54、記憶を取り戻すとき②
ソムヌスの家は、店からそんなに遠くない場所にあった。
グロリアがきょろきょろとしていると、ソムヌスが気まずそうな顔をしていた。
「君が来ることを想定していなかったから、そんなに綺麗じゃない。悪いな」
「いえ。私が記憶を戻したいと言ったのが理由なので」
そもそもグロリアが今すぐがいい、と言いはらなければ、もっとゆっくり準備できたはず。それを半ば無理やり頼んだのだから。
しかし、ソムヌスの家に初めて来るのがこんな形になるとは。大事な要件なのに少しだけ心が弾む。
「……今からシーツを交換するから、待っていてくれ」
「別にそのままで良いですよ」
「いや。流石に交換する」
グロリアが潔癖だと思われているのか、あるいはソムヌスの方が気にするタイプなのか。
ソムヌスに椅子を勧められ、そこからシーツを取り替えているソムヌスを眺める。
じーっと見つめていると、ソムヌスがちらりとこちらを見た。
「隣の部屋で、先に夕食を食べていてくれ」
ソムヌスの家への道で夕食を買ってきていた。ソムヌスの提案にグロリアは首を振る。
「一緒に食べたいです」
「君がそうしたいならそうしよう」
ソムヌスがそう言い、シーツを替える作業に戻ったのを見ながら、グロリアはぼんやりと考える。
先程、ソムヌスには『家出』と言ったが、一応連絡は入れた。今日は帰らない、とだけ。
それで何を思うか分からない。グロリアは今まで一度も外泊をしたことがない。だからそれだけの連絡で十分なのか知らない。
しかし、それ以上説明する気はない。
「グロリアさん、そういえばこの前君の家に行ったあと、何か言われたか?」
「えっと、特には。何を言っても、だめだと言われました」
「そうか」
シーツを交換し終わったソムヌスが、グロリアの方までやってきた。その表情はどこか暗い。
「ソムヌスさん、大丈夫ですか?」
「……何がだ?」
彼が何を気にしているのかは言うつもりがないのだろう。グロリアはそれ以上聞くのはやめて、ソムヌスと一緒に隣の部屋へと向かう。
◆
夕食を食べ、他の準備も終わったあと。いよいよ記憶を取り戻すのが近づいてきて、グロリアは深呼吸をした。
記憶を消そうとしていたときよりも、思い出そうとしている今の方が緊張している。
「……本当は、君に思い出してほしくない」
掠れるような声でソムヌスが呟いた言葉に、グロリアは目を見張った。
「何でですか?」
そう尋ねると、ソムヌスは苦しげに笑った。
「君に幻滅されるのが怖い。俺のせいで、君は……」
そう言って軽く目を閉じたソムヌスはやはり苦しそうだ。
しかし、グロリアにはソムヌスの言葉があまり納得できない。
先程から自分のせいだ、と彼は自分を責めているが、本当にそうなのだろうか。
グロリアの知るソムヌスは、人を傷つけるような人ではないのに。
しかし、それも思い出さないことには判断できない。
「ごめんなさい。やっぱり思い出したいです」
「謝らなくていいんだ。君が知りたいのなら、止める気はない。ただ、きっと辛い記憶も思い出す」
そんなに断言するほどなのか。その事実は少し驚いたが、自分の意志を変える気はない。
「ソムヌスさん。手を出してください」
「……俺は君に触れないと言っただろう?」
この家に来る前、ソムヌスはグロリアに指一本触れないと言っていた。グロリアとしてはらソムヌスを信用している。彼がグロリアの嫌がることをやるとは思えず、何も不安ではなかった。
「私からならいいじゃないですか」
グロリアが不満げにそういうと、少し目を見開いたソムヌスが驚くほど優しげに笑った。
「何で笑うんですか?」
「好きだな、と思って」
そう言いながらソムヌスは右手を差し出してきた。グロリアは照れを隠すために視線を落とし、ソムヌスの手元を見つめる。
少し角ばった手に、自分の手をのせる。そしてぎゅっと握った。
「思い出したら、何か変わるかもしれませんし、変わらないかもしれません。それでも、私はあなたの昔を知りたいです」
そう言ってソムヌスに笑いかけると、ソムヌスも笑った。その顔は少しぎこちないけれど、柔らかい。
「どこかすっきりしている自分もいるんだ。君に隠し事をしなくて良くなるから」
「そこまで……」
そこまで気に病むことなのか。グロリアは驚いてばかりだが、ソムヌスは頷いた。
「それではソムヌスさん、お願いします」
「……分かった」
ベッドに寝転がると、ソムヌスは近くに椅子を持ってきて座った。
「始めるぞ」
「はい」
ソムヌスは不安げな表情だったが、軽く目をつむった。グロリアはそのソムヌスの綺麗な顔を見つめていたが、次第に水が押し寄せてきたような感覚があり目を閉じた。
押し寄せてくるのは記憶の波だ。息苦しくなるような情報量で、グロリアは息が詰まりそうになりながらも、少しずつ記憶を取り戻していった。




