46、しっかり者の少女と愚かな男
「ソムヌスさん!」
ソムヌスがいつもの校舎裏で本を読んでいると、名前を呼ばれた。
ここに来るのは一人しかいない。ソムヌスは本を閉じ、そちらに視線を向ける。
「グロリア。また来たのか?」
「はい!」
そう言って、自身の横に座り込んだグロリアは、暇なのだろうか。
初めて会ったときから、週に1回くらいはやってくるようになった。
「同学年の子と、仲良くしたほうがいいんじゃないか?」
「私は、ソムヌスさんと仲良くなりたいんです」
グロリアが孤立をしていないかが心配でソムヌスは尋ねたのだが、グロリアはじっとソムヌスを見つめてくる。
「友達はちゃんといるか?」
「いますよー。ソムヌスさん、そんなに心配しなくても大丈夫です! 私はあなたに会いたくてここに来ているだけなので」
ソムヌスがグロリアを追い払いたいのではなく、心配していることはしっかり伝わっていたらしい。
グロリアが嬉しそうに微笑んだ。
「でも、ソムヌスさんが心配してくれるのは嬉しいです」
見透かされている気持ちになり、ソムヌスは目を逸らした。クスクス笑うグロリアの声を聞きながら、ソムヌスも口元を緩めた。
◆
「そういえば、ソムヌスさん。名字は?」
それをグロリアに聞かれたとき、ソムヌスは伝えるかどうか少し迷った。しかし、ここまで高頻度で自分に会いに来るグロリアに何も教えないのは、不義理に感じる。
「……クレアティオだ」
「え、あのクレアティオですか?」
知らないはずはない。有名な家門だ。これでグロリアが自分と距離をとる可能性もあることは重々承知だ。
ソムヌスは笑みを浮かべながら、グロリアを見た。
「……君の目に、俺はどう映っている?」
「優しい人、です」
ソムヌスはグロリアの漆黒の瞳を見る。そこには怯えも戸惑いもなかった。ただ、ソムヌスのことだけを真っ直ぐ見つめていた。
ソムヌスは苦い気持ちのまま、また笑みを作ろうとした。笑えているかは分からない。
「違うよ。俺は逃げてばかりの愚かな男だ」
「そうなんですか?」
「ああ。兄さんに、すべてをおしつけて。俺は自由を手に入れている」
ソムヌスがそのように自嘲すると、グロリアがまだじっと見つめていた。
「……本当に、ですか?」
「え?」
グロリアの疑いの言葉にソムヌスが戸惑っていると、彼女は口を開いた。
「ソムヌスさん、自由に見えませんよ」
「……君、結構言うな」
「ソムヌスさんがちゃんと聞いてくれるから」
グロリアにそう言われ、ソムヌスは困ってしまう。
優秀な兄がいて、お前は自由を得られていいな、というようなことは言われたことがある。
しかし、自由に見えない、などと初めて言われた。
「お兄さんは、いやって言っているんですか?」
「……どうだろうな」
兄の気持ちは聞いたことがないと気がつく。
兄――アエラス・クレアティオはあまりにも淡々としていて、自分の興味がないことはとことん無関心なくせに、実績だけは出す。
ソムヌスに愚痴の1つも言わない。アエラスの本来の気性は荒いのに、最近は優しい人間を取り繕った仮面を貼り付けている。
何を思って、学校を卒業してすぐ、父親からクレアティオ家当主の座を奪ったのかなど、分からないことだらけだ。
ソムヌスが考え込んでいると、グロリアが微笑んだ。
「仲がいい兄弟なんですね」
「……なぜそう思った?」
「ソムヌスさんがお兄さんのことをいっぱい考えていることは伝わってきたので。きっとお兄さんの方もソムヌスさんを大切にしているんだろうなって思いました」
仲のいい兄弟。そうだろうか。普通だと思うが。ソムヌスがそう考えていると、グロリアの黒い瞳には興味津々であるように輝いていた。
「お兄さん、どんな人なんですか?」
「知らないか? アエラス・クレアティオ」
「あ! 知ってます! スペス国を守ってくれた人、ですよね」
グロリアがぱっと表情を輝かせる。それを見てソムヌスも微笑む。
救国者であるアエラスへ、彼女が悪感情を抱いていないことにホッとした。
この国には、アエラスへの好意を持つ者と悪意を持つ者がはっきり割れている。
強い力は恐れられる。たとえ国を救ったとしても。
グロリアがソムヌスをまじまじと見ながら口を開いた。
「よく噂になっているソムヌス・クレアティオって、ソムヌスさんのことだったんですね」
「ああ。だから俺のことを知りたければ、そのへんに噂が流れているはずだ」
グロリアといるのは心地よい。だからこそ、自分が彼女の時間を拘束してはいけない。そんな気持ちからつい出た言葉だった。
しかし、グロリアの表情は凍りついた。
「なんでですか?」
「え?」
「私はあなたのことを聞いているんです。噂の話はしていません」
グロリアの表情から笑顔が消えており、悲痛げに歪んでいる。
「ずっと、ソムヌスさんと仲良くなりたいって、知りたいって言ってるのに。ソムヌスさんは、嫌なんですか?」
涙目になったグロリアを見て、慌てたソムヌスは、すぐに謝罪の言葉を伝えた。
「悪い。本当に、悪い。俺が悪かったから。グロリア、泣かないでくれ」
「本当に何が悪かったか、分かっています?」
泣き出しそうな目でじっと見つめられ、ソムヌスは深く息を吸った。
「……俺の言葉で伝えることを放棄しようとしたこと」
「そう! それです! 他に何か分かります?」
「……君の意志を蔑ろにしようとしたこと」
「そうです! 私がソムヌスさんにききたいと言っているのに。そんなこと言わないでください」
まだ泣き出しそうな顔のグロリアに、ソムヌスは謝ることしかできない。
「ごめん、グロリア。悪かった」
ソムヌスが祈るように謝ると、グロリアが呆れた顔で笑った。
「許します」
「ありがとう」
グロリアは5学年も下の少女とは思えないほど、しっかりしているし、自分は5学年も上と思えないほど愚かだ。
ソムヌスは目の前の少女を眩しく思いながら、目が離せなかった。




