1話 忘れられた日 後編
4
聖我に着いていって行き着いた先は三階建ての古いアパートだった。赤色の風貌の建物が石垣で覆われている。出入口に『せいかい荘』というプレートが貼られていた。
「なんだここ…。」
舞藻は口をあんぐりと開ける。
「何って…」
聖我はこちらを一瞥して、クスッと口角を上げた。
「君がこれから住む場所だよ。行く先ないでしょ?」
「確かにないけど…ここに住むってそんな突然言われてもだな…」
「安心してよ。無一文から家賃とったりしないし人身売買とかもしない。ただ、他の住民とは仲良くして欲しいな。」
大仰にそう言う彼に、舞藻は先行きが不安になってくる。
だが対称的に、聖我はなんだか楽しそうだった。
二人で石垣を抜け、敷地内に入る。アパートの一階から三階にはそれぞれ五部屋が並んでいた。
「じゃあ入るよ。」
聖我は一階の最も右の部屋───『管理人室』とプレートが貼られている部屋のドアを開けた。
そのまま聖我は中に入る。
舞藻がドアの脇で立ち尽くしていると、「早く来なよ」と顔を出してきた。
「お、おじゃましま〜す…」か細い声を出しながら恐る恐る足を踏み入れる。
舞藻は社交性がある方だと自覚している。切り替えが早く、友好関係を築くのが得意であるため、その自認は間違っていない。
しかし突然アパートに住めと言われたり、知らない人の家に入れと言われたりしても、普通に困る。気を使わせてしまったのか、失礼に当たらないか、迷惑をかけてしまったら…? そういった考えが頭の中を駆け巡る。
舞藻は物事の分別をしっかりとつけるタイプだった。
「なに?その入り方。」
聖我がクスリと笑う。
「まぁいいけどさ。とりあえず"リビング"に行くよ。」
聖我は入ってすぐ左横に見える茶色の引き戸を指差した。
「リビング?」
舞藻は首を傾げる。
ここはアパートなんじゃないのか?
アパートの管理人室など、ただの業務部屋なのではないのだろうか。
そんなことを考えながら、聖我がいう『リビング』に繋がるドアを彼が開けるのを眺めていた。
「────え?」
舞藻は目を疑った。
ドアが引かれた先に広がっていたのは、一軒家と遜色ないどころか、一軒家よりも大きなリビングだったからだ。部屋ごとに区切られているはずの壁がなく、奥までスペースが広がっている。
「なんで…。だってここは"アパート"だろ…?」
「外見はね。でも一階だけ改装した。最低限の柱だけ残して、あとは自由に使えるリビングにしたんだよ。」
聖我が得意気混じりに説明する。
「そんなこと出来るのかよ。」
「出来るんだよ。『能力』があればね。」
聖我は含みのある言い方をした。
つまり技術があれば出来る、ということなのだろうと舞藻は解釈した。
「とりあえず中に入りなよ。靴はそこの下駄箱に。」
聖我は壁際に置いてある、学校で使っているような古びた下駄箱を示した。
そこには靴が舞藻を入れて六足。おそらく『住民』なのだろう。舞藻は靴を脱ぐと、一番右の列 上から二番目に入れた。
舞藻は無意識に音を立てないようにリビング前まで来た。
心臓が変な音を鳴らしながら血流を全身に伝えているのを感じる。聖我に促されるままに中へ入った。
「おじゃま、します!」
思わず目を瞑りながら、大声でそう言った。
しん、と静かなリビング。
「………?」
舞藻はゆっくりと目を開けた。
「っうわ!」
舞藻の目の前に、こちらの顔を覗き込む二人の子供が立っていた。驚いて一歩後ずさる。
「…誰?」
「…誰なの?」
黄色の前髪により両目の隠れた少年と、片目の隠れた少女。背格好が似ている。おそらく双子なのだろう。
「あら〜、新しい子ね。」
柔らかい女性の声が鼓膜を揺らす。
見れば、鼻筋の通った美しい女性がダイニングテーブルでマニキュアを塗っていた。
「…新しい子?」
「…新しい子なんだって。」
「…そうなんだ。」
「…そうなんだって。」
少年と少女は交互に会話を繰り返し、そのまま部屋の奥にあるソファまで小走りで駆けていった。
「えっと…オレは…。」
舞藻はこのままどうすれば良いのか分からなくなる。とりあえず自己紹介でもしようかと息を吸った。
しかしその前に、聖我が声をかける。
「じゃあ舞藻。そこに座って。」
聖我はマニキュアを塗る女性の前の席を指さした。
「座っていいのか。」
「いいよ。舞藻も仲間になるんだから。」
そう言われれば、拒否する理由もない。舞藻は指定された椅子に座った。
目の前に美人がいるため目のやり場にとても困る。
「聖我────オレ、この後どうすれば…」
舞藻は自分の右隣に座った聖我を見やる。すると左から可愛らしい声が聞こえてきた。
「あの、お茶」
見ると、小さな女の子がコップいっぱいの緑茶を運んできてくれていた。大きな藍色の瞳に、青みがかった長髪。とても可愛らしい少女だった。
「じゃあ…置いたから」
それだけ告げると、少女はそのまま二階へ上がっていった。
「かわいい…」
舞藻は少女の姿が目に焼き付いたように離れなかった。
まるで中学生の時に好きだったあの子みたいだ。長い髪に、人を惹き付けて離さない瞳。その子の名前、なんて言うんだっけ。えっと、確か……ま───
「舞藻? どうした?」
隣で名前を呼ばれて我に返る。
「えっ、何が!?」
「いや、ぼーっとしてたから。」
聖我はそう言ったあと、「あぁ、あの子のことか」と呟く。
「さっきの女の子は浅倉 蒼海。」
「ま、まりん…?」
「そう。すごく人見知りなんだ。昔、何かあったらしいけど。」
そうか、マリンというのか。舞藻は何度も名前を脳内で反芻する。
「ちなみに、あれでも中学三年生だから。小さいとか言うと怒るから気を付けてね。」
「中三!?」
風貌や行動から小学生…多く見積って中一辺りだと思っていた。身長もオレの肩下あたりくらいじゃなかったか。
「じゃあ、あの双子は?」
舞藻はソファに座る双子を示した。
「よく双子だってわかったね。」
聖我が感心したように言う。
「綿谷くるみと綿谷みるく。くるみが兄。小学校六年生くらじゃなかったかな。」
「今度は小六…。」
あの双子はマリンより背が高かったはずだ。おそらく兄の方は舞藻の顎下まで身長があった。
舞藻がはてなマークを浮かべながら頭の中で情報を咀嚼していると、「ねぇ」と目の前の女性が口を開いた。
顔を上げると女性と目が合う。ゆらりと揺れた桃色のウェーブがかった髪が、彼女の魅力を引き立てる。
舞藻はイケナイことをしている気分になり、思わず目を逸らした。
「貴方も、そうなのよね。」
彼女が言う。
言葉の意味が分からず「そう、とは?」と聞き返した。彼女は形のいい目を細める。
「貴方も────忘れられたの?」
舞藻は目を見張った。そのまま隣の聖我を見る。彼は口角を釣りあげた。
「そうだよ、さくらさん。彼も俺らと同じ 。世界から忘れられた一人なんだ。」
「『俺らと同じ』…? じゃあここにいる人たちって…。」
舞藻の反応に、聖我の笑みは深くなる。
「そうだよ。ここにいるのは君と同じ人ばかり。全員が世界から忘れ去られた哀れな人間。だから俺は君をここに呼んだんだ。」
舞藻は開いた口が塞がらない。
「先に…言えよ…。」
「あははごめん。君の反応が面白かったから。」
聖我はなんとも思っていない調子で謝る。舞藻は「ドSめ…」と呟いた。
「そう。それで貴方────舞藻くんと言ったかしら。舞藻くんの能力はどういうものなの?」
さくらと呼ばれた彼女は、テーブルに並べられたマニキュアを片付け始めた。
暇になったから子供の相手をしてやろう、といった腹積もりではないようだが。能力とは一体なんだろうか。
舞藻は聖我に助けを求める。しかし聖我はこちらに目線すら向けなかった。
裏切られた気分になりながら、分からないなら聞くしかないと舞藻は口を開いた。
「能力って、なんですか? オレはそんなもの知らないです。」
さくらは僅かに目を伏せたあと、すぐに舞藻の目を見据えた。その表情はどこか意を決したかのようにも見えた。
「あら、惚けるつもりなの? もしかして、私たちの能力を聞いてからじゃないと答えないとか? 随分と慎重なのね。」
「違います! ですからオレは…」
「安心して。そこまで怯えなくても私たちは何もしないわ。普通に聞いているだけだもの。第一、貴方より強いから大丈夫よ。別に教えてあげてもいいけれど、男のくせに怯えて自分の情報を開示する勇気もないような人には教える価値は無いかもしれないわね。母親の胎内で一からやり直してきたらどうかしら?」
「…………」
さくらからの嘲笑を受け、舞藻は徐々に頭に血が上っていくのを感じた。こっちは分からないと言っているのに、その言い草はあまりにも失礼不親切ではないか。
第一自分は、今までの人生を真っ当に歩んできているつもりである。
「…そんなに言うなら、教えてください。」
舞藻はさくらの目を睨みつけて言う。
「教えてくださいよ。能力について。」
「何よ、その態度。そんな態度のやつに教えたいわけないじゃない。」
「そんな態度を最初にとってきたのはそちらでしょ。いいから教えろよ!! 大事な能力とやらを!!」
舞藻がそう叫ぶと、ふと体から何かが抜き取られたかのように力が抜けた。
その感覚により段々と頭が冷静になってくる。
自分は、年齢が上の人に対して、なんてとんでもないことを言ってしまったのだろうか。これは謝らければならない。
舞藻は顔を上げた。
さくらはこちらを虚ろな表情で見ていた。
「あの、すみません。オレ言いすぎました……」
「分かったわ。貴方に能力について教える。」
さくらは舞藻の言葉を遮るように言い放った。
舞藻は口から「え?」という音が漏れる。聖我も険しい顔をしてさくらを見ていた。しかし彼女は構わずに話を続けた。
「能力というのは、『認知』の代わりに神から授けららる代わりの命のこと。私たちは全員が、それぞれひとつの能力を保有しているの。」
「は……?」
舞藻は眉間に皺を寄せる。この人は一体何を言っているのだろうか。
「私の能力は『固体を変形させる能力』。みんなは【使う能力】と呼んでいるわ。」
「個体を変形…? 使う能力…?」
やっぱり何言ってんだろう、と思った。話していることが常識外れすぎる。病院でも勧めるべきだろうかと本気で考えた。
だがそんな思考はすぐに無くなった。
「例えば、こんなふうにね。」
さくらは目の前のマニキュアのひとつに触れた。すると途端にそれが球状に形を変えた。スノードームのようなラメを含んだ綺麗な赤色の球になった。
「は………? なんだよ、それ。」
何も理解できなかった。ただ信じられないことが目の前で起きている。それだけは解った。
「次に奥でテレビを見ている双子。兄であるくるみは飛躍的に思考力が向上する【考える能力】。妹であるみるくの方は動物と話せる【話す能力】。」
舞藻は何も言えなかった。抗議したくても、テーブルの上を転がるマニキュアの球を見たら何も言えなくなる。
「そしてさっき飲み物を持ってきてくれた女の子。マリンは水を好きに扱える【扱う能力】。」
「マリン…ちゃんも…。」
あんなにかわいい子も能力の持ち主だなんて…。舞藻は絶句する。
水を扱うなど、全てを手玉に取るような大きな力に思えた。
「そして最後は、聖我ね。」
舞藻はさくらに意識を戻す。
ここにいるということは聖我も能力とやらを持っているということ。
いったい、どんな能力を持っているのか。
「聖我の能力は─────」
「はい。そこまで。」
いつの間にか立ち上がっていた聖我は、まだ言いかけのさくらの肩に手を乗せた。その瞬間、さくらの虚ろな目が生気を取り戻す。
「は……戻ってきた……」
さくらが自分の手や胴体を動かす。
「俺の能力のことは、俺から話すよ。」
聖我はひと仕事が終わったというように舞藻の隣に戻ってきた。そして視線をこちらに向ける。
「俺の能力は【視る能力】。視界に入ったものは基本的になんでもわかるんだ。人の心情や、物体が何で構成されてるか、とかね。つまり何事も、『視て』しまえばわかるってわけ。」
「な、なんか大変そうだな…。」
舞藻の反応に聖我は笑った。
「大変だよ。たまに情報処理が追いつかないこともある。けどしょうがないよ。もう慣れた。」
能力というのは割と軽いノリなのか。そう思わせるほど聖我の言い方は軽快だった。
「それで。───君の能力なんだけどね。」
聖我は目を細めて舞藻を見る。その雰囲気は映画の悪役さながらであった。
「いや待て!オレに能力なんてないぞ!」
舞藻はさすがに抗議する。
「絶対ない絶対ない絶対ない!中二病の時期は終わってるんだ!!」
何度も首を振り叫んだ。後頭部にあるまとめた髪が頬にあたる。
「少し落ち着けよ。」
聖我が舞藻の頭の上に手を置いた。
「もう舞藻が能力を持っていることは決まってるみたいなものなんだ。能力っていうのは、世界に忘れられた人間が、周囲の認知の代わりに『神』から送られる命なんだから。」
「それさっきも聞いたけど、どういうことだよ。」
「もう違和感はあるんじゃない?」
彼の言葉を受け、舞藻はさくらをみる。正気が戻ってからずっと自分の身体を確認している彼女に、確かに舞藻は違和感を抱いていた。
「舞藻、君の能力はおそらく、────【言う能力】だ。」
聖我が静かに告げた。
「言う…能力…。」
「簡単に言えば、相手を言いなりにできる能力。命令で、君は人を思い通りに操ることができる。」
命令で人を操る…?
口から短く息が漏れた。
そんなこと、いち人間がして良いことのはずがない。
手が震えた。
言葉を発することが怖い。
舞藻は助けを求めるように、隣にいる聖我を見上げた。彼は困ったように笑っていた。
「上手く、利用できるといいね。その能力。」
そんなこと言われても、どう反応したら良いか分からない。
舞藻はゆっくりと朝のことを思い出していた。クラスメイトが唐突に反応を変えたのは、能力が発動していたからなのだろうか。
オレは、クラスメイトを操ってしまったのだろうか。
聖我は黙り込んでしまった舞藻を心配そうに見ていた。なにか声をかけようと、口を開きかけたその時。
「────びっっっくりした!」
テーブルの向こうでさくらが叫んだ。
「なんなの!? 貴方の能力!!」さくらが立ち上がって前のめりになる。
「えっと……」
「さくらさん、どんな感覚だった?」
聖我がすかさず聞いた。
「そうね。自分の意志関係なく動く自分を眺めている感じだったわね。正直、誰かに操作されている自分を見ているのは……」
舞藻はさくらから顔を背けた。恨み言を言われると思った。実際、誰かに操作されるなど気分が良くないに決まっている。
しかし、そんな舞藻の考えとは裏腹にさくらは目を輝かせながら口を開いた。
「……最高に決まっているじゃない! 貴方の能力、最高よ!!」
「え…? 何を言ってるんですか…?」
唖然としている舞藻に、さくらは胸を張って言った。
「だってこの美しい私を眺められたのよ。絶対に叶わないと思っていたこの最上級に美しい私との対面!最高じゃないわけないでしょう!」
「はぁ?」
何を言ってんだ。この人は。
さくらは笑っているが、舞藻にはこの状況が心臓に重くのしかかっていた。自分の言葉一つで人の自由を制限できてしまう事実に、身体から体温が奪われていく。
「舞藻、さくらさんは自分の見た目が大好きなんだよ。まぁ言えば、『ナルシスト』なんだ。」
聖我は、舞藻の心境に気づいたわけではないだろうが、軽々とそう発した。
「ナルシスト?」
「そう。もう四十手前だって言うのにさ。」
「よ、よんじゅう!?」
「ちょっと聖我、バラさないで頂戴。心はいつまでも二十歳よ。というかまだ三十八だからね。」
聖我は呆れたように肩を竦めた。
「さくらさんはこんな見た目だけど、夫と子供がいるんだ。ちなみに職業は建築士。」
舞藻はあんぐりと口を開けた。人は見かけによらないという言葉があるが、その諺がここまで似合う場面に出会ったことがない。
「三十代はいいとして建築士って意外ですね…モデルとかやってるもんだと…。」
「ちょっと、三十はいいって何よ。」
「滲み出てるんじゃないですか。三十代オーラが。」
「あんたねぇ…。」
さくらと聖我のやり取りを見ながら舞藻はふと、アパートに入るときの会話を思い起こした。
『そんなこと出来るのかよ。』
『出来るんだよ。『能力』があれば。』
「あもしかして、来るときに話してた能力って…。」
舞藻の言葉に、聖我が答える。
「そう。この部屋はさくらさんの【使う能力】を利用して出来たんだ。壁を除いたり柱を足したりするのも、さくらさんの能力があれば可能だからね。建築士としての技術も相まって、すごくいい部屋になってるよね。」
「貴方が言うとお世辞にしか聞こえないわ。」
さくらが顔を顰めながら言う。
聖我は綺麗な二重の目を細めてこちらを見た。
「舞藻、能力は君の使い方次第だよ。上手く使うしかないんだ。」
どんなものも、使い方次第で道具にも凶器にもなる。
聖我にそう言われている気分だった。
舞藻はグッと押し黙る。その後、ゆっくりと顔を上げた。
「────そうだな。オレ次第なんだよな。何事も!」
その顔は、なにか吹っ切れたかのような笑顔だった。
「ちなみに、その【言う能力】みたいな名前は事前に決まってるのか?」
ふと疑問に思い聞いてみた。
リストや名簿があるのだろうか。
二人は僅かの間の後、首を振った。
「いいえ、決まってないわ。」
「ん? 即興ってこと?」
「まぁそうなるかな。ほとんど俺が決めてるけど。」
「なんで?」
聖我は笑った。
「そっちの方が、かっこいいから…かな。」
「はぁ?」
呆れた。そんなふうに笑う彼らに呆れた。
「ははは! なんだよそれ。」
そして、舞藻も笑った。
「なぁ聖我、さくらさん。」
舞藻は声をかける。
「これからはオレとも、仲良くしてくれ───ませんか。」
二人は目を丸くした。そして、吹き出しながら笑った。先程よりもさらに大きな笑みだった。
「舞藻」
聖我が手を伸ばしてきた。僅かに逡巡した後、その手を取る。河川敷の時とは逆のように。
「これからよろしくね。」
「あぁ、よろしく!」
舞藻はその日、能力集団の仲間入りを果たした。




