47、異質な力
「ソムヌスさん!」
名を呼ばれ、そちらに視線を向ける。
いつものように駆け寄ってきたグロリアの頬は少し上気していた。
「グロリア、そんなに急がなくても俺は逃げない」
「でも、ソムヌスさんに会えるのが楽しみで」
そう言うグロリアは、まだ少し息を切らしている。
それを見たソムヌスは自分のハンカチを取り出した。
「ソムヌスさん?」
不思議そうにしているグロリアの前で、ソムヌスは右手を上に向けた。心の中で祈る。
水が溢れ出してほしい、と。
すると手から上に向かって、水がブワリと溢れ出した。
「すごいです!」
その水に見入っているグロリアを横目に、ソムヌスはハンカチを濡らした。
「これで使ってくれ」
「いいんですか?」
「あ、もちろん君が嫌なら無理はしなくていい。洗濯はしてある。今日は使っていない」
自分のハンカチを渡すという行為が途端に下心があるかのように思えてきて、ソムヌスは慌てる。なぜ自分は弁明をしているように焦っているのか。ハンカチを引っ込めようとしたが、それより先にグロリアが手を伸ばした。
「ソムヌスさん、ありがとうございます」
「ああ」
グロリアはハンカチを受け取ると、笑顔で顔にあてた。それを見て、ソムヌスも頬を緩める。
「水魔法に適性あるんですね」
「ああ」
「いいですねー」
羨ましそうにしているグロリアに、ソムヌスは彼女の適性を尋ねていいかを逡巡する。顔に出ていたのか、ソムヌスの顔を見たグロリアはくすくすと笑った。
「私、闇魔法に適性を持つんですよ」
「闇魔法……」
ソムヌスが思わずつぶやくと、グロリアは困った顔で頷いた。
闇魔法。適性を持つ人間が稀であるおかげで、研究が進んでいない。ソムヌスは闇魔法に適性のある人に初めて会った。
適性を持たなくとも使える天才なら知っているが。
「何ができるか知りたいんですけれど、文献がないんですよねー」
「研究者がいないからな」
しかも、闇魔法の研究が進んでいないおかげで気味悪がられることもあり、さらに研究が進まなくなるという負の連鎖。
グロリアも困ったような、悲しいような顔をしている。
沈黙が流れたあと、グロリアが静かに口を開いた。
「ソムヌスさん、私のこと、気味が悪く思いますか?」
その黒の瞳には、底知れぬ悲しみが宿っているように感じた。気のせいだといい。そう思いながら、ソムヌスは首を振った。
「……思うわけないだろう」
グロリアが柔らかく微笑んだ。ちゃんと、気持ちは伝わっているのだろうか。それでも、自分の言葉でグロリアが悲しむのだけは耐えられない。
ソムヌスは考え込みながらも言葉を続ける。
「君は、明るくて、優しくて、人のことを考えられて、それから……」
「ちょっ、ちょっとソムヌスさん! 止めてください! それ以上は……!」
「なぜ?」
グロリアに気味が悪くないと伝えるため、彼女の良いところをあげることにしたソムヌスだったが、グロリアに制止され、首を傾げる。
まだまだ言えることはあるというのに。
グロリアをよく見ると、また顔が赤くなってきているような。先程とは違い、ずっと座っているはずなのに、どうしたのだろう。
「顔、赤くないか? 大丈夫か?」
「……誰のせいだと、思っているんですか!?」
グロリアに上目遣いで睨むつけられるが、ソムヌスはぱちりと瞬きをした。
「え、俺のせいなのか?」
「他には誰もいないじゃないですか!」
そう言って、グロリアは先程ソムヌスが貸したハンカチをまた顔に当てる。
「洗って……、いえ、新しいのを買って返します」
「別にいらないが」
寮に戻ればまだたくさんある。そう考えたソムヌスは断るが、グロリアがじっと目を見つめてきた。
「駄目、ですか?」
グロリアにそう言われると、ソムヌスは断る言葉を持ち合わせていない。緩やかに首を振った。
「駄目では、ない」
「それなら良いですよね?」
「ああ」
ソムヌスの返事に、グロリアが心底嬉しそうな顔で笑うから。ソムヌスはどこが落ち着かない気持ちになって、グロリアから目を逸らした。
この話を続けない方がいい気がして、先程の話へと戻すことにした。
「……君は、特殊魔法はあるのか?」
唐突にソムヌスが問うと、グロリアはすぐに首を振る。
「ないです。ソムヌスさん、あるんですか?」
「ある。記憶を消す魔法だ」
真っ黒な瞳を見開いた彼女を見ながら、ソムヌスは口元を緩める。
「君は、俺の魔法をどう思う?」
「どう、とは?」
「君の記憶を、今すぐにでも消せるぞ」
脅すように。少し低い声で問うと、グロリアはきょとんとしてソムヌスを見つめる。
「ソムヌスさんは、そんなこと、しないです」
ふわりと微笑んだ彼女に、ソムヌスも頷く。
「そうだな。この特殊魔法を君に使う気はないし、今までに使ったことはない」
ソムヌスはグロリアを害する気なんてない。ましてや、記憶を消そうだなんて。
まだ、誰にも特殊魔法で記憶を消したことはない。今後も使う機会があるかは分からない。
「それと同じだ。君がどんな力を持っていようと、君がどう使うかを選ぶことができる。使わなくてもいい。だから、闇魔法にどんな力があろうと、君なら問題ない」
ソムヌスが伝えたかったことは、全て伝えた。グロリアは目を見開いて固まっていたが、やがて力が抜けたような笑みを浮かべた。
「……ありがとうございます」
安堵をにじませたその顔を見ながら、ソムヌスはグロリアのためになることはないか、と思考を巡らせる。
「……君が心配なら、魔法を抑制する方法でも探してみよう」
「できるんですか?」
どんな力か分からないものがある、というのは怖いだろう。だからせめて、その力を抑えるための方法があれば。そう考えたソムヌスに、グロリアが驚いたような顔をしている。
「抑制まではできるか分からない。それでも、常時よりも威力を抑える方法くらいなら見つけられそうだ」
ソムヌスはただの学生であり、魔法科と比べると大した知識も能力もない。魔法の抑制よりも威力を強める研究の方が多い中、どこまでできるかは分からない。
それでも、何パターンかは候補が脳内にあるため、勝算はある。
「でも、ソムヌスさんにわざわざそんなことを、調べてもらうのは……」
「どうせ卒業時には、卒業研究を提出しないといけないんだ。そのテーマにすればいい」
グロリアは不安そうにしているが、ソムヌスにとっては自分のためにもなる。卒業のために、論文か研究を行わなければならないのだから。
「ちょうどテーマを探していたんだ。グロリア、駄目か?」
グロリアが先程使ったのと同じ聞き方をすると、グロリアは言葉をつまらせる。視線を彷徨わせていた彼女が、ソムヌスに視線をとどめた。
「ソムヌスさんが良いなら、もちろん反対しません。でも、別のテーマが良くなったら、ソムヌスさんの心に従ってくださいね」
「ああ」
ソムヌスは決めかねていたからちょうど良い。嬉しそうに笑うグロリアを見ながら、ソムヌスも笑いかけた。




