45、世界が輝いていたときの記憶
これは愚かな男の、世界が輝いていたときの記憶だ。
ソムヌスは6年生。18歳だった。
ソムヌスは友人がほとんどいなかった。シレンテ・フルヴィウスという男が唯一の友人だった。しかし、シレンテが兄のアエラスと絶縁したため、ソムヌスとシレンテの関係も気まずいものとなっていた。
シレンテ以外に友人と呼ぶことのできる人間はいない。兄のアエラスや、アエラスと親しかった人々はすでに卒業しているため、本当に時間を持て余していた。
だから、ソムヌスは暇なときいつも校舎裏にいた。そこは人通りがなく、自分の好きなように過ごせる。人にじろじろ見られることもない。ソムヌスにとっての避難所だった。
そうやって、校舎裏へと逃げる日々が続いていた。一人でぼんやりとすることもあれば、本を読むこともあった。
時間を適当に浪費する日々がずっと続くのだと思っていた。
◆
「お兄さん。何しているんですか?」
突然、一人の少女が顔を覗き込んできた。銀の髪は日の光を浴びて輝いており、漆黒の大きな瞳がソムヌスをじっと見つめている。ソムヌスは驚きながらも、雑に答える。
「別に何も」
「そうなんですか?」
ソムヌスは突き放すような口調だったのに、少女には伝わらなかったのだろう。勝手に隣に座り込んできた。思わずソムヌスは尋ねる。
「……君は?」
「迷子です」
迷子、と自分で断言する少女のことをチラリと見た。
明らかに幼い子ども。1年生くらいだろう。放っておいたらどこかへ行くはずだ。そう思って気にしていなかったソムヌスだが、少女は動こうとしない。
視線を向けられ続ける状態が気まずくなり、ソムヌスは少女に声をかけた。
「……俺に何か用か?」
「お兄さん、暇なんですか?」
「まあ、暇だな」
用事は何もない。ただ、ここにいただけだ。
「それじゃあ、私とお話しませんか?」
少女の好奇心に満ちた声に、ソムヌスは数回瞬きをした。
「なんで俺と?」
「駄目ですか?」
きょとり、とした目を向けられ、ソムヌスは言葉を詰まらせた。少女は催促することなく、ただソムヌスの返事を待っている。
「駄目では、ない」
「良かったです!」
少女はぱっと顔を明るくさせた。それはひだまりのような輝きに、ソムヌスは目を離せなくなる気持ちがした。
あとから考えれば、この時点で突き放すべきだったのだ。しかしソムヌスは自分に臆せず声をかける少女に、少し興味を持ってしまった。
「それでも、俺は面白い話できないぞ」
「お兄さんが話をしてくれるだけでいいんです」
まともに人と会話をするのは、兄以外では久しぶりだ。
ソムヌスは自分の顔を見つめてくる少女から目を逸らした。
「君、名前は?」
ソムヌスに怯えもせず話しかけてくる少女のことを、邪険にはできなかった。目も見ずに名を尋ねると、少女は明るい声で答えた。
「グロリア・ノーティカ、1年生です! お兄さんは?」
「俺はソムヌスだ。6年生」
「ソムヌスさん! 6年生なんですね! 大人だ!」
それは褒め言葉なのだろう。しかし、ソムヌスはうまく飲み込むことができず、苦笑した。
「……いや。俺はいつまで経っても子どものままだ」
「そうなんですか?」
「ああ」
きょとんとした顔で少女――グロリアが自分のことを見ているが、ソムヌスは黙り込んだ。不思議そうにソムヌスを見つめていた彼女は、軽く首を傾げる。
「もしかして、ここはソムヌスさんの逃げ場所でした?」
「そうだな」
ソムヌスがここにいたのは暇だったから、という理由だけではない。暇なだけなら教室にでもいればいいだけ。
ソムヌスが6年生となった今。ソムヌス・クレアティオが将来どの道に進むのかが勝手に噂されている。それを耳にするのが鬱陶しくてソムヌスはここに逃げてきていた。
ソムヌスの両親は、どちらも国の機関に所属していた。そのため、クレアティオの名をアエラスが継いだとしても、母の名を継げばソムヌスも国の機関に所属する余地はあった。
それでも、ソムヌスはその道をどうしても好きになれなかった。
ソムヌスはグロリアのことをそっちのけで思考に浸っていた。彼女は、ぱちぱちと瞬きをしてソムヌスを見ていたが、おもむろに口を開いた。
「私がいると邪魔ですか? 邪魔ならここには来ません。でも、ソムヌスさんとお話したいので、別の場所で、お話したいです」
その言葉をソムヌスは理解できなかった。グロリアはなぜ。なぜ自分という人間がいいのか。
「なんで俺と話したいんだ?」
ソムヌスの質問に、グロリアは考える様子もなく答える。
「だって、あなたがここにいたから」
校舎裏。普通に学校生活を送っている人なら来ない。しかし、そんなところにいる人物と話たいとは変わっている。
そんなソムヌスの疑問が顔に出ていたのだろうか。グロリアが辺りを見渡しながら説明を始める。
「ここから見える景色、綺麗ですよね? お花がいっぱい咲いていて、風が気持ちよくて。ソムヌスさんも気に入っているのかなって。私もここが綺麗だと思ったので、おんなじかなって」
「それが俺と話したいことに関係するのか?」
ソムヌスが尋ねると、グロリアは満面の笑みを浮かべた。
「だって、この誰も知らない秘密基地を見つけたソムヌスさんと仲良くなりたいから」
その少女の真っ直ぐな言葉に、ソムヌスは言葉を失った。
仲良くなりたい。そんなことを言われたことはあったのだろうか。
しかも、この少女は「ソムヌス・クレアティオ」ではなく、ただのソムヌスと仲良くなりたいと言っている。
「君は、変わっているな」
そう言ってソムヌスが笑みを浮かべた。すると、グロリアは目を見開いたあとで、穏やかに笑った。
「ソムヌスさんって、綺麗ですよね」
「……そんなこと言われたことないが」
綺麗、と言われソムヌスは複雑な気持ちになっていたが、グロリアは嬉しそうな表情を浮かべた。
「本当に? それじゃあ私が1番だ」
そう言って笑う彼女を見て、綺麗という言葉でもいいか、という気持ちになった。
5歳も年下の彼女に惹かれ始めたのはいつだったのだろう。もしかしたら、このときからすでに惹かれていたのかもしれない。




