しで完成というところだった。


 やがて全員分が完成して、いい匂いを漂わせたオムライスをダイニングテーブルまで持っていく。

 見た目は綺麗だった。店のものとまでは行かないが、なるほど自分で得意だという理由が分かる程度には食欲をそそられるものだった。


 卵の下にちょうど良いケチャップ色のライスがある。


 いただきますと各々がいい食べ始めた。舞藻もエプロンを脱ぎ自分の席に座る。今回は今まで作った中でもかなりの出来だと思うが、皆はどうだろうか。


「美味いな」

 隣の聖我が呟いた。向かい側のさくらも目を丸くしている。


「確かに特技ね。」

 舞藻は安心し、幸福感が胸に溢れた。


 さくらの隣に座っている双子の方では「オムライス」と何度も口にしていた。

「みるく、ほら、あーん。」

「じゃあ お兄にも、あーん。」


 双子はお互い食べさせあっていた。…あれは日常風景なのだろうか。


 聖我の隣に座っているマリンは一口食べて、右手を口に当てた。


「おいしい…」


 それを見た聖我が舞藻に目を向ける。

「マリン、美味しいって。」

「えっ!? 本当か!?」


 舞藻は立ち上がり、マリンを見た。


「美味しい?」


 マリンは舞藻のほうを一瞥した。だが何も答えず食べ始める。


「あ、あれ?」

「照れ隠しだよ。」


 聖我は苦笑いしながらもオムライスを食べ続ける。


 舞藻は全体を見渡した。

 全員が自分の作ったオムライスを食べている。それがとても嬉しくて、満たされた気分になった。一先ずは美味しいと食べてくれたことに安心する。


「ねぇ舞藻」

 聖我が隣で呼びかけた。舞藻はそちらの方を向く。


 聖我が空になった皿を突き出して言った。


「おかわり」


 もう一回食べたいと思ってくれるほど美味しかったのか。舞藻はとても喜ばしいことだと思った。


「聖我……」舞藻は微笑んで言った。「自分で作れ。」


 だがこちらももう一度作るのは流石にめんどくさい。自分も料理ができるならおかわりは自分で作って欲しい。


 そう思うが聖我がブツブツ文句を言うため結局舞藻が作ることになった。



           7



 聖我は星を見ていた。


 せいかい荘の屋上、ただ広く四角い床が広がっているだけのスペース。背の低いフェンスの内側に突っ立って、星を眺めていた。


 ここは昔から聖我だけの空間だ。

 ここでなら世界を独り占めしたかのような気持ちになれる。自分の世界ならば絶望することも迷うこともない。


 だのに本日、その前提が変わろうとしていた。


「あ、いた」


 背後からかけられる声、近づく足音。振り向くと、そこには舞藻が笑顔で近づいてきていた。


「こんなところに居たのかよ。すげえ場所。」

「…人が来るなんて珍しいね。何か用?」

 聖我は拒否も歓迎もしなかった。


 舞藻は言いづらそうに口篭りながら「いやちょっと聞きたいことあって…」と零した。


「聞きたいこと?いいよ。何聞いても。」

 聖我が優しく微笑むと、舞藻は肚を決めたのか、顔を上げてまっすぐ聖我を前を見た。


「お前の能力って、どこまで視えてんの?」


「どこまで…、って?」


 舞藻は目を少し伏せて口を開く。


「さくらさんが言ってた、お前の能力はどこまで見えているのか分からないって。そして今日は、お前は【眠る能力】について詳しく知ってた。それに宛があるって言って外に出て行った。会ったこともないやつの能力について解説できて、この場にいないやつを迷いなく追える。それって実はめちゃくちゃ視えてるんじゃねぇの?」


 聖我は驚いた。尋ねられたことではなく、舞藻の考察力にだ。


「俺は君がもっと馬鹿だと思ってたよ。」そう言えば「バカにしてんのか!?」と返してきた。やはり馬鹿なのかもしれない。


「舞藻の言うことはごもっともだよ。でも俺は特になにか見えるわけじゃ……」


 ふと、昼間に言われたことを思い出した。


「あぁ君には、嘘ついちゃいけないんだっけ」


 夜の滑らかな風が聖我の頬を滑る。肺に溜まった息を吐き出すと、喉と脳が冷えたような気がする。


「そうだね、結論から言うと────」


 聖我は舞藻を見据えた。


「俺は能力自体は視えないよ。前にも言った通り、能力は認知の代わりに与えられた命だからね。普通の人間の心臓自体は視えたとしても、じゃあ何が人を人たらしめるのか、みたいな哲学的なものまでは分からない。俺は無神論者だからね。」


 でも、と聖我は続ける。


「相手が能力を持っていたり、使っていたりするとき、白いもやみたいなものが視えるんだ。【使う能力】なら手に、【考える能力】なら頭に、【話す能力】なら喉元に。」

「へぇ、すごいな。」


 舞藻は素直に関心を示す。


「でもそれも相手が能力を使うのが上手くなると、ほぼ見えなくなるんだ。能力が洗練されていると言うのかな。箸を持つとか風呂に入るとか、そういった動作が大して疲れないように、能力を使うことも日常になっている人達の能力操作は何も見えないよ。」


「そんな人いるのかよ。」


「結構いるもんだよ。ちなみに最近で一番よく見えた能力はあれね。────【言う能力】」


「へ?」


「あれはすごく良く見えたな。口から発するものが白い塊になって相手にぶつかっていく感じ。そこまで見えていると【言う能力】は俺には効かないね。」


「じゃあオレ、一生お前には勝てないってこと!? 勝ちたいとも思ってないけど…」


「まぁそうだね。相当頑張らないと無理だね。」


 聖我はケラケラ笑いながらドアの方に向かった。


「本当に頑張りなよ、舞藻。」


 聖我はドアを閉めながら静かに呟いた。



「なんか質問、上手くかわされた気がする…」聖我が金属製のドアで姿を消す。舞藻は眉間にシワを寄せながら呟く。


 いつか彼のことをもっと知れる日が来るのだろうか。


 空を見上げたら、頷くように星が煌めいていた。

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